第20話 手土産

「ただいまー」


 レティと食事を終えたライズは、そのまま一人で帰ってきた。


「おかえりー」


 すると掘っ立て小屋で待っていたらしいメルクが彼を迎える。


「あれ? レティは?」


 メルクは一緒に町へ向かったはずのレティが居ない事に首をかしげる。


「宿に戻るってさ」


「ふーん、そっかー」


 しかしメルクは同僚が仕事を放棄した事を大して重く受け止めなかった。


「良いのかそんな適当で。お前等俺を連れ帰りに来たんだろ?」


「ああ、そうだねー、でも本人の意思を無視して連れて行くわけにもいかないしさ」


 あくまでもライズの意思を尊重すると告げるメルク。


「現団長に俺が戻らないように工作しろって言われたらしいな」


 しかしメルクの本心を知っているライズは、彼の言葉を真っ向から否定した。


「誰が言ったの? レティ?」


 かすかにメルクの気配がざわつく。

 普通なら気付きもしない程度の変化だが、人間とは姿形が違い、一見表情が読めない上にさらには価値観まで違う魔物と接してきたライズには、その変化がはっきりと判別できた。


「知り合いがな、教えてくれたんだ。俺に戻って欲しくない人達が居るってな」


「へぇ、それは親切な知り合いが居るもんだねぇ」


 表面上は取り繕っていたメルクだったが、内心では激しく動揺していた。


(フリーダ団長の派閥の中にマルド元将軍側のスパイが入り込んでいるって訳か。これは厄介な事になってきたぞ。どう取り繕ったものか)


 メルクは困惑した。ライズの意思は元々軍に戻るつもりはないというものだったが、ここで新団長側が工作をしていると分かれば嫌がらせを兼ねて軍に復隊すると言いかねない。


(昔因縁をつけてきた先輩の部屋に大量の帰るをぶち込んだりしてたしなぁ)


 しかしライズの言葉はメルクにとって福音をもたらすものだった。


「安心しろメルク。俺は軍に戻らない。この町でこれからも暮らすさ」


「……そ、そうなのかい!? それは良かった!」


 思わず本音が漏れるメルク。


「ところでだ、先日捕まえたセルガ王国のスパイが居ただろ?」


「う、うん。今は薬で眠らせてこの町の自警団の牢屋に入れてあるよ」


 何故唐突にそんな話をしてきたのかとメルクは疑問に思った。

 そしてあるひとつの答えに行き着いてその顔が青く染まる。


「あのとき取り出した毒薬、お前が用意したものらしいな」


「っ!? な、何を一体!?」


 図星だった。

 しかしソレがバレるのはさすがにマズいと考えたメルクは何とかしてごまかそうと知恵を働かせる。

 しかしライズは更に言葉を重ねた。


「そもそもだ、敵国のスパイが一人の筈ないよな」 


「え?」


 盲点だった。普通に考えればそうなのだが、うっかりしていたのだ。

 それもその筈、彼はあくまでも騎士。特殊部隊や参謀術数を企てる作戦司令部の人間ではないのだから。

 若さもあってついつい考えが及ばないのも無理からぬ事だった。


「そいつ等は俺をスカウトしに来たらしい。だから、毒を用意する理由もないんだとよ。俺に仲間が捕まったのを見た連中が即座に接触してきて弁解したよ」


「い、幾らなんでもそれをすんなり信じるのは迂闊じゃないかな? 今まで争っていた相手だよ!?」


 これは正しい発言だとメルクは確信した。

 コレまで何十年と闘ってきた敵国の人間の言葉だ、それを素直に信じるのは幾らなんでも油断が過ぎる。


 しかしそこでライズは懐から小さな小瓶を取り出した。


「これ、何だと思う?」


 そ、それは僕がスパイから取り上げた毒薬? まさか宿の荷物を漁ったのかい!?」


 友人とはいえ、明らかに礼を失した行いにメルクが柳眉を吊り上げる。


「落ち着け、これはお前の荷物じゃない」


「え?」


 ライズが指を鳴らすとドサリと大きな音が掘っ立て小屋の外で鳴った。

 とはいえ、今の掘っ立て小屋には壁が無いので、屋根の外側でと言うのが正しい表現だが。


 メルクが振り返ると、そこには黒装束の、男達が山積みになって置かれていた。

 全員が意識を失っているらしく、身動きひとつする気配が無い。

 しかしその衣装はライズの影の部隊が捕まえた黒装束とは違う様式の衣装だった。


「コイツ等は?」


 ライズとの会話から、隣国のスパイなのかと考えるメルク。


「コイツ等はお前の後を付けて来たウチの国の特殊部隊だよ」


「えっ!?」


 予想もしていなかった答えに、メルクが驚きの声をあげる。


「お前が任務を果たせるか調べる為についてきたんだろうな。そいつ等の一人がこの薬を持っていたんだ」


 そう、ライズの影の部隊は隣国のスパイだけではなく、自国のスパイの存在までも理解していた。

 これらはケットシーの情報網とアラクネの糸の結界、それに彼等が潜んでいた大魔の森に定期的に間引きに出かけていたドラゴンの目で既に発見されていたのだ。

 初日は意図的に放置していたのだが、敵国のスパイを捕らえるついでに交渉カードとして魔物達に捕らえさせておいたのだ。


「フリーダ将軍は僕を信頼していなかったのか……」


 自分の背後にスパイがつけられていた事に衝撃を受けるメルク。

 だがそれ以上にメルクは追い込まれていた。

 ライズは帰る気はないというものの、友人が自分を追い出した上司の使いとして

復隊を邪魔しにきたとバレただけでなく、その上司からすら信頼されていなかったという事実に。


(僕はただ、貴族として、騎士として上官に従順で居れば軍の地位も安泰だと思っただけだったんだけどな。それにライズが戻っても今の将軍の下じゃ結局冷や飯食いだ。戻ってもろくな事にならない)


 しかしいまさらそれを言ったところでどうにもならない。

 彼が新将軍の命令に従ったのは事実なのだから。


「なぁメルク、取引をしないか?」


「え?」


 沈黙した空気をライズのほうが破ってきた事にメルクは困惑する。

 この状況で何を取引するのかと。


「このスパイ達はお前に渡す。お前が俺との交渉で捕まったスパイ達の身柄を確保したという事にするんだ」


「え、ええー!? ど、どういう事だい!?」


 まさかの提案にメルクが困惑する。

 それはあまりにもメルクにとって有利すぎるからだ。


「俺は軍に戻る気はない。そして軍も俺に戻ってきて欲しくない。つまり俺と軍の意見は一致しているわけだ」


「そ、そうだね」


ライズの言葉に頷くメルク。


「だがここで敵国のスパイが俺を自国に迎えたいと言ってきた。それは軍としても困るだろ?」


「うん、困る。凄く困る」


 それこそマルド元将軍が最も恐れたことなのだからとメルクは頷いた。


「だからさ、軍が俺を守ってくれよ。俺が敵国に狙われない様にさ」


「へっ?」


 またもや想定外の言葉にメルクは目を丸くする。


「毒まで使おうとした事は水に流す。そして俺に戻ってきてもらいたくない以上、軍は俺を敵国に渡したくない。なら俺を守るしかないだろう?」


「で、でもそれは幾らなんでも。っていうかフリーダ将軍がそんな要求受ける訳ないよ!」


 ライズを不要と切り捨てた新将軍が、ライズの為に人員と予算を割いてはライズを復隊させる以上の出費になりかねないとメルクは困惑した。

 そんな交渉を上司にしたら自分が左遷されかねない。


「だが俺はこの通りわが国自慢の特殊部隊を無力化した。つまり俺を暗殺して敵国に連れて行かせないように始末するのは無理って事だ。分かるな?」


「……あっ!?」


 そこまで言われてようやくメルクはライズが自分に手柄を譲ろうとした事を察した。


(ここでフリーダ将軍がライズの要請を受けいれずに再び暗殺を謀れば、こんどこそスパイ、いや特殊部隊は全滅だ。さらにその足で隣国に亡命されれば、ライズは完全に敵に回る。ライズを暗殺できない上にマルド元将軍、それに国王の意向に反したとなれば、フリーダ将軍の身は破滅だ。ライズに情報を流した連中の目的はそれか!)


 完全に誤解なのだが、ライズが暗殺者達から身を守りながら隣国に亡命できるのは事実だった。

 何しろ彼は24時間自分の魔物にかげながら守られており、さらに逃亡の際はドラゴンの背中に乗って高い空の上を飛んで逃げればよいのだから。

 人間との戦い、それも暗殺に特化した通常の特殊部隊では、空の上を飛ぶ敵を攻撃することなど不可能。

 この時点で新将軍の進退は詰んでいた。


(これは僕も身の振り方を決めないとな)


「分かったよ。その提案を受けいれる。君の要求を全力でサポートしよう」


 あっさりとライズの側に寝返ったメルクは、この情報を利用して自分がフリーダ将軍の側近の座を手に入れる算段を練っていた。


(情報を洩らした連中がいる事はこのスパイ達の存在で証明できる。あとは彼等の命を救った事とライズに戻らないように説得した事を成功したと告げれば僕の価値は跳ね上がる。将来的には副団長、フリーダ団長が退役した後は団長を任せてもらえる算段が高い。これはライズに乗るほうがお得だね!)


 メルクには理念も信念もなかった。

 貴族として将来は悠々自適に暮らしたいと彼は考えていたのだ。

 だから有益な能力の持ち主であるライズには即座に接近したし、新団長であるフリーダの命令には即座に従った。

 彼は、とことんまで柔軟な長いものに巻かれる主義だった。


「よーっし、それじゃあ僕達の前途を祝って乾杯だ! 今日は僕が奢るよー!」


「いや、俺メシ食ってきたばかりなんだが」


 あっさりと寝返った友人のフットワークの軽さに、一抹の不安を覚えるライズであった。

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