第226話 後始末

 私達が水没したダンジョンから脱出したのと前後して闘いは幕を閉じた。街中を埋め尽くしていた水は逆再生するかのように引いてき、後には水害が去った後のように残骸が散乱する通りが残されていた。

 ダンジョンから天に向かって伸びていた赤い光も細まっていき、やがて掠れるように途切れて消えた。ダンジョンに帯びていた光が消えると、先程までの物々しい雰囲気は晴れ上がり、騒動の終焉を物語る穏やか空気がエルドラの町を包み込んだ。


「どうやら終わったみたいだな」

「せやけど、これからどうなるんやろ?」


 ヤクトの疑問と眼差しを受けてラカムは手帳にペンを走らせ、そして自分の考えを記した一面をピラッと翻した。それによればダンジョンボスを倒した事で大量の魔力が還元され、暴走は収まっただろうとの事だ。

 しかし、かと言って直ぐにダンジョンが本来の機能を取り戻す訳ではなく、暫くは立ち入りを禁止して様子見をする必要がある。今後のエルドラ経済に影響こそ与えるが、あのダンジョンから溢れ返る魔獣を目の当たりにした以上、反対する声も少ないであろう。

 まぁ、そっちの問題はエルドラの当事者に任せるとしよう。一足先に脱出した三獣士や、地上に残ったアクリル達と合流するべく、私達は倉庫街へと足を向けた。



「くそ、これは何かの間違いだ……!」


 エルドラを取り巻く騒動が終わった後、ガラムは自警団の屯所にある留置所に拘留されていた。彼だけでなく側近や取り巻き達、そして彼と手を組んであくどい商売をしていた裏社会の住民も続々と此処へ連れて来られており、その数は現在進行形で増える一方だ。

 それらはガラムの天下が終わったという事実を如実に突き付けていた。しかし、それを受け入れられない彼は、悪態を吐きながら現実から目を反らした。尤も、権力を失った彼に出来るのは現実逃避のみというのも哀れなものだが。


「アイツらめ、俺を権力座から引き摺り下ろしやがって……! だが、見ていろよ。必ず俺は復活してみせる。そうしたら連中を――」


 ガチャッと金属製扉から解錠音が鳴り響き、ガラムは独り言を止めてパッと顔を持ち上げた。ギイィィ……と重々しい蝶番の軋む音を立てながら鉄扉が開き、二人の男性が部屋へ足を踏み入れた。

 一人は先程自分を捉えたダンブル、もう一人も彼と同じ自警団の衣装を身に纏っているが顔をスカーフで覆い隠している為に表情を窺うことが出来ない。とは言え、どちらも未来を奪った人間である事に変わりなく、ガラムは露骨に表情を歪ませた。


「貴様等……!」

「どうも、元議長殿」ダンブルは茶目っ気と皮肉の籠った口調で親し気に話し掛けた。「反省して頭を冷やせたかい?」

「抜かせ! この盗人どもが!」


 ガラムが怒りに任せてダンブルに飛び掛かろうとすると、壁に固定されたベッドに括り付けられた腰縄がピンッと張られた。リールに引っ張られる子犬のように後ろへ仰け反りながらベッドへ腰を下ろした彼を見て、ダンブルは小馬鹿にするかのように呆れた笑みを投げ掛けた。


「おいおい、今のアンタは議長じゃないんだ。様々な容疑を掛けられた容疑者だ。そんな大口を叩けば、後々自分の首を締めるだけだぞ」

「黙れ! 貴様達の行いはエルドラを混乱に導いたのだぞ! それを理解しているのか!?」

「なら、貴様は自分の都合でエルドラを私物化した事を認識しているのか?」

「ふん、エルドラを効率良く回す為に力ある者に便宜を図るのは当然の事だろう? 前任は清らかな政治を意識し過ぎた。そのせいでエルドラの力を発揮出来ずにいた。私はその力を最大限に発揮して、豊かな富を齎したのだ」

「富を齎すだと?」ダンブルは鼻で嘲笑った。「搾取したの間違いだろう?」

「口の利き方に気を付けろ!」


 立場が分かっていないのか、それとも分かった上でやっているのか。相も変わらず尊大な態度を取るガラムに、ダンブルは疲弊感を覚えたように溜息を吐き出した。

 その時、傍らで佇んだまま無言を貫いていた相棒が前へ出た。スカーフ越しから覗く眼の輝きで何をするのか察したのか、ダンブルは「後は頼みます」と一言残して留置所を後にした。

 怪訝そうに立ち去るダンブルを見送るガラムだが、彼は気付いていなかった。ダンブルが丁寧な口調で接していたこと……即ち、彼がダンブルよりも目上の人物であるという事に。

 二人っきりとなった室内で、ガラムは居心地悪そうに背筋を正した。チラチラと視線を忍ばせるが、この謎の人物は微動だにせずスカーフ越しからガラムをジッと見詰めるばかりだ。そして只でさえ甲斐性無しのガラムが気まずい沈黙を耐え切れる筈が無かった。


「ええい! 何をじろじろと見ている! 何か言ったらどうだ!?」


 その言葉を受けて男は口に出す代わりに、顔に巻いていたスカーフを解き始めた。しゅるりと布が音を立てて外れて表情が露わになると、それまで不快な怒気に満ちていたガラムの顔は一転して恐怖に瀕したかのように蒼褪めた。

 男の顔には皮膚はおろか肉すらもなかった。あるのは白骨――完全な骸だった。しかし、その眼孔の奥底には仄暗い赤い輝きが宿っており、彼が人智の理の外にある存在だと物語っていた。


「き、貴様……! ま、まさか!」


 男は慄くガラムを無視して、上半身に纏っていた自警団の服も脱ぎ捨てた。その下から現れたのは鮮やかな刺繍が施されたエルドラの高級衣服。されど、長く着続けたせいで草臥れており本来の美しい見栄えは大いに損なわれてしまっている。

 特に台無しにしているのは左胸にポッカリと空いた大穴だ。幅が狭くて縦に長い独特な傷口は、大剣で貫かれた事を物語っている。だからこそ、ガラムはソレを目にした途端に骸の正体が何者なのかを理解した。


「ら、ラカム!!」


 ラカムから距離を置こうとガラムはベッドの壁際へと後退るが、腰縄がそれ以上離れる事を許してくれない。逆にジリジリとラカムの方から近寄れば、先程までの強気の虚勢メッキは呆気無く剥がれ落ち、本来の肝の小さい素顔が露わとなる。


「ま、待て! 来るな!」ガラムは片腕を突き出して必死に叫ぶ。「お、俺は人間だぞ! もしも貴様が私を殺そうものならば貴様は滅されるのだぞ!!」


 ガラムの言葉に耳を貸さず、ラカムは腰元に差していた剣を引き抜いた。嘗て、ラカムが冒険者として活躍していた剣は、度重なる戦いを繰り広げたせいで所々に刃毀れが目立つ。そして彼自身の命を奪った凶器でもあり、その実行犯であるガラムを怯えさせるには十分であった。


「わ、分かった! 謝る! 俺が貴様にしたことを謝る! だから待てぇ!」


 ラカムは両手で剣を構え、ゆっくりと刃先を天に掲げるように持ち上げる。降り注ぐライトクリスタルの輝きを帯びて刃がギラりと輝く。如何に刃毀れをしているとは言え、元々が対魔獣を想定した作りだ。人間の生身を切り裂くぐらい問題は無いであろう。


「お、お前を殺したことも認めるし、罪も償う! だから待てぇぇぇ!!!」


 ガラムの言葉を振り払うかのように、ラカムは剣を振り下ろした。ビュンッと勢いよく空を切り割き、その切っ先が床に付くスレスレで止まった。ガラムの身体がゆっくりと傾き、そのままベッドへと倒れ込む。

 絶頂に達した恐怖が意識を奪い取り、口元からは大量の泡が噴き上がり、内側から漏れ出た染みが股間に広がっていく。だが、どこからどう見ても彼は無傷だった。ラカムがガラムの眼前スレスレで振り下ろすように剣の軌道を配慮したからだ。無論、それを見抜く眼力など無いガラムは、それを本気と勘違いして気絶してしまったのだが。

 一部始終の遣り取りが済んだところで扉がガチャッと開き、ダンブルがヒョコッと顔を覗かせた。気絶したガラムを見て満足そうな笑みを浮かべつつ、ラカムの傍へと歩み寄る。


「どうも、ラカムさんのおかげで証言が得られました」


 ダンブルが掌に収めたスマートフォンに似た薄っぺらい魔道具を操作すれば、そこから先程のガラムの絶叫――もとい謝罪が再現された。今の遣り取りは只単に彼の自白を吐くだけの小芝居に過ぎなかったのだ。

 少々乱暴が過ぎるかもしれないが、お灸を据えるという意味も兼ねているのである意味妥当と言えよう。何にせよ、これで彼からの自白は獲得出来た。そして彼が殺人を犯したという証拠も目の前にある。だが、後者がどういう意味を持つかを理解しているダンブルは目に見えて表情を曇らせた。


「残念です、議長閣下。こうして久々に会えたのに、直ぐに貴方と御別れしなければならないとは……」


 そう、ガラムを起訴する為には死体――即ちラカムが必要となる。当然ながらアンデッドの状態では証拠になる筈も無く、一旦浄化して骸に宿った魂を天に返さなければならない。謂わば、ラカムは二度目の死を体験しなければならないのだ。

 一度目の他殺に比べれば苦は無いだろうが、それでも実行する側としては心苦しい事に変わりはない。そんなダンブルの心境を察してか、ラカムは例の如く手帳に文章を記して翻した。


『気に病む必要はない。そもそも私がアンデッドとして生まれた事自体がイレギュラーなのだ。せめてもの救いは、こうして誰かとコミュニケーションを取れるだけの意識を保っていた事であろう』

「しかし、閣下が亡くなられていなければ……ガラムの跋扈も許さなかったはず! 何よりも、今回のような騒動も起こらなかったはずです! そしてソレらを阻止出来なかった自分の無力さが只々歯痒いばかりです……!」


 悔しさを凝縮した拳にジッと目線を落とすダンブルに、ラカムは首を横に振った。目を伏せているのか、眼孔に灯っていた赤い輝きは失われている。


『最早、過ぎた事だ。今更どうこう言ったところで起きてしまった歴史は変わらない。其方の後悔も分からないでもないが、今やるべき事は過去を悔いる事ではなく、より良い未来を創ることだ』

「閣下……」

『閣下は止せ』ラカムは腕を突き出して静止した。『既に私は死んだ身だ。何時までも死人に拘るのは良くない』


 ダンブルは口を開き掛けるも、何と呼び掛ければ良いのか分からず、声と言う形にすら出来ずに口を閉ざした。そんな彼を勇気付けるようにラカムはポンと分厚い肩に手を置いた。


『このエルドラで問題となっていた膿は一掃出来た。あとは正しい道を歩み続けるだけだ。私の賛同者ならば、私の志を継いでエルドラを導いてくれるだろう。……後は頼んだぞ、ダンブル』


 再び衣装を身に纏ったラカムは志を託したダンブルと、未だに気絶したままのガラムを残して留置所を後にした。詰所には大勢の人間が忙しなく行き交っており、クーデターと魔獣による騒乱の後処理に追われていた。

 今はまだ慌ただしいが、全てを終えて落ち着いてしまえば再びエルドラは正道へ歩みを始めるだろう。少々面倒な置き土産となってしまった感は否めないが、エルドラに巣食っていた病魔を掃えたのだ。これぐらいは致し方ないであろう。


「ラカムさん」


 周囲を気にしてか密かに聞こえるような呼び掛けに気付いて振り返れば、其処にはアラジンが居た。常に行動している他二人――大柄な男性とアマゾネスの少女は見当たらない。別行動を取っているのか、はたまたアラジンに気を回したのか。


「少し話があるんだが、良いだろうか?」


 断る理由など無かったラカムは頷き返し、場所を変えるように踵を返したアラジンの後を追って屯所を後にした。エルドラを救った英雄を間近にしながらも、目の前の作業に忙殺された人々は振り返るどころか彼の存在に気付きもしなかった。

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