第222話 異変
「魔獣だ! 魔獣が来るぞー!」
「各方面の避難所へ行くんだ! 速く!」
「おとーさーん! おかーさーん!」
ダンジョンから溢れ返った魔獣の登場によってエルドラの町は混乱の真っ只中にあった。自警団や冒険者が対処しようとするも、如何せん急だった為に初動に遅れが生じてしまい、魔獣の市街地への侵入を許してしまった。
如何に魔獣のレベルが低いとは言え、無力な市民達にとって脅威である事に変わりはない。ましてや街の内側から魔獣が湧き立つという前代未聞の出来事も、彼等の恐怖と混乱に拍車を掛けていた。
「あ!」
「アンナ!」
逃げる最中に転んでしまった子供の元へ慌てて駆け寄る母親。そこに濃厚で巨大な影がヌッと落ち、視線を恐々と持ち上げれば自分達を見下ろす泥で出来たマッドゴーレムと目が――厳密には核だが――合った。
母親は我が子を庇うように抱き締めるが、ゆっくりと伸ばされるゴーレムの巨椀の前では無力を象徴するかのようであった。そして遂にマッドゴーレムの手を直視出来なくなり、娘を胸に埋めながら背を向けた。
「そのまま伏せてな!」
蒼褪めた稲妻が母娘の頭上を駆け抜け、マッドゴーレムに直撃する。その稲妻の正体は全身に電流を纏わせたアマンダだった。突き立てられた大剣から夥しい電流が放出され、マッドゴーレムを構成していた泥を一瞬にして蒸発せしめる。
しかし、未だに存在している核が空気中の水分から水を生み出し、更に足下の土を引き寄せて再び肉体の元となる泥を作り上げようとする。だが、その前にアマンダは大剣を野球のバットのように振り抜き、剣の腹で核を叩き付けた。
ガァンッと鉱物を叩くような音と共に核が吹き飛ばされ、通りを切り裂くように駆け抜ける。そして吹き飛ばされた先では腰を落とし、何時でも正拳突きを繰り出せるポーズを取った角麗が待ち構えていた。
「はああああ!!」
闘気を纏わせた拳が核を穿ち、凄まじい衝撃音が鳴り響く。彼女と核の間で衝撃波の余波が生じ、大気を歪ませると共に夥しい砂埃が巻き上がる。そして角麗の手首に埋まる形で陥没した核はボロボロと崩れ落ち、やはりドロップアイテムも残さず塵となった。
その一部始終を目の当たりにした人々は唖然となり、先程まで通りを埋め尽くしていた喧騒は水を打ったかのような静けさに取って代われられる。だが、自警団に「速く避難しなさい」と呼び掛けられると、停滞していた流れは流動的なものとなり喧騒も復活する。
「やれやれ、最悪の事態になっちゃったね」
「ええ、よもやクーデターを成功させた矢先にコレとは……タイミングが悪いですね」
当初、アマンダも角麗もマリオン達の護衛に付いていたが、ダンジョンで起こった異変を知らされ、急遽その対応に駆り出されたのだ。ガラム一派の鎮圧が早急に済んだ事でマリオン達が襲われる心配がなくなり、角麗達が魔獣の対応に専念出来るのがせめてもの救いだ。
「ヤクト殿達も無事だと良いのですが……」
「まぁ、流石に街の混乱を無視して駆け付ける訳にはいかないよね」
角麗とアマンダはダンジョンがある広場の方角へと振り返った。白の中に紅一点と言わんばかりに、無数にある真っ白い高層物の中に不吉を抱かせる真っ赤な光が塔の如く聳え立っていた。恐らくダンジョンから放出された光だろう。
聞いた話ではダンジョンから溢れ出す魔獣を食い止める為にヤクト達が中に飛び込んだらしい。流石に全てを食い止めるのは無理だが、それでも彼等が行動を起こさなければ何百というゴーレムがエルドラの町を蹂躙していたのは言うまでもない。
「失礼します!」
物思いから覚めるかのように角麗とアマンダは、駆け寄ってきた一人の自警団員の方へ振り返った。彼等も彼等で魔獣の戦いを食い止めているのだろう、その衣装は所々に破けており、特徴的な濃密な青は土埃などで汚れてしまっている。
「北通りにゴーレムの群れが侵攻してきました!」
「其方に配置してあった自警団はどうしたんだい?」
「余所の応援要請に応じて人員を割いてしまったばかりに、戦力が手薄になってしまい……」自警団員は言い訳しながら苦虫を噛むように顔を顰めた。「申し訳ありませんが、手を貸して頂きたい!」
角麗とアマンダは互いの顔を見合わせた。魔獣と互角に渡り合えるのは、自分達を除いてそう居ないであろう。時間さえ掛ければ他の冒険者も混乱から立ち直って心強い戦力となるだろうが、それまではやはり二人が中心とならざるを得ないだろう。
「分かりました。其方へ向かいましょう」
「仕方ないね。このまま無視して街がめちゃめちゃになったら元も子も無いしね」
自警団の要請に応じた角麗とアマンダは、救援を求めている北通りへと駆け出した。燦燦と降り注ぐ強い日差しにエルドラは真っ白に焼かれ、茹だるような暑さが街を覆い尽くす。街中では至る所で騒動が巻き起こり、事態が当分止みそうにない事を示唆していた。
☆
第一階層を粗方巡り負え、私達は第二階層へと潜り込んだ。そこもライトクリスタルの輝きを失っており、只で薄暗い石造りの通路は暗闇と同化して見通すのは不可能だった。だが、視野が利かずとも魔獣の濃厚な……それも第一階層とは比べ物にならない強い気配が伝わって来ており、厳しい戦いが待ち受けている事が予見された。
「第二階層か……」フドウが辺りを見回しながら独り言ちる。「人切り幽霊――いや、ラカムさんを探し出す時に潜ったきりだったが、やっぱり魔獣の気配が漂っていやがるな」
「ああ。加えて魔力の気配も強い。第一階層とは比べ物にならないほどにだ」
「そうなると、油断したらやられてまうな……」そう言ってヤクトはフドウ達を見遣った。「で、やっぱり二手で分かれて進みますん?」
「ああ、この階層にも魔獣が大勢発生しているみたいだしな。外への影響を考えると、少しでも減らした方が得策だろう」
「それにセーフティーゾーンに居た冒険者達の話によれば、第二階層に潜ったハンターは居ないそうだ」
「ならば、捜索に気を回す必要はないな」
そう言ってクロニカルドは少しだけ気が楽になったかのように微笑を零した。二つの物事を同時にこなすよりも、一つの物事に専念した方が効率的なのは言うまでもない。何よりも強い魔獣が待ち構えているとなれば、自分達の身を守るのに徹しなければならないのだから猶更だ。
「じゃあ、また後で合流しようぜ。死ぬんじゃねぇぞ?」
「はは、俺っちもまだまだやりたい事があるんで、こんな所で死ぬつもりはありませんよ」
私達はフドウ達に背を向けて、右手に続く通路へと歩き出した。入り混じっていた光源――クロニカルドの光魔法とキールが纏う炎――が細胞分裂するかのように分かれ、距離が開くにつれて暗闇に圧迫されていく。
やがて光源が完全に暗闇に呑まれると、同時にフドウ達の気配も途絶えた。厳密にはダンジョンに蔓延る魔獣の気配に塗り潰されたのだが、だからと言って不安は芽生えなかった。フドウ達の強さならば大丈夫だろうと絶対の信頼を預け、私達は目先の戦いに意識を切り替えた。
☆
「ヤクト! 援護しろ!」
「了解っと!」
クロニカルドの指示を受け、ヤクトは目の前に立ちはだかったスクラップゴーレムにグレネードランチャーを打ち込んだ。ボンッとくぐもった爆発音を立て、身体に纏わり付いていたスクラップ――折れた剣やら凹んだ盾やら――がバラバラと石畳の上にバラ撒かれる。
私達は素早くスクラップの部品の中に目線を走らせた。スクラップゴーレムは名の通り、様々な鉄屑が寄り集まったゴーレムだ。だが、耐久性や強さ以上に一番厄介なのは、その心臓部とも言うべき核もスクラップに偽装して見分けが付き辛いという点だ。
「見付けたぞ!」
クロニカルドが指差す先を見遣ると、盾に埋め込まれた魔石に見せかけた核が仄かに赤く点滅していた。ヤクトは咄嗟に拳銃で狙いを定めるも、時同じくして核がカッと眩い光を放った。
すると、周囲のスクラップがガチャガチャと音を立て、強力な磁石で引き寄せられるかのように核の周りに集まり出した。ヤクトは拳銃の引き金を数度引いたが、発射した銃弾は核を庇うようにして浮遊したスクラップに阻まれてしまう。
「くそ、後少しやったのに!」
『私に任せてください! ヒートショット!』
貝殻前方の火口から高熱で朱色に染まった鋼の砲弾が轟音と共に打ち出され、空を切り割きながらスクラップゴーレムに襲い掛かる。流石に高熱を嫌ったのかスクラップゴーレムは自分の意志で肉体を崩し、砲弾を避けようと試みる。
だが、スクラップゴーレムの輪っかを素通りしようとした刹那、砲弾が炸裂してショットガンのように無数の礫となって周囲に飛び散った。実は砲弾の内部に爆発魔法を仕込んであったのだ。
超高熱を纏った礫がスクラップゴーレムに命中し、飴細工のように鉄屑を熔解していく。滴った金属が石畳の上に落ち、ジュッと音を立てて鼻を突く匂いを纏った白煙を立ち上らせる。
スクラップゴーレムは残存したスクラップ(肉体)を搔き集め、心臓部である核を守ろうと試みる。だが、その行為は自身の弱点が其処にあると私達に教えるも同義であった。
「そこか! ファイヤーランス」
クロニカルドが掲げた掌から炎の槍が打ち出され、薄暗い通路を照らしながら密集したスクラップの群れに直撃した。寄せ集まって塊状となった鉄屑を炎の高熱で貫通し、反対側へと飛び出した穂先にはシールドに偽装した核が貫かれていた。
核が塵となって消滅すると、宙に漂っていたスクラップの群れは次々と浮力を失い、石畳に叩き付けられるように落下した。そして程無くして核と同じ末路を辿り、後には戦いの痕跡だけが取り残された。
「ふぅ、流石は第二階層やな。面倒なゴーレムが増えおったな」
「うむ。しかし、対処さえ間違えなければ倒せないことは無いな」
「ガーシェル、魔獣の気配は他にあるかいな?」
『少々お待ちください』
私は泡を吐き出してマッピングで得た第二階層の地図情報を投影した。地図上には以前訪れた時とは比較にならない膨大な数の赤点――魔獣の存在を意味する――が埋め尽くされており、これにはヤクトも辟易した表情を隠せなかった。
「うへぇ、こりゃまた仰山居るなぁ」
「第一階層に比べればマシかもしれんが、それでも中々の数だな。三十……いや、四十は居るか?」
「半数をフドウさん達が受け持ってくれるとしても、最低でも十五匹以上は相手をせなあかんっちゅー訳か。こりゃ中々に骨が折れそうやな」
「加えて、最下層に潜る可能性を考慮すると魔力も温存したいところだな」
これまでの道中で既に数多くの魔獣を倒しているが、未だにダンジョンの異変が解除される様子は見当たらない。まだまだ多くの魔獣を倒さなければならないのか、或いは――。
「こりゃダンジョンボスまで潜り込む可能性も視野に入れへんとあかんな」
「ダンジョンボスか……。やはりソレは最下層に潜ったままみたいだな」
「ダンジョンボスとして最下層に留まり続けているだけか、或いは――」
意味深なものを含んだ呟きを零したヤクトに、私とクロニカルドは気掛かりな眼差しを投げ掛けた。
「最後の最後で大取を飾るつもりなのやもしれへんな」
☆
エルドラダンジョンの最下層は他の二層と異なり複雑な通路は存在しない。第一階層と第二階層の複雑な迷路を踏破した御褒美のようにも見えるが、当然ながらダンジョンが侵略者である人間に甘い顔を見せる筈がない。
第三階層にはダンジョンの守護者であるダンジョンボスが控えていた。ダンジョンボスを倒せばダンジョンクリアの報酬として希少なアイテムなどが手に入るが、エルドラの特殊な事情もあってボスに挑む人間は少なかった。
だが、居なかった訳ではない。過去には報酬よりも名声を求めてボスに勝負を挑もうとして最下層に潜り込んだ命知らずの冒険者も居たのだ。しかし、帰ってきた者は一人としておらず、その事実が最下層へ潜る人間の減少に繋がった一因ともなった。触らぬ神に何とやらだ。
ダンジョンボスがダンジョンに居座り続けるのは、自分がダンジョンの守護者だと認識している――訳ではない。如何にダンジョンで生み出されたと言っても所詮は魔獣、その行動原理は野生のソレと何ら変わらない。
ダンジョンボスにとってダンジョンは魔力を供給してくれる場所であり、苦労して外で活動する必要性が無い。だが、それも供給される魔力が失われれば話は別だ。
最後の断末魔のようにダンジョンから大量の魔獣が生成されて次々と外に向かって進出する気配を感じ取り、ダンジョンボスも生存本能に従ってダンジョンから抜け出す準備を始めていた。
しかし、殆どの魔獣が出口がある上に向かうのに対し、ダンジョンボスは下へと目指した。ダンジョンが機能していればダンジョンボスの脱走を阻むのだが、最早瀕死の状態である今やソレを阻むのは不可能であった。
そしてダンジョンボスが居なくなった後には、ドーム状の丸みを持った只々広い空間だけが取り残されていた。気配が一切ない空間は抜け殻のようであり、まるでダンジョンの行末を暗示しているみたいでもあった。
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