番外編Ⅲ ガルタロスとアスタロス

 ガルタロス・ヴィンテッドは統合作戦本部――ドレイク帝国軍の最高総帥機構であり、首都ユーシンカの防衛を務める軍事基地――の一画に設けられたトレーニングルームにて黙々と汗を流していた。

 丸太のような太い両腕を腰に回し、深々と腰を沈めたスクワットの姿勢を彼是一時間以上に渡って維持している。大粒の玉となった汗の雫が逞しい体躯の表面を流れ落ち、やがて肉体から切り離されるかのように木張の床へと滴り落ちていく。

 夥しい汗を吸い取ってシミのように変色した床は特訓の過酷さだけでなく、ガルタロスが如何に忍耐強いかを如実に物語っている。事実、彼自身も己の忍耐強さに関しては絶対な自信を持っていた。

 強靭な肉体には鋼の精神が宿る……嘗て己が手で自分を鍛え上げてくれた恩師であり、叔父でもあるタルタロスの言葉だ。その言葉を人生の金言として心に据え置き、彼は今日まで己の肉体と精神を鍛え上げ続けた。

 やがて日も暮れて夜の世界が訪れようとした頃、ガルタロスはすっくと立ちあがってトレーニングを終了した。太い幹のような二本足に支えられた姿は巨人と呼ぶに相応しく、また厳つい猿顔と相まって若かりし頃のタルタロスを見ているようだ……とは、叔父の全盛期を知る老兵の言葉である。


「失礼します、カルタロス様」


 その時だった、廊下に通じる扉が開いて一人の一般兵士――肉付きが劣る痩せっぽち――がトレーニングルームに現れたのは。そしてガルタロスの前に駆け寄るや、兵士はサッと礼儀正しく敬礼した。


「アスタロス中将閣下が4階のレストランにて御待ちです」

「む、そうか。そういえばアイツと食事の約束をしていたが、それが今日だったか」うっかり忘れていたと自分の失態を軽く責めつつ、気を取り直して兵士に目線を配り直した。「了解した。此方の準備が済み次第、其方へ向かうとアスタロス中将に伝えておいてくれ」

「はっ!」


 言伝を終えてトレーニングルームから退出する兵士を見送ると、ガルタロスは踵を返すように隣接するシャワールームへと向かった。




 燃え盛るような赤を基調とし、金の刺繍をあしらったドレイク帝国の軍服を身に纏ったガルタロスは、約束に遅れまいと基地の四階にある上級士官向けのレストランを目指した。

 途中で擦れ違った兵士達は畏怖と緊張を表情に滲ませながら敬礼し、それに応じるようにカルタロスも一瞬の隙も無い厳格な面持ちで敬礼を返す。

 やがて四階のレストランに辿り着くと、彼は少しばかり早足だった歩行を緩めた。四階には五十近くにも上る個室が存在するが、屈強な二人組の兵士で守られた部屋は一つだけだ。

 恐らくそこが待ち合わせ場所なのだろうと当たりを付けて近付くと、護衛の二人も近付いてくるガルタロスに気付いて手短に敬礼した。そしてガルタロスが扉に立つ直前で、彼を迎え入れるようにドアを開けた。

 ドアの枠に頭をぶつけぬよう前屈みになりながら潜り抜けると、そこは高級レストランを彷彿とさせるモダンな空間が広がっていた。

 シャンデリアから満遍無く投げ掛けられる暖色に富んだ輝きが室内を満たし、その光を浴びて滑らかな光沢を演出する吹き漆の壁には、絵画を始めとする調度品が適度に飾られて程良いバランスを築いている。

 そしてシャンデリアの真下にある正方形のテーブルには、約束を交わしたアスタロスが腰掛けていた。腕を組んだまま瞑想するかのように瞼が完全に閉ざされていたが、ガルタロスの気配を察知するやパチリッと開いた。


「久し振りだな、兄貴!」


 そう言ってアスタロスはガルタロスと似た―――いや、瓜二つの顔に満面の笑みを刻みながら彼の方へと歩み寄った。そしてガルタロスも似通った笑みを浮かべながら、彼の方から差し出された分厚い手を力強く握り締めた。


「アスタロス、其方も元気そうだな!」


 ガルタロスとアスタロス……毛色が異なる(兄は墨のような漆黒、弟はダークグレー)双子の兄弟はガッチリと握手し、久方振りの再会を喜び合った。どちらも2mを超す巨体を有しているせいで、四人は余裕で寛げる筈の室内の空間は酷く窮屈な印象を覚えてしまいそうだ。


「積もる話もあるが、ソレは飯を食いながらにしよう! もうすぐ料理が到着する筈だ!」

「ああ、そうしよう。俺としてもまずは腹ごしらえが最優先事項だからな」


 アスタロスの言葉通り、数分後には出来立ての食事がフルコース形式で次から次へと運ばれてきた。帝国産の野菜や肉料理は極めて美味であり――二人にとって慣れ親しんだ味という事もあって――、それと一緒に頼んだ酒のボトルも次々と開けられていく。

 その間、二人は兄弟水入らずの会話を楽しんだ。世の中が気にしない些細なことから、帝国の運命を左右する政治の話に至るまで。どちらも顔に似合わず何時も以上に饒舌なのは、恐らくアルコールの後押しによるものであろう。


「しかし、お前も大変だな」しみじみとした面持ちを浮かべながらガルタロスがグラスの酒を煽る。「昨日までヴォルック島の治安維持の指揮を採っていたんだろう?」

「がははは! 大したことないさ! 厳密には指揮を執っていたのは三日前までで、それ以降は本国行きの船旅をゆっくりと楽しんださ。まぁ、直ぐに飽きちまったけどな!」

「そうやって軍船に乗れるだけマシだ。こちらは帝国防衛大隊の総司令官なんて大層な肩書きを与えられたが、実際にやっていることはドレッドセブンの尻拭いと下らん書類仕事ばかりだ」

「しかし、上層部も何を考えているんだかな」アスタロスが眉間に皺を寄せながら苦言を呈する。「戦争に勝ちたいんだったら、兄貴みたいな優秀な司令官を最前線に送り出せばいいのに。何で後方で腐らすような勿体無い真似をするんだ?」


 アスタロスの疑問にガルタロスは皮肉めいた笑みで応える。


「そりゃそうだ。軍閥派が活躍するのは貴族派にとって面白くない事この上無しだからな」

「やれやれ、戦争よりも派閥争いが大事ってか? 存外、貴族派の連中も気楽だよな」

「寧ろ面子の問題だろう。ああいう連中は面子に傷が付くのを人一倍嫌っているからな。もしも俺達が最前線に出たらどうなると思う? きっと自分達が無能だった事実を突き付けられて憤慨するのがオチだ」

「だはははは! それはそれで見てみたいけどな!」


 豪快に笑うアスタロスとは対照的に、ガルタロスの内心では憎悪にも似た忌々しさが渦巻いていた。

 貴族社会の出身者が主体となって結成された貴族派、生粋の軍人が主体となって結成された軍閥派。どちらも帝国軍内に存在する派閥だが、その力関係は必ずしも均等とは言い難かった。

 今や政治と経済を独占する貴族の圧力によって、ドレイク帝国の軍事は貴族派の良いように牛耳られているのが実情だ。盤石なる一強体制を築き上げるべく上層部を貴族派で固め、一方で相対していた軍閥派を辺境に左遷したり後方勤務に送ったりし、軍事に携わらせぬよう徹底的に排除した。

 ガルタロスとアスタロスも例に漏れず冷遇された軍閥派の一人だ。兄は帝国防衛を名目に後方勤務へ追い遣られ、弟も支配下に置いたヴォルック島の治安維持という名目で最前線から離れた場所へ左遷させられた。

 そして優秀な軍閥派が後方に追い遣られ、代わりに最前線に出張るのは武勲や戦果を上げる事しか頭にない無能な貴族だ。名誉と誇りと権力を徒に振り翳しては、将兵達に屍になれと強要する……ハッキリ言って地獄から遣わされた死神よりも性質の悪いロクデナシだ。

 これまでの戦争で貴族達に命運と指揮棒を握らせたばかりに、どれだけの将兵達が無謀で的外れな命令に従って命を散らしたことか。そう思うだけでガルタロスの眉間に沈痛を意味する深い皺が刻み込まれる。

 そんな苦々しい思いを断ち切るかのように、ガルタロスはワイングラスに残っていた酒を一気に飲み干した。芳醇なワインの香りが鼻を抜け、酒特有の渋みが余韻となって舌の上に取り残される。


「そう言えばよ……」兄の心中を知ってか知らずかアスタロスが不意に思い出した口振りで呟く。「貴族派の指揮官共が新兵達を徒に死地へ追い遣るのは、勇者スキルの発現者を見付け出す為なんて噂が最前線で飛び交っているらしいぜ?」

「勇者スキルを?」

「ああ、今や勇者スキルを持っている奴は皆無だが、ひょっとしたら戦場で覚醒するかもしれない……そんな確証の無い期待が貴族派を強行に走らせているんだろうよ」

「ふん、世迷い言も甚だしいな」


 忘れ掛けていた嫌な思い出を強引に引き出されたかのように、ガルタロスの表情に苦々しいものが湧き上がる。


 嘗てのドレイク帝国……いや、デッシュ大陸には勇者スキルを持つ人間が少なからず存在していた。そもそも勇者が初めて登場したのは今から千年以上前、ディッシュ大陸が四大国家間で繰り広げられた破滅的な戦争の末に崩壊した後にまで遡る。

 破砕紛争によって滅亡の危機に瀕した四大国家は互いに休戦協定を結び合い、自国の復興を最優先に推し進めた。国力の回復に伴って軍備の再興も推し進められ、いよいよ再戦の兆しが見え始めた矢先にソレは突如として降臨した。

 魔王と四魔人―――彼等の登場は四大国家に甚大なショックを与えたのは言うまでもない。ましてや相手方は魔王を含めてたったの四人だけにも拘わらず、その力が各国の戦力が束になっても敵わないとなれば猶更だ。

 共通の敵の出現によって四大国家は共闘路線へ舵を切り、魔王大戦と呼ばれるディッシュ大陸の命運を掛けた長い戦いの火蓋が切って落とされたのである。

 その後もあの手この手と多種多様の策を要するも魔王はおろか魔人にすら通用せず、年月を追う毎に各国は追い詰められていき、人々もまた覆しようのない絶望に圧し潰されていった。

 そんな中、東の魔導国に何の前触れも無く一人の人間が現れた。その人物は圧倒的な力と人々を惹きつけるカリスマ性を有しており、何時しか絶望に満ちたディッシュ大陸を照らす希望の象徴として祭り上げられるようになっていった。

 やがて彼を中心とした一騎当千の魔王討伐部隊が結成され、長きに渡る苦難と仲間達の尊い犠牲の末、四魔人と魔王を討ち果たして絶望に覆われていたディッシュ大陸に希望と平和を齎した。

 魔王大戦が終結した後、英雄として迎えられた彼は各国の王族から妻達を娶り子を成した。そして赤子が生まれながらに持っていたスキルの中に強大にして希少なスキル『勇者』が存在し、そこで初めて『勇者』の名前が大々的に知れ渡るようになったのだ。

 そうして英雄……もとい勇者という存在と特別な肩書きは、ディッシュ大陸に平和を齎した希望の象徴として長く語り継がれていったのであった。


 しかし、現在のドレイク帝国に勇者のスキルを持つ人間は存在しない。何世紀にも及ぶ長い時代が勇者の血脈を濾過してしまい、今やスキルの存在自体が伝説や御伽噺の世界に存在する幻と化してしまった。

 無論、帝国内に勇者スキルを手にした人物が現れれば、膠着していた侵略戦争を優位に運べるだろう。しかし、スキルが如何にして発現するかは謎のままであり、ましてやスキルを保有しているかどうかを見極める術もない。

 そこで上層部――厳密には貴族派――は最前線死地に兵達を向かわせることで勇者を見付け出す、もしくは力尽くで覚醒させようと目論んでいるのだ。とは言え、勇者一人を見付けるのに大量の死人が必要だとすれば本末転倒も甚だしい。故にカルタロスは世迷い言と切り捨てたのだ。

  

「それよりも兵力に限りがある事を理解してほしいぜ」そう言ってアスタロスは腕を組みながら嘆息する。「徒に兵力を浪費させれば、その分戦線の維持が難しくなってくる。おまけに貴族の馬鹿共がクロス大陸への出兵を決めたせいで兵員の補充もままならなくなっている。今頃、最前線は悲鳴を上げているだろうよ」

「しかし、だからと言って最前線の兵を減らす事は出来ぬ。今や帝国の経済は西海の島嶼群から齎される資源に頼り切っている。最前線を死守する事は、我が帝国の死活に直結する重大事項だ。万が一にコレを失えば、我々は真綿で首を締め上げられるかのようにジワジワと追い詰められるのが目に見えている」

「戦線が崩壊して飢え上がるか、或いはビッグバンなどの自国の災厄で滅ぼされるか……どれも現実味があって戦々恐々だな」

「不吉なことを言うんじゃない。偉大なる我が帝国が滅びるなど有り得ん」


 ガルタロスが鋭い口調で窘め、それまでの柔和な雰囲気を一転する。そこでアスタロスは思い出した。兄がドレイク帝国に対して人一倍強い愛国心を抱いていることに。

 下手に刺激して兄弟水入らずの時間を破綻させたくなかったアスタロスは、「すまねぇ」と素直に謝罪してバツの悪い顔を浮かべた。そしてガルタロスもそれ以上の非難と追及はせず、気を取り直すように話題を切り替えた。


「それよりも肝要なのは数々の難題を前にして、国家運営の要である三つの手綱政治・軍事・経済を独占する貴族派が如何なる答えを出すかだ。あちら側に忍ばせた密偵の話によれば、ドレッドセブンを戦線に送り出すという案も出ているみたいだ」

「おいおいおい、正気か!? ドレッドセブンまで戦場に駆り出したら、帝国の守りはどうするんだ!? 幾ら何でも兄貴の大隊だけじゃビッグバンみたいな大災厄に対応し切れないだろう!?」

「あくまでも情報だ。しかし、連中は馬鹿かもしれんが愚かではない。身の回りの守護を請け負っている絶大な盾を態々遠ざけるような真似はすまい。それでも敢えて前線に送り出すのは、恐らく何かしらの手段があるのだろう」

「その手段って……一体何なんだ?」


 弟の問い掛けにガルタロスは無念そうに首を振った。相手側に密偵を忍ばせたとは言え、それだけで全ての情報が筒抜けになる訳ではない。密偵を逆手に取って嘘の情報を流している可能性も考慮すると、情報の選別だけでも慎重を期さなければならない。

 ガルタロスのような武人の戦場が力と技で成り立っているのだとしたら、貴族達の戦場は欺瞞と裏切りで成り立っている。即ち、権謀術数に関しては貴族達の方が上手なのだ。こればかりはガルタロスの忍耐強さや努力を以てしても越えられない壁だ。


「どちらにせよ、軍事を握られてしまっている以上は我々に手出しは出来ん。後日の戦略会議で自ずと明らかになるだろう」


 そう言って彼は調度品の一環として右手に置かれたアンティークの食器棚を見遣った。厳密には食器と外界を隔てるガラスに映し出された己の姿をだ。

 傍目から見れば堂々たる出で立ちをした立派な帝国軍人に見える。がしかし、彼の眼には様々な柵に縛られた情けない男が映し出されていた。そんな己に対して軽い失望を覚えながらも、ガルタロスは現実逃避するかのように新たに注いだ酒を口に付けた。


※次回は一週間後です

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