第181話 第四階層

「うわ、こりゃまた酷い所やな」


 次なる階層に降り立つや否や、ヤクトは開口一番に率直な感想を漏らした。

 第四階層は毒々しい紫の霧が烟る沼地だった。其処彼処の沼地で毒素を含んだ瘴気が噴出し、その傍には見るも無残な枯れ果てた草木が林立している。スモッグのような霞に遮られた日光は非常に弱々しく、沼地を取り巻く不気味さに拍車を掛けている。


「げほ! げほ!」

『大丈夫ですか、アクリルさん?』

「うー、喉がイガイガするー……」

「恐らく、この沼地から発生している瘴気のせいだろう。今は咳き込む程度で済んでいるが、このまま吸い続ければ何れ毒状態となる。即ち、この階層を踏破するには瘴気をどうにかせねばならない……という訳だな」

「しかし、毒消しの薬にも限度があります。余り無駄遣いはしたくないところですが……」

「それやったら丁度ええもんがある。ちょいとばかし待っとってな」


 そう言ってヤクトは物置から道具を引っ張り出すような感覚で私の体内シェルターに飛び込んだ。そして次に出て来た時、彼の手には三人分の革製のガスマスク――前面に出っ張った口部の左右に、鰭のような突起が備わっている――が握り締められていた。


「この魔獣の皮や鰓で作ったマスクを装着すれば瘴気が肺に入る心配はあらへん。まぁ、流石に毒液を浴びせ掛けられたらアウトやけどな」

「ヤー兄、ありがとー!」

「凄いですね、このような物まで作ってしまうなんて……」


 玩具をプレゼントされたかのように好奇心一杯の眼差しでガスマスクを見詰めるアクリルに対し、作り手であるヤクトへの尊敬と道具の価値観を見い出そうとする角麗。ヤクトから手渡されたガスマスクに熱い視線を注ぐ二人だが、そこに込められた想いは大きく異なっていた。


「クロニカルドは確かその身体やったら大丈夫なんやな?」

「その通りだ。本の身体だから問題は無い。とは言え、貴様の言うように毒液を浴びれば一溜りも無いがな」


 生まれて初めてガスマスクを装着する二人を手伝う傍ら(装着する際に緩みや不具合が無いかの確認も兼ねている)、ヤクトはクロニカルドに質問を投げ掛けた。そして彼の返事を聞くや、そのまま立て続けて私の方へ首を振り向けた。


「ガーシェルも大丈夫やな?」

『はい、私も聖鉄で守られているので毒や瘴気の類は無力化されます」

「ほな、問題はあらへんな」


 程無くしてガスマスクの装着も無事に完了し、いよいよ私達は踏み込むのも悍ましい瘴気と毒のオンパレードとも言うべき沼地に向かって進み始めた。



 沼地を進めば進むほど身体に纏わり付く瘴気の霧は濃度を増し続け、霞がかったかのようにボヤけていた日光も今や完全に濃霧のカーテンに閉ざされていた。不安を掻き立てる薄暗さが階層に充満し、貝殻に乗りながら周囲を窺うヤクト達の表情も険しいものとなる。

 言うまでもなく第四階層には人間が安易に通れるような生半可な道は存在しない。寧ろ階層全体がドロドロに泥濘ぬかるんだ泥沼で構成されていると言っても過言ではなく、下手に踏み入れようものなら劣悪な足場泥沼に足を取られて動けなくなるのがオチだ。


「何かオバケが出てきそうな雰囲気だねー」

「オバケ程度なら可愛いモンやで、姫さん。凶暴な魔獣や悪意を持った人間の方がもっと怖いで?」

「……ドワーフや獣人達を嵌めたというハンター達も此処に居るのでしょうか?」


 角麗は遠くを見渡す素振りをしつつ、こっそりとヤクトを盗み見た。マスク越しから覗く瞳には漠然とした懸念が佇んでおり、彼女もまたヤクトと同じく悪意を持った人間に対し強い警戒心を抱いているのが見て取れる。


「さてな」角麗の疑問に対し、クロニカルドが曖昧な言葉を返す。「既に此処を踏破して次なる階層に辿り向かっているかもしれん。或いは……――」

「或いは?」と、ヤクトが続きを促す。

「既に最下層に辿り着いているかもしれん」


 クロニカルドが最悪の可能性を口にした途端、重い空気が私達の頭上に圧し掛かった。そんな馬鹿なと鼻で笑い飛ばしたいのも山々だが、相手の実力が分からなければ肯定も否定も出来ない。少なくともダンジョン攻略に挑めるだけの実力を有しているのは間違いなさそうだが。


「まぁ、仮に最下層に辿り着いているとしても、アクエリアスを手に入れられるとは限らへん。そもそも易々と踏破偉業を成し遂げられるほど、此処のダンジョンは甘いもんやあらへんやろ」

「ふむ、ヤクトの言葉には一理あるな」

『皆さん、気を付けて下さい! 魔獣が迫っています!』


 と、会話が一段落した所で私のソナーセンサーが魔獣の反応を感知した。ヤクト達は見えない敵から目前の敵へと意識を切り替え、前方に立ち塞がる分厚い霧に鋭い眼差しを投げ掛けた。

 程無くしてカシャカシャと何かが擦れる音が近付くのと同時に人影の輪郭が明確になり始め、やがて簡易武装したスケルトンの一団が濃霧の幕を切り裂いて現れた。


「あれは……骨人スケルトンやな」

「スケルトン?」

「スケルトンは非常にポピュラーなアンデッド魔獣です。強くはありませんが、骨さえ無事なら何度も復活するという厄介な性質を持っています」

「要するにしつこい魔獣という訳だ」


 クロニカルドが端的に結論付けた途端、スケルトン達はガパッと大口を開けて突っ込んできた。実際に大声は出していないが、その雰囲気からけたたましい雄叫びが幻聴となって脳内で再生される。

 筋肉や内臓と言った余計な重さが無いからか、それとも魔法による補助を受けているのか。骨人達は泥濘んだ地面に足を嵌まらせるどころか、まるで舗道を走っているかのように沼地を駆け抜けていく。

 ヤクトはライフル銃を取り出し、先頭を走っていたスケルトンの頭部を撃ち抜いた。そのスケルトンは一瞬だけ銃に撃たれた衝撃でノックバックするも、額に風穴を設けたまま再び走り出した。


「やっぱり木っ端微塵にせんとあかんか……!」

『私に任せてください! 聖水砲!!』


 貝殻前方に備わった火口から砲弾状に圧縮された聖水が撃ち出され、目前にまで迫っていたスケルトンの一団を吹き飛ばした。砲弾の直撃を受けて粉砕されたスケルトンも居れば、辛うじて粉砕を免れたスケルトンも聖水の効果によって自然消滅した。

 スケルトンの一団が消え去った後にはドロップアイテム――安物の剣とショートシールド、そして小振りの魔石――が取り残されており、それを回収していると頭上から深刻に満ちたクロニカルドの声が降って来た。


「ふむ、出会い頭にスケルトンとは……もしかしたら此処は死者アンデッドが蔓延る死の沼地かもしれんな」

「はは、そう決め付けるのは幾らなんでも尚早過ぎへんか? 偶々スケルトンと遭遇しただけかもしれへんし、今から気負うていたら身が持たへんで?」


 ヤクトはクロニカルドの意見をまともに取り合おうとしなかった。何の根拠もない気休めの言葉を投げ寄越すと早々に会話を切り上げ、スケルトンがやって来た方角へ表情を固定してしまう。

 彼の無責任な言葉に納得した訳でもなければ、深刻な懸念が払拭された訳でもない。現に険しさで狭まった魔道士の眼は依然として何かを訴えていた。しかし、クロニカルドの口からそれ以上が語られる事はなかった。



「ファイヤーアロー!」


 鏃から筈までを炎に包んだ火矢が、バシュンッという鋭い響きを立ててアクリルの弓から撃ち出される。空を切り裂くような音を奏でながら、瘴気で穢れた大気を朱色に染め上げながら、火矢は悪臭を撒き散らすゾンビオーガに命中した。


「グオオオオ!!!」


 まるでナパーム弾の直撃を受けたかのように、2mを裕に超すゾンビオーガの巨体が一瞬にして炎に呑み込まれた。激しく燃え上がる業火の中でゾンビオーガの影が苦痛から逃れたい一心で激しく身を捩らせも、やがて力尽きたのか沼地に崩れ落ちた。

 そして肉体を焼き尽くして炎が消えた頃には、ドロップアイテムである拳大の魔石が焼け焦げた沼地の上に転がっていた。しかし、折角の戦利品を目の当たりにしてもヤクト達の表情に喜びの色は存在せず、どちらかというと辟易したかのようなうんざりした顔を浮かべていた。


「やはり己の読んだ通りだったな。此処はアンデッドが犇めく死の沼地だ」

「クロニカルドの読みがまさかのドンピシャやったとはなぁ。やれやれ、想像以上に厄介な場所やで、こりゃ……」


 ダンジョン沼地の最奥へ進むにつれて、魔獣と遭遇する確率が増えるのは至極当然の成り行きだ。がしかし、その遭遇する魔獣の尽くが(クロニカルドが予見した通り)アンデッド系で占められているとは思いもしなかった。

 アンデッド系の中でも三大ポピュラーと呼ばれるスケルトン・ゾンビ・グールを始め、ゴーストの上位種に当たるレイス、死の魔法使いと呼ばれるリッチ、そして先程のゾンビオーガやスケルトンバルチャー等々……正に死者(アンデッド)が蔓延る死の沼地だ。


「とは言え、アンデッドと遭遇しても姫さんが片っ端から倒してくれるから問題あらへんけどな」


 いや、そこは大人であるヤクト達が身体を張って頑張らないといけないところでは? 何で年端もいかないアクリルに戦闘を一任しているんですか? 五歳児がバンバンとアンデッドを屠っていく光景を悠長に見守っている場合じゃないでしょう?


「おかげでアクリル殿の魔法技術も磨きが掛かっていますね。敵を倒せて鍛錬にもなるし、ダンジョンの攻略も順調に進む。正に一石二鳥ですね」


 いやいや、都合の良い言い回しで事実から目を背けないでください。アクリルの目を見てくださいよ。光のハイライトが失われた、死んだ魚のような目になっているじゃありませんか。幼子がしちゃいけない表情の一つですよ、アレ。


「もしかしたら脱落したハンター達の死体で晩餐会を開いていたゾンビの群れと遭遇してしまったのが原因で、トラウマが植え付けられたのではと心配したが……アクリルの元気な姿を見る限りだと、どうやら杞憂だったみたいだな」


 いやいやいや! 明らかにソレが原因で心傷トラウマを負っているでしょう!! アンデッドに対して強い忌避感を覚えるだけならば兎も角、問答無用で見敵必殺(サーチ&デストロイ)を心掛けるなんて尋常じゃないですよ!?

 こんなの何時ものアクリルさんじゃないわ! 只のアンデッドキラーよ! だったら成仏(物理)させれば良いだろ! そんな前世のネットスラングが脳裏に過ったのは内緒である。


 その後も沼地でアンデッドと遭遇しては出会い頭に最大火力を叩き込み、鬼神の如き活躍を見せるアクリルであった。




 分厚い霞の向こう側から投げ掛けられていた微弱な光源が途絶え、完全な暗闇が沼地に覆い被さった。それは夜の訪れを意味するものであったが、昼夜問わずアンデッドが跋扈する第四階層では大した変化を齎さなかった。


 ピチャピチャ……コリコリ……


 沼地の片隅では複数のグールやゾンビが息絶えたハンター達に群がり、新鮮な死肉を一心不乱に貪っていた。血肉を啜り、臓物を食い千切り、骨を齧る。やがて餓鬼のようにアンデッド達の腹がポッコリと膨れた頃、一体のグールが何かに反応して食事の手を止めた。


「グルルル?」


 そのグールに釣られて、他のアンデッド達も食事を止めて顔を持ち上げる。そして注意深く瘴気が立ち籠る沼地を見渡していると、毒々しい霧の向こうから紺のローブを纏った人間が現れた。

 腐敗臭がしない事から獲物だと確信したアンデッド達は、腹を満たしたばかりとは思えない俊敏な動きでローブ姿の男を取り囲んだ。しかし、退路を断たれにも拘わらず男は動揺していなかった。それどころか余裕を含ませた笑みがローブの下から覗いていた。


「グガアアアア!!!」


 グールの一体が雄叫びを上げた。それに呼応するかのように他のアンデッド達も威嚇する猿のような甲高い奇声を上げ、一斉にローブの男に飛び掛かった。

 その時、男は袖から覗かせた指をパチンッと打ち鳴らした。男を中心に不可視の波紋が広がり、瘴気に汚染された大気が波打つように歪む。やがて波紋が過ぎ去ると、先程まで殺気立っていたアンデッド達は放心した面立ちのまま立ち尽くしていた。


「下がれ」


 男の威圧的な命令に従ってアンデッド達が包囲を解除すると、彼は明け渡された道を通って餌食となったハンター達の死体に近付いた。そして死体の傍らに立つと膝を折ってしゃがみ込み、死体の上に手を翳しながらブツブツと呪文を唱え始めた。



Au nom du Seigneur a主の名に於いvec la vie du mensonて命ずる、偽ge sur l’ordre et Aveりの命を以てckiSuiveze pour moiして我に服従せよ


 呪文が終わると失われた筈のハンター達の瞳に輝きが戻った。しかし、それは生前のような活力に満ちたものではなく、知性を感じられない死者の眼に血のような赤が彩られたアンデッド特有の輝きであった。

 ムクリと何事も無かったかのように起き上がった元ハンター達は、まるで男を神と崇めているかのように深々と頭を垂れた。食われた手足は魔法によって再生しているが、臓物を食われてポッカリと開いた腹部はそのままだ。

 元ハンター達の態度に男が満足して頷いた直後、背後から大勢の足音がやって来た。それに反応して振り返ると、大勢の人影が穢れた夜霧の中で蠢いていた。そして濃密な瘴気の中から現れたのは、第四階層に生息(?)しているアンデッドを始め、この階層で命を落として操り人形と化したハンター達の成れの果てだった。

 男が腕をサッと振って制止を命じれば、死者の軍勢は寸分違わずに足並みを揃えてピタリと止まった。そして無数の死相に見詰められた男は、微かに翻ったローブの下から冷徹な眼差しを投げ掛けた。


「行け、死の軍勢よ。そして子供を奪い取れ」


 そぅ言うと軍勢は再びゾロゾロと動き出した。まるで男の意思に同調し、彼の目的に全身全霊を捧げるかのように……。

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