私は貝になった

第１７４話 入浴回

「……本当に風呂だ」

「こりゃ凄いのう!　まるで故郷に帰ってきたみたいじゃ!」

　唖然とするハクロウに対し、カゲトラは興奮した面持ちで豪胆に笑い声を飛ばす。二人の目の前には故郷の銭湯を彷彿とさせる石造りの広い浴槽があり、中には熱々の湯気を立たせる御湯が満ちている。

「なっ、俺っちの言った通りやったやろ?」

　そう言って湯気の煙幕を切り裂いて彼等の背後から登場したヤクトは、一切合切の装備を脱ぎ捨てて無防備な裸体――線の細い肉体にバランスの良い筋肉を備えた細マッチョ――を晒していた。尤も、それは一足先に風呂場へ足を踏み入れていた二人も同じなのだが。

「しっかし、おどれの所の従魔は凄いのう!　主人に忠実な上に、こがいな手の込んだモンまで出来るたぁ、ほんまに驚いたけぇ!」

「ああ、本当に魔獣なのか疑ってしまうぐらいだ。先程の咄嗟の判断と良い、最早人間と大差ない思考レベルだ」

「その気持ちは俺っち達も同じや。寧ろ、アレは貝の皮を……いや、殻を被った別の何かとちゃうかと疑うぐらいや」

　こらこら、何勝手に人様（?）を物体Ｘみたいな扱いしているんですか。私は歴とした貝ですよ。前世持ちで色々とチートな貝ですが。

　それはさて置き、私がシェルター内に設けた銭湯のような湯舟だが、そもそもコレを考案したのはロックシェルの頃からだ。もしも火属性があれば露天風呂みたいなものが作れるかもしれない……と考えており、そしてヴォルケーシェルへ進化したのを機に念願を叶えたという訳だ。

　因みに風呂の効能は『腰痛・肩こりを始めとする体調不良改善』『美容・美肌効果』『体力・魔力回復【特大】』『負傷部位の完全治癒及び全状態異常回復』である。その効果具合に関しては、王都での特訓の合間に風呂を堪能したヤクト達によって実証済みだ。

　どうしてこんなにも良い事（効能）尽くめなのかと言うと、浴槽を満たしている湯が聖水だからだ。貴重な聖水を風呂代わりにするなど、贅沢を通り越して罰当たりも良い所だと思う人も居るだろうが、その分効果は覿面なので気にしない。

「まぁ、それよりも早う風呂に入りーや。このままやと身体冷めてしまうで?」

　そう言ってヤクトは軽い足取りで二人を追い抜いて湯舟の方へと近付いていくと、ハクロウとカゲトラもハッと我に返って彼の背後を追従する。やがて湯舟の手前に差し掛かったところでヤクトが立ち止まり、それに倣って後ろの二人も立ち止まる。

「ほな、ガーシェル。熱いシャワーを頼むわ」

『了解しました』

　何もない天井を見上げながらヤクトが要求を告げると、両脇から競り上がった三対の触手が彼等を挟み込んだ。そして触手の先端から熱い湯気を纏ったシャワーが迸り、彼等の体から汚れと一緒に寒気を流し落としていく。

「おお、これは中々……」

「ほぉー!　こりゃ良いのう!　全身を隈なく洗えるわい!」

　二人ともシャワーを甚く気に入ってくれたらしく、根底にこびり付いていた警戒心ないし緊張感が、無意識に零れ落ちた恍惚の吐息と共に崩れ落ちていくのが見て取れた。うむ、風呂の力は偉大なり。

「ガーシェル、泡をくれや」

『はいはい』

　ヤクトが差し出した両手の御椀にシャワーとは別の触手が乗せられた途端、その先端部からメレンゲのような泡が吐き出された。そして山のように盛られた大量の泡を全身に隈なく塗りたくっていると、傍の二人から奇異の眼差しが投げ掛けられる。

「あの、不躾かもしれないがソレは一帯……?」

「ああ、これはガーシェルの泡や」

「泡じゃと?」

「せや、厳密には泡魔法で作った代物やけど……これで身体を洗うと汚れが落ちる上にサッパリした爽快感に満たされるんや。まっ、物は試しにってことで使ってみたらどうや?」

　ヤクトの勧めに二人は半信半疑の面立ちを浮かべながらもコクリと頷いた。そして私から受け取った泡を見様見真似で全身に塗りたくり始めると、二人の表情に一種の感動と若干の驚愕が閃いた。

「おお、これは中々じゃのう。肌理の細かい泡が毛の隅々まで綺麗にしてくれとるみたいじゃ」

「ああ、何とも言えぬ心地良さだ」

　どうやら泡による洗体を気に入って頂けたらしく、心地良さで蕩け切った表情筋が彼等の心境を物語っている。やがて洗体を終えた彼等はシャワーで全身の泡を流し落とし、湯船に浸かりながら他愛のない会話に興じ始めた。

「へぇ、そちらさんはトウハイより更に東からやって来たんか?」

「うむ。我々はニッショウと呼ばれる島国より参ったのだ」

「海を渡ってトウハイに入り、そっからディザートロードを通って此処までやって来たんじゃ。ほんまに長旅じゃったわい」

「せやけど、既にハンターランクがゴールドっちゅーことは此処に腰を下ろしてからは長いんやろ?」

「ああ、彼是五年近くにもなる。しかし、ハンターになったのはあくまでも武者修行で食い扶持を稼ぐ為に過ぎぬ。だが、そろそろ我々も故郷に戻らんとな……」

　故郷に思いを馳せているのか遠い彼方を見据えるハクロウだが、その瞳には郷愁の念ではなく憂いの念が帯びていた。それを発見したヤクトは思わず眉間に皺を寄せ、少々深刻な雰囲気をブレンドした気掛かりな声色で「何かあったんか?」と静かに問い掛けた。

「うむ、ここ最近向こうからの情報が途絶えているのだ。何時もならば、ある程度の情報が此方にやって来るのだが……」

「此処からニッショウへ続く道中で何かあったっちゅー訳か?」

「或いは隣国のちょっかいを受けて、連絡を返す暇もありゃせんってところかのう」

「隣国?　トウハイの事かいな?」

　と、ヤクトが何気なく呟けば二人とも揃って首を横に振った。

「いいや、我等の国とトウハイは血と魂で結ばれていると言わしめる程の蜜月関係だ。それが崩れる事はありえん」

「ああ、そうじゃとも。じゃけぇ、考え得るのは更に東にあるドレイク帝国じゃ」

「ドレイク帝国?　もしかして……あの?」

　そう反射的に聞き返したヤクトの口調は、質問と言うよりも確認の意味合いが強かった。またドレイク帝国の名前が出た途端、露骨なまでに歪められた苦々しい表情がヤクトの本心を物語っていた。そんなヤクトの反応にカゲトラは同意するかのように重々しく頷いた。

「そうじゃ、そのドレイク帝国じゃ。『人類以外の人種は人で非ず』という時代遅れで排他的な思想を国策として採っちょる、過激でイカれた国じゃ。無論、わしらのような獣人国家とは相容れぬ国じゃ」

「奴等は亜人や獣人が暮らす島や国を一方的に侵略する。その上で自分達のことを『人類史上、最大にして偉大なる文明国家だ』と自称しているが、我々からしたら質の悪い盗賊や蛮族と何ら変わらん」

「暫く噂を聞かへんから大人しくなったんかと思ったら、まだ四方八方に喧嘩を売っとったんかいな。ちゅーか、ドレイク帝国はニッショウにもちょっかいを出し始めたんか?」

「いや、まだじゃ。じゃけど、わしらが国を離れる寸前まで彼方側から戦を逃れた難民がちょくちょくやってきちょった。この五年間の間に事態が急変しちょってもおかしくはないけん」

「そら……不安やな」

　下手な慰めや楽観的な意見は返って逆効果と判断したのか、ヤクトの口から出て来たのはありきたりな同意であった。

☆

　男性陣が入浴している風呂場の隣――巨大な壁のように聳える一枚岩を隔てた先――では、同様に女性陣が湯船に浸かりながらダンジョンでの疲れを癒していた。また角麗から聞かされる聖水湯の効能に対し、くの一の二人は興味津々と言わんばかりに目を輝かせていた。

「そのような効果があるとは……驚きですわん」

「羨まし～。ガーシェルと一緒に旅したら御風呂に入り放題にゃんて夢みたいな話じゃ～ん」

「ガーシェルちゃんのお風呂、アクリルもすきー」

　湯船から頭だけを覗かせたアクリルが同意の声を上げ、彼女の無邪気で愛くるしい姿に大人の女性達がクスクスと和やかな笑みを溢す。と、笑い声が納まるのと同時に角麗が新たな話題を女湯に投げ掛けた。

「ところで……皆さんは今回のクエストには何故参加されたのですか?」

「我々は武者修行の一環としてダンジョンに参加した……というのは表向きですわん。本当の目的はダンジョンに眠るアクエリアスですわん」

「アクエリアス……ですか?」

　思わぬライバルの登場に角麗は一瞬だけ表情を強張らせたが、よくよく考えればアクエリアスを目的に参加しているハンターが居てもおかしくない。そう自己完結させて心を落ち着かせると、そのままカラマツの言葉に耳を傾けた。

「見るところ、角麗さんはトウハイのございますわんね?　でしたら、私達の御国柄……と言いますか土地柄を御存知の筈ですわん」

　角麗は暫し無言で考え込み、やがてカラマツの言う土地柄を思い出したのか「成る程」と的を射たような声を上げた。

「ニッショウは小さい島々が密集した海上国家。水産資源は豊富ですが、その反面それ以外の物が手に入り辛い。即ち、魔道具等を製造する上で必要となる技術力が他国に比べて遅れを取っている……そうですね?」

　角麗が確認の意を込めて尋ねれば、カラマツはコクリと頷いた。

「そうですわん。ニッショウは他国と比べて資源が乏しく、武器を作ろうにも限りがありますわん。しかし、今日までニッショウという歴史が続いたのは偏に先人達の工夫のおかげ。限られた資源で効率良く国を回し、それでも足りない部分は独自に発展させた技術で補ってきたからですわん」

「だけどにゃ～、それでも技術の発展には限界があるにゃ～。加えて～、我が国の魔道具の製造技術は他国と比べて遥かに周回遅れにゃ～。このまま資源不足を理由に技術の発展を停止し続けたら～、万が一に他国の侵略や大規模にゃ獣害が発生した場合には太刀打ち出来にゃいにゃ～」

「成る程。それならばダンジョンにある宝……魔道具を手に入れ、それを研究材料（手本）にして自国ならではの魔道具を製造・量産化しようと考えた訳ですね」

「そういう事ですわん。魔石や鉱物ならば最悪他国からの輸入でも手に入りますが、流石に製造技術となると話は別ですわん」

　カラマツは掬い上げた湯を顔に掛けると、地肌に摺り込むように両手で頬肉を挟み込みながらマッサージする。アクリルもそれを真似して、自身の顔にパシャパシャと御湯を浴びせる。

「……あの、一つ聞いても宜しいですか?」

「どうしたにゃ～?」

「今更こんな事を聞くのもアレかもしれませんが……先程カラマツ殿が仰った本当の狙いとやらを、赤の他人にも等しい私達に話しても良かったのですか?　表向きの修行だけで済ましておいても、何ら問題は無いと思うのですが?」

　向こうが率先して口を割ってくれたとは言え、彼等が忍者である事実に変わりはない。主人や国家に対して忠義を貫く一方、合理的且つ冷徹な暗殺者としての側面も兼ね備えている事を角麗は知っている。例え相手が蜜月関係にある隣国の人間であってもだ。

　最悪の場合は命懸けで争う事も辞さない。そう考えながら湯面下で握り拳を作って身構えるも、そんな彼女の覚悟はカラマツが放った台詞によってバッサリと切り捨てられる。

「それなら問題ありませんわん。これが御上から与えられた任務であれば確かに死んでも口を割りませんが、今回の事は私達の意思によって起こした行動でありますわん。加えて、私達を救ってくれた恩人に何もかもを秘匿にするのは礼節に反しますわん」

　その遣り取りを機にカラマツが湯船から立ち上がり、程無くしてレンゲも彼女の後を追い駆ける格好で湯船から立ち去る。そして角麗もアクリルと一緒に湯船から上がると、無駄にした覚悟を溜息に乗せて吐き捨てた。

☆

　ヤクト達が風呂を終えて外へ出て来た時には、既に雨雲は通過して透き通るような青空が私達を見下ろしていた。とは言え、これもダンジョンが生み出している幻なのだが。

「かたじけぬ、助けてくれた上に風呂まで頂けるとは。この恩義、今返せないのは心惜しいが……何れ必ず返させて頂く。我等の誇りと名誉に懸けて」

　風呂に入ってリフレッシュしたおかげか、ハクロウ達の表情は活き活きとしていた。また毛並みだけでなく装備も乾き切っており、少し前までの肌寒そうにしていた姿が嘘のようだ。

「そんな律儀に構える必要はあらへんよ。困った時はお互い様って言うやろ?」そこで言葉を切るのと同時に、ヤクトの表情が穏便から真剣なものへと切り替わる。「それよりも気ぃ付けや。この先、アンタ達を足止めした連中と出くわさないっちゅー保障はあらへん。最悪、今度は妨害程度で済まへんかもしれん」

「その時は我等も抗うまでだ。しかし、今度は同じ轍を踏まぬ。そして忍者を侮った報いを徹底的に受けさせてやる」

　そう言ってヤクトの懸念を真摯に――そして怒りを以てして――受け止めると、獣人達は忍者顔負けの素早い身のこなしでジャングルの奥へと消えていった。あっという間に彼等の姿はジャングルの暗闇に紛れて見えなくなり、徹底的に殺された足音もジャングルを渦巻く雑音に飲まれて聞こえなくなった。

　そしてヤクトが肩越しに振り返り私達を見遣った。

「ほな、俺っち達もボチボチ行こうか。彼等に負けてられへんからな」