第157話 祝勝会

 まるで鬼ごっこ、或いは椅子取りゲームのように夜は訪れた。名残惜しそうに黄金色の夕日を投げ掛けていた太陽が西の彼方へ逃げ込むと、あっという間に星々の大海でデコレーションされた藍色が主役不在の天空舞台を独占した。

 本来ならば夜の到来に伴い、人間も活動を止めて大人しく家に引き下がるのが常なのだが、この日のマグラスの町は何時もと違っていた。

 ハンターギルドから程近い場所にある広場――緑の類は一切無く、マグラスを築いた第一人者の銅像が広場の中央に置かれている――は町中の人間で溢れ返っており、昼間と変わらない……いや、昼間以上の活気と熱気で満たされていた。

 チタン火山を支配していた凶悪な猿達が一掃され、マグラスの街に暫く振りの平和が戻ってきた事を記念して――また尽力してくれたハンター達を労らう意味も兼ねて――大規模な祝勝会が行われていたのだ。

 銅像の周囲にはキャンプファイヤーにも似た巨大な大木を組み合わせた焚火が四つほど築かれており、藍色に満たされた夜空に向かって火の粉を吐き出している。

 そして群衆は夜行性の虫のように焚火の周囲に群がり、賑やかな喧騒を以てして厳かな夜の静寂を打ち砕いていく。本来の夜を好む人からすれば傍迷惑かもしれないが、偶にはこんな日も悪くはない。

 そんな中、私達は広場の一角に向けられた飲食スペース――如何にも民家から引っ張り出して来たようなテーブルと椅子が、数も形もバラバラ且つ無造作に置かれているだけだが――に腰を下ろし、祝勝会に登場した御馳走に舌鼓を打っていた。

 この地方の特性なのか香辛料スパイスをふんだんに用いた肉料理が多く、どれも若者が好む濃い目の味付けとなっている。

 ヤクトやクロニカルドからは好評を博したが、アクリルの子供舌には少し刺激が強過ぎたようだ。彼女が祝勝会で食べた物と言えば、あっさりとした野菜サラダや、この地方でしか取れない果物が殆どであった。


「いやぁ、この肉料理も凄く美味しいですねぇ」


 そして我がチームで最大の胃袋(厳密に言えば私が一番だが、人間という枠組みに絞れば彼女が群を抜いて一番だろう)を有する角麗は通常よりも120%増しの笑みを浮かべながら、次から次へと肉料理を頬張っていた。

 バイキング方式なので食べる数量に上限がないとは言え、既に彼女の胃袋には二十人前が収められている。その証拠に私達が取り囲む食卓テーブル(6人用)の卓上の内、約二分の一が完食した皿――それもテンコ盛りに積み重ねられた状態――で埋め尽くされている。

 モデルのような美貌と細い体躯に似合わず、旺盛な食欲を発揮する角麗に人々は唖然とした面持ちで食い入るように見詰めている。美しさに見惚れているのか、それとも底無しの胃袋に驚いているのか。まぁ、恐らく両方だろう。

 彼女とテーブルを共にする私達からすれば最早見慣れてしまった光景くいっぷりだが、それでも今回ばかりは輪に掛けて凄まじかった。一席を挟んだ右隣に座っているヤクトなど当初は横目で窺っていただけだったが、今や無礼を通り越して堂々と角麗をガン見している。


「やれやれ、今日は何時も以上に凄い食欲やなぁ。その細い体で、ようそんだけの食い物を詰め込めるわぁ」

「今日は闘気を使い果たしてしまいましたからね、そのせいで反動も凄いんです。私の場合は疲労と空腹ですね」

「私の場合? てっきり闘気を使い果たしたら疲弊して動けなくなるだけかと思ったが、違うのか?」


 ヤクトの向かい側にアクリルと並んで座っていたクロニカルドが疑問を投げ掛ける。その傍らでナイフとフォークを握り締めた影絵のような腕を動かし、皿の上に乗ったステーキを切り分けていた。


「反動と一言で言っても、それが肉体に及ぼす影響は人それぞれです。二日~三日は身動きが取れないほどの酷い筋肉痛に襲われる人も居れば、激しい片頭痛や吐き気と言った深刻な風邪に似た症状に悩まされる人も居ます」

「成る程なぁ。仮に俺っちも闘気を得たら、そこん所に注意せなあかんっちゅーことやな」

「そういう事です。しかし、ヤクト殿の場合は闘気の習得に向けて修行を積むのが課題ですけどね」そこで言葉を区切ると、角麗は徐に席から立ち上がった。「では、私は次の料理を探してきます」

「はぁ!? まだ食う気かいな!?」

「当然です! 折角の祝勝会なのですから楽しみませんとね! 今日は腹八分目の制約を解除し、何時もの十数倍は食べますよ! 無礼講です!!」


 その言葉を皮切りに角麗はテーブルを離れ、広場を埋め尽くす人込みに意気揚々と飛び込んだ。あれだけ食べているにも拘らず、その事実を感じさせない程に彼女の足取りは極めて軽やかであった。


「なぁ、無礼講って身分を取り払い楽しむって意味であって、全てを食べ尽くすっちゅー意味やあらへんよな?」

「……己に聞くな」

「ガハハハハ!! よォ、お前達! 楽しんでいるか!?」


 ヤクトの疑問に対してクロニカルドが回答を放棄した直後、ドルカスが上機嫌に声を弾ませながら私達のテーブルにやって来た。

 既に一杯以上を引っ掛けているらしく、毛に覆い隠された顔の隙間には酔っ払い特有の朱色が見え隠れしている。そして今も樽型のジョッキを握り締めており、そのままヤクトの隣にドカッと腰を下ろした。


「いやぁ! めでたい! 実にめでたい! 魔獣は討伐されるし、あの成金にも思い知らせてやった!! こんなにめでたい事は滅多に無いぞ!!」

「上機嫌やなぁ、ギルドマスターは……」

「何じゃ何じゃ! 一番の功労者が何シケた顔をしておるんじゃ! この祝勝会はお前達の為に開いているんだぞ!? 主役が楽しまんでどうする!?」


 ジョッキを振り翳しながらウザいぐらいに絡んでくるギルドマスターを無下にする訳にもいかず、ヤクトはドルカスに向き直ると取り繕った笑みを浮かべて嫌な顔を隠蔽した。


「もう腹は一杯やし、かと言って深酒するのは好きやあらへんねん。そもそも、この皿の山を見てみぃ。あんな食いっぷりを目の当たりにしたら、こっちが胸焼けするっちゅーねん」


 そう言ってヤクトは肩越しに振り返りながら、テーブルの上に積まれた皿の山を親指で指示した。ドルカスはジョッキに口を付けて一息付くと、野太い笑いが響き渡った。


「ガハハハ! あの嬢ちゃんだろう!? 確かにアレは凄いな! 俺達ドワーフも中々に大食漢だが、あの嬢ちゃんの食いっぷりには流石に完敗だぜ! パーティーを組んでいるお前さん達の懐が痛まないか逆に心配になってくるぜ!」

「嘘付け、何処が心配してるねん」


 胸焼けを和らげるような重苦しい溜息を吐き出して言葉を区切ると、ヤクトは話題の転換を図った。


「ところで、あの成金はあれからどうなったんや?」

「ああ、アイツか」真面目な話題に切り替わるのと同時にドルカスは表情を引き締めた。「あれから程無くして契約の白紙を求めてきおったわい。此方としても騙されていたとは言え、詐欺の片棒を担がされたも同然じゃったからな。これ幸いと了承してやったわ。

 今度は確認に確認を重ねた上に、勝手に悪さをしないよう最近になって編み出された二枚一組の契約書で判を押した。これでそっちのロックシェル……いや、ヴォルケーシェルに付き纏いはしないだろう」

「じゃあ、もうアクリルのガーシェルちゃんにちょっかい出してこないの?」


 と、ドルカスの向かい側に座っていたアクリルが食べかけの果物を握り締めながら尋ねた。それに対しドルカスは好々爺のような優しい笑みを浮かべながら、「ああ、そうだ」と安心感を抱かせる力強い言葉を添えて深く頷いた。


「あの男がガーシェルに手出しする事は二度と無い。これからはガーシェルと心置きなく一緒に居られるぞ」

「よかったね、ガーシェルちゃん!」

『はい! これからも一緒に旅が出来ますね!』


 ギルドマスターの言葉を聞くや、喜色満面の笑顔を浮かべたアクリルがパッとテーブルの側面に陣取っていた私の方へ振り返った。私としても成金貴族に付き纏われるのは勘弁だったので、ドルカスの報告は純粋に喜ばしい事だ。


「それは構わないが、にしても意外とあっさり引き下がったな」クロニカルドが腑に落ちない面持ちで呟く。「てっきり成金らしく金の力で徹底的に執着するものだとばかりに思っていたぞ」

「あのバカが只の金持ちならば、そうだったかもしれん。しかし、今のヤツは貴族だ。そして今回ばかりはソレが仇となった」

「……オービルやな」


 ヤクトが確信を込めて呟けば、ドルカスは首を縦に振って肯定する。


「そうじゃ。オリヴァーが憧れの貴族に転向出来たのも、偏に関係を深めたエディール家の後ろ盾があってこそじゃ。もしもエディール家に反旗を翻せば、その瞬間に貴族社会からはおろか、人間社会からも抹消されかねん」

「成る程な。つまり、エディール家に楯突く真似は出来んという訳か。皮肉なものだな。憧れであった貴族になってしまったが為に、手も足も出せずにスゴスゴと引き下がるしかないとは」


 オリヴァーに対する嘲笑を口元に閃かしながら、今度こそ腑に落ちたクロニカルドは納得の意を込めて深く頷く。それに釣られてヤクトも半笑いを浮かべ、そこに個人的な疑問を織り交ぜた苦笑いの表情でドルカスを見遣った。


「せやけど、何で貴族なんかになりたかったんやろうな? 成金と呼ばれる程の財力があるんなら、豪商としてでもやっていけたやろうに。高貴な生まれだの爵位の高さだのと、肩書きや血統に雁字搦めにされるような貴族社会なんて俺っちは真っ平御免や」

「確かにな。しかし、奴の考えも分からんでもない」

「どういう意味や?」


 そう尋ねるとドルカスはジョッキをテーブルに置き、傍に聞き耳を立てている者が居ないかを確認するかのように注意深く周囲を見回した。そして居ないと分かると只でさえ小柄な体をヤクトの方へ前のめりに傾け、内緒話をするかのように片手で作った衝立を口元に添えながら小声で話し掛けた。


「実はここ最近、ラブロス王国中で良くない噂が飛び交っている。一度王都に足を踏み入れたのならば、お主達も何かしらの形で聞いている筈だ」

「ひょっとして国王の体調不良の件かいな?」

「その通りだ。所詮は人の間を飛び交う根も葉もない噂の一つに過ぎん……と断言したいところだが、国王陛下も中々の御高齢であられる。噂の真偽はさて置き、その噂が嘘であると言い切れないのもまた事実だ。そして不届きだろうが何だろうが、このような噂が出れば未来を解読したくなるというのが人の性というものだ」

「つまり、オリヴァーは自分なりに未来を解読した末に帰属に転向したっちゅー訳かいな? せやけど、俺っちの記憶が正しかったら奴が貴族になった頃には噂すら存在してへん筈やけど……?」


 疑問の声を尻すぼみさせながらヤクトは口元に拳を当てて考え込むポーズを取った。そしてドルカスはヤクトの意見が正しいと肯定するかのように頷いた。


「お前さんの言う通りだ。ヤツが貴族界デビューを果たしたのは、その噂が公にすらなっていない四年も前のことだ。しかし、その時から貴族達の間では噂になっていた」

「貴族達の間で?」ヤクトが怪訝そうに眉を顰める。

「うむ、不穏な噂それ以外にも、現在の王が死ねば貴族派が政権を手中に収める事が出来るだの、政権を一度握ってしまえば真の貴族社会が到来するだの……貴族達にとっては夢物語だが、我々にとっては悪夢以外の何物でもない。そんな願望が垂れ流されておった」

「ほな、オリヴァーは貴族達の噂を鵜呑みにし、そいつらが語る夢物語が何れ現実のものになると踏んで、自身も貴族に転向したっちゅー訳かいな?」

「そういう事じゃな。そして奴が貴族社会に飛び込んだ直後から噂が国中に広まり出した。証拠はないが、恐らく噂を流布したのは貴族達だろう。これによってオリヴァー以外の権力欲に囚われた富豪達も続々と貴族に転向し、ここ数年という短期間の内に貴族達の力は急激に増大したのだ」


 ドルカスは困った風に肩を竦めると、長々と語って乾いてしまった舌を潤すべく最初から手にしていたジョッキを煽った。プハァッと酒飲み特有の掛け声と共に、アルコール臭を含んだ吐息が空に吐き出される。

 そんなドルカスに対してクロニカルドが称賛を投げ掛けたのは、彼がジョッキを置いて一息付こうとした瞬間だった。


「しかし、一介のギルドマスターにしては中々どうして情報に精通しているではないか。表向きだけでなく、貴族達の間でしか流れておらん噂まで掴んでいるとは」

「情報を収集してハンター達に提供するのもギルドの仕事じゃからな。だが、それでも入手した情報そのものが誤っている時もある。故にギルドだけでなく、ワシ自身が様々な方面に耳を尖らせておかねばならん。そうなると、この手の話は嫌でも耳に届いてしまうんじゃよ」

「成る程、様々な所から情報を搔き集めて統合・精査する事で、限りなく真実に近付い情報を導くという訳だな?」

「そういう事じゃ。誤った情報は時として人を殺すというのはワシ自身も重々承知しているからな。それらを仕入れる先もワシの信頼が厚い所ばかりじゃ。それに情報を逸早くキャッチし、迅速に推測を立てられるという利点もある分には、決して悪い事ではないがの」


 ギルドマスターって只単にデスクワークが基本かと思っていましたが、自らの足と耳を使った情報収集もこなしているんですね。確かに一つの情報では心許ないが、複数の断片的なパズルを仕入れて統合すれば、真実答えに近付くのも夢ではない。

 ドルカスは酔っているのか素面なのかも分からない表情で私達を見回すと、不意に閃いたかのように両方の眉でブリッジを描いた。


「そうじゃ、貴族繋がりでコレも教えておこう。先程と打って変わって、これは王国を取り巻く政治の話になるが、今のラブロス王国の状況がどのようなものかは知っておるか?」


 そう言えば国王陛下が危篤であるという国家機密レベルの情報こそ持っているものの、この王国の方向性を示す政治そのもに関しては完全に無知ですな。まぁ、それを耳にする機会が無かっただけなのだが。

 そんな風に私のような魔獣が王国の政治に興味津々だとは知る由も無く、ドルカスは口元の髭を梳くように撫でながら徐に語り始めた。


「今のラブロス王国の政治中枢には三つの勢力がある。一つはラブロス王家主導による政治体制の維持を唱える王家派、次に王家の次に地位が高い貴族が政治を執り行うべきだと訴える貴族派、そして民衆に政治を託して民政に移管する事を目標に掲げる民主派だ」

「王家派と貴族派は分かるが、民主派だと?」


 生前(?)のクロニカルドが所属していたゾルネヴァ帝国では絶対王政と言う名の専制主義が基本だったのだろう。民衆に政治を託すという民主主義の発想を聞いた途端、釈然としないどころか却って理解に苦しむような苦々しさが彼の表情に絡み付いた。

 しかし、ドルカスはクロニカルドの苦い顔を単なる質問の延長線だと誤解したまま、何事も無かったかのように話を進めた。


「知らないのも無理ない。民主派はここ最近になって生まれた政治派閥だからな。数こそ少ないが、確実に民達からの支持を集めておる。しかし、血統を重んじる貴族派からは煙たがられており、両者が犬猿の仲であるのは必然と言える」

「その話なら俺っちも聞き及んでいるで。確か民主派は出来立ての政治流派やさかい、中枢を占める割合は一割程度しか満たしてへん。その上、貴族派からの妨害工作を受けて思うように勢力を伸ばせておらんとか」

「その通りだ。しかし、そんな彼等にも好機が訪れる。噂の中心人物であらせられる現国王陛下が、民主派が唱える民主主義に賛同するという考えを表明したのだ」

「何だと、国王自らがか!?」


 まさかクロス大陸を手中に収めたラブロス王国の国王陛下トップ自らが、民衆に政治を託す意思を示すとは思ってもいなかったのだろう。その時のクロニカルドが見せた驚愕の様相は、これまでの中で群を抜いていた。

 しかし、クロニカルドが驚く気持ちも分からないでもない。江戸時代末期の一般庶民だって、大政奉還が成された時はクロニカルドみたいに驚いた者も少なからず居たに違いない。

 驚愕を露わにするクロニカルドを目の当たりにしてもドルカスは顔色変えず、淡々と事実を告げるように太い首を前後に揺らした。


「そもそも国王陛下は民衆に寄り添う政治を意識しておられた。民主派が誕生した時も、王政と異なる新たな政治の可能性を示してくれるやもしれぬと前向きに捉えておったそうだ。あの人は良くも悪くも民衆達の幸せを優先する優しいお人じゃからのう」

「では、王家派と民主派は手を組んだのか?」


 普通に考えれば、誰もがそう考えるだろうが……意外にもドルカスは残念と言うよりも、悲しそうな表情で首を横に振った。


「いいや。皮肉にも、その発言によって王家は二つに分裂してしもうたんじゃ。政権交代を容認するラブロス国王と第一王子の改革派と、絶対王政の継続を唱える第二王子の保守派とな」

「第一王子も国王と同じ意見なのか?」

「うむ、第一王子のアルバート様は貴族だろうが平民だろうが、実力ある人間は積極的に徴用すべきだという広い視野と柔軟な思考を持ち合わせておった。そして彼が奥方として招き入れたマリオン様も平民の出だ。国王陛下の意見に賛同するのは当然の事だ。だが……」

「だが……どうしたと言うのだ?」


 まるで憚るかのように口籠ってしまったドルカスを見て、クロニカルドは続きを促すように眉間に険しい皺を寄せた。そして苛立ちのままに口が開かれた瞬間、急遽ヤクトがドルカスに代わって会話の続きを引き継いだ。


「せやけど、今から五年前にアルバート王子が不治の病で急逝してしもうたんや。そしてアルバート王子とマリオン様との間に生まれた、当時は三歳にも満たなかったイーサン王太子が皇位継承権を持つ第三王子として祭り上げられたんや」

「成る程、そうであったのか……」


 ドルカスが沈黙した理由を知るや、クロニカルドは何処かバツの悪そうな表情を浮かべて視線を彷徨わせた。知らなかったとは言え、配慮に欠けた態度を取ってしまった自分自身に対する自己嫌悪が見て取れた。

 と、それまで沈黙していたドルカスが僅かに顔を持ち上げ、先程までの暗い雰囲気を吹き飛ばすかのようにジョッキに残っていた酒を飲み干し、酔いの力を借りて硬く噤んでいた口元を緩ませた。


「第二王子のギデオン様も第一王子に勝るとも劣らぬ優秀な御仁だが、如何せん思想が時代遅れだ。良く言えば伝統を重んじ、悪く言えば昔の遣り方にしがみ付く頑固な御人じゃ。しかし、だからこそ古き良きを知る古狸達からは好かれておる」

「好かれとる? 自分達の主張を訴える都合の良い看板として重宝しているの間違いやあらへんのか?」


 絵になりそうな微笑みを浮かべるヤクトだが、笑っているのは口元だけで目元は批判や軽蔑を露骨に宿していた。そんな彼の意見に対し、ドルカスも皮肉めいた笑みを浮かべながら肩を竦めた。


「嘆かわしいが、ヤクトの言う通りだ。本来ならば二つに割れた王家派を一つに纏めるべきなのだが、古狸達の横槍や悪知恵のせいで上手く進んでおらんのが実情だ」


 まるで疲労を溜め込んだかのような重々しい溜息がドルカスの口から吐き出され、暫しの間が流れた末に彼は最後を締め括った。


「こうして政治中枢は貴族派が幅を利かせ、残りの者達は肩身の狭い思いをしている。しかし、未だに政治実権と後継者を指名する権限は国王陛下の手中にある。つまり、今のラブロス王国は複雑な捩じれ政治に見舞われているという訳じゃ」

「ほな、仮に国王陛下が病気で動けへんって噂が事実だとしたら……」

「遅かれ早かれ貴族達にとっての繁殖期が来るという訳じゃな。尤も、ワシらには寒冷期どころか氷河期地獄の始まりやもしれんが……それはその時が来るまでは分からんわい。さてと、無駄話が過ぎてしもうたわい。酔いも覚めた事じゃし、また飲み直すとするかのう」


 それだけ言い残すとドルカスは私達のテーブルから離れ、喧騒と活気が渦巻く雑多な人込みの中へと紛れ込んでしまった。そして彼の姿が見えなくなると、ヤクトは頬杖を突きながらクロニカルドを横目で見遣った。


「どう思う? 今の話?」

「どうやら我々は図らずしもこの国の命運を握っているみたいだな」

「せやなぁ。姫さんの父親探すだけやっちゅーのに、何時の間にかクソ重い荷物を背負わされているってどないなってんねん……」

「えーっと……どういうことなのかな?」

『アクリルさんは気にしなくても良いですよ』


 男二人が揃って溜息を付き、アクリルが不思議そうに小首を傾げた頃、角麗が満面の笑みと共に戻って来た。絶妙なバランス感覚を誇示するかのように真横に伸ばした両腕には複数の料理が乗せられており、おまけに出来立てを意味する暖かな湯気が立っている。


「……って、あれ? どうかしましたか? 何処か疲れている風にも見えますが?」

「うーん、ちょっと頭ん中がパンクし掛けとるだけやから大丈夫……」

「それ、どう考えても大丈夫じゃないですよね?」


 無気力気味に突っ伏するヤクトを見て、角麗は首を傾げたものの不用意に深入りするような真似はしなかった。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る