第143話 不吉な契約
翌朝、ハンターギルドの前には私達を含めた大勢のハンター達が集結していた。家族の見送りを受けている地元のハンターも居れば、仲間同士で最後の打ち合わせをする者も居る。
その中には当然ながらトラブルメーカーである漆黒の牙の面々も混じっているが、何時まで経っても始まらない状況に苛立ちを募らせているらしく、その表情や仕草――指や爪先で貧乏揺すりをしたり――には不満の色が見え隠れしている。
私の上に乗っていたアクリルはギルドの前に出来た混雑を興味深げな眼差しで見回し、最終的にはヤクト達の方へと興奮した眼を舞い戻した。
「いっぱい居るねー!」
「当然だ。あのチタン火山に住み付いたエンマの大軍を相手にするのだから、コレぐらい居なければ返って不安だ」
アクリルは一杯という一言で済ましているが、その数はざっと見ても二百人……いや、三百人は超えているのではないだろうか。しかも、治癒魔法で完治したとは言え昨日まで重傷を負っていたハンター達も参加しており、これから総力戦が始まることを暗示していた。
「ですが、コレだけの数を集めても尚、戦力を求めるということは……余程状況は逼迫していると見るべきですね」
「せやな。こりゃ厳しくなりそうやな……っと、出て来たで」
そう言ってヤクトがハンターギルドが置かれた建物の方へ顎を突き出すと、中からギルドマスターであるドルカスが姿を現した。途端、周囲を埋め尽くしていた騒めきは一瞬で掻き消され、人々の視線がドルカスに集中する。
水を打ったかのような静けさと己の肌に突き刺さる視線に、ドルカスは真剣な面立ちを浮かべながらコクリと頷いた。
「皆、よくぞ集まってくれた! 一ヶ月近くに渡って続いた戦いも、いよいよ終止符を打つ時が来た! これも全ては諸君等の尽力があってこそだが、まだ全てが終わった訳ではない! チタン火山の平穏を取り戻す為に、あと一息ばかりの力を貸して欲しい!! 諸君等の奮闘に期待している!!」
野太い声には要望だけでなく信頼が上乗せされており、より重みのある言葉となってハンター達の肩に圧し掛かる。自然と彼等の表情が緊張の糸で引き締められ、何処からともなくゴクリッと固唾を飲み込む音が聞こえてくる。
「では、最後に改めて状況を説明しよう」そこでドルカスが自身の右斜め後ろへと振り返る、「おい、アレを」
「へい」
ドルカスの傍らに立っていた大柄な男性が前に一歩踏み出し、丸めて小脇に抱えていた用紙を広げて見せた。それは航空写真と見間違えてもおかしくない、精緻に描かれたチタン火山の地図であった。恐らく飛行系の従魔を使って、頭上から描いたのだろう。
ポッカリと空いた火口を中心に、緩やかな斜面に刻まれた山肌の皺の一つ一つがハッキリと描かれている。また山の裏手――昨夜、私達が見たチタン火山の反対側――には複数に枝分かれした溶岩の川が流れているのが分かる。そしてドルカスは地図に指差しながら言葉を綴った。
「今現在、エンマ達をチタン火山に閉じ込めているのは周知の事実だ。これから一斉に奇襲を仕掛け、エンマを殲滅して欲しい。割り当ては此方で考えた結果、このようになった」
そう言ってパンッとドルカスが手で叩くと、まるでワンホールのケーキをカットするかのように地図の表面に細い線が走った。但し、六十を超すチームを均等に振り分けるのだから、地図の絵面を一言で言えば極限にまで薄切りしたケーキのようだ。
そして線と線の間には各エリアを意味する番号と、そのエリアを担当するハンターチームの名前が出現する。そこには私達のチーム名――と言っても正式に決まっていないので、取り合えずリーダー格であるヤクトの名前が入っているだけだが―――もあった。
しかし、ドルカスは「自分で考えた」と言っているが、実は昨日の打ち合わせ……ハンター達の意見を集約した末に決定したものだ。では、何故に遠回しとも面倒とも取れる言い方をしたのかと言えば、貴族のボンボン達のプライドに配慮したからだ。
もしも貴族達が居ない内に皆で話し合って決めましたなんて言えば、「平民風情が我々を差し置いて勝手に決定するとは何事だ! 許さん!」と相手方が反発するのは目に見えている。
そうなれば終止符を打つどころかスタートそのものが遅延してしまう。一刻も早いエンマの殲滅を望む状況で、そのようなイザコザは致命傷と言っても過言ではない。だからドルカスは敢えて伏せたのだ。
「―――特にこの部分は極めて重要なポイントとなる。此処は漆黒の牙に任せたいのだが、宜しいかな?」
チタン火山の正面右手側の一角を指差しながらドルカスがジロリとねめつける先には、煌びやかな装備を纏ったボンボン達の姿があった。
ドルカスの目線に釣られて周囲のハンター達も彼等を見遣るが、ボンボン達のリーダーであるオービルは注目されている事自体が誉れと言わんばかりに自信に満ちた微笑を口元に携えた。
「無論だ。エディール家の名に於いて、そして誇り高き貴族の一員として使命を全うしようではないか」
少々気障な言い回しが鼻に付くが、何にせよ此方の目論見通りに運ぶのは良いことだ。現に貴族のボンボン達が了承した途端、詰まらせていた息が抜けるような安堵の溜息が其処彼処で音も立てずに零れ落ちた。
「では、此方で用意してある馬車に乗って出発して欲しい。全員が無事に戻り、再会出来る事を期待しているぞ」
「「「おう!!!」」」
裂帛の雄叫びを大気に響かせると、ハンター達はゾロゾロと一斉に移動を開始した。これからギルドが用意してくれた馬車に乗ってチタン火山に向かうのだが、私達の場合に限っては少々事情が異なっていた。
「ほな、馬車の後を追ってチタン火山に行こか」
「うん! ガーシェルちゃん、頑張ってね!」
『了解しました』
流石に私みたいな(重量が半端ない)魔獣が人間専用の幌馬車――大の大人が六人乗って満員となる程度――に乗って移動するのは困難を極める。なので、私自身がヤクト達の馬車となってチタン火山へ移動する事に決めたのだ。
『では、中に入って下さい』
「うん!」
アクリルを皮切りに、次いでクロニカルド、角麗、そしてヤクトと順を追ってセーフティーハウスへと飛び込んでいく。その光景を目の当たりにした人々はギョッと皿のように見開いた眼で此方を凝視するが、此方としては既に慣れっこである。
そんな人々の驚愕を置き去りにするかのように車輪を回し、ハンター達を乗せた馬車と並走する形でチタン火山に向けて出発した。今更だけど、馬車と並走する巨大貝って中々に珍妙な絵面ですよね……。
☆
ドルカスの元に
味方の無事を祈りつつもギルドマスターとしての仕事を果たさんとしていた矢先だった事もあり、出鼻を挫かれた彼は盛大な顰め面をオリヴァーに突き付けた。
「何しに来おった、この成金貴族め」
「ふっ、吾輩も嫌われたもんだな」
自嘲気味な笑みを閃かすオリヴァーに対し、ドルカスはデスクに頬杖を突きながら悪態を放った。
「おいおいおい、ひょっとして自分は嫌われていないと思っていたのか? 貴様は金の亡者だけでなく、ナルシストでもあったのか。いけ好かない人間は数多く居たが、こうも性質の悪い人間はそうそう居らんぞ?」
「単なる冗談だ! 真に受けるではないわ!」
好き放題に投げ掛けられた言葉の全てを受け入れられる程、オリヴァーの器量は広くもなければ深くもない。とうとう我慢出来ずに大声を張り上げたものの、ドルカスは下らなそうに鼻を鳴らして彼の怒声を受け流した。
「で、一体何しに来たのだ? ワシとて暇では無い」
彼の冷淡なあしらいのおかげでオリヴァーも冷静を取り戻し、傍にあった安物の木の椅子をギルドマスターが座るデスクの前に置いて腰掛ける。大抵の人間の重さにも耐えられる筈なのだが、超が付く程に肥満体な彼が乗ると今にも椅子の足が潰れてしまいそうだ。
「分かっている。だが、貴様には一言詫びを入れておかねばと思ってな」
「詫びだとぉ?」
ドルカスは仕事の手を止め、成金の方へ驚きで見開いた眼を向ける。そんな相手の露骨な反応に、オリヴァーは解せないと言わんばかりに眉間を皺寄せた。
「何だ、その顔は? 折角此方が素直に謝罪してやると言うのに」
「こんな顔もしたくもなるわい。貴様が今まで我々に何度迷惑を掛けた? その都度、貴様は自分の行いを省みたことがあったか? 今更になって詫びを入れると言われれば、喜ぶよりも先に疑いの目を向けてしまうのも仕方が無かろう。違うか?」
図星を突かれたオリヴァーは居心地悪そうに狼狽えるも、すぐに平静を取り戻して余裕の笑みを閃かした。
「まぁ、確かに今までのワシは傍若無人の気があった。それは事実として認めよう。しかし、今回の一件で漸く目が覚めたのだ」
「目が覚めるには、ちと時間が掛かり過ぎだな。せめて十年早ければ、我々も苦労せずに済んだのだがな。ましてや、今回の一件も起こり得なかっただろうに」
「一々棘を刺すな! 話が進まんだろう!……兎に角、今回の件で猛省しているのは事実だ。エンマの一件で想像以上の被害を出してしまった上に、チタン火山のみならず西部地域に危機を招いてしまったのは事実だ。更に追い打ちを掛けるように貴族のボンボンを送り込ませ、ハンター達の手を煩わせてしまった」
「ほぉ、よく分かっているじゃないか。で、何を以てして詫びとするんだ?」
挑発とも胡乱気とも取れる眼差しを投げ掛けながらドルカスが問うと、オリヴァーは懐から一枚の用紙を取り出した。それを受け取ったギルドマスターは丸められた用紙を広げ、そこに書かれてあった内容を見て目玉を引ん剝いた。
「何と……太っ腹と呼ぶには破格の条件だな」
用紙に書かれていたのは依頼報酬の増額だけでなく、今回の一件における治療費やら損害を一切負担するというものであった。
後者に至っては慰謝料と呼んでも過言ではなく、それもクエストに参加したハンター全員に充てられると言うのだから莫大な金額に上るのは言うまでもない。だからこそ、ドルカスの眼に浮かんでいた疑念は一層と強まった。
「一体何を考えているのだ? 貴様は金の亡者だ。他人の懐に自分の金が転がり込む事ですら惜しむというのに、何故に今回に限っては景気よく大枚を叩こうなどと?」
「先程も言ったではないか、今回の一件で反省したと。それにハンター達との関係悪化を少しでも食い止めたいのだ。只でさえ煙たがられていると言うのに、まるで吾輩の一存で貴族達を加わらせたという認識が強まっている。此方も被害者だと言うのに……」
「ふんっ、煌びやかな貴族社会に踏み入れたいと望んだのは貴様自身であろう。自業自得じゃな」
「兎に角! これ以上、吾輩の印象が悪化するような事態は避けたいのだ! だから、このような破格の条件を持ち込んだのだ! 何か文句はあるか!?」
ドルカスはデスクの座席に深々と凭れ掛かり、オリヴァーが持ち掛けてきた提案を吟味するかのように腕を組んだ格好のまま目を瞑った。
確かにハンターと良好な関係を築くこと自体に損は無い。ましてやオリヴァーの場合、過去に起こした失態の尻拭いをハンターに丸投げしている節が強く、もしもハンター達に見限られでもすれば彼自身の破滅は免れない。
そう考えると彼の言い分は辻褄が合っているし、個人的な主張が激しいものの筋も通っている。何よりも彼が持ち掛けてきた話は、ドルカスのみならずハンター達にとっても悪い話ではない。
今回の一件では負傷者も数多く出たし、死者だって少なからず出ている。治療費の一部をギルド側で肩代わりしているとは言え、残りの大半を払うのはハンター自身だ。そして遺族に対して支払う見舞金だって馬鹿にはならないが、かと言って稼ぎ頭亡き後も安泰に暮らせていけるかと言えばそうでもない。
成金の申し出を認めるのは癪ではあるが、相手が少しでも金を出してくれると言うのであれば素直に了承しておくに越した事はない。が、オリヴァーの為人とも言うべき今日までの振舞いを知っているだけに、ドルカスは果たして首を縦に振っても良いものかと頭を悩ませる。
「……余程、吾輩という人間を信用ならんようだな。分かった、ならば今回の話は無しとしよう」
と、ドルカスの頭の中を見抜いたかのようにオリヴァーが椅子から立ち上がり、踵を返す素振りを見せる。その背中には『チャンスは一度切りだぞ』という訴えが書かれており、ゆっくりとした足取りには『チャンスの猶予は自分が部屋を出るまで』という意思が添えられていた。
そして彼が扉のドアノブに手を掛けて部屋を後にしようとした直前、ドルカスは決断を下した。
「分かった。貴様の提案を飲もう」
「……話を受け入れてくれて感謝するよ、ギルドマスター」
提案を受け入れてくれた事に対して、オリヴァーはにこりと微笑んだ。が、贅肉で埋もれた笑顔は不気味さが強く、流石のドルカスも釣られて笑うどころか忌避するかのような顰め面を返すのが精々だった。
「しかし、万が一の事があっては困る。この書類、一通り確かめさせて貰うぞ」
「おい、やっぱり吾輩の事を信用していないのではないか」
「馬鹿者、この書類はワシだけの問題ではない。ハンター達の命運も預かっているにも等しいのだ。そんな重要な書類に万が一の不備や、何かしらの仕掛けがあったらワシのクビが飛ぶだけでなく、大勢の不幸に繋がるのだ。それとも後ろめたい何かがあるのか?」
「分かった分かった、貴様の言う通りだ。さっさと調べて書類にサインしてくれ」
オリヴァーが投げ遣りに了承すると、ドルカスはデスクの引き出しから眼帯状の片目ゴーグルを取り出し、自分の右目に装着した。これは魔法によって隠蔽されたものを見抜く一種の
ゴーグルを通した右目の視界は青味が掛かっており、もしも書類に魔法が施されていれば隠蔽された部分が白く発光する仕組みとなっている。しかし、表面だけでなく裏面といった隅々までを一通り見たが、魔法は感知されなかった。
「ふむ、魔法はかけていないみたいだな」
「当然だ、そもそも吾輩は成金貴族である前に山師だ。魔法の知識なんて持っている筈が無かろう。仮に魔法使いを雇って作らせるにしても、貴様の目を誤魔化せるなどとは考えておらんわい」
「まぁ、それもそうだな。しかし、本当に支払ってくれるのだろうな?」
「吾輩とて契約書の重みは知っておる。それでも嫌疑が残ると言うのであれば、書類を破棄すれば良い」
それに対しドルカスは少々厳ついドワーフの一面を表情に覗かせつつ、無言のまま署名欄に名前を書き入れた。
「次いでだ。ギルドマスターが書いた事を意味する印璽を押してくれ」
「やれやれ、要求が多いのう」
そう言いつつもドルカスは署名の隣に赤い蝋を垂らし、中指に嵌めたギルドマスターの証である指輪を押し当てた。そして契約が成された書類をオリヴァーに突き返した。
「ほれ、これで良いのだろう?」
「……うむ、確かに。問題ない」
書類の中身を確認してオリヴァーは満面の笑みを浮かべる。が、ドルカスは彼の笑顔に見向きもせず、まだ仕事があると言わんばかりにデスクの上に視線を落とした。
「なら、さっさと出て行ってくれんかの? こちらもギルドマスターとしての仕事が山積みなんでな」
「分かってる、それでは……」
オリヴァーは肥満体とは裏腹に、今にもスキップを踏みそうな軽い足取りで部屋を後にした。そして扉を閉めてギルドマスターの姿が視界から消えた途端、オリヴァーは懐からジッポライターに酷似した黄金のライター ――
キンッと音を立てて蓋を開けるのと同時に、マッチのような小さい火柱が口部から噴き出す。その火柱を左右に揺り動かしながら書類の裏面を軽く炙ると、契約内容と署名欄の間にじわじわと文字が浮かび上がっていく。所謂、炙り出しと呼ばれるものだ。
(ふふふふ、これだから元ハンターは単純なのだ。今の御時勢、人を騙すのに魔法が用いられるのは珍しくない。しかし、何も騙す手段は魔法だけとは限らんのだぞ。あとはハンター達が仕事を追えるまでに有能な弁護士を揃えれば此方のものだ)
そう内心でほくそ笑みながらオリヴァーは炙り出された文字に目を通し、そこに書かれている文章を目視して満足気に頷いた。
『クエスト完了後、ロックシェルの所有権をオリヴァー・フォン・ゲマルークに移譲すること』
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