第142話 不安と欲望

「すごく広いオフロだったねー!」

「ええ、とっても気持ち良かったですね」

「カク姉のおっぱいがプカプカ浮いてたねー!」

「アクリル殿、それは大声で言わないでください」

「姫さん、後でソレに関してじっくりと聞かs……あだだだだだだ!! アイアンクローやめーや!! ましてや格闘家のアイアンクローは洒落にならへん!!」

「ヤクト殿、仲間と言えどもセクハラは許しませんよ」


 太陽が西の彼方へと姿を隠し、代わって東の空から星々を鏤めた夜闇の蚊帳がせり上がって来た頃、私達は繁華街のように煌びやかなマグラスの町通りを歩いていた。

 マグラスと聞けば良質な鉱物を取り扱う鉱石商と、ソレを加工する鍛冶屋が犇めき合う鉱山街という印象が強いらしいが、実は火山帯に近いという事もあって温泉も多数存在する屈指の温泉街でもあるのだ。

 ドルカスが勧めてくれた温泉宿で一日の疲れと汚れを落としたヤクト達の顔には満足気な爽快感が浮かんでおり、火山の暖気を運んでくれる東風のおかげで湯冷めする心配もない。

 とは言え、実際に温泉を楽しんだのは人型を有した三人のみであり、魔獣である私と生きた魔導書であるクロニカルドは外で留守番をしていたが。

 私の場合は元々熱さに弱い魔獣である上に、魔獣と一緒に入れる温泉が無かった為に外で待機するしかなかった。対するクロニカルドは自分の魂を閉じ込めた魔導書が濡れるのだけは避けたいという理由で入浴を避けたのだ。

 一応魔導書の身体に障壁バリアさえ張れば入浴も可能らしいが、風呂の温かさも感じられないし汚れも落とせないので入浴の意味が無いという理由でボツとなった。


「それにしても難儀な身体やなぁ。まともに風呂に入れへんなんて」


 角麗のアイアンクローから解放されたヤクトは頭を摩りながら不憫な眼差しをクロニカルドに投げ掛けるが、当人は強がっているのか「ふんっ」と鼻を鳴らしてそっぽを向いてしまう。


「大した問題ではあるまい。己には清浄魔法があるのだからな、常に清潔を維持することが可能だ」

「そんなんで一々魔法の力を頼るのもどうかと思うけどなぁ。せや、時折ハタキで本の表紙を叩いてやろか?」

「完全に古本の扱いではないか! 不敬にも程があるぞ!」


 ヤクトとクロニカルドの遣り取りにアクリルと角麗が朗らかに笑う。と、そこで私の貝殻に乗っていたアクリルが何かに気付いて後ろを振り返り、程無くして興奮に満ちた大声を張り上げた。


「ねぇ! 見て見て!」

「うん? 何や?」


 アクリルの声に反応して全員が貝殻の上へと目線を預けると、彼女はチタン火山がある方角を指差していた。その指先を追い掛けて一同が振り向くと、不意に冷や水を浴びせられたかのように湯上りで綻んでいた表情筋が悪寒で硬直した。

 成層火山であるチタン火山は綺麗な台形を形作っており、火口から吐き出された膨大な量の噴煙が溶岩の輝きに照らされながら天へと舞い上がっていく。それは活発な火山活動を意味しているが、着眼すべき点は其処ではない。

 まるでクリスマスツリーに飾るイルミネーションの如く、比較的になだらかな火山の斜面を埋め尽くす無数の灯火。その一つ一つが京都の送り火に用いられる篝火を彷彿とさせるが、その数は尋常でない程に多い。

 今現在、チタン火山で人間が活動しているという報告はない。つまり、あの灯火の一つ一つが討伐対象であるエンマだと考えるのが普通であろう。流石に全てを数え切るのは不可能だが、パッと見の目算でも軽く千は超えているのではないだろうか。


「打ち合わせでも『膨大な数を相手するかもしれん』とは言われていたけど、アレを見ると想像以上のようやな」

「私達の故郷でも百や二百というエンマの群れを相手にした事はありますが、これほどの規模は生まれて初めて見ます」

「気を付けるべきはエンマ及びダイエンマと言っていたが、あの様子だとコエンマの群れも侮れなさそうだ」


 大人三人が落胆も交えて頷き合う中、アクリルだけは無邪気に目を輝かせながらチタン火山を見詰めていた。確かに見目だけならば綺麗だし見惚れるのも分からないでもない。でも、翌日にはアレを討伐しにチタン火山を登らないといけないんだと考えると気が重いったらありゃしない。

 するとクロニカルドが不意に思い出したかのように「そう言えば……」と言葉を切り出して二人の視線を寄せ集めた。


「気を付けるで思い出したが、貴族のボンボン達はどうするのだ? アレの処遇も中々に悩みどころであろう? 対処を間違えれば内輪揉めになりかねんぞ」

「ああ、それやったら比較的に安全な場所……既に駆除が完了した区域に送り込ませるって事で決着したわ。そこならば戦う心配も無いし、馬鹿をする恐れもないやろ。幸いにも貴族達が打ち合わせに参加せんかったおかげでスムーズに纏まったわ」


 プライドの高い貴族の事だ。もしもハンター同士の打ち合わせに参加していたら、あーだこーだと一々口を挟んで自分の要求我儘を押し通そうとしていたに違いない。

 そう考えると、あの時にオリヴァーが社交辞令も兼ねてボンボン達を自分の屋敷へ連れて行ってくれたのは紛れもないファインプレーであったと言えよう。但し、もとを正せば今回の一件を引き起こした責任者は、他でもないオリヴァー本人なのだが。


「しかし、大丈夫なのでしょうか? 貴族達は如何せんプライドが高そうですし、自分達が活躍出来ないとなると文句を言いそうですが……」

「せやから駆除が完了した事実は伏せておく代わりに、此処が重要な要所であると教え込ませて本人等の自尊心を擽らせる作戦で行くらしいで。俺っち達の言葉やと耳を貸さへんやろうけど、ギルドマスターの言葉なら重みがあるやろ」


 成る程、戦略的に価値は無いけど危険性も皆無な場所をボンボンに守らせるという訳ですね。そしてボンボンに事実を悟らせない為に、トップの人間……即ちギルドマスターに熱弁を振るって頂くと。

 確かにヤクト達の言葉では平民風情がと言って耳を貸さなさそうだが、ギルドマスターであるドルカスの言葉ならば聞き及んでくれるだろう。


「ならば、問題は無いな」

「えーっと、よくわかんないけど良いことなのー?」

「ああ、滅茶苦茶ええことや。せやけど、あんまり大声で言い触らしたらあかんで? これは内緒やからな」

「うん! アクリル誰にも言わないね!」


 アクリルの無邪気な姿に皆が笑みを綻ばせる中、私だけは笑いに混じることなく上の空の感情をチタン火山に向け続けていた。

 それは今のヤクトの説明に疑問を抱いたからとか、果たして貴族達が納得してくれるだろうかという不安の類ではない。オリヴァーがハンターギルドに訪れた時、彼が不意に浮かべた何かに見入るような眼差しが心に引っ掛かっていたのだ。

 今になって思うと、アレはではないだろうか。彼が珍しい魔獣を集めたがるコレクター癖があるという理由しかないが、強欲な成金ならば有り得ない話ではない。

 とは言え、いくら金持ちでも所詮は赤の他人。従魔である私と主人であるアクリルの間に割って入るのはおろか、私達を引き離すのは物理的にも法的にも不可能だ。なので、自分の考えは単なる杞憂だと己に言い聞かし、ネガティブになりかけた思考を前向きに切り替えた。



 オリヴァー・フォン・ゲマルークの屋敷にある食堂では、屋敷の主であるオリヴァーと招き入れた貴族達による優雅な夕食会が行われていた。

 王宮でしか見られないような匠の技が込められた長い食卓テーブルの上には、一般庶民が生涯で一度口に出来るかどうかという最高級食材を用いた豪華な食事が並べられている。

 天井に飾られたシャンデリアの輝きと相まって王宮料理顔負けの豪勢さが引き立てられていたが、ボンボンと成金貴族は平然と分厚いステーキにフォークを突き刺し、ナイフを走らせる。それは彼等が高級食材を食べ慣れている証拠であった。


「オリヴァー殿」ワイングラスを掲げながらオービルが話し掛ける。「父上は貴方を懇意にしてらっしゃるようですが、貴方と父はどのような関係で?」

「ええ、当初は我が鉱山で取れた宝石などの装飾品を買って頂く、所謂お得意様でございます。その後、御父上殿の計らいによって吾輩……いえ、私は念願だった貴族社会に足を踏み入れることが出来たのです。ですので、私は御父上に対して頭が上がらないのです」

「成る程、父上は宝石に関してはオリヴァー殿を頼っていた。もしや、父上が私にプレゼントしてくれた宝石の類も?」

「恐らく私の鉱脈から得られた希少価値の高いものでしょう。ですが、私としても本望でございます。貴方様のような高貴な御仁が身に着けてこそ、宝石の輝きは増すというもの。何卒、大事にしてやって下さいませ」

「おお、そうであったのか! かたじけない、オリヴァー殿。このオービル、必ずやチタン火山に巣食う魔獣共を一匹残らず討ち果たしてくれよう!」


 オービルの気迫に満ちた宣言に呼応するかのように、他の貴族達から称賛の拍手が巻き起こる。オリヴァーも彼等に交じって拍手と微笑みを投げ掛けるが、内心では忌々しさを煮詰めたようなドロドロとした感情が渦巻いていた。


(ふんっ、何の実力も無いボンボンに何が出来る!! そもそも貴様達が手出しさえしなければ、今回の問題もスムーズに解決すると言うのに……余計な真似をしてくれおってからに!!)


 オリヴァーも本心ではハンター達同様、ボンボン達の横槍を望んでいなかった。しかし、オービルを始めとするエディール家は貴族社会において強い影響力を有している。

 ましてや彼の父親はオリヴァーにとっては恩人も同然であり、下手に断れば自分の首を絞めるだけでなく破滅に繋がりかねない。それを避ける為にも、当主の願いを聞き入れるしかなかったのだ。


(そもそもハンター達がエンマ達の殲滅に手古摺っているのが悪いのだ! 騒動が長引いたせいで目立ってしまい、その結果エディール家に睨まれてしまったのだからな!)


 自分の責任をハンターに押し付けるという典型的な責任転嫁は何の解決にもならないが、八つ当たりにも似たソレは行き場のない怒りを抑え込むのに十分な役割を果たしてくれた。そして怒りをある程度静めたところで、オリヴァーの思考はある魔獣の事に切り替わった。


(だが、長引いたおかげで良い事もあった。ハンターギルドに居た貝の魔獣……確かロックシェルとかいう種族だったか? ヤツの貝殻を覆っていた鉄のような鉱物、山師であった吾輩の眼力からしてアレは極めて価値の高い聖鉄に間違いない!)


 オリヴァーがハンターギルドでロックシェルを見た瞬間、まるで雷を受けたかのような――それこそ一目惚れと言っても過言ではない――衝撃的な感動を覚えた。その感動は奇妙奇天烈な珍品を好む成金貴族としてではなく、嘗て彼自身が生業としていた山師としての感動が大部分を占めていた。

 傷一つない聖鉄は宝石に勝るとも劣らぬ眩い光沢を放ち、光の角度によって虹色に輝く様は神々しいまでの美しさがあった。山師として宝石の原石や鉱物を数多く目の当たりにしてきたが、あんな素晴らしい物を見たのは生まれて初めてであった。

 今までは多少の興味を抱けば直ぐに金の力で手に入れ、そして発作のような飽き性が起こっては手放すというのが常であった。しかし、今回は違う。燃え上がる情熱的な恋に狂う乙女のような感情――ロックシェルを心底欲する欲望――が彼の胸の内に沸き上がっていたのだ。


(あのロックシェルを絶対に手に入れてやる! どうやら従魔らしいが、貧乏人には不釣り合いだ! 吾輩のような全てを手に入れた人間が所有してこそ、初めてロックシェルの価値が見出されるのだ!)


 そんな欲望めいた野心を秘めなががらも、オリヴァーは貴族をもてなす柔和な笑みを浮かべて自分のドス黒い思考を他者に感知させなかった。そして夕食会が終わる事には、彼の脳裏に一つの姦計が編み出されていた。


次回更新は明後日の予定

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