第118話 闘技場

「此処かいな?」

「ああ、此処だ」


 賊徒の一人に取り付けたビーコンの反応を追い掛けると、ヤクト達の前に茅葺屋根の小屋が現れた。狭い拓地に築かれているという事もあってロイヤルガーデンの壮大な自然と景観を全く損ねておらず、上手い具合に溶け込んで一体化しているようにも見える。


「ガーシェルちゃん、何処にも居ないよー?」

「恐らく何処かに隠されているのだろうな」


 植えられた雑木林の茂みから三人がひょっこりと顔を出し、視線の先にある茅葺屋根の小屋を凝視する。しかし、彼等が探している目当てのものガーシェルは見当たらず、ヤクトは横目でクロニカルドを盗み見ながら事実確認を求めた。


「目ぼしいモノはおろか、見張りの姿もあらへんけど……ほんまに此処で間違ってへんのやろうな?」

「間違いない、ビーコンは此処で途切れている。となれば、賊徒は小屋に逃げ込んだと見るのが妥当だろう」

「せやけど、俺っち達を襲った賊徒の数は計20人。その人数に対して、あの小屋の大きさを考慮すると、全てを収容し切るのは無理やで」

「となると、小屋の中に地下通路的なものがあると見做すべきだろう。だが、恐らく小屋の中にも見張りなり門番なりが居る筈だ」

「どっちにしろ、小屋の中に入らなあかんっちゅー事やな。さてさて、どないして相手に気付かれる事無く忍び込もう……」


 小屋の内部へ潜り込む手段を考えようと視線を前に戻そうとした時、アクリルが不意に「あれ?」と不思議そうに呟いた。


「どうしたのだ、アクリル?」

「あそこに誰かいるよ?」


 アクリルの視線は小屋の外れへと向けられており、それに便乗して視線のレールを辿ると、小屋の背面に広がる雑木林の中から誰かが建物へ近付いていくのが見えた。しかし、雑木林の舞台袖は思った以上に光量に欠け、木々が折り重なった影のベールが人物を巧みに覆い隠していた。


「誰だ?」

「誰やろ……いや、待て。アレは―――」


 日光のスポットライトが降り注ぐ表舞台に人物が足を踏み込んだ途端、遠目からでも分かる巨大な乳と美女も霞むほどの美貌が明らかとなった。それに見覚えのあったヤクトは声を殺しつつも思わず口に出してしまう。


「――カクレイ!?」



 角麗が茅葺屋根の小屋へ無造作に近付くと、小屋の中から四人の男が飛び出して彼女を取り囲んだ。各々の手にはバトルナイフ――刃渡りがソードとナイフの中間に当たる短剣――が握られており、鋭い輝きを放つ刃の切っ先は言うまでもなく彼女に向けられている。


「へっへっへ、こんな辺鄙な場所で何をしているのかぁ~。お嬢さ~ん?」

「美しい女性が森の中でウロウロしてたら、危険な狼に食われちまうぜぇ?」

「そう、例えば俺達みたい―――げぎゃっ!」


 女性の左手に立った男の言葉は長くは続かなかった。言葉の途中で角麗がサッと目にも止まらぬ速さで腕を伸ばし、ナイフを握っていた男の親指を捻り上げるようにして圧し折ったからだ。骨を折られた激痛に耐えられず男がナイフを落とすや、彼女は鋭い右の掌底を繰り出して男の団子鼻を文字通り押し潰した。

 悲鳴を上げる間も無く仰向けに倒れ込んだ男を周囲の仲間が目で追い掛け、そして彼の顔を覗き込んでウッと言葉を詰まらせた。既に意識を飛ばした男の顔は、団子鼻が陥没して顔面にめり込むという身の毛も弥立つ整形で大幅に変わり果てていたからだ。

 悪人のような顔をした男達が揃いも揃って言葉を失っていると、凍り付いた空気にそぐわない鈴を転がすような可愛らしい声が彼等の鼓膜を擽った。


「狼というのは気高い生き物なのですよ。貴方達の場合は薄汚い野良豚ではございませんか?」

「テメェ!!」

「ブチ殺してやる!!」


 それまでドン引きにも似た凍て付いた空気は、角麗のあからさまな挑発によって触発された男達の怒気によって瞬間解凍された。そして怒りに駆られた三人が一斉に襲い掛かるが、標的として睨まれた彼女は微塵の動揺も見せなかった。

 右手の男がナイフを突き出して飛び掛かるも、彼女は軽く身を後ろへ引いて攻撃を難無く躱す。そして擦れ違いざまに踵落としを頸椎に叩き込んで意識を刈り取ると、すかさず男の首筋を掴んで後ろから迫っていた男に対する盾にする。

 背後から彼女を襲おうとしていた男はコレに反応し切れず、そのまま盾にされた仲間の胸にナイフの刃を沈めてしまう。敵を殺す事に容赦は無くても、仲間を(それも予期せず)刺してしまった事に動揺して思考と行動が停滞する。

 その瞬間を見逃さなかった角麗は盾代わりにした男を踏み台にし、動きが止まった相手の背後に回り込むや腹パンならぬ腰パンを叩き込んだ。しかし、その威力は格闘家というだけあって絶大だ。


「ぐげえ!!」


 骨が粉砕されるような音と共に背後の男は地面に倒れ、あっという間に正面から襲う筈だった男だけが取り残された。女に負けたくないという男としての矜持もあったが、彼は矜持よりも生存や利益を選ぶタイプだった。

 自分だけではどうにもならないと正しい判断を下し、仲間を呼ぶべく小屋へ駆け込もうと振り返ろうとしたが――。


「はーい、御急ぎのところ悪いけど急停止してくださーい」

「は!? うげっ!?」


 ――回れ右をした矢先に首元にラリアットを引っ掛けられ、そのまま男は地面に抑え込まれた。何が起こったのか分からなかったが、少なくとも自分にラリアットを仕掛けた相手は見覚えのない男……即ち自分の仲間ではない事だけは確かだった。

 しかし、角麗の方は違ったらしい。それまで剱山のような鋭い殺気の棘が瞬く間に抜け落ち、本来の優しい空気を纏うや彼の名前を叫んだ。


「アナタは……ヤクト殿!?」

「よっ、先程振りやな」


 そう言ってヤクトは角麗に向かって気さくに指を振った。



 天井に備え付けられたライトストーンの巨大シャンデリアが眩い光の雨を降らし、柔らかな砂地で敷き詰められた円形闘技場コロシアムの舞台を照らし付ける。会場の周囲は天井まで繋がる金網で仕切られており、その向こうではなだらかな観客席に腰掛けた大勢の人間が狂気で熱した眼差しを此方へ投げ込んでいる。


「ロックシェルとは珍しい魔獣じゃねぇか、俺はアイツに賭けるぜ!」

「バカか! 貝が陸地で動ける訳がねぇだろ! 此処は向こうに賭けるのがベターだろう!」

「それよりも対戦する魔獣は一体どんなヤツなんだ?」

「そんなもんどうだって良いだろ! 早く殺し合いを始めろよ!」


 既に私がコロシアムの舞台に移ってから三十分近くが経過しているが、未だに試合が始まる気配はない。そもそも私が此処に立ったのは、私を一時間後のデビュー戦に出すとドーカクが宣言してから三十分後の事だ。つまり、デビュー戦まで時間はあるという事だ。

 どうしてなのかと不思議に思って周囲の関係者の言葉を盗み聞きすると、初試合を行う魔獣は観客達にお披露目する決まりがあるらしい。要するにパッと見で強いか弱いか、賭けるか否かを決める品定めみたいなものだ。

 お披露目の為にコロシアムの舞台へ引き摺り出されたのは未だ許せる。何もせずジッと待つのも苦ではない。しかし、観客達の欲望で煮え滾った熱視線と汚い野次に晒されるのは真っ平御免だ。

 四方八方から向けられる目や声に意識を囚われないよう無心を心掛けてはいるが、流石の私も下らない喧騒に包まれた状況に長時間放置されるとなれば、辟易を覚えずにはいられなかった。

 だが、私が登場してからきっかり三十分が経った瞬間、突如闘技場内に司会やナレーションに適した男性の透き通った声が響き渡った。


「皆さま! 大変長らくお待たせしました!! 只今より魔獣闘技モンスターバトルを開催いたします!!」


 開催の宣言によって観客達の興奮は最高潮に達し、万雷の拍手と鼓膜を劈く歓声で会場内の空気が沸き立つ。やがて周囲の昂ぶりが若干落ち着いたのを見計らい、司会者自身も興奮を押し隠そうと努める甲高い口調で言葉を走らせる。


「今回の闘技に初参加となるロックシェル! 硬い岩盤に身を固め、高い防御力が売りの魔獣でございます! しかも、今回のロックシェルは貝でありながら外で活動するという物珍しい個体! どのような活躍を見せるのかが楽しみです!」


 いやぁ、そんな期待されても困りますって。私は貝なんですから。というか、アクリル達が無事かどうかが気掛かりなんですけど……。あっ、そうだ。此処を潜って逃げ出せば―――


「尚、この闘技場は魔獣の逃走防止も兼ねて結界が張られております。ご安心して最後まで観戦して下さいませ」


――と思った矢先に否定されちゃいました。畜生、こういう時に限って悪役が有能過ぎて嫌になっちゃいますね。


「それでは早速試合を開始致します!! 本日の勝負はロックシェルとアントリオです!!」


 司会者が賭け試合で戦う魔獣の名前を告げると、私の正面向かい側に魔法陣が出現し、陣の縁に沿って眩い光の壁がせり上がる。そして魔法陣が消滅するとスーッと光の壁も消失し、中から三つ首の巨大アリが現れた。

 成る程、アント三人組トリオだからアントリオって訳ですね。しかし、この世界の魔獣は何で駄洒落みたいな語呂を合わせた名前が多いんですかね。まぁ、それはさて置いて……性能ステータスは如何ほどか見てみましょうかね、鑑定!!


【アントリオ:中位種に属する昆虫魔獣。女王アリを守るナイツアントが突然変異を起こして三位一体となった。頭を三つ宿しているが意思は一つに統一されているので、行動するにあたって何ら問題は無い。

 巨大な咢は地面を掘り進めたり、硬い岩盤を噛み砕くのに用いられる。また咢の中に強力な神経毒が仕込まれており、その毒で噛まれた魔獣は身動きが取れなくなり、そのままアントリオ及びアント族の餌になる】


【種族】アントリオ

【レベル】22

【体力】5500

【攻撃力】6000

【防御力】3900

【速度】3900

【魔力】3000

【スキル】岩食い・岩盤彫り

【攻撃技】体当たり・噛み砕き・毒咢

【魔法】岩魔法・毒魔法


 ステータスはまぁまぁですが、今の私の敵ではありませんね。余り敵の掌で踊るのは好きではありませんが、こんな所でやられるのもアレですし……丁度良い練習相手だと前向きに捉えて頑張るとしますか。


「「「ギチギチギチ!!!」」」


 アントリオが咢をガチガチと鳴らしながら威嚇の声を上げ、毒魔法と岩魔法を組み合わせた『毒砂塵』を吐き出した。

 もしも常人であれば砂塵を浴びた途端に毒状態となり、目に入れば最悪失明も免れなかっただろう。しかし、毒無効のスキルを持つ私には無意味ですよ。単なる砂塵を浴びせられているに過ぎません。


『ガイアウェーブ!』


 天を貫くかのような鋭く切り立った岩山が砂地を突き破り、怒涛の津波となって毒砂塵を押し返す。そして岩の津波は進路上に居たアントリオを巻き込み、そのまま闘技場を囲む壁へと激突した。

 過激なシーンに観客達から興奮の声が上がるが、私の勘は『まだだ』と告げていた。案の定、ガイアウェーブで押し潰されたかに思われたアントリオは砂地に生えた岩山を割って外へと這い出し、三つの咢を私に向けて怒りの咆哮を放った。


「「「ギィィィィ!!!」」」


 すると砂地の地面がグネグネと波打つ海面のようにうねり始め、次の瞬間には大量の砂が津波となって私に覆い被さってきた。成る程、先程の津波に対する意趣返しというヤツですね。

 しかし、こう見えて私も砂中で活動するのは得意なんですよ。スキルの恩恵で砂を掻き分けると言う感覚ではなく、私の周りに張られた不可視のバリアに沿って砂が勝手に逸れていくかのようだ。おかげで何の負担も無くスイスイと砂中を泳ぐ事が出来る。

 そしてジェット噴射で一気に砂上へと急浮上し、アントリオの真下から飛び出した。海面から垂直に飛び出すクジラの如き勢いで浮上した事もあって、その凄まじい衝突力を無防備な腹に受けたアントリオは思わず仰向けに引っ繰り返ってしまう。

 死に掛けの虫のように六本の足をジタバタと暴れさせていたが、やがて足の動きが徐々に鈍くなっていき、最終的には仰向けの恰好のままアントリオはピクリとも動かなくなった。


『ふぅ、どうやら効いたみたいですね』


 実は急浮上して激突した際、体当たりがてらに相手の肉体に麻酔針を突き刺しておいたのだ。と言っても最初からコレを狙っていたつもりはなく、精々これで相手が眠ってくれればなぁ……というあわよくば程度の期待しか抱いていなかった。

 しかし、相手が動かなくなったとなれば試合も終了する筈だ。そう思っていたが観客席から予想外のブーイングが飛んできた。


「何やってるんだ! さっさとトドメを刺せ!!」

「このヘタレー! 何モタモタしてんだー!」

「殺れよ!! さっさと殺れー!!」


 どうやら私に向かってブーイングを飛ばしているのは、私に賭けた観客達のようだ。てっきり相手が戦闘不能になれば終わりかと思っていたが、この違法な賭け試合はどちらか片方を潰さなきゃ終わらないみたいだ。

 馬鹿馬鹿しい、何で私が貴方達の要求に応えないといけないんですか。そもそも此方は拉致られた挙句、無理矢理に戦わされていると言うのに理不尽にも程がある。沸々と込み上がる怒りは私を意気地にさせ、遂には巌のように微動だにしなくなった。

 無論、そんな私の態度に周囲は非難轟々だ。でも、何を言われても私は動きませんよ。と、ボイコットをしていると向こうも諦めたのかアントリオの真下に魔法陣が現れ、次の瞬間には光に包まれて何処かへと飛ばされた。

 

「えー、先程の試合はロックシェルの勝利とさせて頂きます」


 アントリオが居なくなったのと同時に差し込まれた司会者の声には、気まずさから来る乾きが含まれていた。戦いの内容に不満を覚えた観客から文句が噴出するが、私としては「これで漸く御終いか」という安堵感が強いですけどね。取り合えず、さっさと私を此処から―――


「そして只今、支配人より提案を受けました。本日は特別試合……バトルロワイヤルを開催します!!」

『……へ?』


 司会者が宣言した途端、私の周囲に三つの魔法陣が現れた―――そう、三つもだ。そしてそれぞれの魔法陣から転送された魔獣達が闘技場に足を踏み入れると、不満タラタラだった観客達のテンションは一転して最高潮に達した。


「バトルロワイアル……即ち、問答無用の殺し合いであります!! この魔獣達には互いに戦って貰い、最後の一匹として生き残った魔獣が今宵のメインイベントに挑む権利を獲得します!!」

『……嘘でしょ』


 対する私はテンションが底を突き破る勢いで急降下し、引き攣った声しか出せなかった。

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