第115話 南方道の怪

ガツガツガツ……


「嘘やろ……」


ガツガツガツ……


「ふぁ~、すご~い……」


ガツガツガツ……


「まさか、これ程とは……」


ガツガツガツ……


『人って見掛けに寄りませんね……』


ガツガツガツ……ゴクンッ


「すいません、おかわりを頂けませんでしょうか?」

「あ、ああ……」


 空になった御椀を両手で突き出し、絶世の東洋美女は天女の微笑みを彷彿とさせる控え目な笑顔を浮かべながらおかわりをヤクトに要求した。

 御椀を受け取ったヤクトは思わず笑みを浮かべるが、それは美人に惚れ込んだ下心丸出しの笑みではなく、ドン引きした本心を押し隠そうとする引き攣った笑みだった。

 あの後、セーフティーハウスから出た三人は目前で倒れていた謎の女性を見て大騒ぎになったが、彼女の胃袋からけたたましい空腹のサイレンが鳴り響いている事に気付いた。

 そしてヤクトが朝食を準備してやれば、まるでゾンビが目覚めるかのように女性は素早い動きで起き上がり、目の前にあった食事にがっつき始めたのだ。

 食事を食べる元気がある事に誰も彼もがホッと胸を撫で下ろしたものの、ここで思わぬ大誤算が生じた。彼女は異常なまでの大飯喰らいだったのだ。大の大人でも御椀に入ったマイを二杯分食べれば腹が張るという所を、彼女は瞬く間に十杯も平らげてしまった。

 流石にヤクトが朝作った分では足りなくなり、旅路の最中に作った余り物も緊急出動させる羽目になった。無論、一つ残らず完食でございます。

 アクリルは角麗の食いっぷりを「すごい」と言って無邪気に誉めているが、ヤクトとクロニカルドは美女の思わぬ裏の顔を知って複雑な表情を浮かべている。

 最終的に二十杯もの茶碗飯を平らげ終えた所で胃袋が満たされたらしく、彼女は恍惚の笑みを浮かべながら御満悦の溜息を溢したが、すぐに表情を引き締めてヤクト達を見据えた。


「この度は誠に有難うございます。空腹で行き倒れてたところを救って頂き、感謝の言葉もありません。申し遅れましたが、私の名前は角麗かくれいと申します」


 そう言って角麗は書道家も顔負けの美しい正座を作ると、地面に手を付けて深々と頭を下げた。要するに土下座である。礼儀正しい上に律儀な態度から彼女の生まれの良さが窺えるが、残念ながら私を含めた男達の着眼点は彼女の素晴らしい素行に目を向けていなかった。

 角麗が身体を折り畳んだ際、太腿に圧迫された爆乳……いや、弩乳が脇へと食み出すように溢れて存在感を大々的にアピールしていた。それに貝と若者と本の視線が釘付けられてしまうのだが、当の角麗は男達の浅ましい視線に気付いていなかった。

 だけど、これだけ凄まじい乳をしているのにスタイルが崩れないどころか、抜群を維持しているのも恐れ入る。顔立ちも小振りで凛とした美しさがあり、腰元まで伸びた黒髪は黒真珠のように、そして肌は白真珠のように透き通っている。

 欠点の付けようがない極めて完璧な東洋美女と呼ぶに相応しい。だからこそ、空腹で行き倒れてしまう残念な大飯食らいという個性キャラが悔やまれる。

 そして彼女にはもう一つの特徴があるのだが、唯一弩乳に見惚れていないアクリルがソレについて言及した。


「おねーちゃんの頭、ツノがはえてるー」

「はい、私は牛の獣人ですからね。これは私達の種族の誇りでもあるんですよ」


 角麗は頭を持ち上げると、心優しい教師のような丁寧な口調でアクリルに自分の特徴を教えた。

 彼女の側頭部からは闘牛のような雄々しい白角が一本ずつ生えており、種族の誇りと言うだけあって、太陽の輝きを反射する程に磨き抜かれたソレは芸術品に匹敵する洗練された美しさがあった。

 そう言えば牛の胃袋は複数あると聞いた事があるが、彼女みたいな牛の獣人も体内の構造は牛寄りなのだろうか? だとすれば、これほど食べるのも逆に納得がいく。


「獣人でその服装……ひょっとしてアンタ、此処から遥か東にあるトウハイの生まれなんか?」

「あら、トウハイを御存知なのですか?」

「その独特な服装は一度見たら忘れられへんからなぁ」


 弩乳に目と意識を奪われていたかに思われたヤクトだったが、意外にも思考の方はちゃんと働かせていたらしい。種族と服装で出身地を割り出された角麗は、驚きながらも故郷の名前を知っている人と出会えた事に喜びを覚え、嬉しそうにはにかんだ。

 出身地を割り出すきっかけとなった彼女の服装は、銀縁の刺繍が施された純白のチャイナドレスだ。肩の付け根から先が剥き出しになっており、腰元まで伸びたスリットから艶やかな太腿が惜し気も無く曝け出されている。身も蓋も無い言い方をすれば、近年の格闘ゲームに見られるタイプだ。


「俺っちの記憶が正しければ、確かトウハイにおいて女の格闘家ファイターが身に着ける服装やった筈や。もしかしてアンタも……?」

「ええ、そうです。私はトウハイにある十二神闘流の一派である、牛闘流ぎゅうとうりゅうの師範を務めております」

「じゅうにしんとうりゅう? ぎゅーとーりゅー?」


 聞きなれない単語にアクリルは小首を傾げながら言葉を繰り返す。


「十二神闘流はトウハイ発祥の武術の流派です。元々は神闘術という強大にして圧倒的な一つの武術だったのですが、その武術の内容は複雑且つ多岐に渡るという極めて膨大なものであり、とてもじゃありませんが個人が全てを伝承するのは不可能でした。

 そこで神闘術を学んでいた十二人の弟子はそれぞれの流派を作り、各々が得意とする武術に合わせて神闘術を取り入れるという画期的な方法で伝承を守ったのです。これが十二神闘流の始まりと言われております」


 成る程、十二の流派が神闘術という武術を分け合ったから十二神闘流なのか。そして彼女が受け継ぐ牛闘流も、その一つという訳ですね。


「ですが、このような場所で故郷の事を知っている人と出会えるとは思いませんでした。ええっと……失礼ですが、お名前は?」

「ああ、そういや自己紹介がまだやったな。俺っちはヤクト。こっちの小さいお子様はアクリルで、巨大な岩みたいやけど貝の魔獣で名前はガーシェル……アクリルの従魔や」


 初めまして……と泡の吹き出しを出すと驚かれるかもしれないので、岩のような貝殻の隙間から触腕を覗かせて「魔獣ですよ」と遠回しにアピールするに留めておいた。


「まだ小さいのに、こんな立派な従魔を持っているなんて凄いですね」

「うん! ガーシェルちゃんはとってもすごいんだよー!」

「ふふっ、そうなのですか」


 いや、角麗が誉めているのは私ではなくアクリルなんですけど……。まぁ、どちらにせよ可愛いから許します。


「そんでもって、此方の宙に浮いている本が―――」

「クロニカルドだ」

「……言葉を喋る本? まさか―――」


 一瞬角麗の眉間に皺が寄るが、彼女が懸念を吐き出す前にクロニカルドが否定を挟む。


「この世界にとって良からぬナニかを封印した魔導書なのではと勘繰っているのだろうが、先に言っておく。断じて違うとな。己は遠い昔に実在した魔道士であり、物体に魂を定着させる魔法を己自身の魂で行ったのだ。その結果が、この姿なのだ」

「そ、そうなのですか……」

「安心しぃ、この本の皮を被った魔道士やけど腕は確かやし倫理もちゃんと弁えとる。強いて言えば頑固な上にポンコツなのが偶に傷やけどな」

「ええい、余計な事を言うでない!! 不敬であるぞ!!」


 二人の遣り取りに毒気が抜かれたかのように呆ける角麗だったが、ヤクトの言う通り深い危惧を抱く必要は無いと悟り笑みを零した。だが、その笑みは長続きしなかった。


「ところで……腹を空かして行き倒れになっていたのは兎も角、何でトウハイから態々此処までやって来たのか教えてくれへんか? それも牛闘流の師範ともあろう人が此処まで態々来るなんて、何か余程の事があるんちゃうか?」


 そう言ってヤクトが好奇心と真剣さを混合させた視線を投げ掛けると、角麗を取り巻く空気が一変した。万物を温かく迎え入れる陽気な春の温かさから、全てを虐げる冷徹な真冬の寒さへと。この空気の変化が意味するのは―――何人たりとも寄せ付けない『』だ。

 事実、それまで表情に浮かべていた柔和な笑みは跡形も残っておらず、代わって一切の感情を凍らしたような薄暗い真顔が美女の顔を支配していた。それでも美しさが微塵も欠けていないのが逆に恐ろしく思えてしまう。

 そんな凍て付いた表情で私達から(精神的に)一定の距離を置くと、彼女は軽く目を伏せながら口を開いた。


「申し訳ありません、個人的な理由ですので……答えは避けさせて貰っても宜しいでしょうか?」

「何か言えない事情でもあるのか?」

「強いて言うなれば、此処へ来たのは私に与えられた使命を全うする為です。どのような使命なのかに関しては、例え肉親や恩人であっても御話しする訳にはいきません。この無礼、お許し下さい」


 そう言って角麗は頭を下げ、再び顔を上げた時には元の柔和な表情に戻っていた。一見すると凍て付いた感情が解凍されたかに思えたが、彼女の目の奥底には氷塊のような固い意志が鎮座していた。それを見て取ったヤクトは追及を断念し、次の話題へと移った。


「分かった。せやけど、アンタはこれからどうするん?」

「私は使命を果たさなければならないので、此処で皆さんとお別れとなります」

「おねーさん、もういっちゃうの?」


 アクリルが寂し気な表情で「もう少し一緒に居たらどうだ」と言外に語り掛けて来るが、角麗は申し訳なさそうに苦笑しつつもやんわりと首を横に振った。


「ごめんなさい、アクリルさん。ですが、使命を終えたら一飯の恩を返させて頂きます。必ず」

「やくそくだよ!」

「はい、約束です」


 その遣り取りを最後に、角麗は踵を返してワイルドガーデンの中へと溶け込むように姿を消した。遠ざかっていく彼女の後ろを見送り、やがて気配も無くなった頃にヤクトも地面から腰を持ち上げた。


「ほな、俺っち達もそろそろ行こうか。此処を抜けたら王都まで残り僅かや。」

「そうだな、さっさと抜けてアクリルの両親を探すとしよう」

「うん!」



 暗黒時代の終焉によって発展を成し遂げたのは、クロス大陸を制覇したラブロス王国だけではない。同時期に発足した組合ギルド――ハンターや商人の活動を支援する組織――も戦後に巻き起こった経済成長の荒波に乗り、急激な勢いで組織を拡大させていった。

 気が付くとギルドはクロス大陸の各地に支部を置くほどの大組織となっており、今日におけるラブロス王国の経済を動かす重要な歯車として、無くてはならない唯一無二の存在となっていた。

 そのギルドを統括する本部は王都の一角に置かれていたが、その規模たるや他の支部と比べて遥かに桁違いだ。英国美術館のような厳格な雰囲気を纏った建造物が、王都の約三割を占める広大な敷地の上に鎮座し、一見すると贅を尽くした成金の嗜好に見えなくもない。

 だが、堅苦しい見掛けとは裏腹に内部は最先端のデパートのような構造になっており、巨大なドーム状の天窓が眩い日光を擦りガラス越しに取り込み、室内の明かりを確保している。

 広大な吹き抜けを見上げるように各階層へ目を配らすと、食堂・鍛冶屋・武器屋・医療場・求人場などが軒並みを連ねており、中には美容院や雑貨店と言った普通の店までもが置かれてあった。

 これがハンターギルド本部の日常であり、王都で活躍するハンター達の我が家ホームでもあった。しかし、そのホームに屯する一部のハンター達の間では、ある不穏な噂で持ち切りだった。


「なぁ、聞いたか? 近々南方道サウスロードが封鎖されるって噂」

「ああ、聞いたぜ。何でもあそこで失踪者が続出したから、政府も重い腰を上げて封鎖に踏み切ったんだろ?」

「そうそう、既に商隊が十部隊近くも消息を絶っているらしいぜ。最初は勝手に商品を持ち逃げした個人的な犯行かと思ったら、その後も南方道で失踪者が出たもんだから、集団失踪事件だと認識されたんだとさ」

「物騒な話だ。にしても、失踪者が続出したと耳に挟んでるけどよ、そんなに大勢の人間が消えたのか?」

「らしいぜ。何せ失踪したのは商隊だけじゃない。中堅のハンターチームとかも南方道を通っていた最中に、まるで霧のように消えちまったらしい」

「おいおい、ハンターまでもかよ。そりゃ恐ろしいな」

「ああ、だけど特に多いのはテイマーらしいぜ」

「テイマー? 何でまたテイマーなんだ?」

「俺に聞かれても知らねぇよ。だから、もし南へ向かうとしたら船を使って遠回りするしかなさそうだぜ」

「おいおい、移動費が馬鹿にならねぇじゃねぇか。そこら辺、ギルドが保障してくれるのかよ?」

「さぁな。この事態が解決するまでの辛抱らしいが、それも何時になる事やら……」

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