第110話 解呪の儀式

 湿地帯を二分したアマゾネス族とレッドオーク族との戦争が終わってから二日が経過し、私は早朝の湿地帯に足を……いや、キャタピラを踏み入れていた。

 嘗て猛威を振るっていた瘴気は息を吹き返した自浄作用によって湿地帯から一掃され、東の彼方から差し込んだ眩い朝日が一ヶ月半振りに湿地帯を照らしていた。

 柔らかな葉のベッドの上に乗った朝露が、陽光を浴びて宝石に勝るとも劣らぬ美しい輝きを放つ。単体では存在感と感動が小さくてついつい見過ごしてしまいそうだが、それが無数となってシャンデリアのように均等の輝きを放って煌く光景は絶景であり、思わず足を止めてじっくりと眺めたい欲求に駆られそうになった。


「おい、ガーシェル。何足を止めてるねん、はよ行けや」

『あ、すいません』


 無意識に足を止めてしまうと、即座に後ろからゲシッと蹴飛ばされる感触が走る。視線だけを後ろに振り向ければ、私が足を止めて道を塞いでしまったせいで背後に居る二人――ヤクトとクロニカルド――が満足に進めなくなっていた。

 因みに両腕に重傷――左腕は複雑骨折、右手は粉砕骨折――を負ったヤクトだが、既にクロニカルドの高位治療魔法を受けたおかげで完治している。しかし、何をどうしたら、あんな大怪我を負うんでしょうねぇ。不思議で仕方がありませんよ。

 私は謝罪の吹き出しを出すやすぐさま移動を再開して、数m先を進むアーネラルとシャーマン達の後を追い掛けた。

 私達が早朝の湿地帯に足を運んだのは、湿地帯の美しさを満喫する自然ツアーをする為ではない。アクリルの呪いを解く為だ。実はアクリルに掛けられた呪いを解くのに必要となる『解呪の儀式』を行うには、竜の眼へ赴いて精霊達の力を借りなければならないのだ。

 しかも、精霊達の力を存分に発揮するには、清らかな自然の力も借りなければならない。即ち、瘴気で穢れてしまった状態(オークラーケンが去った直後も、多少の穢れが池に残っている)では満足に力を発揮出来ない上に、解呪の儀式を執り行う事も不可能という訳だ。

 なので、昨日は丸一日掛けて竜の目の清浄化に取り組んだのだ。私が持つ浄化スキルで水を濾過して僅かな汚染も取り除き、聖魔法をフルに活かして底に残っていたヘドロや瘴気の残渣を排除する。

 そんな途方もない作業を延々と繰り返し、何とか真夜中には元の状態に仕上げる事が出来ました。いやぁ、我ながらアレは厳しかった……。

 そのおかげで最初は一匹しか見掛けなかった精霊も、浄化が完了した頃には三十匹以上も増えていた。アーネラル曰く『精霊の数が多ければ多いほど、その土地は自然に愛された証拠』だそうだ。

 朝を迎えた湿地帯の中を進んでいくと、竜の目が私達の前に現れた。最初に見た頃は汚臭漂うヘドロの溜まり場となっていたが、現在では清らかな水に満たされた美しい湖畔の様相を成していた。

 先頭を歩いていたアーネラルを含めたシャーマン達が池の縁に足を踏み入れると、湖面から池に住まう水の精霊達が続々と現れた。まるで彼女達がやって来るのを今か今かと待ち構えていたかのように、一団の周囲をクルクルと舞うように旋回する。


「ほぉー、これが竜の目に住まう水の精霊ってやつかいな」

「精霊は自然界の何処にでも存在するが、その中でも特に長い年月を経たものから誕生する。長寿の大木から、険しい山々から、そして幾千年と水を湧き出す泉から……この竜の目も、その一つなのだろう」


 やがてシャーマン達の周りで回っていた精霊達は私の姿を見付けるや、まるで小鳥のように軽やかに空を滑って近付いてきた。


『ガーシェルだ』

『ガーシェル、ありがとう』

『私達の湖を取り戻してくれて有難う』


 精霊達は口々に感謝の言葉を告げ、オークラーケンから住処であり生まれ故郷でもある竜の目を取り戻した英雄に褒美のキスを落とした。見た目が年若い少女なだけに少し恥ずかしい気もしないでもないが、一方で嬉しいと思ってしまう自分が居る。

 ううむ、心理的に難しい所ですね……なんて考えていたら隣からゲシッと蹴られる感触が襲い掛かった。


「おい、何ニヤニヤしてるねん。この浮気者め」

『う、浮気なんてしてませんよ! あとニヤニヤもしてません! 第一ニヤけられる顔すらありませんよ!』

「へー、どうだかー。姫さんが聞いたら泣くんとちゃうかー?」

『ぐぐぐぐ……!』


 あ、アクリルさんは心が広いから許してくれますよ!……多分。というか、泣かれたら私が死ぬ。主に精神的な意味で。


「おい、静かにしろ。始まるぞ」


 クロニカルドが私達に静粛を呼び掛けた頃には、既に私の周りに集まっていた精霊達はシャーマン達の下へと戻っていた。そして精霊達に見守られる中、シャーマン達は湖面に足を付けた。

 普通の人間ならば即座に水中へ沈んでしまう所なのだが、彼女達が湖面に足を置くと足裏から波紋が描れるだけで沈みはせず、まるで水面を描いた舞台に立っているかのように悠々と湖面を渡り歩いていく。


『凄いですね……』

「これが精霊に選ばれたシャーマン……っちゅー訳かいな」


 一人、また一人と湖面を歩き、最後に残ったアーネラルがくるりと私達の方へ振り返った。


「ガーシェルよ、貴殿の主人を預かっても良いか?」

『あ、はい』


 アーネラルに促され、セーフティーハウス貝殻の中からお姫様抱っこにも似た格好でアクリルを取り出した。既に彼女を蝕む黒月は肉体の8割を満たしており、顔の右半分にもおぞましい三日月上の黒痣が描かれている。

 アクリルをアーネラルに手渡すと、老女はアクリルを我が子のように抱きかかえながら湖面に踏み入った。スッスッと高齢を感じさせないしっかりとした足取りで水面を歩くように進み、やがて湖の中央に到達すると長老の周りを若きシャーマン達が取り囲んだ。


「我等を守り、我等を癒し、我等に恵みを与えてくださった精霊ならびに聖霊様にお願い致したく候。この身を蝕む邪悪な呪を取り除き、若き命に祝福と希望を与えてくれんことをかしこみかしこみ申し上げます」


 アーネラルが深々と御辞儀をし、それに合わせて他のシャーマンも頭を下げる。そして最初に頭を上げたのは若いシャーマン達だった。舞を奉納するかのように骨と木の棒を組み合わせた錫杖をカランカランと振り回し、踊りながらアーネラルの周りを歩き出した。

 それから暫くすると、水中から何かが浮上するかのように彼女達の正面に広がる湖面が盛り上がった。だが、ソレは頭に被った水を切らして姿を現すどころか、循環でもしているかのように延々と頭から水を流し続けている。まるで日本の妖怪に登場する海坊主のようだ。

 やがて海坊主は徐々に形を変え始め、最終的には3m程の巨人を形作った。目視用の穴が開いただけの仮面を彷彿とさせる寂しい表情だが、肩の丸みや全体的な線の細さ、そして張り出した胸元と腰ほどにまで伸びた長い髪は、確実に女性の特徴を掴んでいた。

 水の巨人……いや、恐らく彼女こそ精霊達の長的存在である聖霊なのだろう。聖霊はアーネラルが差し出したアクリルを両手で掬う様に持ち上げ、そのまま両手で大事に覆い隠すようにゆっくりと閉ざした。


『聖霊の名に於いて、汝を救済せん』


 彼女が救済を宣言するのと同時に、白光が閉じた掌の隙間から溢れ出した。太陽の陽光に負けないが、それでも眩さを感じさせない優しい光だ。そして光が治まるとゆっくりと手を下げ、中に閉じ込めていたアクリルをアーネラルに手渡すように返した。


「どうなったんや?」

「分からん。だが、聖霊の力を借りたのだ。悪化する事は無いだろう」


 遠巻きからではアクリルの状態がどうなっているのか分からず、ヤクトもクロニカルドもアクリルの状態が気掛かりのようだ。無論、私もだ。

 やがて聖霊は湖面の中へと吸い込まれるように姿を消し、アクリルを抱きかかえたアーネラルとシャーマンの一団が私達の要る岸辺へと戻ってきた。私達が不安げな面持ちで見入っているのに気付いたのか、アーネラルは安堵の笑みをひけらかしながら腕に抱きかかえていたアクリルを私達に披露してくれた。

 それまで体中を埋め尽くさんばかりに広がっていた痣は綺麗に無くなっており、それまで息をするのでさえも苦しげだった苦悶の表情が消え、現在は穏やかな寝顔を晒している。


「呪いは……消えたんか!?」

「ああ、聖霊様の力で呪いは取り除かれた。この子の命が危機に晒される心配はもう無いよ」

「では、助かったのだな!?」

「そういう事だね。呪いを取り除けたのは聖霊様のおかげだけど、そもそもは聖霊様の住処を取り戻してくれたガーシェルのおかげだよ。本当に有難う、アンタのおかげで聖霊様だけでなく、聖霊様の守護者である私達シャーマンも救われたよ」


 そう言うとアーネラルはヤクトにアクリルを手渡し、私の方へと近付いて聖鉄に守られた貝殻を一撫でした。彼女の感謝の念が筋張った老齢の手から伝わってくるのを感じ取った直後、ヤクトの腕の中で大きな欠伸が聞こえてきた。


「姫さん!」

「アクリル!」

『アクリルさん!』

「うーん……!」両腕を伸ばして背伸びをし、次いで円らな青い瞳がパチリと綺麗に開かれた。「あれ? ここどこぉ?」


 無邪気な表情を閃かしながら辺りを見回すアクリルを見た途端、彼女が助かったのだという事実を漸く実感した。が、同時に強烈な安堵が襲い掛かり、それが引き金となったのか緊張やら何やらで忘れていた疲労が今更になってドッと溢れ出した。


「いや~、一時はどうなるかと思ったけど……無事で何よりやわぁ」

「やれやれ、心配したぞ……」

「ヤー兄? クロせんせー、皆どうしたのー?」

「あー、まぁ……姫さんの病気が治って無事になったんやから、安心しとるだけや。深い意味はあらへん」

「うむ、その通りだ。特にガーシェルが心配しておったぞ」


 そう言ってクロニカルドが私の方へ目を配ると、それに釣られたアクリルが私の方へ振り返りニパッと笑顔を綻ばせた。


「ガーシェルちゃん!」ヤクトの腕から降りたアクリルは、私の方へとてとてと駆け寄るやギュッと抱き付いた。「アクリル、元気になったよ!」

『ええ、本当に元気になって何よりです。念の為に聞きますけど、体に違和感とか異変とかあります? 痛みとかは?』

「うーん、なさそうだけど……」

『けど?』


 クゥゥゥ……


「おなかすいちゃった」


 ぺったんこのお腹から空腹のサインが響き渡り、アクリルは切なげな視線を自身の腹に注いだ。それを見てある者は朗らかに笑い、ある者は呆れながらも安堵の苦笑を溢し、私は進化したばかりの太い触腕で彼女を持ち上げて貝殻の上へと乗せた。


『それじゃ一度村に帰って食事にしましょうか。栄養あるものを食べて、しっかり精気を養いませんとね』

「ごはーん!」


 そして私達は来た道を戻り、アマゾネスの村へと進み始めた。しかし、その時の私は気付いていなかった。ヤクトがさり気無くアーネラルの方へ近寄り、コソコソと小声で遣り取りをしている事に。

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