第75話 三獣士

『疲れた~……」

「ガーシェルちゃん、おつかれー」


 キューラの研究から解放され、漸く外へと踏み出た頃には既に空は夜の蚊帳が下ろされ星々がチカチカと輝きを瞬かせていた。

 パラッシュ村ならば夜の訪れと共に外を出歩く人も疎らになるものだが、テラリアの繁華街は夜を切り裂くような眩い光に溢れ、昼間と変わらぬ人々の喧噪と活気で溢れていた。正に人の活気で満ちた都会らしい光景だ。


「しかし、研究と一言で言っても様々やな。正直、あんだけも長い時間が掛かるとは思わへんかったわ」

「己も同意見だ。だが、魔獣の研究も中々に興味深かったぞ。知の探究としては申し分無い」

「俺っちも魔獣の技や特性でインスピレーションを刺激される事はあるけど、流石に魔獣の研究はパスやわ。俺っちの性分に合わへん」

「いやー、アタシもガーシェルちゃんの研究データが取れたから満足だわ~」

「つーか、アンタもアンタや。何でまだ付いて来てるねん」


 ヤクトは呆れた面持ちを浮かべながら此方に振り返り、私の貝殻の上に乗っているキューラを見上げた。乗っていると言うよりも俯せで寝転がっていると言うべきか。兎に角、完全にリラックスしている。いや、そもそも何で未だに私達と一緒に居るんですかね?


「お主、所長としての仕事があるんじゃないのか?」

「だいじょーぶ! その為に部下という貴重な人材が居るんだから!」

「部下に仕事を丸投げすんなや!」

「良いじゃんかー! 今日は色々とあったんだから骨休みしたいんだからさー! それにまだ一緒に居たいんだよー!」

「明日もガーシェルちゃんに会えるよー?」

「知ってる! でも! お姉さんは! 一分一秒でも! 長くガーシェルちゃんと居たいの!」


 要するに本職の仕事を部下に丸投げしてでも、希少な魔獣と一緒に居たいと……何でこの人が従魔研究所の所長に選ばれたのでしょうか。流石にコレは人選ミスではありませんかね、国家の偉い人達よ。あとキューラさんや、寂しい振りしてアクリルさんに抱き付くのはやめなさい。


「やれやれ、ホンマに自由な奴やな……ん?」


 キューラへの言及を諦めてヤクトが前へ振り返った時、人々の歓声がテラリアを横断する大通りを埋め尽くした。何事だろうかと周囲を見回せば、人々の意識が町の門に集約されているみたいだ。

 何が嬉しい出来事でもあったのだろうかと勘繰っていると、頭上から「ああ、彼等が帰って来たんだね」と勝手知ったる口調で呟くキューラの声が降って来た。


「彼等って誰や?」

「確かヤクトちゃんは賞金稼ぎだって言っていたよね? だったら知っている筈だよ、三獣士さんじゅうしの事を」

「三獣士やと!?」

「何だ、知っているのか?」


 クロニカルドの質問を皮切りに、私達の視線がヤクトに向けられる。それに対しヤクトは童心に還ったかのような屈託のない明るい笑顔を浮かべながら三獣士について喜々と口にした。


「ああ、三人の従魔使い兼冒険者や。従魔はそれぞれ最上位種揃いで、それを従わせとる契約者もトップクラスの腕前を持っとる。この大陸で最強と呼んでも過言やあらへん」

「ほぉ、そんな凄腕の連中が居るのか。しかし、何故そんなにも嬉しそうに語るのだ?」

「当たり前やん! 俺達の業界やと超が付く程の有名人なんやで!? 一目でも会いたいって思うのが普通やろ!」

「それを言ってしまえば、今貴様と話している己は600年前は有名人どころか英雄と称されていた男だぞ? 一目会うどころか永遠に会う機会も無かったかもしれない、極めて貴重な存在なのだぞ? 崇めても良いのだぞ?」

「あっ、そう言う面倒で重いタイプは結構です」

「不敬であるぞ!!」

「あはははー、そっちの呪いの本も結構面白い事言うねー。それに個性豊かだし、嫌いじゃないよー」

「誰が呪いの本だ!! 己は列記とした―――もご!?」


 クロニカルドがキューラに間違いを是正しようとした矢先、横から伸びたヤクトの手によって口を塞がれる。


「ほれ、静かにせい! 三獣士が来たで!」


 興奮を抑え切れない声と共に、ヤクトは街道の中央へ目を遣った。街道に満たされていた人々の群れがモーゼの滝のように真っ二つに割れ、注目と称賛を一身に浴びる三人と三匹に道を譲る。

 一人目は際どいビキニアーマーを着た、ボーイッシュな髪形が似合う褐色肌の少女。胸は絶壁、アクリルよりも頭一つ分大きいぐらいの小柄な体躯、要するにロリ体型だ。

 しかし、その背後に背負っているサファイアブルーに輝く美しい大剣は、裕に彼女の背丈の倍以上を誇っている。

 そんな彼女の従魔は、稲妻のような一本角を額から生やした蒼い毛並みをした綺麗な狼だった。巨大なライオンに匹敵する巨躯を持っており、まるで伝説に登場するフェンリルのようだ。

 二人目は赤い長髪を丁髷のように束ねた、2mを超す筋骨隆々の大男だ。精悍な顔立ちと鼻上を走る横一文字の傷跡が相まって、ワイルドという印象を他者に与える。

 腰には山賊の頭領であったガロンが使用していたのと同じ、鈍器としても使用できる巨大手甲――鉄腕甲てつわんこう――をぶら下げているが、装飾や大きさは此方の方が遥かに勝っている。

 そして彼の背後からは、全身に大小様々なダイヤモンドを纏ったかのような巨大ゴーレムが微かに腰を屈めながらのっしのっしと彼の後を付いて来ている。ダイヤモンドの美しさに見惚れる女性も多いだろうが、その巨体から連想される力強さに男達もまた憧れの眼差しを飛ばしている。

 三人目は黒い外套と物静かな雰囲気を纏った美男子だ。艶のある浅黒い肌と獅子のような豪奢な黒髪、そして端麗な顔立ちと良い所を総取りしたかのような姿は、まるで前世の絵空話に登場しそうな世の老若男女を惑わすアラブの王子様みたいだ。現に彼が通り過ぎる度に、周囲の女性からキャーキャーと黄色い声援が上がっている。

 彼の背丈の4分の3に匹敵する程の長大な弓を背負っており、中距離から支援するシューターである事が窺える。そして彼の左肩には大鷹ぐらいの大きさをした鳥の魔獣が乗っかっている。炎を連想させる薄い朱色と濃い朱色のシンプルなツートンカラーで、鋭い猛禽類の眼差しには強者としての誇りと風格が満ちていた。


「わー、すごく強そうな魔獣だね!」

「ええ、その通りよ。魔獣だけでなく使役している皆も強いわよ~」

「すごーい!」


 幼いアクリルですら一目で強いと確信する程に、魔獣達から放たれるオーラは桁違いだった。そして彼等を使役する人間もだ。危険ではないと分かっていながらも、私の中にある危機感知スキルが誤作動を起こしそうだ。

 しかし、折角これだけも凄い魔獣に出会えたんだ。鑑定してスキルを調べてみよう。鑑定スキル、発動!


【名前】ライガー

【種族】サンダーウルフ

【レベル】35

【体力】9000

【攻撃力】22000

【防御力】10000

【速度】32000

【魔力】15000

【スキル】電光石火・自家発電・追跡・嗅覚・瞬足・疲労軽減特大

【従魔スキル】光魔法・居合い

【攻撃技】体当たり・噛み付き・鋭爪

【魔法】雷撃魔法・風魔法・速度強化魔法


【サンダーウルフ:青い毛並みを持つ狼型の上位魔獣。青毛の一本一本には莫大な電力が蓄積されており、不用意に触れようとする者は皆この毛から放出される雷撃の前に焼き殺されてしまう。

 また地上に存在する魔獣種の中でも韋駄天の如き瞬足を持っており、たった一晩で大陸の端から端を移動したという伝説もある。見る人の目を奪う美しい青毛は愛好家達の間で人気を博しているが、個体数が少ない為に希少価値も高く、市場に出ても高値は必至である】



【名前】コンゴウ

【種族】コンゴーレム

【レベル】33

【体力】70000

【攻撃力】55000

【防御力】480000

【速度】500

【魔力】30000

【スキル】剛壁・分解・鉱物摂取・鉱物探知・岩潜り・堅牢・反射

【従魔スキル】心眼・柔術・衝撃魔法

【攻撃技】体当たり・圧し掛かり・徒手格闘

【魔法】土魔法・大地魔法・融合魔法・防御力上昇魔法


【コンゴーレム:全身が金剛石ダイヤモンドで出来たゴーレム種の上位魔獣。金剛石が多く産出される鉱山地帯で目撃されると言われているが、金剛石自体が貴重なので個体数が少ない事に変わりはない。

 主な戦法としては高い防御力と豊富な体力に物を言わせて強引に接近し、インファイトへと持ち込む他、体の部位をバラバラに分解して奇襲を仕掛けるといったトリッキーな戦法も得意としている】



【名前】キール

【種族】バードラ

【レベル】30

【体力】7000

【攻撃力】17000

【防御力】9500

【速度】28000

【魔力】45000

【スキル】飛翔・火達磨・千里眼・鳥王ちょうおうの一声・火喰い・追い風

【従魔スキル】視野共有・業火・狙撃

【攻撃技】羽矢・鉤爪・啄み・火炎放射

【魔法】風魔法・炎魔法・速度上昇魔法・回復魔法


【バードラ:熱砂地帯に生息する鷲型の魔獣。死体を見付けて焼き払い、その肉を食らうという特異な習性を持っている事から、古くからバードラが生息する地域ではバードラを火葬神の使い、もしくは輪廻転生の象徴として崇めてきた。

 地味で小柄な見た目とは裏腹に戦闘力は高く、また鳥型の上位魔獣の中でも一握りしか会得出来ないレアスキル『鳥王の一声』を持つ。これは自身よりもレベルと階級の低い鳥類魔獣ならば、無条件で意のままに操れるという特殊スキルだ。

 因みにバードラのドラとはドラゴンを意味するのだが、バードラは鳥類魔獣でありドラゴンとは何の関係も無い。これはバードラがドラゴンのように火を噴いた場面を見た目撃者が、ドラゴンの新種だと勘違いした事が原因である】


 ヒエ……。何ですか、この強スキルと強さの持ち主達は。ヤバ過ぎるでしょう。こりゃ敵対したら、間違いなくコッチの命がありませんわ。まぁ、あんな凄い従魔を引き連れて人達と御近づきになれる事も無いので、その心配は無いでしょうけど。

 やがて三獣士の面々が冒険者ギルドが置かれた建物の中へ消えていくと、街道を煮詰めていた歓声も冷めて人々は各々の目的を思い出し、何事も無かったかのように再び動き出した。中には追っ掛けなのかファンなのか分からないが、数十人余りが冒険者ギルドの周りで屯している。

 まさかヤクトもあの中に入っていくのではないだろうかと一瞬不安が過るも、幸いにもヤクトは憧れの三人を一目見れただけで満足だったらしく清々しい笑顔を浮かべていた。


「いやー、こんな場所で有名人に会えるなんて思い掛けない幸運やったわー」

「そうだね。三獣士は何時戻って来るか分からない長期の遠征任務を請け負っていたから、キミ達が偶然街にやって来た時と同じくして帰艦するなんて中々にない確率だね。やっぱりキミ達は運に恵まれているのかもしれないね~」


 恵まれているというキューラの台詞に対し、ヤクトは清々しい笑顔から一転して苦笑いを浮かべた。無理もない、少し前まで谷底へ落ちたり、落盤に巻き込まれたりと九死に一生スペシャルの連続だったのだから。

 まぁ、五体満足で生きていると言う意味で言うならば確かに私達は恵まれているのかもしれない。私の場合は手も足もありませんけど。



 死を意味するかのような病的な白に蝕まれた大木に、黒一色に塗り潰された背景。現実世界とは程遠い一場面を目前にして、彼女が抱いたのは「またか」という軽い絶望であった。

 ここ最近、彼女は悪夢に苛まれていた。どうして連日同じ悪夢を見るのかは検討も付かないが、おかげで疲れを取る筈の睡眠がストレスを産むという矛盾した悪循環に陥っていた。

 出来る事ならば目覚めるまで動きたくないと思いつつも、自分の足は謎の存在に操られているかのように勝手に前へと動き出してしまう。白と黒のツートンカラーで構成された森を抜け、最奥に辿り着くと漸く白黒以外の色が現れた。

 赤――それも血のような真紅――に染まった巨大な鉄格子が、白い木々に囲まれた森の中に堂々と置かれてあった。夢の中に居るせいか、何故そこに鉄格子があるのかという疑問はおろか、森の中に鉄格子という異様なギャップに違和感すら過らなかった。

 それまで本人の意思に反して歩みを止めなかった足は、鉄格子の数m前でピタリと止まった。僅かな格子の隙間に視線を滑り込ませて中を覗こうと試みたが、まるで底無しの闇を閉じ込めているかのように内部を見通す事は出来なかった。


ガンッ 


 しかし、その闇の中には何かが居た。鉄格子を破ろうと試みる激しい衝撃音が何度も響き渡り、鼓膜を通して脳裏で鐘の音のように反響する。

 

ガンッ ガンッ! ガンッ!!


 音は止むどころか回数を増していき、その度に力も強くなっていく。自分とソレの間に鉄格子が設けられていると分かっていても、安堵感なんて微塵も湧かなかった。それどころか冷や汗が全身から噴き出し、得体の知れない恐怖が胃の中に鎮座しているような感覚すらある。

 やがて音は止み、静寂が場を支配した。自分の横を素通りした風が木々を揺らしながら彼方へと通り過ぎて行ったが、騒めき音は一つも聞こえない。正に不気味な静寂と呼ぶに相応しい。

 そして彼女は来た道を戻ろうとしたが、脳裏では「後ろを振り返っては駄目」と必死に訴えていた。何故なら彼女は既にこの悪夢を何度も経験しており、その結末を知っていたからだ。

 

 だが、彼女の願いも虚しく身体は踵を返してしまった。そして振り向いた先には―――真紅のバケモノが彼女を見下していた。

 輪郭はおぼろでハッキリとしない。が、その巨体は周囲の木々の背丈を軽々と超え、笑っているであろう三日月を描いた口元から禍々しい牙を覗かせているのは分かった。

 逃げなければ……彼女の脳内では危険を訴えるアラームが鳴り響くものの、肝心の肉体は油切れを起こした機械のようにビクともしない。身体を動かす事はおろか、恐怖で開き切った瞳の開閉すら出来ず、真紅のバケモノを直視せざるを得なかった。

 そしてバケモノは四本にも及ぶ複数の腕を伸ばし、彼女に掴み掛かった。右手で彼女の身体を鷲掴みにし、更にその上から左手が覆い被せる。残りの手は彼女を掴み切れなかった胸から上へと向けられる。

 バケモノの手がゆっくりと迫るにつれ、彼女の心臓が鼓動を急激に早め、不整脈を起こしているのではと思える程に脈拍が乱れる。それに比例して呼吸が加速するも、果たして酸素がちゃんと肺に送り込まれているかすら不明だ。


 そして眼前を血のような赤が覆い被さり、次いで黒へと変わり――――


「きゅー!!」

「!」


 ―――そこで彼女……エマは目覚めた。一緒にベッドに入っていた従魔のエルピーが心配そうな面持ちで主人の顔を覗き込み、彼女の額に付いている大粒の冷や汗を自身の頭で拭い取ろうと努めている。


「エルピー? 起こしてくれたの?」

「きゅきゅ!」


 そうだと言わんばかりに声を上げるエルピーの身体を一頻り撫でれば、従魔は心地良さそう目を細める。

 エマはゆっくりと上体を起こした。そこは彼女の雇用主であるヴァークナー家が住まう屋敷の一室であり、従者専用に与えられた一部屋であった。

 流石に屋敷の主人が愛用する自室と比べれば、狭くてみすぼらしい殺風景な部屋ではあるが、物欲の乏しい彼女は気にもしなかった。強いて言えば雨風を凌ぐ部屋と、健やかに眠れるベッドがあるだけで十分だ。とは言え、今やその眠り自体が彼女を苦しめる根源となっているが。


「ごめんね、エルピー。起こしちゃっ……うっ!」

「きゅきゅ!?」


 突然エマの心臓辺りに鋭利なナイフで刺されたような痛みが襲い掛かり、急な痛覚に耐え切れず悲鳴を上げた肉体はベッドの上に崩れ落ちるように倒れ込んだ。

 近くに居たエルピーは苦悶に満ちたエマの顔を見て只事ではないと理解するが、小さい芋虫に成す術など無かった。


「大……丈夫……。暫くしたら……痛みは治まるから……」


 滲み出た苦悶の汗を顔中に張り付けたまま、エマは慌てるエルピーの頭を撫でて落ち着かせようとした。行動こそ止んだものの、従魔の目には強烈な不安と恐怖が宿っていたのが見えた。エマを襲った苦痛への不安と、エマを失うのではないかという恐怖だ。


「ありがとう、エルピー……」

「きゅー……」


 心優しい従魔に感謝を述べ、エルピーの額に軽くキスを落とした。やがて激痛は引き潮のように徐々に引いて行き、唯一の家族を抱き締めながら眠りに付いていた頃には痛みは無に還っていた。

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