第73話 従魔博士のキューラ

「わぁー! すごく大きくて、すごくひろーい!」

「ううむ、話には聞いていたが……これは流石に……」

「ああ、想像以上やで」

『ですね』


 人混みの中を掻き分けるように進み続けること三十分、漸く私達は目的地に到達した。従魔教習所という真鍮製の立派な銘板が門に組み込まれいるので、恐らく此処だろう。というか、此処しかない。

 成程、確かにあの行商の男性が言っていた通りだ。建物の作りは極めて壮大で無駄にデカい。宛ら王族が住まう西洋の宮殿のようで、高級感と清潔感に満ち溢れている。教習所と名付けられた割には、少々厳か過ぎやしないかと魔獣である私が思ってしまう程に。

 また門から建物の間には広大な庭が存在し、噴水や何かの銅像と思しきものが建てられている。もしも前世の日本社会に、こんな建物が公共の場として存在したら、税金の無駄遣いだと批難の的になっていたに違いない。


「だが、こんな豪奢な場所で試験となると……」


 そこまで言ってクロニカルドは続きを止めたが、何を言いたいかなんて言わずもがなだ。こんな大学顔負けの建物で試験をするなんて、超難関ではないのかと言いたいのだ。ヤクトも口には出さないが、若干引き攣った表情が私やクロニカルドと同じ不安を抱いていると物語っている。


「ま、まぁ……取り敢えず入ってみよーや。話はそれからや」

「うん! 早くいこー!」


 試験の難しさを心配するどころか、未だに壮大な建物や広大な庭園に心を躍らせているアクリルさんの気楽さが羨ましい……。まぁ、難しくは考えるだけの知識は身に付いていないのは分かっていますけどね。

 そして私達は門を潜ろうとしけど―――


「「お待ちください!」」


 ―――と不意に声を掛けられた。それも二方向からだ。声の主は左右の門にそれぞれ立っていた女性の門番であり、互いの肩には色違いの蝶の羽を生やした小人……妖精ピクシーをちょこんと乗せている。

 また門番と称したものの、黒を基調としたブーツに青の官帽、銀糸の装飾が施された袖口など、その格好は近代軍隊か近衛兵の軍服のようだ。


「失礼ですが―――!」

「―――通行理由を」

「「お聞かせください!」」


 左手の門番を担当する黒髪のボーイッシュが台詞の前半を明るく述べ、右手の門番を担当する銀髪のロングヘアーが中間の台詞をクールに受け継ぎ、最後は二人同時にハモッて尋ねる。

 二人で一つの台詞を成しているので、ヤクトはどちらに話し掛けるべきか一時迷うも、偶々近かった黒髪の方に目線をくれながら目的を述べた。


「あー、従魔許可証を貰いに来たんやけど……」

「それでは従魔契約者の名前―――!」

「―――及び従魔の名称と種族名を」

「「述べて下さい!」」

「あ、はい。えーっと……姫さん、この二人に自己紹介とガーシェルの紹介をしたりや」

「はーい!」


 元気に返事を返したアクリルの身体に触手を巻き付かせ、そっと地面に下すと門番二人の目線がアクリルに集中する。二人の品定めするような視線なんて気にも留めず、アクリルは何時も通りに元気に自己紹介をした。


「はじめまして! アクリルです! アクリルのじゅーまはガーシェルちゃんです! しゅぞくめいはー……何だっけ?」


 チラリと此方へ振り返るアクリルに耳打ちする様に、触手を耳元に添えてコソリと小声で述べる。


『ロックシェルです、アクリルさん』

「ロックシェルだって!」


 言われた通りに自己紹介と私の名前と種族名を答えたものの、門番は両方の眼を丸々と見開いたままアクリルを凝視している。何か不審な点があったのだろうかと思っていると、銀髪さんが自分の肩に乗っているピクシーに語り掛けた。


「タニア、貴女の魔法に引っ掛かりはあった?」

『いいえ、無くってよ。恐らく、そのお子様が言っているのは事実に違いありませんわ』


 おお、其方のタニアと名付けられたピクシーは喋れるのか。流石にピクシーが「ぎゃー」とか「きしゃー」とか魔獣のような鳴き声上げてたら幻滅だもんね。

 だけど、彼女達の遣り取りにあった『』と『』という単語が気になる。もしかして私達が来た時点で何かしらの魔法を掛けていたのだろうか?


「「ちょっと聞いても良いかな?」」

「うん、いーよ!」


 門番の二人がアクリルの前で膝を屈めてしゃがみ込み、彼女の視線に合わせながら話し掛けてくる。それに対しアクリルは怖じ気付くどころか、疑問も抱かず二つ返事で了承してしまう。心配する事なんてないとは思うが、少しは警戒して欲しいと願う今日この頃……。


「アナタの身体に――!」

「――従魔契約の証は」

「「ありますか!?」」

「……あかしってなーに?」


 従魔契約の証と言われてもパッと思い浮かばず、アクリルは首を傾げながら門番二人に尋ねた。


「証と言うのは――」

「魔獣と人間が――」

「「絆を結んだ証」」


 それに対し門番二人は片方の手袋を脱ぎ、白魚のような手の甲に刻まれた五芒星の紋様を披露した。

 ついでに二人の従魔であるピクシー達も身体に刻まれた五芒星の紋様を私達に見せてくれたが、此方は中々に際どい部分に刻まれていた。黒髪さんの褐色美人なピクシーはナイスなヒップの片側に、銀髪さんの金髪碧眼のピクシーはスラリと伸びた太腿の付け根に。

 中々に刺激的な光景にヤクトは口笛を吹いて称賛したが、即座にクロニカルドから「破廉恥だぞ!」と小声で叱られていた。意外とクロニカルドは初心のようだ。いや、真面目な堅物と言うべきだろうか? どちらにせよ、この手のものは苦手なようだ。


「もしかして、これのことー?」


 二人が見せた紋様を見て、アクリルが疑問符を付けながら見せたのは自分の甲に刻まれた六芒星の紋様だった。私の貝殻にも同じものが刻まれているので、恐らくこれが二人の言う証なのは間違いない筈だ。

 アクリルの手の甲の証を見るや二人はクワッと目を見開き、次いで互いの顔を見合いながら頷いた。


「「少々お待ちください!!」」


 二人は緊急事態が生じたかのように、全速力でその場を後にして建物に向かってしまった。えっ、門番が持ち場を離れても良いわけ? ヤクトとクロニカルドも稲妻のように去ってしまった二人の後ろ姿を、ポカンと呆気に取られた面持ちで見送ってしまっている。


「一体どうしたのだ、あの二人は?」

「さぁ、分からへん。けど、只事じゃないって事は確かなようやけど……」

「あっ、もどってきたよー」


 アクリルがそう言って指差す先には、豪奢な建物から慌てて飛び出した二人の……いや、三人の姿が見えた。その内の二人は先程の門番だが、もう一人は違う。学者のような白衣を纏い、腰ほどの長さもある焦げ茶色の三つ編みは一心不乱に走っているせいで大きく左右に振り回されている。

 そして更に距離が詰まると、漸く端麗な顔立ちとチャーミングな雀斑、眼鏡越しに見える空を切り取ったかのような青空色の大きな瞳と、エルフの特徴とも言える長く尖った耳が見え―――ん? 何か近いような気がするんですけど?


「ロックシェルたんキタアアアアアアアア!!!」


 突然その三人目は黄色い悲鳴を上げるや、私の貝殻に正面から抱き付いてきた。恐らく女性なのだろうが、両手足を大きく広げた大の字でしがみ付いてくる様は、彼女の持つ美貌の有難さや貴重さを土台からブチ壊している。とどのつまり残念な美女だ。


「海獣系の魔獣なんて珍しいのに、その中でも滅多に姿を見せない極めて珍しいロックシェルに出会えるなんて夢のようだわ。この岩盤の硬さや冷たさ……って、これもしかして聖鉄じゃないの!? これは興味深い。ロックシェルは岩石魔獣なのか海獣なのかが微妙な所と言われていたけど、貝殻を覆っている岩盤の殻が聖鉄になっているという事は即ち、このロックシェルが鉱物を大量に捕食して変異したという証。いえ、ちょっと待って。聖鉄を大量に食したという事はロックシェルのステータスにも変化が表れているのか? いや、十分に有り得るわね。これを機にロックシェルの調査をし、ついでに変化に関する論文を纏めて―――」


 ブツブツとノンストップで台詞を吐き続け、他人に付け入る隙を与えない様はおぞましいの一言に尽きる。幼いアクリルは私に抱き付いている相手が何をしているのかと首を傾げるだけだが、それ以外は皆ドン引きだ。恐らく彼女と知り合いであろう門番までもだ。


「コイツ、何やねん。というか、引き剥がしてもええか?」

「「マスター、失礼ですよ。お辞め下さい」」


 念の為に銃を握り締めたヤクトが二人に許可を求めると、門番達は戒めるような真剣な声色で学者風の女性に声を掛けた。そこでマスターと呼ばれた女性もハッと我に返り、けれども名残惜しそうに私からゆっくりと離れていった。


「いやー、申し訳ない。珍しい魔獣や希少な魔獣を見ると見境が無くなっちゃう性格でね。私の名前はキューラ。魔獣研究の権威であり、そして従魔教習所の責任者でもあるんだよ」


 そう言うと彼女――キューラはえっへんと豊満な胸を張り出して自慢した。だが、先程のドン引きするような光景のせいで、誰一人として関心や敬意を抱けなかったが。そんな白けた空気を切り替えるかのように、最初に声を上げたのはヤクトだった。


「あー……それはどうも。ってか、何でそんな偉い人が態々やって来たん? 何か問題でもあるん?」

「うーん、そうだね。ソレに関しては外で話すよりも、中で話し合おうじゃないか。此処じゃ目立っちゃうしね」


 目立たせたのはアナタなんじゃ……という周囲の視線なんて気にもせず、キューラは私の上に攀じ登った。いや、何で私の上に登るんですかね?


「おい、何勝手に乗ってるねん」

「へいへいへぇい! それ聞いちゃう!? 聞いちゃうのん!?」

「普通聞くわ。自分の従魔に赤の他人が無言で乗り込んで、スルーする方がおかしいやろ」


 ヤクトの正論にキューラは渋々といった表情で唇を尖がらせた。


「んも~、細かい事は気にしないでよぉ。ロックシェルに乗ったり触れ合ったりする機会なんて滅多にないんだから、せめて今ぐらいは堪能させてよぉ~。その代わりに色々と便宜とか図っちゃうからさぁ~」

「おい、オタクらの責任者……堂々と職権乱用すると言い切ったぞ。ええんか?」

「「これがマスターですので……」」


 キューラを指差しながらヤクトが門番二人に疑問を投げ掛けるも、返って来たのは諦め交じりの苦笑いであった。どうやら彼女の人格からして、こういうのが日常茶飯事になっているのだろう。また彼女の勢いを止めるのは不可能であるという本音も、彼女達の台詞から見え隠れしていた。


「おねーしゃん、ガーシェルちゃんと仲良くなりたいの?」

「そうだよ! このロックシェルの名前ガーシェルって言うの? 良い名前だね!」

「うん! アクリルが付けたんだよー!!」

「へー、すごいねー! ねぇねぇ! ガーシェルちゃんと出会った時のお話、おねーさんに聞かせてくれないかなぁ~?」

「いいよー!」


 そして私の頭上ではアクリルとキューラが私の話題で盛り上がり、会話の花を咲かせている。こうなったら下すのは不可能なのは誰の目からも明らかであり、私はキューラとアクリルを乗せたまま従魔教習所の敷地へと入って行ったのであった。



「さぁさぁさぁ、入って入って。ここは公共の研究所だけど、同時に私の家みたいなものだから気にしないで」


 公共物を私物化するのもどうかと思いますけど……という真面目な反論を飲み込んで、私達はキューラの案内で、宮殿のような壮大な建物の奥まった場所にある彼女の研究所に足を踏み入れた。

 今でこそ従魔教習所という名目が付けられているが、元々此処は従魔契約に纏わる研究や、魔獣の学術的調査を目的とした研究機関の一つだったそうだ。でも、そう言われると私みたいな巨体でも難無く建物内に入れた事も頷ける。

 その歴史を証明するかのように、広い研究所には狼に酷似した魔獣の骨格標本や、闘牛のような二本角を生やした熊の剥製などが置かれてあった他、ホルマリン漬けにされた動物の手足や目玉、そして人間の半身に匹敵する立派な牙なども飾られてあった。そういった一風変わった魔獣の展覧会に興味を示したのは、意外にもクロニカルドだった。


「ほぉ、これは珍しい。魔獣は死ねば一ヶ月程度で塵と化し、自然の魔力に帰すとされる筈だが……こうも見事な状態で保存されているとは」

「あっ、貴方もしかして魔獣とかに詳しい口なの? そうなんだよねー。アイテムとして保管するのならば簡単なんだけど、魔獣そのものを保存するのって実は物凄く大変でさぁ。これらを保存する為の魔法と魔法具を編み出すのも一苦労したわよ」

「ふふふ、懐かしいな。己も嘗ては保存魔法の研究に熱中していた時期があったものだ。残念ながら日の目は見れなかったがな。……もしや標本を納めているケース自体が魔法具なのか?」

「そうだよー。魔獣の死体が塵となるのは自然に帰化する為だけど、その塵に込められた魔力を再利用して再生魔法と保存魔法を延々とループさせてるのよ、流石に目玉や手足みたいに小さいのだと保存魔法が利き辛いから、防腐剤を始めとする薬品頼りだけどね」

「ほほう、ループさせる事で魔法の効果を永続的に……」そこでヤクトも身を乗り出し、会話の輪に加わる。「そりゃ興味深いな、その技術を応用したら強力な武器を作れるかもしれへんな」

「あはははー、物騒な話は止めてよー。とまぁ、自慢したい事は幾つもあるけど、今はアクリルちゃんの事を話さないとね」


 このまま魔獣の保存方法だの、それに関係する魔法だのと無関係な話に熱が入るかに思われたが、キューラが軌道修正してくれたおかげで私達が蚊帳の外に置き去りにされるという心配は無くなった。

 そしてキューラは研究所に置かれた自分のデスクに腰掛けると、デスクの正面にあるソファーに腰掛けたヤクト達を見据えながら「さて……」と前置きし、自他共に言い聞かせるようにゆっくりと語り始めた。


「まず最初に門番ちゃん達が驚いた理由は二つ。一つはアクリルちゃんぐらいの幼子が魔獣と従魔契約を結んだこと。もう一つはアクリルちゃんの手に刻まれた紋様だね」

「まぁ、一つ目は何となく分かるけど……二つ目の紋様云々は何がおかしいんや? アンタ等、従魔契約者も同じような文様を持ってるやん」

「ええ、そうね。でも、“”ではなく“”形がある事自体がおかしいのよ」


 不意にトーンを落とし、それまではっちゃけていた雰囲気から真面目な雰囲気に切り替えた事に私達は驚きを隠せなかった。この人、こんな真面目な役を演じられるのかという意味で。

 そして彼女は右手の手袋をソッと取り外し、私達に従魔契約の証である五芒星の紋様を見せてくれた。


「彼女達の紋様も見たと思うけど、従魔契約の証は基本的には五芒星で統一されているのよ。でも、彼女の場合は六芒星。形が少し違うだけと言うのは簡単だけど、魔法陣の研究に携わっていた人ならば、この変化が如何に重要なのかは分かるわよね?」


 魔法陣という件からキューラの視線がクロニカルドに注がれ、彼もまた彼女の意見に同意を示すように深々と頷いた。


「魔法陣というのは基礎と呼ばれる最初に入れた紋様……謂わば土台から様々な術式を書き加え、魔法を発動するもの。それを下手に書き加えたりすれば、魔法陣そのものが崩壊する恐れがある」

「崩壊したらどうなるん?」

「その魔法陣の内容次第にもよるが、当然魔法の効果そのものが失われる。仮にだが従魔契約を例として挙げれば、恐らくアクリルとガーシェルを結ぶ従魔契約が破棄される筈だ。そして高リスクの魔法陣であれば、術者自身に反動が襲い掛かる。最悪、死すら有り得る」

「魔法陣の破壊とは、また違うんか?」

「大違いだよ!」キューラが大声で否定した。「他者や魔獣の手によって魔法陣を無力化されるパターンを破壊と呼び、無理な術式の書き換えに魔法陣が耐え切れず、自己消滅するパターンを崩壊と呼ぶんだ。要するに外因か内因かの違いだけど、これだけでも術者に与える影響は雲泥の差と呼べるぐらいに違うのは確かだよ」


 へー、そんなにも違いがあるのかぁ。となれば、他の人達と異なる契約の証魔法陣を持つアクリルは特別という事なのか。或いは前世と呼ばれる記憶を持つ私が異端なのか。何にせよ、この六芒星の魔法陣が現れた理由が謎だからこそ、キューラは研究者として見過ごせないのだろう。

 だが、此方にも事情というものがある。キューラの本心も理解出来るが、此処へ来たのは研究に協力する為ではなく従魔許可証の認可を受ける為だ。彼女の研究の為に時間を割いてやる余裕なんて無い。

 そこでヤクトはゴホンッとわざとらしく咳払いを一つし、キューラの視線を自分に向けさせると私達の考えを代弁してくれた。


「キューラさん、アンタの言いたい事はよく分かった。せやけど、こっちも王都に向かう旅路の途中やねん。悪いけど、アンタの研究に何から何まで協力するのは無理な話やで」

「あー、その点に付いては大丈夫。私だって何ヵ月も何年もアクリルちゃんを拘束して研究しようなんて考えちゃいないよ。アクリルちゃんに関しては一日足らずで済んじゃうだろうし」

「一日で? それホンマなん?」


 ヤクトが怪訝そうに片眉を持ち上げながら尋ねると、キューラは当然と言わんばかりに首を縦に動かした。


「うん。というか、ぶっちゃけちゃうと従魔契約のメカニズムの大部分が依然として謎のままなのよ。発祥の地とか大層な事を言われているけど、実際には偶発的に誕生したみたいなものだし。

 大昔の人間だって魔力の存在を証明した後、それを活用するのに長い時を用いて試行錯誤していたでしょ? 従魔研究も同様で、その試行錯誤の入口に漸く差し掛かったと言っても過言じゃないわ」

「では、どのような研究をするのだ?」

「研究も何も、どんな状況下で従魔契約を結んだのかって事実を聞いて仮説を組み立てるだけよ。魔法陣の解析をしようにも、何処をどう調べれば良いのかも分からないのに、下手に手を突っ込むような真似なんて出来る訳ないし」


 片手をヒラヒラと蝶のように躍らせて不安を打ち消すキューラの姿に、ヤクトとクロニカルドは肩透かしを受けたかのように目を丸くした。だが、その後直ぐに「寧ろ――」と意味深な発言が続くと二人は瞬時に表情を引き締めた。


「問題なのは後者よりも前者なんだよねー……」

「アクリルがガーシェルと従魔契約を結んだことだな。何か問題でも?」

「うーんとね。従魔許可証を得るには試験を受ける必要があるってのは知ってる?」


 その質問にヤクトとクロニカルドが無言で頷く。私も内心で頷き、ソファーに座っているアクリルも「知ってるー」と間延びした返事を返す。まるで他人の話題を聞いているかのような悠長っぷりに、クロニカルドは不安と呆れが混同した眼差しを隣に座る幼女へ向けざるを得なかった。


「一応名目上は試験と称されているものの、その内容は大して難しくはないのよ。人間としての道徳的理性……要するに良い事と悪い事の線引きが出来ていれば合格間違い無しよ」

「つまり善悪の判別が出来れいれば合格は間違いなしっちゅー事か。せやけど、それの何が問題やねん。姫さんやったら、良い事と悪い事の区別は分かるで。そうやろ、姫さん?」

「うん! おかーしゃんとおとーしゃんから、して良いことと悪いことを教わったよ!」

「そうね。ぶっちゃけちゃうと、子供でも分かるぐらいに超簡単な試験……“”問題なのよ」


 デスクに凭れ掛かるような頬杖を突きながら、キューラは面倒そうに溜息を吐き出す。彼女の発言の真意が中々見えず、私達は頭の上にクエスチョンマークを浮かべながら彼女の表情を覗き込むように視線を傾ける。


「そもそも従魔許可証制度は、従魔を用いた犯罪の抑止・抑制を前提とした法律なのは御存じかしら?」

「ああ、その話なら此処へ来る前に少し耳に挟んだわ。確か従魔契約が個人スキルと見做されとったせいで、罰則はあっても法の縛りが無かったとか」

「その通り。一昔前まで従魔の立ち位置は複雑だったのよ。個人スキルと従魔契約の線引きが混ぜこぜになっていて、そのせいで法の抜け道も多かった。でも、従魔と契約者のセットを国家に登録する事で、従魔のみならず契約者にも法の裁きが届くようになったの」

「だが、それの何処に問題があるのだ?」


 答えを早く言えと言わんばかりにクロニカルドがジロリと睨むと、キューラは机に両肘を着き、組んだ手で表情の下半分を隠しながら問題に付いて説明し始めた。


「国家が頭を悩めているのは、言わずもがな契約者が従魔を使って犯罪を起こす事よ。だけど、中には第三者に騙されて犯罪行為に踏んでしまう契約者も居るの」

「つまり、貴様はアクリルが誰かの口車に乗せられて、犯罪の片棒を知らず知らずに担いでしまうのではないのか……それを危惧しているのか?」

「その通り。しかも、アクリルちゃんは見掛けからして五才かそこら。嘘を見抜く技量を磨いていない子供だから、騙されるのはしょうがない。だけど、しょうがないで許されたら許可証制度を作った意味が無くなってしまう。最悪、この子とガーシェルちゃんが法の名の下に引き離される事だって十分に有り得るわ」


 そこで漸く事の重大さが露わになると、それまでの平凡な空気が一気に緊張で引き締まり、重みが増した。確かに詐欺紛いの手口で騙されて協力させられてしまったら、私に成す術は無い。しかも、その結果私とアクリルが引き離されてしまったら……想像しただけで不安で胸が詰まりそうだ。


「アクリル、ガーシェルちゃんと離れたくない!」


 と、不安で重苦しくなった空気を最初に破ったのはアクリルだった。ソファーから飛び降りると、そのまま私の方へ駆け寄りドンッと体当たりするかのように抱き付く。

 それを見たキューラは慌てて首と両方の掌を左右に振り、「仮の話だから」と前置きしてアクリルの不安を払拭しようとした。


「大丈夫、まだそうなるとは決まってないから落ち着いて。例え騙されて犯罪に加担したとしても、騙された事実さえ分かれば契約者と従魔に科せられる罪は大して重くはならないわよ」

「ほんとう?」

「ええ、本当よ。只――」そう切り出した途端、キューラは眉を不安そうに八の字に顰める。「――もしもアクリルちゃんが本当に騙された場合、『子供に従魔を管理させるのは不可能だ』という批判的な声が上がるのは必至よ。ひょっとしたら従魔契約に年齢制限が設けられる可能性も無きに非ずだわ」

「成る程、それで皆が皆、目に見えて戸惑ってたんやな。果たして、五歳児の子供に許可証を出すべきか否か……と」


 そうヤクトが締め括ると、再び場に沈黙が訪れた。

 ヤクトは腕を組みながら自分の座っているソファーと向かいのソファーに挟まれたテーブルに視線を落としたまま黙考し、クロニカルドも眼孔に宿した灯火を弱めながら天を見上げて策を案じている。そしてアクリルは今の話を聞いて根深い不安が芽生えたのか、私の身体にギュッと抱き付いたまま離れようとしない。

 このまま沈黙で押し潰されてしまうのかと思われた矢先、キューラがスッと人差し指を立て、それまでの空気の重さとは場違いな程に軽いトーンで口火を切った。


「そこで私から一つ提案がございます」

『「「「提案?」」」」』


 提案という二文字に、私達の期待と疑問が入り混じった視線が彼女のもとに殺到する。


「アクリルちゃんが試験に合格した暁に、仮の許可証を発行するの」

「仮のって……どういう事や?」

「本物の許可証の場合、従魔だろうと契約者だろうと問題を起こせば一蓮托生で互いに罪を背負い合わなければならない。でも、仮の場合は従魔が問題を起こした場合、彼女に許可証を発行した第三者が責任を負うの」

「つまりは保証人という訳か。ふむ、それならば文句の付け様は無いな」

「その通り!」


 成程、間に第三者を入れる事で許可証の体裁を保ちつつ、尚且つ幼い子供一人に責任を押し付けないという善意も発生するので誰も心を痛めない。これは中々に良い提案なのではと思っていると、何かに気付いたかのようにヤクトが突然口を挟んだ。


「ちょい待ち。姫さんに許可証を発行した第三者っちゅー事は……」

「ええ、私の事よ」


 呆気らかんと言い放つキューラに、この場に居る彼女以外の全員が目を点にした。当然だ、従魔研究の権威が私達の肩を持ってくれるどころか、最悪自身のクビが飛ぶ可能性もある危険な方法を敢えて提案してみせたのだ。これを驚かずして何とする。しかし、私達の反応にキューラは然程気にも留めず、更に言葉を綴った。


「もしもアクリルちゃん一人だけならば、もう少し成長してから……と待ったを掛けたけど、彼女の周りには頼りになる人も居るから敢えて今回の提案をしてみせたのよ」


 何処となく小悪魔をイメージさせる悪戯な微笑を浮かべながら、彼女はヤクトとクロニカルドの両者に視線を交互に預けた。仮の許可証を発行した責任はキューラだけでなく、アクリルの保護者である二人にも及びますよと遠回しに告げているのだ。

 だが、そんな視線に二人は動揺もせず、寧ろ心得たと言わんばかりに力強く頷いた。それを見てキューラは問題は解決したという確信を得て、自身の胸前でパンッと手を叩いた。


「それじゃ問題は無いわね。だけど――」キューラの視線が私に抱き付くアクリルに向けられる。「――形式上、アクリルちゃんにも試験を受けて貰う必要があるけど、大丈夫かしら?」

「うん! アクリル、しけんがんばる!」

「うんうん、その意気込みでやれば合格間違いなしよ! あとそれとー……」


 そう言ってアクリルを奨励するや、続けて後ろめたい欲に満ちた眼差しへと切り替わる。その粘着質な視線はススス……と横へ逸れて、私に張り付けられる。どう考えても嫌な予感しかしません。そんな危惧は間もなくして現実のものとなった。


「出来ればね、ガーシェルちゃんにちょーっと協力して欲しい事があるのよね。ああ、別に痛い事でもなければ疚しい事でも無いわよ。只ね、ロックシェルは滅多に姿を見れない貴重な魔獣だからね。色々と調査したいのよ」


 うん、知ってた。というか此方を見ながら涎を垂らさないで下さい。そして両手をワキワキと嬉しそうに動かさないで下さい。誤解を受けそうな動作の一つ一つが、彼女の美貌を台無しにしちゃってますよ。


「まぁ、色々と世話になったさかい、これぐらいは別にええやろ」

「そうだな。純粋な学術研究が目的ならば、ガーシェルの命を取ったりはするまい」


 ちょっと二人とも、命が取られないのは明白だからって、あっさりと私を売るなんて薄情過ぎやしませんかね? そんな二人の冷たい反応に内心でツッコミを入れていると、私の傍に居るアクリルは首を傾げながらキューラに尋ねた。


「ガーシェルちゃんのちょーさってどんなことするのー?」

「そうねぇ。例えば貝殻を覆っている聖鉄をちょびっと削って成分を調べたり、ロックシェルがどんな物を食べたりするのか、あとプールを使って泳いでいる姿を観察したりもするわよ~」

「プール?」

「人工的に作った、海に似せた空間の事よ。泳いだり、波を起こしたりする事も出来るわよ」

「おもしろそー!」

「良かったら、アクリルちゃんも見る~?」

「見るー!」


 初めて出会った時から中々に意気投合していたので、こうなるんじゃないかと薄々勘付いていましたよ、コンチクショー。従魔としては主人が楽しそうなのは何よりですけど、これから彼是研究される身としては『物凄く複雑である』の一言に尽きる。

 まぁ、キューラの研究にアクリル達が一緒に付き添ってくれるだけでも幸いだと前向きに考えるとしよう。幾ら何でも度が過ぎる研究だったら、流石の彼等も止めてくれる筈だろう。もしも止めてくれなかったら、大海原という名の実家に帰らせて頂きますからね。


「それじゃ早速調査を―――ん?」


 キューラが調査に取り掛かろうとした矢先、外に面するガラスがガタガタと揺れ始めた。それに気付いて全員の視線が外へと向けられた直後、ドズンッという重々しい衝撃と共に窓の外に巨大な魔獣が舞い降りた。

 毒々しい赤を塗りたくったかのような不気味な外殻、クワガタのように口元に生えた一対のハサミは角と鋸の要素を兼ね備えている。その姿と色からして魔獣と言うよりも、エイリアンやミュータントという言葉の方がしっくりと来そうだ。

 こっそりと鑑定スキルを用いれば、ステータスに『ヘルスタッグ』の名前が表示される。その名前に聞き覚えがあった。というか、今さっき町中で聞いたばかりだ。そしてヘルスタッグの四本腕の一本を椅子代わりにして腰掛ける青年の姿があり、それを見付けた途端にキューラの表情が苦々しく歪んだ。


「シュターゼン・ヴァークナー……」


 本人は小声で呟いたつもりなのだろうが、その声は意外にもハッキリと私達の耳に届いていた。

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