第67話 クロニカルド・フォン・ロイゲンターク
「我が名はクロニカルド・フォン・ロイゲンターク。“
この部屋にいる全員の視線を本……もといクロニカルドが独占した途端、全ての音が場から消え去り、シンと静まり返った空気だけが取り残された。誰も反応出来ないという事は、それだけ歴史的偉業を成した偉大な人物なのだろうか?
「誰だ?」
「誰なのだ?」
「誰なんだ?」
「誰やねん?」
「だれそれー?」
「な、何ィィィィィ!!?」
――と思った束の間、ほぼ全員の口から誰だコールが噴出した。絶叫しているのは、言わずもがなクロニカルドだけだ。
どうやら先程の静まり返った空気は彼の偉大さに恐れ戦いた訳ではなく、只単にクロニカルドに関する情報が誰かの口から出るのを待っていただけに過ぎなかったようだ。
分かり易く言えば、学校の授業とかで先生が黒板に書いた難問を指しながら「これ、分かるヤツは?」と求めても誰一人反応しない……アレとほぼ同じだ。あるあるですね。
というか、場の雰囲気を深読みし過ぎて無駄に損した気分になったじゃないか。私が密かに抱いた緊張感を返せコノヤロー。
「な、何故己の名前を知らんのだ!? クロニカルド・フォン・ロイゲンタークだぞ!! あの有名な!!」
「いや、そんなこと言われても知らんもんは知らんわ。ちゅーか、有名と言われていたのは何時の時代の話やねん」
「
一息で全てを言い切ると、クロニカルドは肩の代わりに本の角を激しく上下させて息をした。いや、本の身体で息が必要って結構意味不明なんですけど。
すると彼の話を真正面から聞いていたヤクトは、「あー……」と言いながら気まずそうに頬を掻いた。その仕草は思い当たる節があるものの言い辛いという複雑な心境を周囲に漏らしており、クロニカルドも例に漏れずヤクトの仕草に敏感なまでの反応を示した。
「その態度は何だ!? もしや何か知っているのだな!? いや、流石に今の話を聞いて気付かぬ筈がないか。うむ、そうだ。そうに違いない。少々気付くのが遅い気もせんでもないが、己の名に免じて許してやっても良いぞ」
あっ、こりゃ他人の話を聞かない人間特有の都合の良い自己解釈ですわ。その証拠にヤクトの目から輝きが失われ、死人と同じ目を浮かべている。それでも一応は他人行儀というものを弁えているらしく、彼は(死んだ目のまま)愛想笑いを浮かべながらクロニカルドに話し掛けた。
「あのー……クロニカルドはんやったっけ? 一つ言うてもええかいな?」
「良かろう、発言を許す」
「あんなぁ、アンタが言った全ての戦いは確かに実在したけど……それらは俺っち達からしたら物凄く遠い過去の話やねん」
「何だと?」
「アンタが最後の晴れ舞台と称したイゴール高地攻略戦が起こったんは真暦966年の事やろ? 今は真暦1558年……もう既に六世紀近い年月が過ぎとるねん」
「な、何だと!!?」
「あとなぁ、アンタが仕えとったヨハルド大帝率いるゾルネヴァ帝国やけど、真暦1044年に身内の不協和音が原因で内部分裂を起こし、そこを隣国に突かれて敗北、大陸上からも歴史上からも消滅してもうたんや。因みに、その隣国こそ百年近くも続いた混沌戦争を勝ち抜き、クロス大陸制覇を成し遂げたラブロス王国や。此方は今も健在中や」
「な、な、何だとぉぉぉぉぉ!!?」
ヤクトの口から語られる歴史話にクロニカルドは徐々に精神的ダメージを受け、最後は自分が仕えていた帝国そのものが呆気なく滅んだという事実が致命傷となり、赤レンガで敷かれた石畳の上に墜落した。
不思議だな、傍目から見れば突伏しているだけ(というか無造作に捨てられた本にしか見えない)なのに、両手と両膝を地面に付いて落ち込んでいる姿がありありと目に浮かぶ。
「お、己がこの姿になって眠りに付いてから一世紀も経たない内に帝国が滅亡し、次に目覚めたら六世紀近くもの月日が流れ、挙句あの弱小で知られるラブロスが大陸の支配権を手中に収めていただと!? し、信じられん! おい、貴様! その辺りをもっと詳しく―――!!」
「ヤー兄、何でそんなこと知っているのー?」
「俺っちのダチに歴史好きな学者肌が居んねん。ソイツからの受け売りっちゅーやつやな。別に知るつもりなんて無かったんやけど、そいつの話を聞いていたら何時の間にやら覚えとったっちゅー訳や」
「へー、そうなんだー」
「ええい! まだ話が終わっておらんのに勝手に背を向けるでない! 不敬だぞ!!」
まるでクロニカルドの存在が無かったかのように振る舞うヤクトに対し、当人がぎゃんぎゃんと喚き立てるように噛み付く。その遣り取りを見ているだけで、先程までの緊迫で張り詰めていた空気がみるみると萎んでいく。
あれ、そもそも何で緊迫していたんだっけ? なんて気の抜けた事を思いながら記憶の糸を辿ろうとしたら、和んでいく雰囲気に我慢ならないと言わんばかりの第三者の怒声が場に轟いた。
「ええい! いい加減にしろ!! 貴様達の下らん歴史や滅び去った小国の事など、どうでも良い!! 我等の目的を邪魔するのであれば、排除するまでだ!」
ああ、そうだった。クロニカルドとヤクトの遣り取りに意識を向け過ぎたせいで、黒ローブ達の存在がすっかり記憶から消え失せていた。そのまま本当に消え失せてくれれば、どれだけ良かった事やら……と思わないでもないが、流石にそれは無理があるか。
だが、向こうの声が引き攣っている風に聞こえるのは先程の動揺が抜け切っていない証拠だ。今ならば上手く立ち回れば勝てる―――
「貴様等、今なんと言った?」
――かもしれないと考えた矢先、クロニカルドが発した超低音ボイスが室内の緊迫感を復活させた。いや、復活したと言うよりも彼から発せられた凍て付いた怒気が場の空気を凍らしたと表現する方が正しいかもしれない。
幸い、その怒気は私達に向けられたものではなかったが、触れれば皮膚どころか骨まで切り裂きそうな剣呑なオーラを纏っており、それだけで十分に近寄り難い雰囲気を形成していた。
それほどに強烈な怒気を直接当てられた当の黒ローブ達は、心臓を鷲掴みにされたかのように大量の冷や汗が額から噴出し、まるで捕食者に睨まれた獲物の如く顔を蒼褪めている。
「歴史とは常に愚行で下賤な出来事の繰り返し……それは認めよう。だが、己が仕えた国を小国とは、どういう料簡か? もしもゾルネヴァ帝国が健在ならば、不敬罪と断罪されてもおかしくはないぞ? まぁ、己は許さんがな。貴様等の不敬極まりない言動の報い、その身にしかと刻み込んでやろう」
「ひ、怯むな!! 相手が大魔法使いだったのは遠い昔の話だ! 六世紀の間に積み重ねた我等の魔法技術を見せ付けてやれ!」
と、口先から飛び出した台詞は見た目だけは立派だが、声色の方に着眼すると言葉の節々がガタガタに震え、今にも空中分解しそうだ。それは裏を返せば、当人がクロニカルドに対して抱く恐れの度合いを表している。
彼だけではない、他の黒ローブも胸中では激情するクロニカルドから逃げ出したいという思いに駆られているに違いないだろう。がしかし、彼等が請け負った使命と故国とやらへの忠誠心が複雑を通り越して雁字搦めに絡み合い、自縄自縛に陥ってしまったのが読み取れる。
「我々の魔力を奴に集中させろ! さすれば勝機はある!」
「くっくっく、勝機……か。では、これはどうかな?」
「気を付けろ! 何か仕掛けてくるぞ!!」
逃げ出す事も叶わず、腹を括った黒ローブ達の健気な意地を一頻りに冷笑すると、クロニカルドは呪文を静かに唱え始めた。それに反応した黒ローブ達は魔法陣が刻まれた半透明のバリアを自身の周りに張り巡らし、相手の呪文に警戒した。
「“
そう唱えた瞬間、クロニカルドを中心に風が四方へ吹き抜けた。風と言っても全てを薙倒すような強風ではなく、穏やかな春風を彷彿とさせる優しい風だ。
だが、それが部屋を循環した頃、足元の赤レンガの上を真っ白い光を放つ魔法陣が走り抜け、直後に黒ローブ達の前に張られていたバリアが跡形もなく消失した。
「なっ!? 結界魔法が……消えた!?」
「馬鹿な! あんな魔法で破られる筈がない! 一体何をし―――!?」
そう言いながら黒ローブの一人が腕を突き出し、攻撃魔法を発動しようとした。が、何も起こらない。他の者達も彼に続いて魔法を撃とうと構えるも、やはり何も起こらなかった。そこで漸く自分達の身に起こった異変に気付き、黒ローブ達は青ざめた顔を互いに見合わせた。
「どうなっとるんや? 何でアイツら、急に魔法が使えんくなったんや?」
困惑の余り声を出せない黒ローブに代わってヤクトが疑問を呈すると、クロニカルドはゾルネヴァ帝国の国旗――黄金の杯に巻き付く二対の毒蛇――を描いた背表紙を向けたまま問いに答えた。
「今のは己が編み出した、他人の魔力を封印する魔法だ。範囲は限定されるが、一度発動してしまえば魔法はおろか、魔力を出す事も出来ん。つまり、魔法使いにとっては鬼門のような魔法だ。少々矛盾しているような言い方な気もしないでもないがな」
そう説明した途端、黒ローブ達の蒼褪めた顔が死人のような血の気の無い白へと変色し、得体の知れない動揺と困惑は確固たる絶望へと変質する。
それとは対照的に、人が好さそうな筈なのに何処か腹黒さを禁じ得ない、闇属性の笑顔を浮かべるのはヤクトと私だ。今なら二人とも闇属性の魔法を使えそうな気がする。
「ほっほぉ~。つまりは今、奴等は魔法も使えん人間っちゅー訳かいな。こいつは丁度ええなぁ、お前もそう思うやろ? ガーシェル」
『ええ、全く以てその通りでございますね』
魔法を使えない魔法使いなんて恐れるに足らず。しかも、此方は魔法に頼らずとも相手をボコボコに出来るだけの手段と技を持っている。最早、勝敗は戦う前から決まったも同然だ。
そしてヤクトはにっこりという擬音が付きそうな微笑みを浮かべ、両手に作った拳をボキボキと交互に鳴らした。
「ほな、覚悟はええかな?」
あからさまで見え透いたシュールな脅しではあるが、魔力が使えなくなった彼等には効果覿面だったらしい。皆が皆、ローブの下から引き攣った悲鳴を上げるや、脱兎の勢いで敵前逃亡し始めたのだ。
故国の為だの使命の為だのと胸を張って言えるのは、相手と互角に渡り合える状況下だけのようだ。肝心の力を無くしてしまえば、我が身の可愛いさを優先させる。腰抜けではあるが、狂信者かソレと同じぐらいの愛国主義者と比べれば生易しいのが救いだ。
そして部屋とダンジョンとを繋ぐ扉に黒ローブが殺到するが、自分の仕えた帝国を侮辱されたクロニカルドが敵の逃亡をみすみす見逃す筈がなかった。
「くははは! 逃がす訳がないだろう! 樹木魔法『
扉まで残り僅かという距離に達した時、彼等の足元に走った亀裂から青々しい蔦が飛び出し、蛇のような俊敏な動きで男達の身体に巻き付いた。すると十倍速の早送りを見ているかのように青々しい蔦は樹木へと急速に成長し、あっというまに男達を捕らえる樹木のオブジェが完成した。
「さぁ、これで逃げられんぞ。偉大な帝国を愚弄した罪をとことん償って貰おうか」
ニタァと悪魔と呼んでも差し支えない笑顔を浮かべながら、黒ローブ達をどう調理しようか考えているとヤクトが彼の背表紙に声を投げ掛けた。
「クロニカルドはん。あんさんの怒りも御尤もやけど、俺っち達もコイツらには聞きたい事が山程あるねん。せやから、少し先に済ましてもええやろか? そう長くは掛からんし」
「ほぅ、聞きたい事とは何だ?」
ヤクトの言葉に多少の興味を覚えたのか、此方へ振り向いたクロニカルドの目がキラリと好奇心で輝いた。ヤクトはチラリと私とアクリルを一瞥し、部外者である彼に事実を話すか否かを考慮した。
何も知らない人間であれば適当に話を誤魔化したり、はぐらかしたりする事も可能だが、黒ローブ達との遣り取りを見られている以上、誤魔化しや嘘偽りは通用しないだろう。
だが、事実を述べた所でメリットも無ければデメリットも無い。クロニカルドは今日まで地下ダンジョンで眠っており、現在の異世界を巡る国際事情とやらを全く知らない。当然、この黒ローブの仲間という可能性はゼロだ。ヤクトも私同様の結論に辿り着いたらしく、素直に事情を打ち明けた。
「何故かは知らへんけど、この黒ローブの連中はあっちの女の子を狙ってるねん」クロニカルドの方へ目を向けたまま、ヤクトは後ろに居るアクリルを親指で指示す。「もう既に此方も何度か命を狙われとるんや。せやから、何が目的で何処の少しでも情報を手に入れようかと思うとんや」
「ほほう、たった一人の子供をそこまでしてとな?」クロニカルドの青く輝く目がアクリルに向けられ、相槌を打つように本が傾いた。「成程、確かにそれは気になるな。では、特別に大魔法使いである己が手を貸してやろう。催眠魔法を使えば、こいつらの目的から何処の所属なのかまで全てが―――」
と、そこまでクロニカルドが言い掛けた所で、不意にアクリルが「あっ!」と声を上げ、私を始めヤクトとクロニカルドの視線を一身に掻き集める。
「あの人達、何か様子がおかしいよ!」
アクリルが指差す先へと振り返れば、黒ローブの男達が白目を剥いて口角から細かい気泡で満ちた泡を噴き出していた。咄嗟にヤクトとクロニカルドは男達の傍へと駆け寄り、脈や呼吸を確かめたが……結局は駄目だった。
「くそ! こいつら、歯の中に毒を仕込んどったんかい!!」
「我等に情報を渡さない為か……。腰抜けだが、暗殺者としての必要最低限の教育は行き届いているようだ。どちらにせよ、死体となってしまった以上は情報を手に入れられんな」
ヤクトは憤るように、クロニカルドは淡々とした口調で死体となった黒ローブ達の評価を下した。自由を奪っていた樹縛を解くと、五人の死体は硬い赤レンガの上に寝転がるように横たわった。
「アンタの魔法で死体から情報を抜き取る事は出来へんのか?」
「残念ながら、そこまで便利な魔法は流石の己でも持っておらん。そもそも
「左様でっか……」
期待していた情報を不意にされてしまったのは残念ではあるが、一先ずは危機を乗り越えれたので良しとしよう。その後もヤクトは彼等の持ち物を隈なく物色したが、目ぼしい物は一切持ち合わせていなかった。恐らく身分や出身がバレる所持品は持ち合わせないようにしていたのだろう。
やがてヤクトが黒ローブ達の調査を終えると、クロニカルドはジロリと舐め取るような眼差しで私達をねめつけた。
「……では、事が一段落した所で次は貴様達の番だ。貴様達は何者だ? そして何が目的で此処に足を踏み入れたのだ? 言っておくが、嘘偽りを言えばどうなるかは言うまでもあるまい?」
髑髏に灯った青火が、薪をくべたかのように勢いを増した。まるでどんな嘘も御見通しだぞと眼力を通して訴えかけているみたいだ。そして私達を代表してヤクトが彼と向かい合い、後頭部を掻きながら気怠そうに口を開いた。
「あー、俺っちはヤクトっちゅーもんや。アンタが警戒する程、怪しいモンやない。そっちの女の子……アクリルと一緒に旅してるんや」
くいっと親指を指してアクリルを紹介すると、クロニカルドはチラリと流すように彼女を一瞥し、すぐにヤクトの方へと視線を戻した。
「此処へ来たんは深い意味があった訳やあらへん。今さっき説明した黒ローブの一味に襲割れた挙句、谷底へ突き落とされたら偶々このダンジョンを見付けただけや。強いて目的を言えば出口を探す事なんやけど……アンタ、このダンジョンの出口を知らへん―――」
「貴様、一体何を言っているのだ?」
このダンジョンに付いて尋ねようとしたヤクトの言葉を遮り、唐突に疑問を呈したクロニカルドの台詞に私達は揃って不思議そうに首を傾げた。しかし、当人は至って真剣に……いや、少々不機嫌な気配を覗かせながら此方を見据えている。
「何をって……何がや?」
「そのダンジョンという呼び方に付いてだ! ここは己の家だと先程も言ったではないか! 己がヨハルド大帝から承ったバートン山岳の一座に築いた秘密の別荘をダンジョンと呼び捨てるなど……不敬も甚だしいぞ!」
「はぁ? 別荘? 此処がぁ?」
「ふんっ! これだから栄えあるゾルネヴァ帝国の歴史を知らん人間は困る! 第一にだ! ダンジョンというものは薄汚い魔獣が彷徨っている場所を指すのであろう!? 己の住んでいる別荘には魔獣除けの結界魔法が張られてある! どんな魔獣であろうと、一匹たりとも―――!!!」
「でも、ガーシェルちゃんは入って来ているよー?」
アクリルが何気なく発した疑問を機に、私達の居る空間に深い沈黙が訪れた。全員の視線が私に突き刺さり、居た堪れなくなった私は触手を覗かせて自身の貝殻を撫でた。人間で言う、汗を拭う仕草みたいなものだ。
「な、何故魔物が居るんだあああああああああ!!!?」
「今更気付いたんかい!!」
今頃になって私の存在に気付いたクロニカルドが思わず絶叫し、ヤクトが即座に突っ込む。その遣り取りのおかげで空気は大分軽くなったが、謎はまだまだ深まる一方だ。
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