第66話 大魔法使いの秘密基地
扉を潜ると、そこは研究所だった。向かいの壁際の本棚には厚みのある難解な本がピッチリと隙間なく収まっており、右手の実験台には前世の世界とは異なる形をしたフラスコや試験官が所狭しに置かれ、怪しげな色をした液体が容器の中を満たしている。そして赤レンガの床には何度も書き直されては消された、魔法陣の痕跡が残っている。
如何にも異世界ファンタジーの魔法使いか魔女が愛用する研究所か実験室という風景にヤクトは目を丸くし、アクリルは興味津々に目を輝かせた。
「何や、此処は? まるで魔法使いの研究所……いや、秘密基地やないか!?」
「わぁ~! 何かいっぱいある~!」
アクリルの好奇心が警戒心を上回り、明るい光に惹かれる昆虫のようにフラフラと実験台の方へ歩き出そうとしたが、流石にヤクトがソレを許さなかった。
「ちょちょちょ! 姫さん!」アクリルの両肩をパッと掴んで引き止める。「あかんって! 得体の知れへんモンに勝手に触れたら!」
「えー」
「『えー』やあらへん! ホンマに冗談抜きで危ないねん! ましてや俺っち達は魔法研究に関してはズブの素人なんやから、下手に触って大惨事になったら取り返しが付かんくなってまう! 兎に角、此処に在る道具や物の類は下手に触れたらあかん! ええな!?」
「はーい……」
ヤクトの真剣な説得に折れたのだろう。アクリルが不本意極まりない返事を返して渋々と引き下がると、ヤクトはホッと溜息を吐き出した。
「ここは俺っちが調べるさかい、姫さんはガーシェルと一緒に大人しゅう待っとき」
そう言うとヤクトは向かい側にある本棚へと直行し、一つ一つを手に取って調べ始めた。右手にある研究台には流石に手を付ける気は無さそうだ。というか、何が起こるか分からないから手が付けられないと言うべきか。
そして私はアクリルが子供の好奇心を暴走させて独断行動しないよう、彼女の腰に触手を巻き付けて見張り役に徹した。当然、自由に動けない彼女は不機嫌顔だが。
「むーっ。アクリルもヤー兄みたいに色々と見たいのにー……」
『アクリルさん、此処には何が置いてあるのか分からないのです。ヤクトさんの言う通り、下手に触れて大惨事を引き起こしたら大変どころじゃありませんよ』
幼児の怒りを鎮めようと、ぷんぷんと頬を膨らませるアクリルの頭を優しく撫でるも中々効果が表れない。幼い子供とは言え、怒りを拗らせると厄介だ。何か別の話題に向けさせないと……そうだ、今の内にアレを話してしまうか。
『ああ、そうだ。アクリルさん、実は今さっきの戦いのおかげで、私も進化が可能になったんですよ』
「しんか? しんかってなーに?」
それまでの怒り顔から一転してきょとんとした素の表情を覗かせ、進化という言葉に食い付いて私の方へと振り返った。魔力が凄いだの何だのと言っても、知らない物事に強い興味を示す点を鑑みれば、やっぱり純朴な子供なんだよなぁ。と内心で思いつつ、私はゴホンと咳払いをした。
『今よりも強くなる事ですね。あと姿形も変わったりするんですよ。もしかしたら珍しい魔獣になるかもしれませんよ』
「へー、そうなんだー! でも、アクリルは今のガーシェルちゃんも好きだけどなぁ」
『ははは、有難うございます。でも、これからアクリルさんを守る為にも私はもっと強くなりますからね』
「うん! アクリルも頑張る!」
今のままでも好きだと言われた瞬間に私の心がグラリと揺らいだけど、流石にこのままの姿で戦い続けるのは難しい。何よりもアクリルを守る為には、強くなるのは必須条件みたいなものだ。
もうこの際だ、今から進化しておこうかな……と考えていた矢先、本棚の調査を終えたヤクトが私達の元へ戻って来た。
「おかえりー! どうだったー?」
「本棚に怪しいモンは一切無かった」肩越しから背後の本棚へ視線を注ぎ、肩を竦める。「あそこにあるのは魔導書ばかりやけど、どれもこれも300年以上も前に作られた年代物や」
「それってすごいの?」
「歴史学者からしたら涎が出る程の宝やろうなぁ。せやけど、実際にはどの程度の価値が付くのかは分からへん」
ふぅむ、つまり本棚の書物は学術的価値のある御宝と言う訳ですか。だけど、そんな宝物を山程ゲット出来たとしても、出口を見付けなければ意味が無い。そしてヤクトは右手にある実験台へチラリと目線を寄越したが、苦笑いを浮かべて諦念気味に首を横に振った。
「流石にあっちの実験台を調べる勇気はあらへんわ。間違ってヤバい薬品を引っ繰り返したり、禁断魔法をうっかり発動させたら洒落にならへんからな。となれば……調べるんとしたら、こっちやな」
そう言って彼が目線を左手に据え、釣られて私達も同じ方向に目を向ける。実は部屋に入って来た時から気になってはいたのだけど、ソレに関しては余り触れたくもなければ、出来れば目も向けたくなかった。何故なら、部屋の左手に置かれていたのは―――立派な石棺だったからだ。
幾何学模様の彫刻が全体に施された石棺は、開けるのはおろか触れるのですら烏滸がましい雰囲気を纏っており、まるで古代遺跡に眠る王家の墓みたいだ。
というか、実験台に触れるのは怖いけど、誰かが眠っているかも分からない墓を暴くのは
「ヤー兄、あれなーに?」
「これは石棺と呼ばれるもんで、要は死んだ人が入る棺やな」
「開けていいの?」
「ダンジョンに人間の棺が置かれてある事自体がおかしいやろ? つまり、こういうダンジョンでは棺=宝箱と見做すべきやろ。それに棺が立派であればあるほど、その分お宝の価値も大きいってもんや。もしかしたら脱出用の魔法陣が隠されとるかもしれへん」
そう真面目に語るヤクトだが、私は気付いてしまった。彼の表情が……物凄く活き活きしてらっしゃるという事に! 恐らく、この人の脳裏では故人<御宝という構図が出来上がってるに違いない。
でも、よくよく考えると確かにヤクトの言葉にも一理ある。ダンジョンに人間の棺が置かれてある事自体がおかしい。では、やはり宝箱的な存在なのだろうか? その答えを知るには、どの道石棺を開けて中を確認する他無いだろう。
「ガーシェル、頼むで」
『はい、分かりました』
ヤクトの命を受けて石棺の傍へと近付くと、蓋の隙間に二本の針を差し込み、梃子の原理を応用して蓋を取っ払う。意外と簡単に落ちた蓋がレンガの床に激突し、部屋中に鳴り響く甲高い音にアクリルとヤクトは思わず両耳を抑えた。
「うー……うるさぁ~い」
「ガーシェル、もちっと丁寧にやってくれや」
『す、すいません……』
梃子の原理を応用するまでは良かったが、最後の締め括りで少し杜撰になってしまった点は否めない。申し訳ない気持ちで一杯になりながら二人に謝罪を告げると、ヤクトが私の横に立って石棺の中を覗き込んだ。
「これは……本?」
石棺の中身は故人の死体でもなければ、出口となる魔法陣でもなく、一冊の分厚い――六法全書に匹敵する程の――本がポツンと置かれているだけだった。中を見られないよう厳重な鍵が備わっているほか、磨き抜かれた銀の輝きを放つ、不気味さと芸術性を兼ねた三つ目の髑髏の装飾が表紙を飾っている。
「わー、すごくおっきな本だねー」
アクリルの物珍しそうな視線の矢が、ヤクトが石棺から取り出した本へ突き刺さる。ヤクトも手にした本を様々な角度から眺め、やがて本をアクリルに預けると再び石棺の中を探り始めた。だが、石棺内には目ぼしいものは残っていない。
「ヤー兄、何してるの?」
「この本を開く為の鍵を探しとるんや。これが何なのかは分からへんけど、こんだけ分厚い上に鍵を掛けとるんや。希少なものに違いあらへん」
成程、鍵で閉ざされているのならばソレを開ける為の鍵があって当然だ。しかし、棺を何度見渡しても見当たらない。
「あかんな、やっぱりどこにもあらへんわ」
「じゃあ、カギを壊しちゃう?」
「いや、正しい手順を踏まずに開けようとすれば発動する呪術が仕込まれとる可能性もある。取り敢えず、コイツは地上に持って帰って調べる必要が―――」
ヤクトが本の扱いについて述べている最中、自分達が入って来た扉がバシュンッとSFチックな音を立てて開いた。何だと思い私達が振り返れば、ゴキブリ並みに二度と見たくない黒ローブ姿の男達が開いた扉から室内へと入って来た。
「お前等……!!」
ヤクトが咄嗟に拳銃を引き抜いて構えようとしたが、黒ローブの一人が紙一重の差で放った電撃魔法が彼の拳銃を弾き飛ばした。
「ヤー兄!!」
「姫さん! 下がっとき!!」
拳銃を弾かれた衝撃による麻痺が右手に残っているにも関わらず、ヤクトはアクリルの前に立って彼女を守ろうとした。更に二人の間に私が入り、あっという間にアクリルが最後尾へと追い遣られる。尤も、私達が倒されてしまったら無意味に帰してしまうが。
そして五人の黒ローブの内、代表として一人が一歩前へ踏み出すと、相変わらず覇気の無い暗い声色がローブの下からボソボソと零れた。
「その子供を渡せ。そうすれば見逃してやる」
うん、知ってた。どうしてアクリルを欲するかは分からないけど、私達の答えは既に決まっている。
「お前らの頭と耳は装飾品かいな? 谷底に落とされる前に言うたやろ! この子は絶対に渡さへんってな!!」
「……ならば、致し方あるまい」
残りの四人も一歩前へ踏み出し、代表者の肩に並ぶや一斉に呪文を詠唱し始めた。強力な魔法攻撃の前触れだ。
未だに麻痺が消えず右手首を抑えたままのヤクトの表情に焦りが滲み、チラリと背後に居るアクリルの方へ振り返れば、
『だ、大丈夫ですよ! アクリルさん! 何があっても絶対に私が御守りしますから!』
「が、ガーシェルちゃん……!」
彼女の不安を少しでも和らげようと努めて優しい声色で呼び掛けるも、緊張のせいで声が上擦ってしまう。それが逆効果になってしまったかは分からないが、直後にアクリルの目から大粒の涙が零れ落ち、彼女が両手で抱えていた本の表紙を飾る髑髏の顔にポタリと落ちた。
「―――やれやれ、人様の家で好き勝手しおってからに。少しは遠慮という物を覚えたらどうなのだ?」
そして場の空気が殺伐とした雰囲気に呑まれ掛けた矢先、魅惑的なダンディボイスが室内に響き渡った。その声の主は当然私達のものでもなければ、黒ローブの男達のものでもないらしく、場の空気は殺伐から動揺へと転じ始めた。
「何や、今の声は?」
「何処だ!? 何処からだ!?」
この場に居る全員が辺りを頻りに見渡すが、先程の声の人物を中々に見付け出せない。聞き間違いだったのか? いや、全員が全員同じ声を聞いているのだから私個人の間違いという線は限りなく薄い。だとしたら、今の声は一体何処から聞こえたのだろうか?
「が、ガーシェルちゃん! ヤー兄!」
不意に私達の背後から逼迫した声が上がった。私とヤクトは素早く背後へ振り返り、そして視界に飛び込んだ光景に思わず目を瞠った。ヤクトがアクリルに預けた鍵付きの本が濃密な紫色のオーラが纏い、彼女の手を離れてふわふわと宙に浮いていたのだ。
「ほ、本が宙に浮いとるやと!?」
『あ、アクリルさん! 一体何があったんですか!?』
「わかんない! 急に本が光り初めたと思ったら……!」
「騒ぐな、小童共。此処は
と、そこでまたしても声が聞こえて来た。だが、今度は誰が声の主なのか一目瞭然だった。言葉に合わせて本の表紙に飾られた髑髏がカチカチと口を動かし、三つの眼孔に人魂を彷彿とさせる青い灯火が宿っている。間違いない、声の主はコレだ。
「まさか……本が喋っとるんか!?」
「貴様、己を単なる本だと思い込んでいるのか? だとしたら愚かな間違いであり、不敬だぞ?」
うわー、本に説教されるなんてファンタジーだなぁー。しかも、凄い上から目線だし。というか、見た目が本なのに本じゃないと否定されちゃった。何この哲学。
「何だ、あの本は……!?」
「分からん……だが、あれは厄介な魔力を抱えているぞ!」
「構わん! やれ!! “
黒ローブの男達は中断していた詠唱を再開し、私達に向かって炎を打ち出した。視界を埋め尽くす炎の津波が目前に迫り、何の抵抗も出来ずに呑まれるかと思われたが―――
「“
本が……いや、本の形をした何かが魔法を唱えると、私達一人一人の周りに磨いた真珠のような薄い膜が張られた。直後に黒ローブが放った炎が襲い掛かって来たが、まるで岩石に阻まれる流水のように膜に沿って過ぎ去っていく。しかも、業火によるダメージはおろか熱さすら皆無だ。
やがて炎が通り過ぎると膜は音も無く消失した。私達自身は無傷だが、私達の立っている足元や背後の壁や石棺は業火に焼かれて黒く煤けており、相手の放った魔法の威力がコケ脅しではなく確かなものである事を証明していた。
「ば、バカな! 我々の魔法が通用しないだと……!?」
「今の魔法は上位クラスだぞ!! それが無傷だなんて……!?」
黒ローブ達は平然としている私達を見て、驚愕交じりの動揺を露わにした。何だかんだで彼等が感情を色濃く表現するのは、これが初めてではないだろうか。すると、本の形をした何かはくっくっくと愉悦の籠った笑い声を漏らし始めた。
「その程度の魔法で抗おうなど……不敬にも程があるぞ? だが、それが逆に滑稽で笑えてくる」
「き、貴様は……貴様は一体何なのだ!?」
黒ローブが我慢ならんと言わんばかりに問い掛けると、本から漏れ出ていた笑い声がスッと消え、代わりに本の周囲にある空間が歪む程の強烈なプレッシャーが放たれた。
「我が名はクロニカルド・フォン・ロイゲンターク。“
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