第29話 山賊

「急げ! モタモタするな!」

「分かってるよ! これで精一杯なんだよ!」

「おい、後ろから押すんじゃねぇ!」


 複数の男達が互いを急かし合いながら起伏の少ない山道を転がり落ちるように駆け抜けていく。雨上がりで滑り易くなった地面が何度も男達の足を掬い上げようとするも、彼等は泥塗れになりながらも山を駆け降りるのを止めなかった。

 傍から見ると異様な光景かもしれないが、男達の故郷であるパラッシュ村が山賊達の襲撃を受けて存亡の危機に立たされているとあっては無理からぬ話だ。

 来た道を戻るだけとは言え、水源地からパラッシュ村までの距離は時間に換算すれば最低でも小一時間近く掛かり、直ぐに辿り着けないのは明白だ。しかし、村に残っている人達のことを考えると、無駄だと分かっていても一刻でも早くと気が急いてしまうのだ。

 かく言う私も頭の中ではアクリルやメリルの事で一杯だった。今はまだ村に居残った男達の働きもあって村にまで被害が及んでいないかもしれないが、何時まで持ち堪えられるかについては余り期待を寄せない方が良いだろう。

 本当ならば本気以上のスピードを出した方が良いのだが、隣を走るガーヴィンを差し置いて私一人だけが先行するのも気が引ける。

 比較的に均衡の取れた彼の顔には堀のような深い皺が眉間に掘られ、所謂思い詰めた顔をしていた。その表情を読み解けば、村に居る妻子の安否を案じているのが手に取るように分かる。

 私は意を決してガーヴィンの腕を触手で突いて意識を此方に寄越させると、「何だ、シェル?」という焦りと苛立ちを共存させた声と共に剣呑な視線が私に突き刺さる。

 視線に込められた凄みに一瞬だけ心が挫けそうになるが、それでも何とか踏み止まりつつジェスチャークイズをするかのように身振り手振りならぬ触手振りをして必至に訴えた。

 最初こそ「何だコイツ」と怪訝そうな視線を注がれていたが、私が上の貝殻を触手で指差した途端、合点が行ったかのようにハッと表情が冴え渡るのと同時に貝殻の上に飛び乗った。

 そう、私がガーヴィンに伝えたかったのは『私の貝殻に乗れ』という訴えだったのだ。


「すまん! バルドー! 一足先に行くぞ!」

「気にするな! 先に行け!!」


 万が一に備えて調査隊を守るという役目もあり、先行出来ないバルドーにガーヴィンが一言詫びを入れたところで私は泡の車輪に魔力を注いだ。

 高速回転したタイヤが泥濘んだ土を後ろへ巻き上げながら空回りし、そして数秒後に漸く地面を掴むのと同時に急発進した。

 今までに出した事のない最高速度――約時速70キロ余り――で山を下り、あっという間に後方に置き去りにした調査隊の姿は豆粒のように小さくなり、そして見えなくなった。

 けれども私はそんな事実に見向きする余裕もなく、只管に目前に広がる下りの山道を見続けた。早くアクリルの下へ辿り着き、彼女を守らなければならない……本心に近い位置にある『主を守る』という従魔の使命感がそう囁いていた。

 人間だった頃には無かった感情の芽生えに少なからぬ驚きを覚えたが、これも従魔契約の影響なのかもしれないと自己完結させた。



「慌てるな! 落ち着いて行動しろ!」

「応援要請の手紙も出せ! 大至急だ!!」

「持てる物だけ持っていけ! それ以外の荷物は奴等にくれてやれ! 命あっての物種だ!」


 雨上がりの昼下がり、穏やかな時を刻む筈であったパラッシュ村の平穏は山賊達の襲来という青天の霹靂によって一転した。その時のパラッシュ村の光景を一言で言うなれば、恐慌状態パニックだ。

 非力な年寄りや女性達は慌てながらも持てるだけの富と財産を手にして避難の準備を開始し、村の守りを任された男達は武器を手にし、山賊の侵攻を水際で食い止めるべく大急ぎで防衛線の構築を開始する。とは言え、軍隊のように毎日訓練している訳ではないので、その手際は御世辞にも良いとは言い難い。

 村の外で大人達が右往左往する姿を、アクリルは窓を通してぼんやりと眺めていた。留守を任されたアクリルとメリルも避難する者達の中に含まれているが、メリルは兎も角、幼いアクリルは起こっているのかという騒動の要点を理解し切れていなかった。強いて分かった事と言えば、村にとって良くない事が起きているという事だけだ。

 そんな人々の姿を眺めていると不意にバタンッと荒々しく家の扉が開け閉めされる音が聞こえ、思わず音の方へ振り返ると自分が居る部屋に母親が駆け込んできた。常に絶やさない微笑の余裕はなく、代わりに危機が目前にまで迫っている事を物語る切羽詰まった表情を浮かべていた。


「アクリル! 大事な荷物を急いで纏めなさい!」

「おかーしゃん! みんなどうしちゃったの?」

「この村に山賊が攻めて来てるのよ!」

「さんぞく?」


 聞き覚えの無い四文字に幼子は不思議そうに首を傾げた。

 もしもパラッシュ村に開拓史なるものが存在すれば、そこにパラッシュ村が山賊に襲われたという過去の出来事が事細かに記されていたに違いない。

 しかし、山賊に襲われたのは村が誕生してから数年にも満たない、防衛力的にも村民同士の信頼的にも未成熟な時期だった。試行錯誤を経て両者が成熟し始めると徐々に山賊も手が出せなくなり、最終的にはパラッシュ村から姿を消した。

 それから半世紀が経過する内に獰猛な魔獣が存在感を増し、山賊の脅威は風化どころか忘却の烙印を押されてしまっていた。そして今回半世紀振りに山賊の襲撃を受け、村人達の混乱に一層拍車を掛けたのは想像するに難しくない。

 メリルは家の中から持ち出せる貴重品を背負鞄リュックに詰め込みながら、村の混乱と山賊の脅威を理解し切れていない愛娘に口早に説明した。


「山賊って言うのは悪い人の集まりよ! その人達がアクリルの居る村を襲おうとしてるの! だから今すぐに避難しないといけないの!」

「わるいひとがアクリルの村に!? たいへんだー!」


 流石の子供でも善悪の区別は付いており、悪党が村を襲いに来ていると知るやアクリルは驚きで目を見開かせた。只、驚きばかりが先行するリアクションからして、現在進行中で村を取り巻きつつある山賊の脅威や危険性を真に理解しているかは怪しいものだが。


「ほら、アクリル! 急いで避難するわよ!」

「おとーしゃんやシェルちゃんはどうするの?」


 村を離れている父と従魔を心配するアクリルに対し、メリルは道具を纏めていた手を止めた。そして娘の不安を払拭するように彼女の目線に合わせてしゃがみ込み、細い両肩に優しく手を置いた。


「お父さんとシェルちゃんなら大丈夫よ、どっちも強いって事をアクリルも知っているでしょう? きっと直ぐに戻って来て、山賊達をこてんぱんに倒してくれるわ。でも、その前に私達が逃げないと。お父さん達が私達を心配してたら満足に戦えないでしょ? それは分かる?」

「うん、分かる」

「それじゃ、これにアクリルの玩具や本を詰めなさい。そしたら急いで避難するわよ。でも、全部は駄目よ。本当に大事だと思ったものだけよ。良いわね?」

「はい!」


 母親に促されるように小さいリュックを受け取ると、アクリルは急いで自分の部屋へと駆け込んだ。

 暖かな日の光が入る部屋の窓際には幼児向けの小さいベッドが置かれ、向かい側の壁には数冊の絵本が収納された背丈の低い本棚が、そして両者に挟まれる位置には絵や文字を書いたり飯事ままごとで使用されるこじんまりとした円卓テーブルが置かれていた。

 これと言って特徴らしい特徴も見当たらない、至って普通と称す他ない子供部屋ではあるが、アクリルにとっては彼女の夢と世界が詰まった狭き王国であった。

 そしてアクリルは自分の王国の中から、子供の感性に従い選りすぐりの物だけを選んではリュックに詰め込んでいく。愛着のある玩具や人形、お気に入りストーリーが描かれた絵本。只でさえ要領の少ないリュックは瞬く間にパンパンに膨れ上がり、それでも入り切らない分はアクリルの脇に抱えられた。

 流石のアクリルも母に言われた通り全て持っていくのは無理だと理解しているが、それでもあと一つだけ何かを持って行こうと部屋中に視線を巡らすと、彼女が宝箱と呼んでいる鍵穴の付いた木箱が目に入った。


「これももっていこう!」


 そう言ってアクリルが箱の中に手を伸ばし、取り出したのは金色の鈴が付いたネックレスだ。彼女が三歳の誕生日の時に貰ったプレゼントであり、カランコロンと軽やかに鳴る鈴の音色がお気に入りだ。

 それを首に着けるとアクリルは思い残す事が無いと言わんばかりに部屋を後にし、避難準備を終えて玄関先で待機していた母と合流した。


「アクリル! 急いで!」


 危機を目前にして強張ったと言うよりも罅割れたという表現が似合う震えた声は、無意識に相手を急かす口調が副産物のように付き纏っていた。そしてメリルは合流した娘の手を掴むや流れるように抱き上げて、直ぐさま家の外へと飛び出した。

 外に出ると大勢の村人達が脇目も振らずに港へ向かっていた。港と居住区を隔てる防壁の向こうへ逃げ込んで山賊の脅威から逃れるという目的もあるが、港にある船に乗って脱出するという究極的には村を捨てる可能性も含まれている。

 そしてメリルも彼等に倣って走り出そうとした矢先、ドンッと花火を打ち上げるような爆音が鳴り響き、後ろ髪を引かれた。


「何!?」

「おかーしゃん! あれ見て!」


 アクリルが指差さずとも、メリルの視界にもソレは映っていた。村と裏手の山の間に広がる雑草地帯から朦々と伸びる、蜘蛛の糸のような細長い黒煙が。

 だが、彼女が見た時には既に黒煙は片手の指の数を超えていた。そして今新たにドンッとくぐもった爆音が鳴り響き、活きのある新鮮な黒煙がキノコ雲を描きながら天に向かって吐き出された。今度のはそれまでの蜘蛛の糸よりも遥かに太い、それは爆発の根源が村に近付きつつある証拠だ。

 黒煙へと傾き掛けた意識を振り払い、メリルは港に向かって駆け出した。だが、そこでアクリルが母の名を呼びながら空を指差した。


「おかーしゃん!」


 娘の声に只ならぬものを感じ取り、メリルは彼女の指差す先を見上げた。頭上を通り過ぎていく雨雲の残渣から覗く太陽が―――

 そんな馬鹿なと一瞬思考内の常識が猛反発したものの、直ぐに片方の太陽が此方に向かって落下している事に気付いた。あれは太陽ではない、荒々しい火の波紋を纏った魔法の火球だ。


「アクリル!」


 咄嗟に地面にしゃがみ込んでアクリルを庇った直後、眩い閃光と焼けるような熱風、そして鼓膜が破れんばかりの爆音が襲い掛かった。居住区に火球が墜落したのだ。


「ぎゃあああああ!!」

「だ、誰か! 助けてくれぇ!」

「アンタ! しっかりしな! アンタぁ!!」


 苦痛を覚えるほどの激しい耳鳴りが鼓膜の奥で鳴り響くが、誰かの悲痛な叫びが耳鳴りを凌ぐ音量で被さってくる。メリルは耳鳴りを追い払うかのように数度頭を振り、固く閉じた瞳を恐る恐る開いた。

 そこには先程の平穏とは懸け離れた、変わり果てたパラッシュ村の姿があった。爆発と共に四方に飛び散った炎は無慈悲な焼夷弾となって居住区に降り注ぎ、瞬く間に村の大部分が灼熱の業火の中に沈んだ。

 運悪く炎に取り付かれた村人が村中を走り回り、身体に密着した炎を払い落とそうと必死に抵抗する。だが、火は離れるどころか滑るように人間の身体を包み込み、そのまま村人と『熱い』ダンスを踊った後、丁重に地獄へとエスコートした。

 目の前で繰り広げられる阿鼻叫喚の地獄絵図に、メリルは業火に囲まれているにも拘らず、肌が粟立つほどの悪寒を覚えた。腕の中に居るアクリルもカタカタと震え、変わり果ててしまった村に恐怖を覚えていた。


「おかー、しゃん……」

「大丈夫よ。アクリルだけは絶対に―――!」


 アクリルの不安を払拭させる筈だった言葉は最後まで続かなかった。突如後頭部に襲い掛かった硬質的な打撃音と衝撃がメリルの意識を強奪し、そのまま彼女は業火に照らされた大地の上に崩れ落ちた。


「おかーしゃん? おかーしゃん!!」


 アクリルは突然意識を失った母親の腕から這いずるように抜け出すと、メリルの身体をゆさゆさと揺さ振った。しかし、彼女の意識は戻らず、まるで強力な麻酔を打ったかのように呻くだけだ。


「おかーしゃん! おきてよ! おかーしゃん!」

「いけないぜ、お嬢ちゃん。お母ちゃんは御寝んねしたいんだとさ。無理に起こすのは体に毒だぜ」


 聞き慣れない胴間声にアクリルはハッと表情を硬直化させ、すぐさま声の方へと振り返る。もしかしたら自分の知らない村の誰かかもしれないという期待も少なからず胸に宿していたが、そんな藁をも縋る幼い子供の願いは視線の先でニヤけ顔を浮かべる山賊達によって呆気なく砕け散ったのであった。

 その中でも一際目を引くのは数人の部下を付き従わせている巨漢の男だ。複数の傷跡をこさえた筋骨隆々の上半身をあられもなく曝け出し、剃髪頭に狼のような魔獣の剥製で作った帽子を被った男は、上唇から生えた長い鯰髭を指で弄りながらアクリルを見下ろしていた。


「お嬢ちゃん、ちょっと俺達に付き合ってくれないか? 何、悪いようにはしねぇさ」


 黄ばんだ歯を見せ付ける様にニヤッと笑うと、男は彼女に向かって丸太のような腕を伸ばした。

 アクリルは目に涙を浮かべながらも男の手から逃れるように踵を返したが、その判断を下すには余りにも遅過ぎた。逃げようとするアクリルの首根っこを片手で掴み上げ、子猫を乱雑扱うかのように軽々と持ち上げて彼女の動きを封じてしてしまう。


「わあああああ! おかーしゃん! おかーしゃーん!」

「がはははははは!!! 泣くな泣くな! お前さんを傷付けやしねぇよ! 今はな!」


 泣き叫ぶアクリルの声すら心地良いと言わんばかりに、男は天を仰ぎながら豪胆な笑い声を飛ばした。火の粉や灰燼を巻き上げながら上昇する黒煙はパラッシュ村の上空を支配し、その底辺では居住区を焼き払わんとする業火が血を焦がしたような赤で生々しく照らしていた。

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