第27話 水源調査①
決して高くはない山頂に分厚い黒雲が圧し掛かり、雲の表層が地面と睨み合いっこをしてから数秒足らずでパラパラと大粒ながらも小降りの雨が降り始める。やがて雨は勢いを増して絶え間ない雨へと発展し、山を登る二十人規模の調査隊の足に多大な負荷を強いた。
「くそ、降り始めたな。こりゃ本降りだぞ」
「まだ雷が鳴らないだけマシだぜ。俺みたいな槍持ちは雷様の餌食になっちまうからな」
調査隊の男達が口々に降り注ぐ雨や
そんな男達とは対照的に、私の心は軽やかだった。元が水棲魔獣だったからか、恵みの雨を受けた身体は何処か軽く感じるし、バブルホイールの恩恵でぬかるんだ山道なんて屁でもないと言わんばかりに軽々と上っていく。その姿を見た村人達も、羨まし気な目を私の方へと向ける。
「ガーヴィンさん、シェルを馬車代わりにしたらどうだ? コイツに乗っていけば、水源まで苦労せずに行けるんじゃねぇのか?」
「馬鹿野郎、コイツはピクニックじゃないんだ。シェルに乗ってたら、突然の襲撃に対応出来ないじゃねぇか。あとソイツは“俺の娘の従魔”だ。野郎を乗せる為のモンじゃねぇ」
ガーヴィンが仲間の提案を一刀両断すると、男達は苦笑を浮かべながら小さく肩を竦めた。有難うございます、ガーヴィンさん。私もムサ苦しい男達のケツに敷かれるのは御免です。
今現在、私達が目指している
私達が歩いている登山道の左手の脇に目を遣れば、例の川が流れているのだが……やはり其方も赤かった。大量の雨水で薄まるどころか、時間が経つに連れて赤みを増しているような気もする。まるで何度洗っても落ちない血のようだ。
私と同じ考えを抱いたのか、戦闘を歩いていたガーヴィンが川の方を見据えたまま、反対側のバルドーに言葉を投げ掛けた。
「水の汚染が進んでいるのでしょうか。先程よりも赤みが増していますね……」
「うむ、一刻も早く水源を浄化せねば。このままでは汚染水を浄化し切れなくなり、この山の自然そのものが死にかねん」
湧き水は山全体を潤すだけでなく、そこに住まう動植物にとっても貴重な生命線である。それが毒で汚染されてしまえば動物達は山を去り、植物は枯れるのを待つしかない。そして残るのは死を体現したかのような禿山だけだ。
飲み水だけでなく山菜や薬草と言った自然の恵みさえも失えば、パラッシュ村の人達の暮らしに大打撃が及ぶのは言うまでもない。最悪、人々は慣れ親しんだパラッシュ村を捨てて、別の土地に移り住まなければならない。そうなる前に何としてでも汚染水問題を解決し、元の生活を取り戻す必要があるのだ。
「クローネ、近くに魔獣はいそうか?」
「グルルルル……」
今回の任務に同行している魔獣は私だけでなく、バルドーの従魔であるクローネの姿もある。自慢の毛が雨で濡れてしまうのが嫌なのか、時々身体全身を振るっては滴を払い落としていたが。
クローネは低い猫鼻をスンスンと動かして辺りの匂いを嗅ぐ仕草をするも、何も嗅ぎ取れなかったのかしょんぼりと眉をハの字に曲げてバルドーを見遣った。
「やはり雨のせいで匂いが薄れているか。間が悪いと言えばそれまでだが、今更雨が止むまで待つなどと悠長な事は言ってられん。全員! 気を引き締めろよ! 何処から魔獣が襲ってくるか分からんぞ!」
バルドーがそう忠告するや男達の間に緊張で紡がれた不可視の糸が張り巡らされ、それに合わせて彼等の警戒心が強まった。何処から魔獣が出てくるか分からないとなれば、頼れるのは己の視野に映る情報と注意力、そして直感だ。
無論、それは私にも言える事だ。しかし、私の場合は目視に頼らずともソナースキルの恩恵で魔獣を感知出来る分、人間達と比べて精神的プレッシャーは幾分かマシと言えよう。では、早速ソナースキルを発動させようとした時だった。
ガサッ
右手に広がる草藪が大きく揺れ動き、男達は一斉に音のする方向へ振り向いた。バルドーとガーヴィンも例に漏れず草藪の方へ警戒心を纏った視線を投げ掛けているが、この二人は既に自分の得意とする得物を手に取って万が一に備えている。これが熟練者と素人の差と呼ばれるものだろう。
二人の格好を見て、他の男達も遅れて得物を手にして身構える。そして草藪が更に数度左右に揺れ、やがて藪を掻き分けるようにして一匹の魔獣が現れた。
アクリルぐらいの大きさをしたキノコに短い手足を生やし、単調な糸目を描いた魔獣らしからぬ愛嬌のある顔。まるでド○モダケみたいな出で立ちに思わず吹き出しそうになったが、周囲の男達の真剣且つ警戒した声が私の中で込み上がった笑いを堰き止めてくれた。
「ま、マタンゴだ! マタンゴが出たぞ!」
「やっぱり出てきやがった!」
成程、コレがマタンゴと呼ばれる魔獣か。想像していた以上にキノコの要素が強く、アディソンが言っていたように人間を積極的に襲うタイプの魔獣には見えない。一見するとスライムにも通じる可愛さを持っているが、何やら様子が変だ。
マタンゴの頭に被っている傘が風船のように膨らんだかと思いきや、煤のような黒い霧を放出しながら元の状態に萎んでいく。そんな怪しげな膨張と収縮を何度も繰り返しながら、此方をキッと鋭く睨み付けてくるのだ。元々が糸目なので睨んでいるかどうかは定かではないが、兎に角、私達の方へ非友好的な視線を飛ばしているのは確かだ。
「妙じゃぞ、ガーヴィン」
「ええ、妙ですね」
バルドーが目の前に現れたマタンゴを見詰めながら疑問を投じ、ガーヴィンもその意見に賛同して首を縦に振った。
「マタンゴは元来臆病者だ。滅多な事が無い限り、人間はおろか他の魔獣にさえも近付きやしない。姿を現すなんて以ての外だ。だが、こいつは我々の前に自ら姿を晒した上に、頭から黒い胞子を飛ばしている」
「マタンゴは頭から放出する胞子の色で喜怒哀楽を伝える生物でもあります。黄色は喜び、青は悲しみ、赤は怒り。では、黒はと言うと―――」
「相手への敵意――」
「もしくは拒絶――」
「「もしくは両方」」
二人の言葉が同時に被さった瞬間、周囲の木々が一斉に騒めき出した。自然の悪戯による騒めきではなく、草影に隠れていた何かが動き出したかのような騒めきだ。
もしやと思いソナーを起動させて周囲を確認すると、藪の向こうに小さくとも列記とした赤い点――生物の反応――をキャッチした。その数は此方の三倍……いや、四倍? もしかしたら五倍あるかもしれない。少なくとも一目で数え切れないほどに大量だというのは確かだ。
「キー!!」
そして私達の前に現れたマタンゴがショッ○ーの戦闘員を彷彿とさせる叫び声を上げた途端、周囲の藪から蜂の巣を突くかの如くわらわらとマタンゴの大群が飛び出してきた。
その大群は皆が皆、片手に木の棒を持ちながら頭の傘から黒い胞子を飛ばしている。貧弱ながらも武装をしている時点で明白だが、彼等と良好な関係を結べる可能性は望み薄のようだ。
「迎撃ィ!!」
バルドーが命じるや男達は各々武器を手に取り、マタンゴに向かって振り下ろしたり突き刺したりと武器の用途に合わせた攻撃を繰り出す。弱小モンスターと言うだけあって男達が数度攻撃を命中させただけで簡単に事切れてしまうが、如何せん数が多過ぎる。
「くそ! 何て数だ!! 倒しても倒してもキリがねぇ!!」
「これじゃ大群に飲み込まれちまうぞ!!」
男達の焦燥混じりの悲鳴が至るところから溢れるのに対し、マタンゴ達は仲間が倒ていくのを見ても怖じ気付くどころか屍を踏み越えて勢いを増す一方だ。これにはバルドーも誤算だったらしく、苛立たし気に舌打ちを零した。
「これでは埒が明かん! クローネ! お前さんの出番だ!!」
「フシャアアアア!!!」
クローネが前に飛び出すや、自慢の黒毛から紡ぎ出した鋼糸(ワイヤー)を精神が通っているかのような緻密な操作でマタンゴ達に柔らかく巻き付かせる。そしてキュッとワイヤーを引っ張ってマタンゴ達の体を締め上げるのかと思いきや、そのまま肉厚なキノコの身体を真っ二つに両断した。
ブツ切れになった肉片がボタボタと降り注ぎ、黄緑色の体液が雨で泥濘るむ地面にブチ撒けられて一体と化す。これには一心不乱に猛進を続けていたマタンゴ達も恐怖を覚えたのか、足が竦んで一瞬だけ動きが止まった。
『水魔法【ウォーターマシンガン】!』
その隙に私は貝殻の隙間から二本の触手を覗かせ、マタンゴ達に水弾の雨を浴びせ掛けた。植物系の魔獣に水魔法の攻撃は相性が悪いのではと心配だったが、ウォーターマシンガンはマタンゴの体を数発掛けて撃ち抜き、私の不安を魔獣諸共亡き者にしてくれた。
ウォーターマシンガンを一本の触手ではなく二本の触手で発射しているので、その分魔力の消費量も多いが、多数の敵を一網打尽にする爽快感は中々に気持ちが良く、戦闘狂ではないが病み付きになりそうだ。
「おお、良いぞ! その調子だ!」
「俺達もシェルやクローネに負けてられねぇ! 行くぞ!!」
私やクローネの活躍を見て対抗心とも戦意とも呼べる意欲が向上したのか、何人かの男達が雄叫びを張り上げてマタンゴの群れに攻め込んだ。だが、それは逆の見方をすれば調子に乗っているとも言えた。
「待て! 迂闊だぞ!!」
バルドーが制止を呼び掛けたが、時既に遅かった。男達が目前のマタンゴ達に向けて夢中に武器を振り下ろしている中、一線を画すかのように遠巻きに居るマタンゴ達が互いに腕を組み合った。そして生きた鎖となって私達を半包囲した時、それは起こった。
「「「イー!!!」」」
マタンゴ達の不思議な叫びと共に、毒々しい紫煙が傘から噴出した。以前に戦ったラビットロールのポイズンブレスにも似ているが、マタンゴ達の人海戦術もあって量も範囲も勢いも何もかもが桁違いだ。
巨大な壁のような紫煙が目前に迫り、誰もが突然の死と対面したかのように頭が真っ白になり、何も考えられなかったに違いない。現にこういった魔獣との戦いに慣れているバルドーや、元騎士であったガーヴィンですら言葉を失い何も出来なかったのだから。
だが、幸いにも私の場合は毒無効という強力なスキルを手に入れていたおかげで、毒に侵される心配は無い。それ故に思考には余裕が生じており、津波のような紫煙が迫って来る中でも即座に対策の一手を打ち出す事が出来た。
『泡魔法【バブルバリア】!!』
私を中心に包み込む形で巨大な泡の防壁を作り上げ、目前にまで迫って来ていた紫煙をシャットダウンした。見目共に津波に匹敵するインパクトがあるが流石に威力は伴っていないらしく、紫煙は泡の曲線に沿って競り上がったり、泡を避ける様に通り過ぎていく。
暫くすると調査隊の面々も自分達が無傷だと気付いてギュッと閉じていた目を恐る恐る開けては、私の張ったバブルバリアを見るや驚きで目を瞠らせた。
「これは……シェルの魔法か!?」
「でかしたぞ、シェル!」
私の働きをバルドーが称賛し、文字通り無い胸を張りたい気持ちに駆られるも、その気持ちに冷や水を浴びせ掛けるかのような慌てた声が鼓膜を打った。
「おい、レーンは何処だ!?」
「コニーも居ないぞ!?」
「アロンソ! 何処だ!?」
調査隊の一部が声を荒げながらバブルバリア内を引っ切り無しに見回している。どうやら仲間の数が足りない事に気付いたようだ。
では、この場に居ない仲間は何処に居るのだろうと視線を巡らそうとした矢先、ドンッとバリアの外から何かが叩いてきた。その音にバリア内に居る全員が振り返れば、そこにはたった今挙げられた名前の持ち主達が苦し気な表情でバリアを叩いてた。
どうやら彼等はマタンゴ達への攻撃に夢中になって突出してしまい、バリアの範囲外に取り残されてしまったようだ。バリアを展開する際に全員を囲むようにイメージしたつもりなのだが、現実に上手くいっていないという点を察するとレベルか魔力が伴わないとイメージ通りにはいかないらしい。
「全員!
バルドーがそう指示を出すと、バブル内に居る全員が一抓み分の丸薬を懐から取り出した。
これは毒消し草を始めとする薬草に砂状に磨り潰した浄化の魔石を練り込んで作った特殊な丸薬であり、これを飲み込めば暫くの間は瘴気の中だろうが毒に侵された地帯だろうが活動出来るという優れ物だ。因みに製作者はガーヴィンの奥様メリルである。
男達は水も飲まずに丸薬を一息に飲み込むと、淡い白と爽やかな青が混じったオーロラにも似た光が彼等の体を一瞬だけ纏っては消えた。どうやら効果が発動した合図らしい。
「シェル! バリアを解除しろ!」
ガーヴィンの指示に従いバリアの解除を内心で唱えると、シャボン玉が割れるかのようにバリアが弾けた。隔てるものが無くなった途端、泡の外壁を這っていた猛毒の紫煙が雪崩れ込んできたが、毒耐性を得ている調査隊の人達からすれば最早恐れるに足りぬ存在だった。強いて言えば、視野を妨げる煙幕と言ったところだろうか。
「下がってろ! 毒の紫煙を蹴散らす! 風魔法【突風(ラファール)】!」
ガーヴィンが魔法を唱え、バトルソードを巨大な団扇に見立てて煽ぐかのように横薙ぎに振り抜く。振り抜いた直後に強風が巻き起こり、視界を満たしていた紫煙を彼方へと押し流した。
辺り一帯を支配していた紫煙が晴れ上がると、「そんな馬鹿な!」という心境が手に取れるほどに動揺するマタンゴ達の姿が露わとなった。
「第一班から第三班はワシと一緒にマタンゴへの攻撃を! 第四班は毒にやられた者達の回収及び治療に当たれ!」
「了解!」
彼等が慌てている隙にバルドーが的確な指示を飛ばし、各班がそれに従って行動を起こす。マタンゴ達も再度数の暴力で応戦しようとするも、劣勢からの立て直しに成功し、勢いを取り戻した調査隊の面々を相手にするには荷が重過ぎた。そもそも戦闘経験の差や、更に人間との体格差というハンデもマタンゴ達にとって不利に働いた。
やがてマタンゴ達の数が当初の四分の一以下にまで減らされると、何らかの形で押し殺されていた臆病な本性が表に出始めたのか、瞬く間に蜘蛛の子を散らすかのように逃げていった。
調査隊の何名かは逃げるマタンゴを追おうとして駆け出したものの、彼等の逸る気持ちと駆け足を引き留めたのはバルドーの一喝だった。
「追わずとも良い! 我々の目的は水源の調査だ! 奴等を殲滅させる事ではない!」
「ですが、連中が水源を汚染する原因なんですよ!? 生かしておいたら、また事態を繰り返す恐れがあります!」
隊員の言葉に、一緒に追い駆けようとしていた他の者達も賛同するように頷くが、バルドーは短く首を振って彼等の疑念を否定した。そして彼の口から飛び出したのは、意味深な言葉だった。
「それに付いてだが……少し気に掛かる事がある」
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