第24話 パラッシュ村の一日 後編

「シェールーちゃーん、あーそびーましょー!」


 はーい……と言い返すのがデフォかもしれないが、残念ながらシェルの私は喋る口も声も持たない。なので、触手で彼女の手を取って了承するだけだ。そもそも従魔に断る権限なんてないけどね。

 因みに私達が居る場所はアクリル達が住む家の脇にある庭だ。家一つ分の広い敷地には青い芝生の絨毯で埋め尽くされており、家寄りの隅には煉瓦に囲われた花畑があり、ささやかながらも人の目を癒してくれる程度の可憐な花が植えられている。


「じゃー、追い駆けっこしよ! 私が逃げるから、シェルちゃんは追い駆けて来てね! よーい、ドン!」


 此方の了承も取らずに急に号令を出すや、彼女はタタタッと駆け出してしまった。まぁ、子供の行動って突然とか唐突とかが当て嵌まるしなぁ。

 それはさて置き、私もある程度の距離が開いたところでアクリルを追い掛け始めた。但し本気を出せば直ぐに追い付いてしまうので、彼女の気が済むまでは付かず離れずの距離を維持しながら庭を何度も周り続けた。


「あははははは! あっ!」

『あっ!』


 追い駆けっこに夢中だったせいか足元の注意が疎かになっていたらしく、アクリルの足が芝生の草に捕まってべしゃりとコケた。発条ゼンマイが切れた人形のように暫く微動だにしなかったが、この時点で既に彼女の中にある感情の導火線に火が付いていたようだ。


「う、うえええええええ!!!」


 顔をガバリと上げたかと思いきや、感情を制御出来ずに大声を上げて泣く様はまるで予測不能な不発弾のようだ。私は慌てて彼女の下へと駆け寄り、俯せに倒れたままの彼女を抱え上げた。

 その間にも頬を流れ落ちる大粒の涙と顔に張り付いた土が混ざり合い、泥となって余計に彼女の顔を汚していた。何度も触手で涙を拭っても一向にアクリルが泣き止む気配を見せず、情けない話ではあるがおろおろと此方も戸惑ってしまう。


「アクリル、どうかしたの?」


 そこに救世主の如くメリルが参上すると、アクリルは泣きながら母の下へ駆け寄っていった。


「おがぁしゃ~ん!!」

「あらあら、顔が泥だらけね。また走り回ってこけたんでしょう? だからアレだけ気を付けなさいって言ったじゃない」

「だってぇ~!」


 メリルはアクリルの目線に合わすようにしゃがみ込むと、泥だらけになったアクリルの顔を優しく包み込みながら、濡れそぼった目を真っ直ぐに見据えた。


「ところでアクリル、貴女一人で起き上がれたの?」

「ぐすっ……ううん、シェルちゃんが起こしてくれた」

「あら、それはいけないわよ。貴女ももうすぐで五才のお姉ちゃんになるんだから、何時までも誰かに頼ってちゃダメよ?」

「うぅ~……でもぉ~……」

「でもじゃありません。今はお父さんやお母さんが居てくれるから良いけど、もしも私達が急に居なくなっちゃったらどうするの? そうなったらアナタを守ってくれるどころか、泣いている貴方を起こしてくれる人なんて居ないわよ?」

「シェルちゃんが居るもん」

「シェルちゃんは人ではなく従魔だから除外します」


 うん、私は貝だからね。信頼されるだけならまだしも、人間と同じ働きを期待されても困ります。そしてメリルはアクリルに人生で大事な事を教えるような真剣な口振りで語り掛けた。


「良い、アクリル? 泣くのは簡単よ。でも、泣いているだけでは一生物事は解決しないわよ。誰かが見兼ねて手を差し伸ばしてくれるでしょうけど、それに縋っているばかりじゃ貴女の為にならないわ」


 その頃には一度噴火したアクリルの感情も下火になりつつあるのか、泣きじゃくるのを止めて教えを説く母の顔をジッと見詰めていた。


「物事を解決するには、先ず自分から行動することよ。自分の手で地面を突き、自分の足で立ち上がる。アクリルにはそれが出来る力があるんだから、頑張れば出来るでしょう? 違う?」

「うん……出来る」

「じゃあ、約束しましょう。五才になったら、何事にも泣かずに先ず行動しましょう。これからも痛い思いをするだろうし、苦しい思いも増えるだろうけど、それさえ完璧に出来てしまえば、将来は立派な大人になれるわよ」

「本当に……?」

「ええ、本当よ! アクリルだってお父さんやお母さんみたいな人になりたいんでしょ?」

「うん!」

「はい、それじゃ約束ね」


 母親が小指を差し出すと、アクリルは直ぐに自分の小指と絡め合う。日本の指切りと似ているが、此方は指を絡め合った後に自身の手にキスを落とすのだ。そしてキスを落とすと二人ともふわりと柔らかな笑みを浮かべた。


「それと今から買い物に行くけど……アクリルも一緒に行く?」

「うん、行く! シェルちゃんも一緒に連れて行っていい!?」

「ええ、良いわよ。元より荷物を運ぶお手伝いをお願いしようかと考えていた所よ。それじゃ一先ず家に戻って服を着替えてらっしゃい。その泥塗れの服じゃ、お店の人に笑われるわよ。ついでに顔も洗ってきなさい」

「はーい!」


 元気を取り戻したアクリルが家の中へと入っていくのを見送ると、メリルは私の方へと振り向いた。


「そういう訳でアクリルが頼って来ても、安易に甘やかさないようにしてね。あの子は幼いから、まだ自分の力の可能性を理解し切れていないのよ。だから、大事じゃない限りはアクリルを見守ってあげてね」


 そう苦笑しながらメリルは私の貝殻をソッと撫でた。確かに子供は親の躾次第では、何をするにしても甘えん坊な子に育ったり、大人顔負けの自立心旺盛な子に育ったりと様々だ。

 アクリルも教育次第ではどちらに転ぶか分からない絶妙な年頃だ。この教育で今後の人格が形成されるのが決まるとなると、綱渡りにも似た緊張感と慎重さを求められるのは想像するに難しくはない。

 無論、そこから来る焦りやプレッシャーも相当なものの筈だ。だが、メリルやガーヴィンを見る限り、そういった面を覗かせたのは一度もない。恐らく二人の内心にある強い責任感と子育てへの熱意が、強靭な屋台骨となって二人の精神こころを支えているに違いない。子育て経験皆無の私ですら、この二人は強い親だと確信した。


「おまたせー!」


 そこで新しい服に着替え終え、顔も洗ったアクリルが玄関から飛び出て来た。メリルは駆け寄って来るアクリルを受け止めると、慈愛の籠った笑顔を愛娘に向けた。


「じゃあ、行きましょうか」



 この村の市場は規模こそ小さいが、品揃えも十分で漁港に負けないぐらいの人と活気に溢れていた。四季によって変わる野菜は私の見た事のないものばかりで、どんな味がするだろうかと気になったところで自分に味覚と呼ばれる器官が無い事を思い出し、少し落胆した。

 その代わりと言っては何だが、三人(厳密には二人と一匹)が市場に姿を見せた途端に私達の周りにはちょっとした人集りが出来上がった。どうやら私の活躍は市場でも知れ渡っているみたいだ。


「よぉ、メリルさん! そっちのシェルのおかげで市場は賑わっているよ! ほれ、これでも食いな!」

「そんな悪いですよ! 御代も出さずに頂くなんて……」

「気にすんなって! どの道、形が悪くて売れ残るだろう野菜ばかりだしな!」

「そうさ、捨てちまうよりかは誰かに食われた方が野菜も冥利に尽きるってモンさ! ほら、これも食いな! アクリルちゃんも良かったらどうだい?」

「ありがとーございます!」

「アクリルちゃんは良い子だなぁ。これもどうだい? シェルの味覚に合うかどうかは分からないけどよ」

「少なくとも飲んだくれのお前さんの味覚に比べたら確かだろうよ!」

「ははははは! 違いねぇや!」


 店の人達にアクリル共々可愛がられた上にタダで野菜を頂いたり――此方も形が悪かったりして商品にならない物ばかりだが――と嬉しいやら有難いやらとホクホク気分だ。

 前世の日本も、この村の人達の温情や人情を見倣って欲しいものだ。まぁ、私の周りが冷血漢ばかりだっただけかもしれないが。

 話は変わるが、ここ半月に渡って私は村の様子をつぶさに見ている。そこで気付いたのが、このパラッシュ村は年配の人間が圧倒的に多い。ガーヴィンぐらいの年頃の人達もそれなりに居るが、殆どが独身で彼同様に既婚者として暮らしている人間は現時点で見当たらない。

 どうしてだろうかと不思議に思ったが、私に野菜をくれたおばちゃんがメリルとの御喋りの最中に漏らした本音に答えが含まれていた。


「ウチの息子夫婦もそろそろ一度ぐらいは里帰りしても良い筈なんだけどねぇ。やっぱり王都の暮らしは快適なのかしらねぇ?」

「まぁ、その内帰ってきますよ」

「だと良いんだけどねぇ。少なくともアタシ達が墓に入る前には顔を出してもらいたいもんさ。戻って来た時にはアクリルちゃんみたいな可愛い孫が出来てれば、文句はないんだけどねぇ~」


 どうやらこの村で生まれ育った若い人間はパラッシュ村を後にして、王都と呼ばれる都会に移り住んでしまったようだ。おかげでパラッシュ村は過疎化が進み、年配の人間が大半を占める高齢者の村となってしまったという訳か。

 幸いにも別の村や町から働き口を求めてパラッシュ村へとやってくる若者も居るおかげで、現時点で労働力は不足していない。あとは若い女性と結婚して村に居座ってくれれば幸いなのだが、その若い女性を村に誘致するのも一苦労だろう。まぁ、シェルとなった私が気にする事ではないが。

 そして家に帰って夕刻を過ぎた頃には、長老に呼び出されていたガーヴィンが帰宅した。少し気疲れしている雰囲気もあるが、態々出迎えてくれた幼いアクリルにそんな情けない姿を見せまいとしているのか明るく気丈に振る舞っている。何とも良き父親である。

 そして二人は私を横目に仲良く家の中へと入ってしまった。流石にシェルみたいな横幅を無駄に取る魔獣を家に入れる余裕スペースなど無く、飼い犬よろしく家の外で番犬ならぬ番貝をする他なかった。

 しかし、外で番貝をしている間に私はシェルの意外な能力を発見してしまった。獲物を捉えたりする時に使用する触手、これを窓や薄い壁に押し当てながら聴覚に神経を研ぎ澄ましただけで家の中の会話が全部聞き取れちゃうんです。俗に言う盗み聞きというヤツだ。

 恐らくシェルは魔獣の中でも聴覚や音感に優れている方なのだろう。故にこのような真似が出来てしまうのだ。

 先に言っておきますけど、別にこれで疚しい事をしようなんて考えちゃいませんよ。夫婦の営みをデバガメする気なんてありませんから! 絶対に!!

 と言っても、家の中で繰り広げられる会話なんて他愛のないものばかりだ。今日一日はどんな事をした? 仕事の方はどうだった? 今日の飯は美味いな……等々、一般家庭らしい会話ばかりだ。


『それじゃアクリル、シェルちゃんにごはんをもっていくねー』

『おいおい、流石にあんなデカい魚をアクリルが持つのは無理だろう? お父さんが持って行ってやる』


 おっと、我が主アクリル殿自らが私の食事を持ってきて下さるようだ。すぐさま触手を壁から離し、玄関の前へ移動し終えたのと同時に扉がガチャリと開かれた。


「シェルちゃーん、ごはんだよー」


 扉の向こうから現れたのはガーヴィンとアクリルの2人だった。ガーヴィンの手には、彼自身の半身に匹敵するほどの巨大魚が尾を掴まれた状態でぶら下がっている。うん、こりゃアクリルが持つのは無理だわ。

 私は触手を伸ばし、彼が手にしていた魚を途中で引き継ぐように受け取ると、二人が見ている前で巨大な魚をパクリと一口で平らげてみせた。ごちそうさまでした。それを見てアクリルはキャッキャッと喜び、ガーヴィンも娘の喜ぶ姿に頬を緩めている。


「ねぇねぇ、シェルちゃん」アクリルが玄関から数歩出て、私の前に立つ。「わたし、もうすぐで五才になるんだよ!」


 ああ、そう言えば何時ぞかの家族同士の会話で小耳に挟んだっけ。アクリルがもうすぐで五才の誕生日を迎えるとか。なんて宙を仰ぎながら考えていると、「それでね!」という元気な声に引っ張られて視線を彼女の方へと戻す。


「アクリルの誕生日にシェルちゃんに名前をつけてあげるね!」

『名前?』

「おとーしゃんから聞いたんだけど、じゅーまになった魔獣に名前を付けるのが契約者の義務なんだって!」


 へー、そうなんだ。名前ねぇ。既に『貝原守』という前世の名前が引き継がれているが、あくまでもそれは私が日本人だったという証でしかなく、この世界に住む人達からすれば大した事ではないだろう。

 だけど名前かぁ。せめて格好いい名前を付けてくれる事を祈ろう。ポチとかタマとか小動物に付けそうな名前は勘弁して下さい。

 そして二人が家の中へ戻っていくのを見送ると、私はこっそりと庭へ移動して再び触手を壁に付けた。諜報活動再開である。

 けれども今の時間帯を考えると、あとは風呂に入って眠るだけだ。大して興味をそそられるような会話も出ず、此方も睡魔に誘われて触手を離そうとした時だ。ベッドに潜り込んだであろうアクリルが母親に寝る前におねだりをする声が聞こえて来た。


『おかーしゃん! 何かお話しして!』

『そうねぇ。じゃあ、魔王と勇者のお話しでもしようかしらね』


 おお、異世界らしい昔話が聞けるのか。ちょっぴり気になったので、もう少しだけ触手に意識を集中させると、メリルは語り手になったかのような口調で物語を話し始めた。


 昔々、この世界は一人の魔王と四人の魔人が人間達を支配していました。

 人々は魔王達の支配に抗おうとしました。貧弱な個人の力を数で補い、乏しい知恵を出し合い、様々な策や手段を弄しました。

 ですが、魔王は嘲笑うかのように人々の策略を尽く看破し、結集させた人々の力をアリの大群を踏み潰すが如く意図も簡単に蹴散らしてしまいました。

 人々は魔王達の凄まじい力の前に改めて畏怖を覚えました。やはり我々は魔王に勝てないのか? 世界は魔王の思うがままなのか?

 そんな絶望の暗雲が人々の頭上を覆い隠さんとした、正にその時でした。人々の前に一人の救世主が舞い降りたのです。彼は魔王にも勝るとも劣らぬ強い力を持ち、人々の中から選ばれた少数精鋭の仲間達と共に魔王に立ち向かいました。

 救世主の前には幾度となく困難の壁が立ちはだかりました。時には仲間との壮絶な別れも経験しました。ですが、救世主は仲間の死を無駄はしまいと四人の魔人を討ち果たし、遂に魔王と対峙しました。

 そして長い激闘の末、救世主は魔王を打ち倒しました。こうして世界は魔王の支配から解き放たれ、人々は平和を取り戻しました。魔王を打ち倒した救世主は後にとある王国の姫君と婚約し、幸せに暮らしましたとさ。

 また勇者が亡くなった後で生まれ育った後世の人間は、世界を救った救世主を敬意を込めて、こう呼ぶようになりました。絶望を討ち果たした勇ましき者――――勇者と……。


 そこでメリルの物語が終わると、私は触手を壁から離して庭に生い茂る芝生の絨毯に身を委ねた。魔王と勇者か……。異世界ファンタジーには付き物ではあるが、この世界では既に過去の遺物になっているらしい。

 もしかしたら魔王が復活するという可能性もワンチャンあるかも? いや、もしそうなったらワンチャンではなく、単なる史上最悪の災厄の復活でしかない。是非、魔王には復活しないで貰いたい。とは言え、御伽噺の要素も混じっているので、メリルの話が事実か架空かまではわからないが。

 やがて何処からともなくやって来た睡魔が私を深い眠りへと誘い、意識に幕が下ろされた。まだ夜の八時頃だが、明日も朝早い。今から眠っても丁度いいぐらいだ。明日も平穏な日でありますように……。

 そう願いながら夢の世界へと転がり落ちた私だったが、翌日に待ち受けていたのは平穏とは程遠い異常事態だった。



 

【名前】貝原 守

【種族】シェル

【レベル】20

【体力】2630(+50)

【攻撃力】248(+30)

【防御力】448(+50)

【速度】104(+10)

【魔力】261(+40)

【スキル】鑑定・自己視・ジェット噴射・暗視・ソナー(パッシブソナー)・土潜り・硬化・遊泳・浄化・共食い・自己修復(成長修復)・毒耐性・研磨・危険察知・丸呑み・大食い・修行・白煙

【従魔スキル】セーフティハウス

【攻撃技】麻痺針・毒針(強)・溶解針・体当たり・針飛ばし

【魔法】泡魔法(バブルボム・バブルチェーン・バブルバリア・バブルホイール)・水魔法(ウォーターバルーン・ウォーターマシンガン・ウォーターショットガン・ウォーターカッター)


※()内の数字は修行スキルによって追加された数値


次回は明後日更新予定

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