第11話 安住の地

 待つ。待つ。待つ。

 辛抱強く、粘り強く、只管に待ち続ける。

 待つ場面だけを見ても、一体何をしているのかと疑問に思う人も居るだろうが、有り体に言ってしまえば狩りである。私は今、真っ白い砂中に身を顰めて気配を殺すことに専念し、無警戒で得物がやって来るのを待っているのだ。

 このシェルの身体では、チーターやライオンのように獲物を自力で追い駆けて仕留めるのは不向きだ。間違いなくとまではいかずとも、かなりの高確率で逃げられるのは確かだ。では、逆に高確率で獲物を仕留める方法はと尋ねられれば、答えは待ち伏せしかない。

 しかし、待ち伏せとは単に得物を待っていれば良いというものではない。空腹の苦しみに耐え、空腹から来る苛立ちを抑え、獲物が来ないのではという焦りを隠し通さなければならない。擦り減る精神の中で只管に自我を守り通し、そして獲物を確実に仕留めなければならない。中々に過酷な狩猟法だ。

 私も現在、この三点セットに心を苦しめられている最中だ。何度か場所を変えるべきかとも考えたが、下手に動けば舞い上がる砂埃などで自分の居場所を標的に教えてしまう恐れがある。なので、結局は動かずに只管に待つという方法を選択した。

 待つこと数分、私の選択は正しかった事が証明された。一匹の獲物が私の隠れている砂地から生えている海藻を食べに近付いてきたのだ。近付いてきたのはパゴと呼ばれる垂れた豚耳を生やしたジュゴンみたいな海魔獣だ。


【パゴ:海中に生息する低級海魔獣。海の牛と呼ばれているだけの事もあり、その肉質は極めて牛肉に近く美味。人懐っこい性格をしている上に海藻を好んで食す為、危険性は極めて低い。なので、養殖として人間に飼われる事もある】


 牛肉に近くて美味かぁ。ステーキとか焼肉を喰っていた人間だった頃が懐かしいなぁ。今のシェル体では、何でもかんでも丸呑みしてしまうから味覚を感じる事が無いんだよなぁ。そもそも味覚が存在するかどうかも疑わしい。

 さて、そんな昔の振り返りはそこそこにしておいてだ。パゴは私が潜んでいるとは露知らず、草食獣の歯を剥き出しにしながら傍にある海藻に齧り付いた。美味しそうに海藻を食べる姿が此方の空腹にも影響を与え、今すぐにでも仕留めたい衝動に駆られそうになるが、此処はグッと我慢して相手の動向を窺うことに徹した。

 まだ動き出すには早い。相手が海藻を喰うのに夢中になって、もう少し深く潜って来たところで狙うと待ち伏せの成功率は急激に上がる。そしてパゴが海藻を食らう事に夢中になり始め、頭を下に向けて深く潜るのと同時に根元の海藻に噛み付いた。


(今だ!)


 私は纏っていた砂のベールを脱ぎ捨てて、目にも止まらぬ速さでパゴ目掛けて麻痺針を突き出した。パゴは漸く私の存在に気付いたらしいが、時既に遅し。私の繰り出した麻痺針がパゴの眉間を貫き、その一撃で天に召されてしまったからだ。

 悲鳴を上げる間もなく御陀仏したパゴの巨体が私の目の前でゆっくりと横たわり、眉間の傷口から赤インクを水に垂らすように血が流出していく。

 生々しい姿だが、この姿での狩猟に慣れ切ってしまった今では、特にコレと言って自己嫌悪の感情や複雑な気持ちを抱いたりはしない。寧ろ、そんな人間らしい気持ちを持ち続けていたら、この世界で生きていけないのは目に見えている。

 では、早速仕留めたパゴを食したいと思います。いただきまーす。


 がしっ ずるずるずる………ごくんっ


 うーむ、大きさが牛と互角なだけあって腹持ちが最高に良い。この一匹だけで腹が膨れてしまった。これならば当分は狩りをせずに、ゆっくりと過ごす事が出来そうだ。そう判断すると、私は砂に潜って昼寝に突入した。

 いやー、この砂の感触が心地良いんですよねぇ。まるで砂風呂に入っているみたいだと思う一方で、熱過ぎないので炬燵にも似た微睡みについつい襲われてしまうんですよねぇ。日本人ならあるあるですわ。

 何はともあれ、一つだけ分かった事がある。この世界での貝暮らしは最高過ぎる。眠いと思ったら寝れば良いし、腹が減ったら適当に捕食して腹を満たせば良い。

 自然界では当たり前かもしれないけど、法律を始めとする柵に雁字搦めにされた人間界では絶対に出来ない暮らしだ。ましてやブラック企業に勤めていた前世に比べたら、夢のようだと断言出来る程に幸せだ。

 ニートじゃねぇのかと思うヤツも居るだろうが、食い扶持はちゃんと自分の力で手に入れているのでセーフだ。誰が何と言おうとセーフだ。異論は認めない。但し食っちゃ寝じゃないかと問われれば、その場から動かない待ち伏せを基本としているので強く反論は出来ない。

 最初の頃は『こんな体になってどうしよう』かと不安ばっかり思っていたけど、こういう生活が出来るなら、それはそれで文句はない。寧ろ充実し過ぎて満足感すら覚えている程だ。


 ふぁー……眠たくなってきたな、寝よ。


 Zzzz……

 Zzzz……

 Zzzz……



 安住の地での暮らしもあっという間に十日余りが経過し、此処での暮らしにも慣れてきた。海藻を食べに来る海獣や魔魚達が居るおかげで食事に困らず、空腹に苛まれる心配も現時点では無い。シェル達が何故此処を安住の地に定めたのか、その理由がよく分かった気がする。

 また最近は時間的な余裕も生じ始めたので、ステータスを使って色々な事を調べてみた。最近狩猟をする際に一撃必殺で獲物を仕留める機会が増えたので、自分が強くなっているのかと疑問に思っていたのだが、調べてみたところ違うようだ。

 待ち伏せ等の奇襲攻撃は相手の意表を突く為か、通常ダメージに奇襲によるアサシンダメージがプラスされるようだ。これで更にクリティカルヒット――主に心臓や頭と言った重要部位への攻撃――が決まれば、ダメージ数値は劇的に増加し、最終的に一撃必殺のダメージが献上されるという訳だ。

 他にも攻撃技や魔法技は使えば使うだけ、威力を高める事が出来るらしい。俗に言う練度というヤツかな。今は集中して麻痺針を使っており、ニーグラーの一件で一足先に強化されてしまった毒針同様に(強)が付くように頑張っている。

 私の予想では毒針(強)の次に猛毒針になるのではないかと推測している。麻痺針の次は想像付かないが、何かしらの形で強化されるに違いない。もう一つの溶解針は下手すると獲物を溶かしてしまいそうなので、固い甲殻や鱗を持った相手と敵対した時に取っておこう。

 魔法の方も便利だけど魔力に限りがあるから、狩猟では基本的に通常の攻撃技をメインに、それ以外のどうしても戦闘を免れない時は魔法を併用するというルールを自分の中で定めている。無理に魔法を使って戦う必要はないし、レベル上げに執着しているという訳でもない。もし叶うならば今のまま平穏に暮らしを続けていきたいものだ。

 今のところ判明した事実はコレぐらいだ。では、そろそろ本日も狩りを頑張るとしますか。今日は少し移動して、何時もの狩場から場所を変えてみる事にしよう。まぁ、移動すると言っても海の森から出る訳じゃないけどね。

 それじゃフラッと行って、サクッと倒して、パクッと食べて、ぐっすり寝ましょうか―――そんな風に気楽に考えながら海中に向かって飛び立とうとした、その時だった。


「!?」


 突然激しい静電気が身体中に駆け回り、私の身体をその場に押し止めた。この感覚、恐らく危険察知スキルが発動したのだろう。そしてスキルが発動したという事は、危険な生物が迫っているという警告が発せられたも同然だ。

 私は直ぐに砂中に身を隠し、目だけを外に出して辺りを窺った。すると頭上をパゴ達や魔魚達が大慌てで逃げていく姿が見えた。彼等も自分同様のスキルを持っていたのだろう。しかし、今度は一体どんなモンスターが登場するんだ?

 この海の森付近に生息していたモンスター達が何処かへと逃げ去ると、誰も居なくなったせいか潮流の音がやけに大きく聞こえる。しかし、程無くしてパッソブソナーが安住の地に近付く巨大生物の影を捉えた。

 そして森の頭上にソレは圧倒的な強者のオーラを纏いながら現れた。上半身は引き締まった括れや張り裂けんばかりの胸、黒真珠のようなストレートヘアーと言った、世の女性が羨むような艶やかな女体をしており、下半身はイカやタコのような無数の触手で覆われている。俗に言う人魚のような姿をした魔獣だった。

 これで顔も美しかったら人間の男も喜んで彼女に心身を差し出していただろうが、その顔は羅刹も裸足で逃げ出してしまいそうな般若の形相をしていた。額から一本の鋭い角を生やし、鮫のような歯を覗かせる口は耳元まで裂け、大きく見開かれた蛇目は一度でも目を合わしたら誰もがカエルになったかのように動けなくなってしまいそうだ。

 何というか、西洋の言い伝えにある神秘と美しさを兼ね備えた人魚ではなく、日本の各地に残ってる妖怪としての人魚を前面に押し出した上に、禍々しさを付け加えて強調したかのような姿だ。これでは折角の整ったボディラインや豊満な胸も台無しだ。

 いや、美しい身体付きと般若顔とのアンバランスさによって、より一層恐怖感が増しているのだから、これはこれで成功なのか?

 そんな予測は置いといて、怖いけどアレも一応鑑定で調べてみよう……。


【種族】スキュルフ

【レベル】76

【体力】77800

【攻撃力】6651

【防御力】5798

【速度】7488

【魔力】10655

【スキル】遊泳・暗視・魔力吸収・共食い・激怒・自己再生・ソナー・魔法効果上昇・魔法攻撃耐性

【攻撃技】噛み付き・引っ掻き・触手

【魔法】水魔法・氷魔法・衝撃魔法・土魔法・幻覚魔法・風魔法・毒魔法・呪詛魔法・暗黒魔法・結界魔法


【スキュルフ:海中に生息する上級人面魔魚。極めて獰猛且つ執着心の強い性格をしており、未確認ながらも幼体期に受けた傷を成体後も抱き続け、恨みを晴らすまで晴らすまで相手の顔を忘れないという情報もある。魔法攻撃を主体としており、幅広い魔法を獲得する数少ない魔魚として人間達から恐れられている。

 伝承や言い伝えによると海難で亡くなったり、海で自殺した女性達の想いや怨念がスキュルフを産んだと言われている】


 うええええ、前回のハイシャルフと同じ上位魔魚かよ……。しかも、魔法攻撃が充実し過ぎて乾いた笑いしか出ませんわ。しかし、そんな上位モンスターがこんな場所に何をしに来たんだ?

 前回出会ったハイシャルフ同様に移動の途中……だとしたら良かったのだが、スキュルフは海の森に留まってしまった。何度も頭上を旋回する姿は、まるで誰かと待ち合わせをして、一人先に付いてしまったので暇を持て余しているような感じだ。

 上位魔魚が誰かと待ち合わせをしているなんて想像し難いが、間違いなく何かを待っているのは確かだ。スキュルフが待つのだから、相手は余程の……。


「!!?」


 そこでまたしても危険を訴える強い電流が身体を駆け巡った。それもスキュルフと同じか、もしかしたらそれ以上か? 何にせよ、もう一体の強者がこの場に近付きつつある事は確かだ。

 そして頭上に濃密な影が覆い被さり、ハッと反射的に弾かれて上を見上げた私は思わず息を飲んだ。私達の居る海の森に現れた魔獣は人間のような手を持った巨大な鯨だった。但し、肉と皮膚を削ぎ落し、骸だけとなったスケルトンのような出で立ちをしている。

 魔獣が居るのは最早慣れっこではあるが、まさかアンデットも居るとは思いもよらなかった。アレも鑑定出来るのだろうか?


【種族】ヴァロッソ

【レベル】78

【体力】95300

【攻撃力】9651

【防御力】4691

【速度】5488

【魔力】9772

【スキル】遊泳・闇視・魔力吸収・共食い・激怒・自己再生・ソナー・魔法効果上昇・分離・物理無効・魔法攻撃耐性

【攻撃技】骨攻撃・体当たり・噛み付き・引っ掻き・パンチ・超音波攻撃

【魔法】水魔法・衝撃魔法・毒魔法・呪詛魔法・暗黒魔法


【ヴァロッソ:鯨型アンデッドモンスター。アンデッドモンスターの中ではトップの巨体を誇る。手鰭は人間の手に酷似した形をしている為、物を掴んだり接近戦をこなす事も可能。

 その生態は未だに多くの謎に包まれており、今後議論が必要だが、とある情報筋によると難破船を数多く生み出す船の墓場と呼ばれる場所で、ヴァロッソが迷い込んだ船を海中に引き摺り込む姿が目撃されている】


 あー、うん。レベルとか強さのぶっ飛び具合が半端ないけど、何となく予想していたから驚きませんわ。というか何時ぞかのハイシャルフ以降、色んな感覚が麻痺してきましたわ。

 まぁ、絶対強者が来たからと言って必ず自分が死ぬ訳ではない。何もせずに大人しくしていれば、勝手に通り過ぎてくれるだろう……そう予想とも願望とも取れる考えを持っていたのだが、スキュルフがそれを許さなかった。

 現れたヴァロッソの前に立ちはだかり、大抵の魔獣ならば竦んでしまいそうな般若の眼差しで相手を睨み付けたのだ。私が人間だった頃の世界の言葉を借りるならばメンチを切った、もしくはガンを飛ばしたのだ。

 そしてヴァロッソもスキュルフを目障りな敵と認識したのか、動きを止めてスキュルフと対峙した。おいおい、まさか……嘘だろ? やめてくれ。こんな場所で戦うなんて絶対にやめてくれ!!


「キシャアアアアアア!!!」

「グオオオオオオオオ!!!」


 しかし、私のささやかな願いは二匹に届かなかった。いや、例え声を大にして訴えても聞き入れてくれなかったに違いない。爆雷が投下されたかのような二匹の咆哮が海中を震わせ、海の森を震わせる。

 それが戦いの幕開けを意味するゴングだという事は、この場に居る誰もが理解していた。だけどお願いだからマジで私の頭上でガチンコ勝負するのは止めて下さいってば!!

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