#010-第三話「天照との語らい」

 そんな具合に感傷的な気分でイナバウアーさんの額を撫でていると、不意に部屋の中が金色に輝いた。光の発生源を見るまでもない。ボク神様こと、アマテラスの登場である。


「いよいよだな、ハルくん」

「まだ三週間ありますけど」

「僕たちにとって、三週間なんて誤差の範囲よ。いや、むしろもう、アハシマ兄上との戦いは始まっていると言っても良い」


 ボク神様は俺の隣にしゃがみ込んで、イナバウアーさんに手を伸ばす。


「連れてったりしたらダメですからね、イナバウアーさんを」

「僕は死神ではないぞ、失礼な」


 憤然とした様子でボク神様は俺を見た。伸ばした白い指先は、イナバウアーさんに触れるか触れないかというところで、ピタリと止まっている。


「それで、ボク神様。今日は何の用です?」

「うむ……」


 アマテラスは少し言いにくそうに目を伏せた。


「まさか、あなたまで神様引退するとかそういうんじゃないでしょうね」

「な、なぜわかった!?」


 ボク神様は目を見開いて、俺の両肩を掴んだ。華奢な指先がグイグイと肩の筋肉を掴み上げてきて、これが結構痛い。


「いやほら、ツクヨミがさ」

「ああ……」


 それでボク神様は事情を理解したようだった。


「やはり僕たちはどこまでいっても表裏ぞ。考えることも、そのタイミングも同じとは」

「昼の神様までいなくなったら……」

「なに。何も変わりはせぬ。ツクヨミもおそらくそう言ったのではないか?」

「そう、ですね」


 俺は頷いた。


「僕もな、人を愛しすぎてしまったのかもしれぬ。あまりに多くの人を愛し、そして多くの人と別れてきてしまったことで、心の中でおりがたまりすぎてきたのかもしれぬ。このまま時を過ごせば、僕は、僕らはいずれ、悪神にと変わるやもしれん」

「悪神……?」

「うむ。僕らはそんな神を数え切れぬほど見てきたし、数え切れぬほど……浄化してきた。いや、いまさら綺麗ごとは言うまい。滅ぼしてきた」


 そうなのか……。俺はイナバウアーさんの方を見たまま、ぼんやりとその言葉の意味を考える。


「その僕らが、このアマテラスツクヨミの力を以てしてもかなわない存在が、現今に及んでは三つだけある。一つは父上、伊弉諾イザナギ。一つは母上、伊弉冉イザナミ……今となっては黄泉津大神ヨモツオオカミと呼んだ方が良いかもしれぬが。そして最後の一つが、アハシマ兄上だ」


 アマテラスはイナバウアーさんの額を軽く撫でた。イナバウアーさんは目を細めつつ、その頭をぐいぐいとボク神様の人差し指に押し付けている。


「今も僕らとはるあきは、存在を賭けた争いを繰り広げている真っ最中だ。兄上とな」

「そう、なんだ……」


 そんな激しい争いを、今も。


 神様たちは人知れずやりあっているわけなのか。


 俺は隣にしゃがみ込んでいるボク神様に向き直る。ボク神様もそれに気が付いて、俺の方を見てちょこんと正座した。短い和ロリ服の裾から、白い膝小僧が顔を出している。


「ハルくんよ。お主が真に戦うべき相手は、アハシマ兄上にあらず。今やである、黄泉津大神だ」

「あー……えっと……」


 それがイザナミを指していることはわかる。だけど、イザナミが俺のメインターゲットになるっていうのは、ちょっと容認し難い。


「今回のこのアハシマ兄上に受肉騒動を仕掛けさせたのは、そもそもが母上だ。母上は人類を試すために、ハルくんをその代表として抽出した。母上とて、恐らくは迷っているのだ」

「迷っている?」

「うむ」


 ボク神様は正座したまま、その赤い双眸で俺をまっすぐに見上げた。その表情は少し曇り気味で、いつもの覇気が感じられない。


「母上はご自身による強迫観念的なものによって、二択を迫られているのだ。人類を見限り、アハシマ兄上共々人類を破滅に導くべきか。それとも、自ら神の座を退くべきか――」

「引退ラッシュなの、神様」

「僕は冗談を言っているわけではないぞ、ハルくん」


 やや不機嫌な顔になって、ボク神様は首を振る。


「元より神とは、そこに在って、そこに無いもの。定義の空隙を埋めるために、ゼロの如くにつくりだされたものに他ならぬ。それに、そもそもこの国土の人々による信仰の主流から外れてしまった時点で、僕たち神は、事実上引退していたようなものだったのだ」

「事実上っていうのがミソだよね」

「うむ。我々は、スタンバイ状態で待機していたようなものぞ」


 スタンバイ状態で待機、ときたか。大方、ツクヨミあたりが高天原に持ち込んだ言葉なんだろうけど。


「まぁ、そうなるな」


 アマテラスはあっさりと肯いた。

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