血に染まらぬ剣

※第二部第三章の頃の話。




 青空の下、細い風切り音が鳴る。鈍く高い音が連続したあと、たちまち金属がぶつかりあった。荒涼とした岩場が獰猛な空気に包まれる。それはまさしく、小さな戦場だ。

 悲鳴があがる。服装も装備もばらばらな男たちが逃げまどい、彼らを兵士のような格好をした人々が追いつめてゆく。この地を荒らす盗賊と、それを狩りにきた傭兵たち、という構図であった。

 傭兵たちは走り抜ける。赤銅色の胸飾りがしゃらしゃら騒ぎ、盗賊たちの恐怖をあおった。そのただなか、剣をふるってまたたく間に三人を仕留めた金髪の男は、自分のまわりが静かになると、あたりをぐるりと見回した。もう、あらかた片付いてしまっている。岩場には盗賊たちの死体が転がり、その隅では年若い傭兵が、数人の盗賊を生きたまま縛っているのが確認できる。

 あっけない決着だ。そもそも、ろくに統率の取れていない盗賊どもと天下の傭兵団では、勝敗など最初から見えていた。

「つまんねえな」彼の呟きにかぶさるように、誰かの叫び声がする。

「ダン!」

 喜びと、憂いの混じった声だった。金髪の男、ケネスは、剣撃の音がする方へ視線を巡らせる。大柄で日に焼けた男の団員と、口が見えないほどのあごひげを蓄えた盗賊とが、刃を交わしていた。打ちあいは、激しく何度も続き、そのたび両者の間で火花が散る。ダンの方が、勝っているように見えた。二人とも体格は同じほどだが、技量では圧倒的に彼が上だ。

 しかし、ケネスは眉を寄せた。勝利を前にして、しぶい表情をした。

 音がやんだ。剣を敵の首のすぐそばまで迫らせながら、ダンが剣を止めていた。柄をにぎる両手は、かすかに震えている。

 ケネスは舌打ちとともに駆けだす。手が震える。あごひげが笑う。敵の太い刃が閃いて――それがダンに到達するより先、盗賊の死角にまわりこんだケネスの剣が水平に滑った。血にまみれた剣は、大男の首をあっけなくはね飛ばす。

 一瞬の静寂のあと、傭兵たちが明るく叫びながら動き出す。若手までもが率先して死体の片付けに急ぐなか、茶色い肌の男は、呆然と剣を見つめて立ち尽くす。気づいたケネスは、大股で歩み寄ると、彼の胸倉をつかんだ。

「てめえ、いい加減にしろよ」

 低い声が滑り出る。傭兵たちが、凍りついたように手を止めた。ダンは、眉ひとつ動かさない。

「傭兵団の仕事をなんだと思ってやがる。殺すなら殺せ。無理ならそもそも戦場ここに出るな。そんな生半可な態度が通用する場所じゃねえんだよ。殺せねえなら死ぬのはてめえかてめえの仲間だぞ」

 ダンの表情は、やはり動かない。思わずケネスが手に力をこめたとき、「すまない」と小さな声が聞こえた。まるではかったように、一人の傭兵が歩み出て、ケネスの両手の上に手を置いた。

「……よせ、ケネス。こいつだってわかってる。わかってる奴にそれを何度も言うのは、酷だ」

「ちっ――首領ボスは何考えてんだ! こんな奴を前線に出すなんてよ!」

 ダンから乱暴に手を離したケネスは、そばにあった死体を蹴りつける。「やめろ」と、傭兵がやんわりたしなめた。

「彼女には彼女の考えがあるのだろうよ。うちの首領ボスは、ときどきものすごく遠くを見ているからなあ」

「それに」と、傭兵はケネスを見やって笑う。

「戦い大好きケネスくんが説教たれてもおもしろいだけだぞ。ほどほどにしておけ」

「う……るっせえな!」

 ケネスが少しばかり顔を赤くすると、まわりからも笑い声が上がる。けれど、ダンだけは、いつまでも神妙な表情で剣をさげたまま、地面を見つめていた。



     ※



「カルトノーアに行く?」

 厨房側から、誰かの頓狂な声がした。ケネスは、研ぎ終わった剣を鞘に収めてから、顔を上げる。こちらに背を向けて立つ団員の前で、首領ボスが仁王立ちをしているという、なんともいえない状況だった。しかもその団員は、ケネスとも仲のよい、コーフェという傭兵だ。傭兵の中では若い部類に入るだろうが、『暁の傭兵団』では、立派な古株である。

 コーフェの問いに、首領ボスことジエッタがうなずく。

「じじいんとこで、仕入れなきゃいけないもんがあってねえ」

「はあ、大変ですね。首領ボス、ラッドさん相手だと手も足も出ないじゃないすか」

「あたしゃ頭使うのが苦手なんだよ。それに、今の本題はそこじゃない」

 すっぱりと話題を変えるジエッタ。彼女のよく響く声は、あっという間に『家』じゅうを駆け巡り、好奇心旺盛な傭兵たちを呼びよせる。角砂糖にたかるありといい勝負だ。思いながら、ケネスもまた、その蟻の行列に加わった。

「今回も、一人か二人くらいは、団員を連れていこうと思うんだが。どうしようかと思ってね」

「……それ、なんでサイモンさんじゃなく俺に言うんです?」

 コーフェが腕を組んでかぶりを振る。ジエッタは、なんでもないことのように「おまえには人を見る目があるからね」などとのたまった。軽く咳払いしたコーフェは、後ろを振り返った。群がる団員に顔をひきつらせることもなく、むしろ楽しげに視線を巡らす。「そうですねえ……」と呟いたあと、一点で顔を止めた。

「こいつなんかどうです」

 コーフェの丁子ちょうじ色の瞳は、ケネスのくすんだ金髪を見ていた。碧眼が、丸くなる。

「お、俺!?」

「ほう」

 ジエッタが、おもしろそうに目を細める。いっそ嫌そうな顔をしてほしかったです、などとは、口が裂けても言えない。ケネスは驚きを持て余したまま固まっているしかなかった。

「一応、理由を聞いてもいいかね」

「いやあ。人によっては怒りそうですけどね」

 首領に見つめられたコーフェは、短いひげをなでながら、少年のような悪だくみを顔に見せた。

「ほら、俺らのかわいい弟分が、あいつの話してたじゃないすか。だから、ですよ」

『烈火』と名高い女傭兵の瞳に、好奇心の火が灯る。一方ケネスは、思いっきり眉をひそめた。つい、口の中で「ふざけんな」と、呟いてしまった。


――本当は、嫌だった。心をこめて辞退したかった。しかし、首領ジエッタが「来い」と言ったからには、そういうわけにもいかなかった。しぶしぶ同行をすることになったケネスは、ジエッタとともに山岳地帯を乗り越えて、アルセン国はカルトノーアまでやってきた。

 今は南洋がほどよく穏やかな時期のためか、船の出入りが活発だ。港の方ではさかんに汽笛きてきが鳴り響き、通りをながめているだけでも、水夫や商人たちが入れ替わり立ち替わり、駆け抜けてゆく。ケネスは、背後にそびえるご立派な商館を振り仰いだのち、大きくあくびをした。

 今まさに、ジエッタは、ラッド・ボールドウィンとやりあっているさなかである。ケネスがその場にいても怒られるわけではないが、今、彼らのいる部屋は戦場なのだ。狼とたぬきによるいくさの真っ最中である。化かしあい脅しあい牽制しあいの戦のちゅうにとどまっていることなど、できそうにもなかった。しかたなく、門前で終戦の時を待っているところだった。

 薄い雲のむこうから、やわらかい陽光が降り注ぐ。ほどよい陽気は眠気を誘う。立ったまま寝そうになりながら、必死に瞼が落ちそうになるのをこらえた傭兵は、足音を聞きつけて振り返る。呼ばわる声に、目が覚めた。

「ケネス?」

 低い音。波のない言葉。驚くほどに、変わらない。

 お互いもう大人だ。声がわりの時期はとうに過ぎた。変わるわけもなかろうに、それでもなんら変わらぬことに、驚いた。ほんの数年、けれどその数年は、思っていたよりも長かったのだろう。

 傭兵時代の剣をさげ、傭兵時代にはなかった槍を携え――かつての仲間が立っていた。


 しばらく、沈黙が漂った。ややして、ケネスは、「ダン」とうめくように名を呼んだ。

「どうして、ここに?」

 問う声は、不思議と、喧騒をすり抜けて届いた。ダンは近づいてこようとはしない。近づけばケネスの中の火が弾けてしまうことをわかっているからだ。

首領ボスの付き添いだよ」

「……そうか。そうだな」

首領ボスに会ったか?」

「会長と歩いている姿は見た。話はまだしていない」

 そうか、と答えたケネスは、軽くつま先で地面を叩く。相手はもう、傭兵ではなく商会の正式な門番である。こんなふうにいらだちを向ける理由などないというのに、ケネスの心は、かつてに戻ったかのように、あらぶった。

――ダンは、もともと、ジエッタがどこからか拾ってきた戦災孤児だったらしい。戦争の記憶からなのか、ただ性格の問題なのか、彼は『殺す』ことができなかった。いくら剣を鍛えても、どれだけ前線に出てみても、最後の最後で手が止まる。殺すことをためらわないケネスにしてみれば、度し難い性質だった。

「やっぱ、おまえさ」

 だからだろう。

「そのくらいぬるい職場が似合いだよ」

 鼻を鳴らして、こんな冷たいことを言ってしまうのは。

 剣の柄を軽くにぎる。引き抜こうとした己の指を叱る。同時、石突いしづきが地面を叩いた。かん、と鳴った石のに、ケネスははっとして口を閉じる。見上げたダンは、しかし怒っているわけでも、かつてのように沈痛な顔をしているわけでもない。ただ、ほほ笑んでいた。

「そうだな。俺もそう思う」

 ケネスは、今度は「けっ」と声に出した。

「――ケネスには、感謝している」

 ダンは、唐突に、言った。ケネスは目をみはって、浅黒い肌の男を見つめる。こいつは、どこかを悪くしたのだろうか。

『希望の風』の門番は、珍しいことに声を上げて笑った。

「本当だ。ケネスがさんざん甘いだの腰抜けだのと言ってくれたおかげで、俺は俺の弱点を自覚できた」

「それ、褒めてんのか、けなしてんのか?」

「もちろん褒めている」

 ダンは声も表情も動きにくい。なので、断言されるとそれ以上疑うということは難しかった。ケネスは舌で唇を湿らせつつ、苦い顔を相手に向ける。と、その頭を、ごつごつした手が叩いた。

「まったく。おまえらが揃うと、いつも場の空気が重くなるね」

 首領ボス、と呼ぶ声が重なる。ジエッタは二人分の視線を受けた後、「今日もこってりしぼられたよ、あの狸じじい、いつか絶対見返してやる」などとぼやいた。

 はじめて、ダンが歩を進める。

「お久しぶりです、首領ボス

「おう。相変わらずまじめみたいだね、ダン」

 言ったあと、ジエッタは、からからと笑った。「追い出されて、よかっただろう?」

 彼女の言葉に、ダンも笑う。

「ディランから聞きましたか」

「おうともさ」

「あなたが弟子をとるとは、思わなかった」

「あたしだって思わなかったさ。これが最初で最後だよ」

 二人の会話を、ケネスは黙って聞いていた。……考えてみれば、この男と弟分は、少しだけ雰囲気が似ている気がする。今は特に、そう思った。それほどに、ダンの横顔は穏やかだ。かつての、はりつめた糸のような表情が、今の姿に、かすかに重なる。

「……やっぱりおまえには、こういう職場が似合いだよ」

 もう一度、呟く。その声は、港町の乾いた喧騒に吸いこまれ、誰の耳に届くことも、なかった。

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