第百七十五話:聖女様は御許しに
「癌……、へえ。面白いことを言うのね」
言いながら、エイミーの目は笑ってはいなかった。
現在最も自分を脅かす病が面白いわけなどない。威圧する様にマナを抱き締める力を強める。
「おもしろくはないよ。まなもまなだけじゃなにもできなくて、こまってるもん」
マナもまた、冗談で言っているわけではなかった。エイミーに抵抗もせず、泣きそうになりながら答えた。
「……ふーん、自分で制御出来ないってことね」
納得はしないと言わんばかりに不満げな表情で、エイミーはそれでも強めた力を少しだけ弱める。
エイミーが自分に対してどの様な感情を持っているのか分かっているのだろう。マナはゆっくりと舌ったらずに、説得する様に話し始めた。
「うん。いんのまなには、じゆうにうまれるようにってねがったから、かってにふえてまものがうまれちゃう。
だから、まながたべるの。
そうすればいんのまなはたべられるのをいやがって、そのばしょにちかづかなくなる」
言葉こそ足りないものの、マナが直接魔物を食べることだけが、陰のマナを減らす方法だった。
「つまり、世界中を回って魔物を食べて、一箇所に追い込んでから纏めて食べれば、完全に無くなるってこと?」
「そう。さいごにはぜんぶのまなをあつめたまおーをつくる。で、まながそれをたべる。
そうしたらいんのまなはなくなる、はず」
「はず、ね」
マナの言葉は信用出来ない。
そう言わんばかりにエイミーは目を細めた。
「しっぱいもおおかったから」
マナは申し訳なさそうに言った。
「……そうね」
子どもの姿で素直に認められると、エイミーもどうにも調子が出なかった。
今まで成敗してきた大人達は殆どが自分を擁護する為に必死になっていたことを思い出して、思わず話題を逸らす。
「それで、いくつか質問があるんだけど」
「うん」
それでも、結局聞きたかったことはここからだった。
英雄達がきっと、敢えて聞いていないだろうこと。
クラウスとマナの真実。
「なんで勇者は減ってるの? 魔物はマナちゃんが居るだけじゃ減らないんでしょ?」
勇者はグレーズ王国を中心にして、年々その人口は減少している。
その結果は確かなもので、軍事大国であるはずのグレーズが遂には大会で遅れを取るほど。
最近ではクラウスの母である元王女が、軍事顧問としてのみだけでなく、よく前線に赴くほどだと聞いていた。
その質問に対して、マナは手で壺の様な形を描きながら答えた。
「くらうすはさや・・みたいなものだから、まなをためて、ゆっくりたべられるの」
そして、自分を指差して首を振る。
「まなはぬきみだからむりなの」
「……そういうことね。陽のマナを集めてるのはクラウス様に宿る陽の剣じゃなくて、クラウス様自身」
陰陽のマナが交わり消滅する時の衝撃で死滅した受精卵に引き寄せられる形で、陽の剣はクラウスに宿った。
エイミーはそれを思い出していた。
欠けた命の補完を、陽の剣が補っているのだと。
「そう。くらうすはいきるために、よーのまなをあつめつづけるの」
そして、剣が存在するだけでは足りないのだと、マナは言った。
言われてみればそうかもしれない、とエイミーは思う。
死者の蘇生は本来不可能な願いのはずだった。
不可能を可能にする為に、奇跡を起こし続けているのだとしたら、確かにマナを吸収し続けるしかないだろう。
マナは続けた。
「だからくらうすのけんはおりびあみたいにひっちゅーじゃないの」
クラウスの剣は正確だった。
相当に正確だからそれがオリヴィアから奪った勇者の力なのかと思ったこともある程だったが、確実に誤差がある。
それは才能の範疇と言えるレベルだから、勇者の力ではない。
そう結論が出ていたと聞いていた。
だから、奪ったマナは全て生存に回されているのだと。
「え、ってことはつまり、もしクラウス様が勇者を食べたら?」
エイミーの疑問は当然そこに向くのだった。
「そのちからをうばえるよ。でも、すこしよわい」
「……ああ、だからクラウス様は肉体が頑強なだけの勇者ってことになってたのね。オリヴィア姫の力しか手に入れてないから」
今までクラウスが食べた勇者のマナは母のものだけ。
その力は必中だった。
それが弱くなれば、正確。
必中では無いのなら、奇跡でもなんでもない。
だからクラウスは、力を持っていることに気付くきっかけが存在しなかった。
それは英雄達にとって、都合が良いことだった。
「うん。くうきからあつめられるちからは、ゆーしゃのにくたいのぶぶんだけ。ねがいは、うまれるときにきまるの」
「納得したわ」
今度は即答して、エイミーは再び腕に力を入れる。
殺意が含まれた声音で、冷徹に言う。
「つまりあなた、世界の意思はクラウス様に地獄を課したのね」
「ごめんね」
――。
「じゃ、ここからが本題」
エイミーは腕を緩めず問うた。
「もしもマナちゃんが死んだらどうなるの?」
「くらうすがよーのマナをぜんぶすって、いつかゆーしゃもまほーつかいもいなくなる。まものだけになる」
「ならクラウス様が死んだら?」
「まながさいあくのまおーになる、と、おもう」
「なら、両方死んだら?」
「きっとせかいのいしはほんとーにぜつぼうして、このせかいがぜんぶおわっちゃう」
矢継ぎ早なエイミーの質問に、マナも淡々と答えた。
マナの考えがどういうものなのか分かった以上、もう驚くことも迷うことも、エイミーは無かった。
「なるほど。そういうことね。あくまであなたは人間だけの世界に戻して、死にたいわけだ」
「うん」
「そっか。それならここで殺しちゃうのはやめておこうかな」
「ありがとう」
ただの敵だったのなら殺していた。
そんな宣言にもマナは動じずに感謝の言葉を呟いた。
エイミーもまた、冷静なマナにいつもの調子を取り戻し始めていた。
「あら、感謝される覚えはないのよ? 私はいつだって、聖女様を殺したあなたには死んで欲しいと思ってるんだから」
「うん、わたしがごめんね」
「わたし、か。マナちゃんは世界の意思なのよね?」
「きおくはあるから」
「そういうものなのね」
本来なら仇敵の言葉に、エイミーはきつく抱き締めていた腕の力を緩めた。
逃げ出そうと思えば逃げられる程度の囲いから、マナは逃げなかった。
「ま、仕方ないわ。聖女様がお許しになるって仰ってるんだもの」
「さにぃはもういないよ?」
「敬虔なる私には聞こえるの。だってあなたの瞳、聖女様に似ているから。それは聖女様があなたをお許しになったってこと」
「そうなの?」
「ええ、その証拠にクラウス様はあなたを大切にしてるでしょう?」
「うん」
笑顔で答えたマナに、エイミーもまた、久しぶりの笑顔を取り戻した。
尤もそれも、次のマナの言葉までだったけれど。
「それじゃ、最後に一つ。あなたの、マナちゃんの人格は、どうやって出来たの?」
「さにぃが、しばらくわたしのなかにいたの」
――。
魔物は生きていることそのものが奇跡なのだから、勇者の様な特殊な能力は持たない。
その代わり肉体強度が高く、より高みにいる者は魔法を扱い勇者を翻弄する。
魔物を殺すことに、人々は罪悪感を覚えない。
何故なら魔物は元から人類の敵として設計されているからだ。
魔物は全て、マナの所有物だ。
それがなまじ意識を持ってしまったがばっかりに、彼女の元に還ることを恐れ殺そうとする。
いくらかの魔物を前にしたクラウスは、久しぶりの戦闘に気分が昂ぶっていた。
ドラゴンに負けて以来英雄に対する憧れは治り始め、戦闘に対する意気だけが増していた。
切羽詰まった様子のサラの意志を尊重して一切の手出しこそしなかったものの、自分ならどの様に魔物を仕留めるかを考えなかったことは一度としてない。
その成果を久しぶりに試せるのだと思うと、昂ぶるのも無理は無い。
そう、思い込んでいた。
クラウスは目の前のそれほど恐れを見せていない魔物達に向けて言い放つ。
「お前達は最初から殺される為に創られた存在なんだってな。僕はきっと、殺す為に生まれた存在だ。
どうせマナの元へと還るんだ。無条件に食われるよりは、戦って死ぬ方が良いだろう?
さあ、殺し合いをしよう」
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