第百五十四話:英雄達は
「はあ……肝を冷やしたよ……」
ドラゴン騒動が終息を迎え、倒れるクラウスに寄り添うマナを見て、イリスは大きく息を吐いた。
マナが走り出した際、近くに居たイリスだけは出だしこそ遅れたとしても追い付ける状況にあった。
しかし言葉の真意が直接伝わるイリスは、エリーの動くなという言葉の本質をきっちりと受け取っていた為、動けなかった。
――マナはドラゴンに対して確信を持ってる。それこそ、餌としか見てない。
勝つとか負けるとか、そういう問題じゃない。クラウスが勇者に強いとか、そういう次元じゃない。
だから、動かないで自由にさせておいて。
マナに釣られて走り出したサラにそれを伝えることも出来ずに硬直してしまった罪悪感と、危なかったサラも小さな傷だけで済んだ安堵感、そしてエリーが言った通りの圧倒的なマナの力に、イリスは腰が抜けそうになる。
最後には覚悟を決めて挑んだ魔王戦とは違って、今回は想定外のことが起こり過ぎた気分だった。
同じく想定外外だったのだろう、オリヴィアやエレナ、ルークが叫ぶ声に、オリヴィアを押さえ込んだアリエルの必死な声もまだ頭の中に響いている。
「ごめんカーリー、サラちゃんのところ、行ってあげてくれる?」
イリスは自分の娘にそう告げると、へなへなと腰を下ろした。
――。
「うぅ……うぐ……」
「ほらほら泣かないのオリ姉。今のクラウスはあの位じゃ死なないんだから。あんたの息子は、頑丈さじゃ元から世界最高だよ」
クラウスが踏み潰されてから、愛する息子を助けようと暴れていた英雄の頭をぽんぽんと叩きながら、エリーは苦笑いをしていた。
修行と称して、クラウスの頑丈さを計っていた時期がある。
寝ている所を襲うことで、いざという時の対応力を高めるという名目の元、剣を軽く突き立ててみたことが何度もあった。
最初はなんの効果もないただの鈍ら。次いで名刀と呼ばれるもの。
そして、勇者の遺骨を練って鍛えた宝剣、最後は魔物の素材を生かした宝剣。
ちゃんと刺さったのは、最後の一つだけだったことを思い出す。
それはクラウスが魔物に弱いというわけでは無く、上質な魔物の素材を使った宝剣レベルでなければ、クラウスはビクともしないことを示していた。
当時のクラウスはサラに何度も負けていた。
魔法で滅多打ちにされて、クラウスが対処しきれず負けを認める。
毎回ほぼ無傷にも関わらず、クラウスは15歳までサラに勝つことが出来なかった。
少し本気を出せば、魔法など殆ど無視して突き進めるのに、クラウスは最後には膝を付き負け続けていた。
負けの理由は置いておくにしても、クラウスの肉体の頑強さはずば抜けている。
優秀な肉体を持つ勇者、例えば現在世界最強の勇者であるエリザベート・ストームハートにしても、ダメージの反射が出来るからこその無手格闘をしている訳で、反射が出来ない左手には籠手を装備している。
殆どの勇者が、宝剣を手に持ち戦う。
その理由は簡単だった。
武器を使った方が強いから、では無く、武器を使わなければ自らの肉体を傷付けてしまうからだ。
高い膂力を持っていたとしても、それを自分の肉体と同等のものに打ち付ければ、当然自分の肉体も傷付いてしまう。それは少しくらい柔らかくても同じこと。
あのレインすら、靴を履いていれば蹴り飛ばすことくらいはするものの、素手で敵の肉体を抉る様な真似はしない。
つまり、魔物に対して素手で挑むというのは、言ってみれば自らの肉体を傷付けながら戦うリスクある戦闘に他ならなかった。
対して、クラウスは戦闘中に平然と敵の肉体を素手で抉り取る。
腹に手を突き入れ、背骨を掴んで振り回すなど、いくら勇者と言えど普通は出来ることではない。するとすればせめて、腹に剣で風穴を開けて剣が折れてしまったらの話。
蹂躙しようと余裕ぶった結果怪我をしました。では、生死を掛けた戦闘では話にならないのだ。
それでもクラウスは平然とその残虐な戦闘を繰り返す。
単純に、その程度では一切のダメージを受けないのだから。
クラウスの肉体は勇者として理想的、とはよく言ったものだった。
何度やられても立ち上がり、最後には己の身体のみとなっても敵を倒す勇敢な者が持つに相応しい肉体。
マルスの不老不死とはまるで別の、打ち勝つ為の肉体。
クラウスの身体がそんなものであることを、エリーは知っていた。
「って言うか、オリ姉も知ってるはずなんだけどな……」
「うぅ、わたくしは、もう、クラウスが滅多打ちにされてるのを見てるのも辛くて…………」
「ああ、……うん」
そう言えば、この息子大好きな母はそういう奴だった、と微妙な顔で苦笑する。
死ぬか死なないかでは無く、子どもがやられていることそのものが辛くて仕方ない。
握り込んだ掌と唇から血を流す程に。アリエルに押さえられる程度の体ではどうやってもドラゴンに、勝てる訳が無い癖に。
「連れて来ない方が良かった?」
オリヴィアがどんな返答をするのか分かっているけれど、エリーは敢えて問う。
その答えは、やはり心の中と全くもって同じものだった。
「いいえ、おかけで、クラウスの格好いいところを見られましたわ」
まるで変わらないオリヴィアを見て、つい溜息を吐いてしまう。
それを認めて、呆れていると言うよりも、むしろ安心する様な感覚で、エリーはオリヴィアの背中をさするのだった。
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