第百四十五話:英雄会議
「うん。私はクラウス君が出るのが良いと考えてる。
もちろんマナちゃんを連れて行く為に、サラちゃんも」
真剣な表情で、イリスは言った。
例えどんな反論が来たとしても真正面から受けてやると言わんばかりに確固たる意志を込めて、ルークを見つめる。
「サラは英雄じゃないんだぞ?」
120mものドラゴンとなれば、その巨体だけでも圧倒的な威圧感を持っている。
英雄だからこそルーク達なら冷静に戦えるとしても、本来なら魔法使いは臆したら負け。
勝てないと思った時点で勝利する可能性そのものが消滅するものが魔法使いだった。
例え戦うのがクラウスだけだとしても、遠目に見るだけだとしても、戦闘の余波を防ぎきることすら難しいかもしれない。
しかしイリスの考えは明らかに、近くにマナを連れて行くことにあった。
「でも、同じ加護を受けてると思われる、タンバリンを持ってる」
サラが持つタンバリン【たまらんタマリン】は特別製だった。
最上位のレインの加護を受けたサニィが、何の思惑かマナを込めたままにしたらしい宝具。
それはそのままレインの加護を受けているらしく、サラが使う時に限り、タンバリンそのものにかけられた再生魔法と聖女の魔法の一部を扱うことが出来る、言わば道具の英雄とも呼べる代物だった。
「ッ……そうだとしても、サラじゃエリス君に勝つのがやっとだ! 余りにも危険過ぎる!」
しかし、やはりその加護は間接的なものであって、直接サラが加護を受けているわけではない。
彼女がどれだけの努力を重ねようが、直接レインに鍛えられた英雄に肉薄することは一度としてなかった。ありえなかった。
エリスは時代さえ違えば英雄になっていた逸材とはいえ、どんなに小型なドラゴンも一人では倒すことが出来ない。
それが、レインが生まれるまでの常識だったし、レインの加護を受けていない者にとっては現代ですら変わらない。
そんなエリスに勝てるからと言って、サラが圧勝するわけではない。
大会の時の様に聖女の力を少し使ってぎりぎり、全てを使って確実に、といったレベルだ。
つまりイリスが言っていることは、ルークにとっては娘を死地に送り出すことに等しい。
「でも、これはサラちゃんが選んだ道では?」
「君は本当の子どもが――」
「少し、よろしいですか?」
ルークが言ってはいけないことを言い放とうとした時、その場を制したのは長い金髪の美女だった。
英雄の一人でありながら、今はその力を全て失い、加護と経験だけで戦う一般人。
どれだけ頭に血が上っていたとしても、そこは歴戦の魔法使い、ルークは瞬時に落ち着きを取り戻し、声の方を振り返る。
「オリヴィアさん……」
思えば、オリヴィアもルークと同じ立場だ。
自らの子どもを、いくら強くなっているとはいえ、英雄の加護がかかっていないクラウスを、天災と言える強大さのドラゴンの前へと放り出す作戦。
死のリスクが最も高いのは、余波を心配するサラよりも、むしろ真正面から戦うクラウスなはず。
それを失念していたルークは、オリヴィアの表情を見て、全ての怒りを鎮めることにした。
その表情は英雄レインを送り出した後、そして藍の魔王を討伐した後。それらの時と同じ表情に見えたからだ。
ただ師だったルークにとってのサニィとは違い、オリヴィアにとってのレインは想い人。
思えば今自分が感じている娘を失うかも知れない恐怖と近しいレベルの恐怖を、既にこの元王女は二度も乗り越えてきている。
そんな人が再び覚悟を決めた表情をしている。
その思いが、ルークを急激に冷静にさせることになった。
「ナディアさん、今のクラウスの力は?」
「私の家に来た時には90mのドラゴン位、でしたね」
「ということは、クラウスも危ないということですわね?」
既に事前報告で知っている事実を、オリヴィアは再度確認する。
「そうですね。
今は更に成長して良い戦いは出来るかも知れませんが、大会からの成長率的に120mに届くとは考えにくいですし、加護が無いあの子の勝率は低いでしょうね」
ナディアもまた、冷徹とも言える事実を正面から答える。
ナディアにとってオリヴィアは、最も認めている英雄で、女性だ。目を見て事実を述べることこそが礼儀だと信じて、今分かる情報だけを答える。
そんなナディアの言葉を、オリヴィアもまた瞳を逸らさず受け止める。
「そうですか。アリエル様。あなたの力にはどの様に出ていますか?」
イリスの提案は、言ってみればめちゃくちゃなものだった。
勝てる可能性が低いクラウスをドラゴンと戦わせ、足手まといにしかならないサラを、マナという枷を付けて連れて行く。
それに理由があるとすれば、心当たりはこの女王だった。
「イリスの案は、妾の力に出たものだ。だからこそイリスはそう提案した」
「わかりましたわ」
アリエルの力に出たことならば、確実に何かが起こることになる。
かつて『正しき道を示す』と言われたその力は、どんな犠牲を払うか分からない、予言の力。
「それはつまり、そのままクラウス君が勝てるというわけではないんだよ、オリヴィアさん」
「……それでも、アリエル様の力で示される道は、人類の為に役に立つもの」
サンダルが悟す様に言っても、オリヴィアの決意は固い様だった。
王家の血筋が故か、覚悟さえ決まればそれを曲げられる者はいないと言っても過言ではない。
オリヴィアは、既に聞き入る体勢に入っているルークを見ると、言った。
「ルークさん。クラウスが生まれてから今まで、世界の陽のマナは減り続けています。勇者の出生率は下がり、今は影響が無いにしろ、そのうち魔法使いは魔法を使えなくなります。
それに対して、魔物は今も変わらず蔓延っていますわ。
マナちゃんの成長は、必須なんです」
クラウスは、ただ生きているだけで大気中の陽のマナを取り込みその強さを増していく。
それに対して、マナは違う様だった。
クラウスが出会ってから、全く変わらない見た目。見た目通りの身体能力。魔物に対しての食欲以外は、ただ額に角がある、ただの愛らしい少女でしかない。
その少女がずっと変わらなければ、いつかはクラウスが世界中の陽のマナを喰らい尽くし、いつかは勇者も居なくなり、世界は魔物が支配することになってしまう。
それはルークも分かっていた。
ただ父親として、どうしようもない感覚が邪魔をするだけで。
「出来ればサラの代わりに僕が出たいところですね」
言っても意味が無い言葉だと知りつつ、ルークは言った。
既にオリヴィアの覚悟に勝てないと分かりつつも、ただ、少しだけ気に入らない鬱憤を晴らす様に。
そしてオリヴィアから返って来た言葉で、ルークは完全に敗北を悟った。
「それも手ですが、わたくしはもう少し、自分の子どもを信じてあげても良いと思いますわ」
サラは英雄では無い。
格上に勝つことも出来るにしても、その上限はタンバリンの限界に依存して非常に低い。
だから、120mのドラゴンに向かわせるのは、ただ死ねと言っているに等しい。
分かってはいたものの、オリヴィアの覚悟は、ルークが知っているそんな事実を超えるものだった。
オリヴィア自身も、決して心が強い人物ではない。
そんな彼女が何が起こるか分からない死地に子どもを向かわせるのに、子どもを信じろと言うのであれば、それは、
「…………そうですね。サラが、自分で行くと言うのなら……」
ルークも、そう答えるしかないのだった。
すぐ隣を見ると、妻であるエレナは微笑んでいた。
まるで最初からこうなることが分かっていたかの様に、既に覚悟を決めた表情で。
きっとこの場で誰よりも冷徹で歪ではあるけれど、エレナもまたサラを愛娘として大切にしている。
それを見ると、ルークもすんなりと腑に落ちた感覚を覚えるのだった。
――。
ところが、オリヴィアの覚悟はこの程度で終わる様なものではない。
それを分かっていたのはエリーの様で、彼女がふっと笑うとほぼ同時、オリヴィアは有り得ないことを言い出す。
「わたくし達は近くで待機しましょう。本当に危なくなれば、わたくしが出ますから」
間違いなく現在は史上最弱の英雄は、なんでもないことの様にそう宣言した。
まるで簡単にドラゴンに勝てるとでも言わんばかりに、かつて最強を名乗っていた時の様に。
「……あなたという人は全く、あなたに何かあれば一番悲しむのはクラウス君なんですよ?」
あまりの言葉につい呆れて言ってしまうルークに、オリヴィアは今度は微笑んで言った。
「大丈夫ですわ。わたくしの最愛の息子は、英雄レインと聖女サニィの血を引いた、正真正銘の化け物ですもの。意外とあっさり、倒してしまうかも知れませんよ?」
それは先ほどの、自分の子どもを信じるという発言そのまま。それが妄言ではなく事実なのだから、ルークも最早笑うしかなくなってくる。
「ははは、そうですね。クラウス君は正真正銘、あの鬼神と聖女と、そしてあなたの子どもですもんね」
しかし、ルークもまた、大切なことも忘れてはいない。
一つだけ、条件を付けないわけにはいかなかった。
「ただし、危ない時にはあなたじゃなく僕達が出ます。それだけは約束して下さい」
「了解ですわ。それにしても、やっぱり父親というものは娘に対して過保護なのかしらね、ふふ」
そんな風にオリヴィアが微笑むと同時、会議はひと段落する。
ルークが先程の非礼をイリスに詫びて、作戦は子ども達に伝えられることになった。
一方、父親は過保護の言葉を受けて、ナディアにじっとりとした視線を向けられていた一人の英雄が、遂に堪え切れなくなる。
それは世界一美しい少女を娘に持つ、大陸一の美益荒男であるサンダルだった。
「……私はレインとは違うぞ」
「あなたはレインさんより過保護ですよ馬鹿ですか」
いつもの様に始まった夫婦間のやりとりが、また会議室が騒がしくなる合図だった。
「あはは、私の師匠は小さかった私はともかく、同じくらい大切だったオリ姉の腕を斬り落とすくらい厳しかったもんね」
「ふふふ、絶対に勝てない人が身近にいた日々、今はもう、懐かしいですわね」
「そうだね。でも安心してオリ姉。私がそれを、ちゃんと引き継ぐからさ」
「ええ、お願いしますわね。2代目」
――。
同じころイリスの家では、眠ったマナを挟んでクラウスとサラが少しばかり、話をしていた。
「そういえばさ、【国境なき英雄】ってどういう組織なんだ?」
「え、クラウス知らなかったの?」
「え、いや、ほら、僕は母さんの話を聞いて育ったからさ」
「あー、出たよマザコン。まあ、オリーブさんはあんまそういうこと話さないか」
「そうなんだよね。私は英雄じゃないって口癖みたいに言うし、聞きづらくてさ」
「うーん、【国境なき英雄】の理念はね、『人々が争いを起こさない限り、脅威から世界を守る』ってことなんだよね」
「人々が争わない限り?」
「そ。そんな条件があるから、アルカナウィンドから分離した国々も戦争を仕掛けない。英雄の庇護がなくなるからね」
「そうなのか。僕は無条件で人々を守るから英雄なんだと思ってたよ」
「がっかりした? でもさ、大切なことなんだ、その条件」
何処か含みのある言い方を持たせてから、サラは笑いながら言った。
それがまた少し彼女の母親に似ていて、クラウスも思わず苦笑いを隠せなかった。
「ただ、そんな条件を出したあの人達、私達が生まれてからは結構小競り合いしてるみたいだけどね。ウチノコドモガーってさ。
ほら、特にあのパパ二人」
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