第九十九話:女勇者

 英雄レインの子。


 そんな質問はクラウスにとって、予想外どころか、あり得ない質問だった。


 英雄レインはクラウスが生まれる6年も前に亡くなっているし、そもそもの話、レインの伴侶は聖女サニィだ。


 クラウスを産んだ親は正真正銘血染めの鬼姫と呼ばれたオリヴィア。


 大切そうに保管されているへその緒が、それを物語っていた。




「ははは、それはありませんよ。そもそも計算が合わない」




 そう苦笑いしながら答えたところで、ふと違和感に気付く。


 この女勇者の言葉は、どこか引っかかる部分があった。


 それを考えていると、答えはあちらからやって来た。




「クラウス様は、私が英雄レイン・・・・・と言っても、怒らないんですね」




 言われてはっきりとした違和感は、それだった。


 この国では英雄の宿『漣』があるブロンセンの町民を除いて、誰しもがレインを最悪の魔王だと思い込んでいる。


 まだ若いこの女勇者もブロンセンで見たことがない以上、そんな教育を受けて来たはずなのに。


 そう考えて、少し意地悪なことを聞いてみることにした。




「逆に問いますけど、なんでレインを英雄だと呼べば僕が怒ると?」




 そう問われて、女勇者は顎に手を当てて思考を始めた。




「なんででしょう? ……英雄達の多くを殺したのはレインだから?」




 クラウスが英雄の子だと知っている今、レインは最悪の魔王だから、なんて答えは意味を成さない。


 英雄達は、最短の者でも一年以上はレインと関わっていたことが知られている。


 そこで感情に任せてレインは魔王だから悪いと無条件に言ってしまえば、それは英雄達も聖女も、レインが魔王だと見抜けなかった間抜けと言っているにも等しい。




 なるほど、それならとクラウスも得心がいった。


 少なくともそこまでを考えた上でレインを英雄と呼んだのなら、この女勇者はそれなりの眼を持っているのかも知れない。




 レインをあえて英雄と呼ぶことで、クラウスから感じた恐怖心がどういうものなのかを試したかったのだろう。




「レインは一時、確かに英雄でした」




 しかしそう答えた直後、女勇者のうっとりとした表情が、それまでのことが単なるクラウスの考えすぎだったことを示していた。




「私、聖女の魔法書に登場するレインがとても好きなんです」




 そんな一言から、演説は始まった。




「私にとってレインっていう人は、この世界で一番の英雄なんです。


 死後、魔王となって二人の弟子に倒されるまで生涯只の一度も負けは無し。それがまず凄いですよね。お前は必ず俺が守るって言って、本当に守る力を持ってる。


 しかも王都ドラゴン襲撃の時なんか、あえて手を出さずに聖女様の誇りを守ったとか……。


 そして最後は聖女様と共に命懸けで呪いを解いた。


 みんなは本当は死んでいなくて、英雄を倒す機会を伺っていた、なんて言ってますけど、それって英雄に対する冒涜だと思うんです」




 みんなを起こさないよう小声ながら、熱のこもった眼で続ける。




「聖女様は確かに呪いを解きました。私がまだ生まれる前の話ですけど、私の父は呪いにかかっていたそうです。


 父は呪いが解かれた日には世界的に天気雨が降ったと言っていました。


 雨は英雄レインの象徴です。時雨流、っていう剣術があるくらいですもんね。


 つまり、その日世界を覆った天気雨は聖女様が英雄レインに感謝した証。


 私は、そう考えています。


 それを生き延びていた、なんて悪い意味で言うのは、本当に……聖女様にもレインにも酷いのではないかと……」




 そう、涙を流しながら語る。


 少し情が入り過ぎな感じもするものの、それは母から聞いていた話と殆ど同じ。


 確かに、世界的には真実では無いとされている真実を知ってしまっているのなら、この国は生きにくいのかも知れない。


 冒険者は自由だ。


 魔物を倒して証拠さえ提示すれば脅威を減らしたとして滞在している国から報酬が支払われるし、嫌なら別の国に行けば良い。


 のたれ死んでも本人の責任だし、聖女が転移の魔法を解禁してからは危険地帯を避けて通ることも難しく無い。




 ところがそう考えていたクラウスの予想は、再び外れることになる。




「そんな風に英雄レインが好きな私は、同じく聖女様が大好きなあの子、ソシエと一緒に旅をすることにしたんです。


 二人が歩いた軌跡である花の川を辿れば、二人が何を感じて、何を思って、どんな想いで呪いを解いたのか、もっと分かるんじゃないかと思って」




 妙に生き生きとそう語る女勇者は、今は眠っている魔法使いを指差してそう語った。


 その様子はそこはかとなく関わりにくいものがあった。


 まるで聞いてもいない初恋の話を無理やりされる様な、同じものに興味はあるはずなのに、引いてしまう様な。




 ――もしかして、英雄を語る僕ってこんな感じなのか……?


 いや、母さんも似た様なものだしな。


 会ってすぐにこんなに語られたから引いているだけか……。




 自分に言い訳をしつつ、クラウスは思う。


 夢は結構だけれど、流石に無謀だ、と。




「あー、と、ですね。凄く熱意は伝わったんですけど、流石にこれ以上の旅はやめた方が良い。


 あのドニとかいう男に勝てない様では、超えられない難所が沢山ある。


 今回はたまたま僕達が通りかかったから良かったものの、次はありません」




 そんなクラウスの言葉に、しゅんと俯く女勇者。


 生きにくくて旅をしているのでは無いのなら、ただ夢を見ているだけなのなら、まずは生きていなくては始まらない。


 デーモンよりも強いとは言っても、盗賊に捕まってしまう程度の腕なのなら、灼熱の砂漠も永久凍土も超えられない。


 もしもデーモンよりも遥かに強い魔物が出たのなら、万に一つも逃れる術は無い。




 一流の基準とされているデーモン単独討伐ではあるが、それはつまりそれより上に対抗するには軍事力が必要となるということ。




 デーモンを素手で捻る男が手も足も出ない様な化け物が、この世界にはいつ現れるか分からない。


 もちろんそれは都市で暮らしていても変わらないものの、二人きりとは生き延びる可能性は天と地ほどの差がある。




 少し落ち込んで見せた後、先程まで捕まっていたことを思い出したのだろう、頰を掻きながら言う。




「えへへ、そうですよね。一応、ソシエと二人でならデーモンも倒せるから大丈夫、とか思ってたんですけど、傲慢でした」




 思っていたよりは、腕はあるらしい。


 しかしそれでも、勇者が減少傾向にある現在、世界は相対的に危険度が増している。




「取り敢えず、今はまだ大変な目にあったばかりなんで少し落ち着くまで、ミラの村の再興を手伝ってくれると僕としては助かりますけどね。あそこは、戦闘が全く出来ない村みたいなので」




 ミラの村はかつてレインとサニィが救った村。




「ちょうど行こうと思ってた時に捕まったんです。


 ……うん、ソシエと話してみますけど、そうしてみようかな」




 何を納得したのかクラウスには分からなかったが、一先ずは落ち着いてきたらしい。


 本当はもう少し好きな話を聞いてみた方が良かったのかも知れないとも思ったものの、先程からずっとチラチラとこちらを見ているサラのことを考えると、この辺りが潮時だろう。




 ただこの女勇者、マヤは、それだけでは終わらなかった。




「それで、本当にクラウス様って英雄レインの息子さんではないんですか? 遺伝ってよく分かりませんけど瑠璃色の瞳だってちょうど聖女様と英雄レインの中間ですし、他に青い瞳の英雄なんていましたっけ……? 何より、聖女様の魔法ならなんでもアリな気がするんですけど、本当に違うんでふ――」




 そこでサラが強制的に眠らせたことで、何とか女勇者の追求は一時保留となるのだった。

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