第八十一話:帰る場所

「お、クラウス帰ってきたよ。おかえり」


「ほんとだ。くらうすおかえりー!」




 魔物の処理を終えたクラウスが森から姿を現すと、待っていた二人が出迎えてくれた。


 今まで村に預けていたり、寝ているところを抱えて戦ったりと不安があったところを、サラが守ってくれるのは純粋に頼もしくて安心する。


 そして何よりマナの安心が保証されている以上に、帰る場所があるということが何よりも嬉しいことの様に感じた。


 クラウスの家はブロンセンの漣で、母のいた所。


 今まではそこ以外には存在しなかった。


 長く同じところに留まればまた何か問題を起こしてしまうのではないかという思いが、クラウスを同じ宿に何度も泊めることすら躊躇させていたからだ。


 ささみ亭の女将には一度お世話になったけれど、次の日以降は別の所に宿をとったのもそれが理由。




 そんなクラウスを暖かく迎えてくれる二人がいることが嬉しくてマナを受け取ろうと手を伸ばす。




「やだっ!」




 しかしそんな幸福は一瞬の内に打ち砕かれた。


 直前まで嬉しそうにしていたマナの明確な拒否。


 それはせっかく出来た新しい居場所が、また自分の性質が元で壊れてしまったのかという想い。




 あっけに取られた様に呆然としていると、サラがぶふっと笑いを堪えられず吹き出した。




「あはは、なんて顔してるのクラウス。そんなびちょびちょでマナを抱いたら風邪ひかせちゃうから」


「うん、くらうすびちょびちょー」




 言われて気づく。


 戦いが終わって帰ろうとしたところで、空から滝の様に水が降り注いできたことを。


 血まみれで戦ってたのを見せたく無くてサラが洗ってくれたのだろうとは予想がついていたけれど、思わぬ感動にうっかりと失念していた。




「ああ、そう言えばスコールに遭ったんだ。サラ、乾かしてもらえないか?」


「はいはい。温風温風っと。全身びちょびちょだから時間かかるからね」




 そう言いながらタンバリンをポンポンと叩くと、クラウスの上空から乾いた温風が吹き付けてくる。


 サラは道具の関係で木々さえあれば滝の様なスコールを降らせることも視線が届かなくとも出来る。


 しかしその性質上、目線を切ったまま温度を上げる時には湿度を伴う癖がある。


 森から出てくるまで乾かさなかった理由は単純に、せっかく洗ったのに蒸し焼きにして汗だくにするのを嫌がったのだろう。


 目線さえあればイメージはしやすいらしく、乾いた心地良い温風だ。


 風や温度に目が関係あるのかと尋ねたこともあるのだけれど、何がイメージを阻害するかは自分でも今一分かっていないとのこと。




「じゃあマナはそれまで私が抱っこしててあげる」




 サラは左手で腰のタンバリンをポンポンと叩きながら右腕でマナを抱えたまま言うと、マナもその状況には気づいているのだろう、


「まなあるくよ?」


 と遠慮した様にサラを見上げた。




「直前まで眠そうにしてたじゃない。大丈夫、私はマナのママになるんでしょ? いつ寝ても良いからね」


「ん」




 短く答えてサラの胸に頭を埋めるマナを見ていると、既に二人は本当の若い母親と子どもの様に信頼関係が築き上げられている様に見える。


 それに再び安堵を覚えて、クラウスはしばし上空から吹いてくる温風で体を乾かすのだった。




 ――。




「それにしてもマナは随分と懐いてるね。結構な人見知りなんだけど」




 サラが寝付いたのを見て、クラウスは静かに語りかけた。


 言いながらマナを受け取ろうとすると、サラはゆっくりと首を振って答える。




「そんな様子は全く無かったね。大丈夫だよ。私の魔法は身体強化得意だから」


「了解。……サラはその子について、どのくらい知ってるんだ?」




 グレーズ王の話を聞くに、英雄達はマナについて殆どのことを知っているはずだ。


 それならばサラが何かを知っていてもおかしくはない。


 サラは立場上なのか何なのかは知らないが、クラウスが知らないことも大抵は知っている。


 尤も、教えてくれないことに関しては英雄達に聞くよりも口が硬いのだけれど。




「んー。私もよく分からないんだよね。元々聞いてた話と随分違うし」


「随分違う?」


「うん。私がママになるのはクラウスとの子どもだと思ってたんだけど」


「……え?」


「まあ、それは追々で良いとして」




 ゆっくりと歩きながら、サラはマナの頭を撫で始める。


 その手は次第に額の方まで伸びていき、リボンの付近にまで持っていく。




「ほら、この子角生えてるじゃない。私、なんでこの子に角が生えてるのか全く分からないもん」


「そうなのか?」


「うん。正体の予想は付いてるんだけど、なんでなのか分からない。この辺りが私が話せる限界かなー」




 相変わらず飄々とした様子でそんなことを言ってのける。


 皆が何かしらの隠し事をしているのは分かっている。


 しかしそれに、母も関わっている以上、クラウスは無理に聞き出すことはしないと決めていた。


 それが多少なりとも三人の精神誘導の効果が成せる業なのだけれど、流石にそれは気づくこともなく。




「この子、何処に居たの?」


「それがジャガーノートの巣なんだよ。ジャングルでジャガーノートに会ったから、幼体がいるかもしれないと思って巣に向かったら何故かマナが居たんだ」


「へえ、ってことはマナはジャガーノートの幼体? ジャガーノートなら短い角生えてるけど」


「そんなわけ……、有り得るのか?」




 マナは灰色の女の子だ。


 灰色の髪の毛、灰色の瞳、白い肌。


 ジャガーノートの全身赤色とは似ても似つかない。


 いや、それ以前に、ジャガーノートは短い角が生えた筋骨隆々な肉食獣の様な見た目をしている。


 牛の様な突進力と肉食獣の凶暴さが厄介なジャングルの主。


 魔物にしては珍しく幼体で生まれ、子育てをする魔物。


 対してマナはどう見ても人間の女の子。


 見た目は言うまでもなく、知能も見た目通りで、時に狙ったかの様に鋭く見抜いてくることもある。




「普通に考えたら有り得ないけど、普通に考えて良い世界じゃないでしょ、ここ」




 陰陽のマナがある以上、常に異常は起きっぱなしだと言っても良い。


 これから行くウアカリが何故全員勇者として生まれるのか、何故全員同じ力を持っているのかすら、解明される気配はない。


 そうなっているからそう。


 そうと言えない状況がいつでも起こっているのがこの世界だ。




「だとしたら魔物だから……」


「いやいや、魔物じゃないよマナは。適当に言ってみただけだし」




 物騒なことを言いかけて、すぐにサラがカバーする。


 結局サラが何を言いたいのかも分からないまま、この日は更けていった。

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