第四十八話:悪夢
「おはようサラ」
サラが目を覚ますと、少しばかり固いベッドの隣には母が居た。
「ん、んん……あれ、ママ? 私は?」
頭がふらふらするものの、母は特に心配する様子も無く微笑んでいるので、一瞬の混乱を覚える。
何か凄まじく大変な目にあった様な……。と思っていると母が首を傾げる。
「あら、覚えてない?」
「ええと、パパと霊峰に……入って……。そっか。修行だ」
思い出してみれば、限界を見極める為の修行に霊峰へと入ったのだった。
限界を見極めると言いつつ、そのまま一つも魔法を使えという指示が出されないままに倒れてしまったということは、一度死の寸前まで行ってみようという訓練だったのだろう。
実際に霊峰で倒れた経験があるルークが、その見極めを間違えることは有り得ない。
「そうそう。大丈夫そう?」
相変わらずあまり心配していないように見える母の様子からしても、その予想はほぼ間違い無いだろう。
倒れるぎりぎりで魔法を使えと言うのなら、流石の母『悪夢のエレナ』ももう少し心配するはずだ。
「うん。倒れる寸前まで思い出したよ」
霊峰で倒れるということは、後少しで死んでいたということ。
しかしそれを思い返してみても、そこまでの恐怖は覚えていなかった。
頼れる父が隣に居たからか、母の様に死に疎いのかは分からないけれど、とにかく。
「そっか。倒れる寸前でも普通に魔法、使えそう?」
「思考力は落ちちゃってるから普通は無理かもだけど、魔法の発動だけなら問題ない、と、思う」
気持ち悪くて吐きそうだったし頭もふらふらだったものの、倒れる寸前でも生き延びる為の魔法を瞬時に行使することくらいなら問題なさそうだった。
もちろん、それだけでは足りないのは分かっているけれど、少なくともパニックではなかった。
「それなら大丈夫そうね」
「なんの修行だったの?」
微笑む母に、一応聞いてみることにする。
「死の直前でもパニックにならない為の修行。魔法使いの弱点はパニックだからね」
するとはやり、予想通りだったらしい。
「ははは、ママの娘がパニックになる方が難しいかもよ」
そんな風におどけてみせる。
悪夢のエレナは例え死んでも魔法が使えるとまで言われる魔法使いだ。
当然脳が働いていなければ魔法の行使は不可能に決まっているが、それでも使えそうな程に心が乱れないという揶揄。
もちろん言ったのはルークで、後でキツいお仕置きがされたのだとかなんとか。
すると、母の微笑みが少しだけ変化する。
その様子に、サラは強烈な怖気を覚えた。
もしかしたら、死よりも恐ろしいことが待っているのではという怖気。
そしてそれはどうやら現実になりそうだ。
「ふふ、そっか。なら、次の修行は私とね。一瞬でパニックにさせてみせるから期待してて」
世界で最も期待したくない言葉が、母から放たれた。
修行は基本的に理論派な父ルークが教えてくれていて、母エレナはそれ程関わらないのが基本だった。
母の魔法は感覚的なものだし、教えることには向いていない。
何より、エレナの魔法は心を折ることが専門だ。サラに効率的な心の折り方なんかを説かれても困るというのが、ルークの教育理念だった。
ところが、ここにはルークは居ない。
ルークが居らず母がいるということはつまり、今回は特別講師としてエレナが修行をつけることを、ルーク自身が認めてしまったということ。
「いや、普通に怖いんだけど……。戦っちゃいけない英雄エレナなんだよ、ママ」
冷や汗を垂らしながらサラは言う。
サラにとって最も怖い人物は誰かと言われれば、それは母エレナだ。
誰よりも頼りになる父、最強の魔法使いルークが時折恐れを見せる。
ただそれだけで、サラにとってエレナを怖がる理由は十分だった。
もちろん実の母だ。
三歳の頃にサラが攫われた事件で激怒して盗賊団を壊滅させたことは覚えているし、普段は優しい母だと言える。
それでも、怖いものは怖いのだ。
「でも、私位にならないとクラウス君の隣に居るのは大変だよ?」
こんな風に。
「な、何言ってるのママ!? へぶっ」
その簡単な言葉にパニックに陥った瞬間、横合いから枕が飛んできていた。
エレナは左手をパタパタとさせている。
きっとその手の動きの通りに枕を飛ばしたのだろう。
「ほら、一瞬でパニック。まだ修行開始しても無いのに」
「え……」
普段なら避けられて当然と言える攻撃を放っておいて、エレナは平然と言う。
これはまだ修行ですらなく、ただ少しからかったに過ぎないと。
たったそれだけで、いとも簡単にサラの心を乱したのだと。
相変わらず恐ろしい母は、再び楽しそうに笑うと、さらなる追撃の言葉を放つ。
「ふふ、こんなんでパニックになってたら、先を越されちゃうかもね」
「な、なにを言って……おぶ」
先ほどの枕が、再び。
父の様な力で勝てない攻撃ではない。
しかし、どうにも避けることも抵抗することも出来ない。
そんなサラに、エレナは慈愛に満ちた表情で言った。
「ほらまた心が乱れてる。でも大丈夫。女は時には獰猛な肉食獣の様に男を狩ることも大切だって教えてあげるから」
それはサラにとってはとても慈愛に満ちた、悪魔の様な笑顔に見えたのだった。
「ひっ……」
力の強さが魔法の強さでは無いことを、サラはこの後に思う存分知ることになる。
世界最強の魔法使いに対して、世界最凶の魔法使い。
絶対に戦ってはいけないと言われるエレナの魔法の恐怖を味わって、サラは思うのだった。
そりゃ、この人を大会に出したら死者が出るだけなら良い方で、観客含め何人が一生消えないトラウマを植えつけられるか分からないよね、と。
大会に出ないかと打診された際、ルークが絶対にエレナは出さないと強く運営側に言っていた理由を、サラは嫌というほど味わうことになる。
その一言目は、「そう言えばクラウス君、子どもと旅してるみたいだよ」だった。
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