第十話:初代とは違う三代目
「まな」
剣を首元に突き立ててから数十秒、クラウスの服に涙や鼻水を存分に擦りつけた少女はそんなことを呟いた。
魔物であれば、まず間違いなく抱きしめるという行為は隙を晒す行為だ。懐に入り込んだ時点で明確な魔物優位。ソレが人に寄生していたり姿を変えているのであれば変形を利用して攻撃することが出来るし、疑似餌で本体が別に居るなら懐に居る疑似餌が邪魔になる為に攻撃しやすい。
しかし、少女は全く攻撃の素振り等なく、……涙と鼻水で服をぐちゃぐちゃにする以外の攻撃の素振り等なく、数十秒。疑似餌だとしても、それに剣を突き立てれば本体は少量の殺気位は漏らすはず、が、それもない。
突き立てた剣の所在を何処にしようか悩み始めたところで、少女はそんなことを呟いたのだった。
もしも涙や鼻水が猛毒でそれが本当の攻撃手段だったら恐ろしい限りだが、今のところはヒリヒリすることすらない。
子ども特有の高い体温がこの熱帯雨林では少し暑苦しいなと感じる位のもので、一先ずこの少女そのものに危険はなさそうだと剣を下ろす。もちろん、即座に攻撃出来る準備は整えたままに。
「マナ?」
「……なまえ」
なるほど、と思う。
名付けたのは誰かは知らないが、英雄の子であるクラウスが出会った少女の名前がそれ・・なのは何処か意図を感じる。
ある意味で謎に包まれたエリー叔母さんが一人で修行の旅に言い出したこと、自分自身が英雄レインに憧れていること、唯一の例外だった魔物、妖狐たまきの話を聞いていたこと、様々な要因を含めると【世界の意思】とやらがクラウスの元にソレを送り出してきてもおかしくはない。
魔素という呼称を良く思っていないクラウスがどう出るかで、世界の意思もまた出方を変えるのかもしれない。それは間違いなく、英雄と呼ばれることになる人物を監視している。
(もしも全部勘違いだったら恥ずかしいどころの騒ぎじゃないな……)
そんなことを思いながらも、様々な英雄達が集まる中心地である『漣』で育ったクラウスがそんな考えを持つに至らない理由は存在しなかった。
自分は特別だ。そんな風に自惚れるつもりはないけれど、英雄達の誰しもが自分に注目のしていることは、これまでの18年間で嫌というほどに経験してきている。
それは何処か英雄オリヴィアの子どもというだけでは足りない理由がある様な……。
(まあ、何れにせよ、ここで安易に殺せば魔王を差し向けるという脅しの様にもとれるけれど……、本当に人間の子どもだって可能性もあるわけだ)
理由達に囲まれて育ったクラウスは一先ず空いた右手で、自分の名前をマナと呼んだ少女の頭を撫でることにした。
「ん、んぅ」
すると、少女はくすぐったそうに目を瞑りながらもぞもぞと動く。
その表情は何処か幸せそうで、それがまたクラウスを油断させるつもりの様にも見えてくる。
だから、青年はもう一度名乗りを挙げることにした。
「僕はクラウスだ。よろしくな、マナ」
「ん」
聞いているのかいないのか、マナはそのまま再び頭をこすりつける。
その様子は本当に、ただの子どもの様だった。
しばらくマナの様子を伺っていると、次第に体の力が抜け始めているのが分かる。
そしてものの数秒のうちに、頭をかくんと後ろに逸らし、クラウスの右腕に全体重を預け始めた。
今まで泣いていた影響か、疲れて眠くなってきたらしく、首も最早座っていない。
「まあ、仕方ないか。ほら、首に手を回しな」
「んんぅ」
そのまま半開きの目でマナはクラウスの首元に手を回すと、クラウスはその尻の下に腕を回す。
もちろん腕を回すついでに攻撃を受ける可能性があるので警戒は怠らない。左手の剣はいつでもそのか弱い腕を切り落とせる様に構えている。
しかしやはり何も起こらず、マナはすぐにすーすーと寝息を立て始めた。疑似餌の様に、周囲の変化も何一つ無い。
「やっぱり何一つ起こらない、か」
角の生えた少女はこうして一時、本人はその称号を受け取っているのを知らない【時雨流三代目クラウス】によって保護されることになった。
それは圧倒的な力を誇っていた初代が勇敢な二代目を保護した時とは随分違って歪な形ではあるけれど、何も知らない三代目は、初代と同じ様に特別な少女・・・・・をその手で保護することとなるのだった。
「一先ず、この子の服装をなんとかしないとな。ジャガーノートの処分もしないといけないし、一先ずはサウザンソーサリスに向かおうか」
そんなことを呟きながら、クラウスは東の方角を見る。
少女とはまるで違う、それなりに慣れた殺意がこちらに向けて進んできているのが分かる。
今まで散々警戒していたのだから多少遠くとも気づけたらしく、その赤い獣が木をかき分けてこちらへ走ってくるのを待つことにした。
クラウスは強い。
油断さえしていなければ、その力はエリーが絶対に大丈夫だと言い切れる程に。
ずっと英雄を夢見て育ってきた英雄の子孫で、先代最強だったオリヴィアの全てを受け継いでいる。
成長こそ遅かったものの、それは母オリーブが一般人で、エリー叔母さんの教え方が凄まじく下手だったからに他ならない。
いつでもクラウスは戦いたがる母の肩を持つように遠慮していたし、訓練でも母を傷つけない様に無意識下で手を抜いていた。
それが母の手から開放されるとどうなるか。
走ってきたジャガーノートは、そのまま自分が死んだことにすら気づかず意識を闇に落としていった。
大口を開けて走ってきたジャガーノートの口にそのまま旭丸を突き入れ、その剣先を心臓まで貫通させると、牙が抱いている少女の体に到達するよりも早く引き抜いてその身を回避する。
もちろん、抱かれた少女はそんな事態に気づくこともなく、「んん」と軽く揺られて少し声を漏らすだけ。
一般人でもデーモンを倒せるその技術が勇者の身体能力で活かされれば、その程度のことは、造作もないこと。
「ふう、結構時間が経ってこの一匹だけだってことは、それほど数は増えてないってことかな」
そんなことを呟いて、一先ずゆっくりと北に向かうことにしたのだった。
たまたま着ていたフード付きのローブでマナを包む様にして。
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