第百二十四話:覚悟を決めてた……

 精神的な父であり師匠であり、そして紛れも無い英雄であったレインが魔王になった。

 そのことに、思いの外エリーは冷静だった。

 最初に目の前にした時には、その余りの無機質さと敵意と強さに恐怖を隠せなかったが、少し時間が経てばそれも落ち着いてくる。

 それは何よりも、隣に居た人物が取り乱していることが原因だ。もしくはエリーの生来の、少しの異常性故か。


「レイン様……」


 オリヴィアは、今も上の空の様に呟いている。彼女が直面している状況は、複雑だ。

 彼女にとって最愛の人物であり、師匠であり、目標であり、幼少より憧れた存在であるレインが魔王となって蘇った。生き返る手段など無いはずが、なんの因果か、過去と全く同じ姿のまま、魔王として。

 それは当然の様に過去の仲間達に敵意を向け、マルスの首を刎ね、ディエゴを貫いた。

 そんな男を、その手で殺す。

 魔王になったのだから、当然のことだ。しかしそれを、オリヴィアの心は簡単に受け入れることが出来ない。


「わたくしに、出来ること……」


 それが今は何一つ思い浮かばないことを、エリーは聞いている。

 オリヴィアにとってレインは、絶対に勝てない相手。勝てないからこそ魅力的で、勝てないからこそ目標であり続ける。彼女が最強であり続けることが出来たのはまた、その上であった師匠レインに、どうやっても追いつけないと理解していたから。明確な目標故に走ることは出来る。しかし、その目標にはどうあっても届かない。だからこそオリヴィアはここまで迷うことなく、安心して走り続けることが出来ていたのだ。どれだけ頭抜けていた時であっても、オリヴィアは安心して、「もっと上が居ますわ」などと言えていたのだ。


 しかし今は、それを超えることが世界を救う鍵となる。


 どうにも、それに納得を見出せない様でもあって、結局のところ複雑過ぎるその思いがオリヴィアを停止させてしまっていた。

 絶望を感じれば良いのか、悲しめば良いのか、自分の才能の限界に不安を感じれば良いのか、ともかく、前向きになれる理由など一つとして思い浮かぶはずもなく。


「ああ、世界は一体どこまで悪意に満ちていますの……」


 エリーはそんなオリヴィアの側に、ただ在り続けた。


 ――。



 一度アルカナウィンド王城に帰還した面々は、マルス、ディエゴ、ナディアの三名を残して会議室へとやってきていた。当然、その間にも残った三人は戦闘を続けているはず。時間は、殆ど残されていない。

 そう考えたルークは言う。

 今、この中で最も冷静なのは他でもないこの魔法使いだった。いや、エレナという圧倒的な図太さを持った人物が一人いるが、リーダーシップを発揮するのは苦手な彼女を除けばルークだった。

 魔法使いは冷静でなくなったらただの人。そんな弱点を持つ魔法使いが日頃から弱点を補う為にしている修行がここで役に立つとは予想外だったが、狛の村に新種の魔物が現れたと聞いた瞬間から、この青年だけはそれを想定していた。


「レインさんが生き返った理由については後で話そう。今は取り急ぎ、作戦を変えなければならない」


 マナを感じ取ることなど不可能な魔法使いには、レインを正確に生き返らせることなど出来るはずもない。では、世界の意思がレインを生き返らせたのだろうかと考えてみても、どうにもしっくりと来ない。魔物が生まれる際にそんな仰々しい渦の演出など行われた試しはなく、ナディアの声に反応して急速に形を成すなど、より不可解だ。

 その様子は何かの魔法でレインのマナだけを選別している様に見えたものの、そんなことが出来るとすれば、聖女サニィを抜いて他に思い当たる人物は存在しない。

 だからこそ、今それを考えることは時間の無駄。

 なんとかして魔王を討伐することが世界を救う唯一の方法であることに、恐らく変わりはない。


「女王エリーゼ、今あなたの力にはなんと出ている?」


 静寂の中、ルークは続ける。皆がそれぞれに思うことはある。

 しかしそれでも前に進まなければならない。

 何より、この面々を育て始めたのは現魔王その人。

 だからこそ皆が全く同じく、一つだけ分かっていることがある。


【きっとあの人のことだから、ここまでをも想定して我々を育てたのだ】


 そんな心の声を聞いていたエリーは、尋ねられたアリエルを見て、そして頷いた。


「アリエルちゃん、言って」


 一番弟子がそう言うのであれば、アリエルも覚悟を決める。

 オリヴィアの様子は心配だが、それでもアリエルの力には一つだけ、道が示されている。


「三人には、時間を稼いで貰う。今出撃すれば返り討ちだ。これから、三人のサポートに兵を送る」


 それは、三人を見捨てると言う発言。

 流石に撤退と言った時点で幾分かは覚悟していたものの、それをはっきりと言われると堪えるものがある。

 それが堪えているという時点で魔王に、いや、あのレインに勝つ道は無い。

 誰しもがそれを理解して、エリーは言う。


「ディエゴさんもナディアさんも、覚悟を決めてたから……」


 そう伝えると、【そうか、魔女様……】一人の男からそんな心の声が、とても辛そうに、聞こえてくるのだった。

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