第百十七話:それならドラゴンくらい倒せるようにならないとね
エリーさん、話があります。
アーツにそう呼び出され、エリーは城の中庭まで来ていた。
心が読めるエリーに、心の内を隠すのが苦手なグレーズ王族。アーツの話がなんなのかは、エリーには筒抜けだった。
しかし、エリーはあえて何も知らないかの様に振る舞う。
心の声だけでなく、その真意をあえて言葉で聞きたいと思ったからだ。
「どうしたの、アーツ?」
そう問うと、アーツの心は緊張で満たされる。
それまでは様々な思いがその心を巡っていたが、改めて問うと、言うべきことは一つだけに絞られていく。
それを、どのように説明すべきか考えながら、幼い王子は口を開いた。
「エリーさん。僕は、次の王になります。それは父上も、姉上も納得済み。そして、僕が生まれた理由です」
まだ僅か9歳になりたての王子はそう切り出した。
子どもを作れないオリヴィアに代わって、王となるべく生まれたのがアーツだ。
幼いながらもグレーズの王となるべく教育をきっちりと受け、その殆どで当時のオリヴィアよりも遥かに良い成績を修める秀才。
勇者ではない代わりに、学業に秀でている弟は、この歳でも既に自分の存在理由を完全に理解している。
それを踏まえた上で、アーツは語る。
「姉上は立派な勇者です。でも、子どもを作れません。そのことで凄く悩んでいたと聞いています。だから、きっと大丈夫な僕が王位を継がなければなりません。
でも、今でも既に、世界最強の姉上を次の王に、グレーズ初の女王に据えようという派閥も城内では出て来ています。民衆も、僕よりも姉上に期待しています」
そう言うアーツの心は、少し暗い。
姉の代わりにと生まれた筈なのに、その期待を寄せてくれるのは家族だけ。
実際に統治する対象となる人々は皆、今やアーツよりもオリヴィアに期待している。
平時は階級よりも個を重んじるグレーズに於いて、それはかなり痛いことだった。
「だから僕は一度言ったんです。僕の子どもを、姉上の子どもとして育てれば解決するのではと」
オリヴィアのネックが子どもを作れないことだけならば、同じ血の流れる自分が埋めてあげれば良い。
そう考えたらしい。
「でも、姉上は優しく笑って言いました。わたくしは、次代の王になれるのはあなただけだと思ってます、と」
優しいオリヴィアのことだ。
アーツの存在理由を、最も潰さないように気をつけているのは彼女だ。
弟が生まれた瞬間から、オリヴィアは王妃になる為の勉強の一切をやめたと聞く。
グレーズでは男の王が基本だ。そしてそれは、場合によっては平民からも選ばれる可能性がある。王女が平民と恋に落ちて仕舞えば、平民すらも王になることが出来る。
その際に王を支えるのが王妃の役目だ。
オリヴィアはその特異な花嫁修行の代わりに魔王討伐の為の修行と、王となる弟をサポートする為の勉強に全てを注いできた。
元々優秀だったオリヴィアよりも更に勉学に秀でているアーツを、更に良い王にする為に。
「だから、僕は王にならないといけません」
かなりのプレッシャー。
9歳児が感じるものではないような、しかしそのプレッシャーを感じることの出来るアーツは、間違いなく優秀だと理解させる様な、そんな心境。
そして、その為の、話の本題を遂に口にする。
「だから、無事に魔王を倒したら、僕と結婚してくれませんか」
その理由は、分かっている。
同じ英雄の弟子であるエリーが王妃になるのならば、オリヴィアが女王になるまでもなく皆が納得する。それどころか、あの英雄を口説き落とした男として、アーツ自身も見直される。
そんな算段だ。
「うん。話は分かったよ。でも、肝心なことを聞いてない」
「肝心なこと?」
そう。計算の上では、誰しもが納得の行く作戦だ。
オリヴィアは間違いなく二人を応援する。
そうなれば、魔王を倒した後のグレーズもほぼ安泰と見て間違いがない。
しかし、エリーの興味は正直、そこにはない。
母が、漣が、ブロンセンの町が無事ならば、王都はそこまで大切ではない。
それが、エリーにとっては紛れも無い真実だ。
だから、こう問う。
「アーツは、私の大切になる自信はある?」
好きか嫌いかではない。
まだ9歳のアーツにとって、エリーに異性としての好意がまだ芽生えていないことは分かっている。
しかしそれと同時に、大きな尊敬の念があることも。
「大切……?」
そう首を傾げるアーツの見た目は流石オリヴィアの弟。文句の付け所がない。
性格も、人懐っこくて悪くはない。努力家で、いつでも頑張っていると、思う。
それでもまだ、エリーにとってアーツの存在は、少しだけ弱かった。
エリーにとって、オリヴィアは間違いなく大切だと言える。どうしても彼女の部屋に入り浸って、その心を支えようとしてしまう程度には、エリーもオリヴィアに依存している。
しかしアーツはまだ違う。
純粋過ぎる王子は、まだ世界の残酷さを何も知らない。
だから、エリーはあえて問う。
「もしも魔王戦で私が歩けなくなっても、ちゃんと側にいる? 私が勇者な以上、いつか強大な魔物に負けるかもしれない。それでも、信じて送り出してくれる?」
エリーは【魔物を倒す勇者】を、辞めるつもりはない。
王となって一線から退いた現王ピーテルとは違い、王妃となっても戦い続けるつもりだ。
大切なものを、生涯守り続けるつもりだ。
師匠からの最初の教え、大切な一つを守ること。
それがいつしか、エリーにとっては存在理由にすら等しいものになっていた。
何より、5歳から戦い続けてきたエリーだ。最早普通の生活は送れない。
これだけは師匠の悪影響と言えるかもしれないが、エリーにとってはそうではない。
「…………」
すぐに答えを出せないアーツの心境は複雑だった。
今まで、エリーが負ける等ということがそもそも頭に無かった。
そして、勇者として死ぬのならばまだ称えられるものを、一生歩けなくなったら、下手をすれば動くことも、口を聞くことすら出来なくなったら……。
エリーは戦いを止める気等一切なく、この婚約が打算が含まれていることも承知している、
それでも時期王としてはエリーを獲得しなければならない。力のない自分は、英雄の名前を借りて生きていくのが最善に決まっている。オリヴィアがそれを辞退するというのであれば、同格で最も若いエリーが、やはり最善だ。
そして何より。
アーツの頭に最後に浮かんだ言葉は、こうだった。
「僕いつだってエリーさんを信じます。もしもエリーさんが怪我をしてしまったら、今度は僕がエリーさんを守ってみせます」
そんな、最後に出た本心。
それは打算を抜きにして、頭の中に浮かんでいた本心だった。
自分の中で最高の英雄が怪我をして、今度はそれを自分が支えていく。それもまた、悪くないと、本心からそう考えていた。
その純粋さがやはりオリヴィアの弟なのだとエリーは感じる。
「そっか。それならドラゴンくらい倒せるようにならないとね」
「え、あ……それは……」
「ふふ、冗談。真面目に、前向きに考えとくわ。でも、まずは魔王を倒さないとお話にならない。続きはその後でね」
茶化すとすぐに狼狽えるアーツに、エリーはそう結論を出した。
そんなエリーが妙に蠱惑的に思えてしまいどきっとしてしまったアーツを、実のところエリーだけが理解している。
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