第百十三話:アリスちゃんの言ってた娘だ!

 ふぐ料理『海豚亭』

 二人は今、様々な関係渦巻くこの店にやってきていた。


 ここはかつて師匠達二人が出て来る料理に舌鼓を打ち、エリーの母親アリスが修行した店。そして、一匹の魔物が人々に混ざって働いていた店だ。


 店に入るなり、迎えた若い女性店員が驚いた様な顔をする。

 その理由は、心が読めるエリーからしたら簡単だ。


【アリスちゃんの言ってた娘だ!】


 判断材料も簡単だ。

 髪色に瞳の色、そして見た目まで似ている。アリスよりも背は高いものの、落ち着いたアリスに比べて少しやんちゃな雰囲気のする、全身武器だらけの女の子。

 そんな人物は恐らく、世界に一人しか居ない。


「こんにちは、アリスの娘のエリーです。以前はお母さんがお世話になりました」


 そう挨拶をしたエリーに、店員はまたはっとした顔をした。


【あ、心を読めるんだっけ、失礼なこと考えてないかな……、あ、いつもの癖でアリスちゃんって考えてたかも】


 どう見てもアリスよりは年上に見える二十歳ほどのこの店員も、実年齢は遥か下だ。

 そんな年の差でちゃん付けしていることを娘に知られるのはまずいと思ったのだろう。

 必死に考えを振り払っている。


「大丈夫大丈夫。お母さんは何処でもアリスちゃんですから。それに私の力は心を隠そうとすれば伝わりませんよ」


 心を読むことまで知っていて、それそのものに拒否感を抱いて居ないのならば有難い。エリーは力への対処法を教えてつつ、はははと笑う。


「……あ、ごめんなさい、挨拶もせずに。いらっしゃいませ、少し驚いちゃいました」


 エリーの話を聞いて少しの間を置いてようやく取り直した若い店員は、そう言いながら目線を後ろの赤髪にやる。


「ふふ、エリーさんが案外礼儀正しくしてるのを見るのは新鮮ですわね」


 そう言う赤髪にも、覚えがある。

「うちのお姫様がね、娘のライバルなの」

 そんな風にアリスが漏らしていたことを思い出す。

 冗談の様に言っていたアリスの様子に、当時はまさかそんなことなどあるわけがないと思っていたけれど、少し前に発表されたことを思い出す。

 鬼神の愛弟子には二人の名前があることを。一人はエリー。そして一人はグレーズの姫オリヴィア。

 よくよく見てみれば、彼女はつい先日までここで働いていたたまきに匹敵するレベルの美女だ。

 控えめに言っても絶世の美女。ドラゴンの襲撃によってショックを受けて引きこもってしまったグレーズの王女は、世界でも最も美しいのではと以前より名が知られていた。

 目の前の赤髪は、正にそんなレベルの女性だった。


 領主は普段から目にしているものの、本物の王族等目にする機会はない。

 この国は皇帝が存在するが、形だけで世に出ることはない。

 他国とはいえ領主なんかは比べ物にならないほどに身分が上、それも絶世の美女だと思えば、いくら同等以上の美女であるたまきと接していても焦りだしてしまう。


「あ、ああ、あの、オリヴィア様ですか?」


 二人を案内するのも忘れて、店員はそんなことを尋ねる。


「ええ、鬼神レインが弟子のオリヴィアですわ」


 その様子に全てを理解したのだろう。

 オリヴィアはあえてそう答えた。

 今は王女という身分で来ているわけではない。

 ただ、姉弟子エリーと共にやって来たレインの弟子なのだと。


「緊張しなくて大丈夫。この人は人生の多くを町の宿で過ごす様な俗世にまみれたお姫様だから」


 そう言うエリーの言葉で、ようやく我に返った店員が個室に案内するまで結構な時間がかかったが、終始にこにこしている二人によって店員はようやく安堵した。

 とは言え、案内が終わった直後に聞こえた「お父さーん」という大声で、何が起こるのかを予想できた二人は、遂には軽く苦笑いするのだった。


 ……。


「あの店員さん、聖女と鬼神が来てたって聞いたら失神するんじゃないのかな」

 店員の動揺ぶりを心の中まで覗いていたエリーはそう苦笑いする。

「ふふふ、良いじゃありませんの」

「そうだね、ダメなのはお母さんだよ。オリ姉が修行してるのは内緒って言ってたのに」

 相変わらず笑っているオリヴィアに、エリーは少しだけ憤りを見せる。

 遠い他国とは言え、今は転移の魔法もある。

 下手をすれば一瞬にしてオリヴィアの情報が世界中に拡散されてしまう可能性すらあったのだ。

「まあそれも良いですわ。わたくしの存在は結局この間まで漏れてなかったのですから。結果良ければ全て良しですわ」

「王族がそれで良いのかな……」


 ともかく、運良く漏れずに上手く回っている現状には安堵しつつ待っていると、大将他何人もの店員がやってきては挨拶をしていった。

 皆一様にエリーを見てアリスの娘だと納得しつつ驚くことに加えてオリヴィアの王族的なオーラに当てられてか緊張していたのが面白かったが、同時に一つだけ生まれた懸念があった。


「大将さん、たまちゃんって人がここで働いてたってお母さんから聞いてたんですけど」


 懸念は、それだ。

 九尾の魔物たまき。一応安全だと聖女サニィと鬼神レインが判断していたものの、狛の村とはまるで違う、本物の魔物。

 サニィ曰く、デーモンロードを超える力を持った魅了の使い手。

 それの様子を見に来たというのも、ふぐ料理を食べに来たついで。


「たまちゃんは少し前にやることがあるって店を辞めてしまってね。寂しいものだけど、きっと元気にやってるよ」


 そう答える大将の心は、確かに純粋な寂しさと彼女の幸せを祈っていた。


 ――。


「オリ姉、たまきは本当にこの店に馴染んでたみたい。エレナ姉の幻惑を受けた時みたいな違和感はなかったし、本心からそう思ってると思う」

「でも、やることがあると言っていたというのは気になりますわね……」

「うん」

「でも今は、ひとまず、ふぐ美味しかったですわ」


 フルコースを振舞われ、アリスの娘だからだとか王女様に会えて嬉しいからとか様々な理由を付けられて大幅にまけられそうになった所をエリーの精神介入で落ち着けつつ、二人は店を出た。

 たまきの現状は気になるものの、それがアリエル達の探知網にかからない以上、直接的な危険はない、はずだ。

 一先ずはそう納得するしか、方法はなかった。


 この場に居ないという意味が、もしや魔王化の前触れだとするのならば今のうちに仕留めておいた方が良い。そうは思うものの、アリエル達の探知にも、予言にもその魔王化は示されない。

 魔王討伐軍で監視していた4年間、『魔王がたまきではない』と予言されるまでの4年間、不穏な動きは一切見せなかったその魔物が今何をしようとしているのか、一抹の不安を抱えながらも、絶品のふぐ料理に師達と同様に舌鼓を打った二人は、一度宿屋『漣』へと帰還することにした。


 ――。


 狐は夢を見ている。

 800年以上の時を生きて初めて経験した恋の夢を。

 その男を射止めた女の杖を抱えて、小さな小屋の中で丸まって眠る。

 九本の尾を生やした女狐は、今はもう、決して世界を滅ぼすつもりなどない。

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