第八十六話:コレヲミロ
狛の村に辿り着くと、そこには凄惨を極めた光景が広がっていた。
至る所に血がこびり付き、剣が転がっている。村の入り口の反対側からは煙が上がり、村全体を覆う生臭さと焦げ臭ささが鼻をつく。
そして、余りに強い念だったのだろうか、エリーが再び吐き気を催し始める。
二人がその光景に、思わず手を口に当て絶句していると、エリーが口を開く。
「村人は、一人もいない」
その言葉に、二人はなんとも言えない顔をする。ここでエリーが裏の言葉を言う意味は全く無い。すなわち、村人達は魔物になって生きているということではなく、文字通り全滅しているということだ。
二人のその複雑な表情は、彼らは全員死んでしまったのだという悲しみと、逆にもう彼らとは戦わなくても良いのだという安堵の入り混じった顔。後者を考えるのは悪いのだと分かっていても、仲間を斬ることの精神的負担は計り知れない。
そしてそれは、一太刀も入れられなかったエリーも、またよく分かっている。
リシンが全員を斬る場面を、走馬灯を通してまるでその場にいる様に体験しているのだ。
「皆は、どちらに?」
オリヴィアは、あくまで彼らが自国民であるのを認めて問う。彼らが望んで魔物になったのではない事くらい、この現場を見れば一目瞭然だ。
剣の中には、逆手に血の跡が残っているものもある。その者は、自ら命を絶ったのだろう。
そして、以前泊まったリシンの家の前には、大量の血溜まりが残っている。
彼らは最後の最後まで、抵抗し続けていたのだ。
生き残りがただ一人、リシンだけだったのも頷ける。
「奥。臨時の火葬場があるみたい」
「遺体の数を確認してきますわ。数が合い次第、リシンさんも連れてこないといけません」
「私も手伝うよ。エリーちゃんは休んでて良いから」
「ええ、そこで待っていて下さいな」
念の為、他に魔物化した村人が残っていないかを確認しつつ、放ってしまっているリシンを気遣う。
エリーの言葉を疑うわけではないが、もしも未だに苦しんでいる住人がいるのであれば目も当てられない。
エリーは二人の説得に素直に応じると、村に背を向け、目を閉じて座り込んだ。
これは、村を見たくないからではない。
村を守る為に、心のアンテナを広げる為だ。
五感で何かを感じ取っている間よりも、それらを閉じた時にその力は最大の効力を発揮する。
すると、先ずは怯え惑う動物達の声が聞こえる。次いで、遥か遠くから、英雄候補達が戦っている声が聞こえてくる。
大量のデーモンにドレイク。一国が滅びそうな程に大量の魔物達が、この山から解き放たれようとしている。
それを、全力で止めようとするディエゴ達。
そして、もう一つのぼんやりとした念が聞こえてくる
…………レイン。
そんな声が、風に乗って聞こえた気がした。
はっとして振り返っても、誰も居ない。
しかし、次に続くイメージは、もう少しはっきりとその力に届く。
……ちょうど、レインも、そんな風に、村に背を向けて、魔物を見ていた。
誰の声だか全く分からない、心の声なのかすらも定かではないイメージが、そんなことを言う。誰一人居ない筈の、しかし確実に届いたその念に、エリーはようやく安堵を覚える。
……やはり似ているな。戦え、小さな守護神。
そんな声を境に、苦しみ渦巻く狛の村の念は、ようやく晴れて行く。
――。
遺体の数は住人の数と一致し、その身元もイリスの力によって明らかになった。結局生き残りは一人もおらず、狛の村はこの日、完全に消滅した。
リシンはリンと共に並べて供養し、その遺体も、不完全だった火葬場の遺体と共に完全に火葬を終える。
一先ず簡易的に、オリヴィアが知っていた狛の村方式の慰霊の儀を済ますと、ようやく村の中を捜査する。
先ずは、村長であるリシンの家だ。
村でただ一人、魔物化して村を出てしまった唯一の人物。
狛の村では一般的な平屋建てのその家に入ってすぐ、玄関にそれは置かれていた。
一冊の古びた冊子。紙自体がそろそろ風化しようかと言うほどに年期の入ったそれが、木造の床の上に置かれている。
コレヲミロ
床には、乱雑にそう掘られていた。急いで書いたのか、普段の丁寧な字を書くリシンからは想像も付かない程に乱れた簡易文字。
その文字を見て、オリヴィアは涙を溜めながら言う。
「リシンさんは、本当に最後まで……」
そう言ってその冊子を手に取る。
すると、一枚のメモが、はらりと落ちてきた。
それを手に取ると、ペンでこう書かれている。相変わらずの簡易文字で、本当に、王都で書類にサインをする時などにはあり得ない程に歪んだ、掠れた文字だ。
ワレワレハ、ホロビルヨウダ
ヤクニタツカハワカラナイガ、イノチヲオトシタジュンヲシルス。
そして、それに名前が続いている。
最後の二人は、リン、リシンとなっている。
「これは……」
「ああ……」
それを見たオリヴィアとイリスは、直ぐに気付く。エリーも、ほんの一瞬だけ遅れて、息を漏らす。
それは、狛の村の実力者から順番に並んでいた。正確ではないが、実力者の若者、実力者の年配、そして平均的な若者、平均的な年配。
そういった順番だった。
魔物化してしまったらしい者には印が付いており、リシンとリンもそれに該当する。
それを見て、気付かないわけがなかった。
「もしかしたらリシンさんは王都に報告しに来た時点で、心当たりどころか……」
【魔物化を必死に抑えていた……】
オリヴィアの声に、イリスの心の声が一致する。
そう考えれば、不可侵とした理由は簡単だ。
強大な魔物が生まれればすぐさま察知する魔王討伐軍ならば、きっとこの件にほぼ・・片がついた所で乗り込んで来てくれる。
逆に不可侵としなければ、グレーズの騎士団は自殺者達の調査の為に遠征してきてくれることだろう。
きっと、リシンはそう読んだのだ。
この順を見るに、陰のマナを多く身体に宿した者から魔物になっている。
それならば、最初はリシンでなければおかしいはずだ。しかしあの男は、それを苦しい素振りすら見せないで、王都で報告を済ませ、村人全員の介錯を済ませた。
そして、自身に片を付ける前に、流石に力尽きてしまったのだろう。
それを見て、エリー、オリヴィア、イリスは三者三様の感想を抱いた。
エリーは、流石師匠の師匠だと尊敬の念を抱いた。僅か半年で抜かれてしまったのだとしても、それをずっと気にしていたのだとしても、最後の最後には見事に強者を演じ切ったリシンを、とても強いと感じていた。
オリヴィアは、後悔の念を抱いた。
救う道は無かったのだとしても、王女としてなのか、生き残る自分の手で彼らを楽にしてやりたかった。村を一つ滅ぼしたという罪を、被りたいとすら思っていた。
もちろん、そんなことを考えるオリヴィアだからこそ、リシン達は自分達で片を付けることにしたのだろうと分かっていても、そう思ってしまう。
イリスは、素直な敬意を抱いた。
戦士の国であるウアカリは、基本的には戦場での死を美徳とする。
彼らが戦ったのは、正にそんな内に潜む強大すぎる魔物だ。そんな魔物と戦いながら、リシンは死んだも同然の体で己の役割を完全にやり遂げた。
更に言えば、その強さ。
一対一では、確実に殺されていた。
【万能者】等と呼ばれ、今ではウアカリの首長にまでなった自分が、勝ち切れないどころか、オリヴィアが居なければ惨敗していた。
呪文等唱える暇すら無く、まるでかつての英雄レインを相手にしていたかのような、死へと誘う威圧感。
これが狛の村の、世界中で人外と呼ばれる者達が、殺すことを本質としている者達が本気で殺しにかかった時の強さなのかと、改めて驚いた。
ウアカリの戦士とは全く本質を別にするその男の中にある戦士に、イリスは素直な敬意を抱いていた。
……。
かつて師匠が言っていた言葉を、エリーは思い出す。
リシンは天才だ。
殺意を解禁した際の並外れた剣技は言うに及ばず、誰もが耐えられず絶望に浸っていた中、リシンだけは限界を遥かに超えて尚、人としての役割を貫いた。
自分にオリヴィアを斬れるだろうか。アリエルを斬れるだろうか。
恐らく無理だ。
師匠が死んだと聞いただけで逃げ出してしまった過去のある自分とは、大きく違う。
もちろん、重ねてきた年月も違うのだろうけれど……。
いつものお気楽な狛の村と違い、本物のそれを見て、師匠がリシンという男を認めていた理由を改めて認識した。
そして、エリーはそれを、素直に格好良いと思っていた。
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