第92話:聖女の魔王化を阻止する為に

 竜殺しのレインと聖女の話はグレーズ王都を中心として着々と広がっていた。

 ドラゴンを命を犠牲にして倒した聖女。彼女は霊峰に現れ、実は生きていたという説、複数人いるのではないかと言う説、全ては偶然と見間違いという説、所謂プラズマで全て説明が出来るのではないかという説など様々な憶測が流れていたが、そこに呪いに罹っているという噂は含まれていなかった。


 元々彼女の存在は確実に存在する竜殺しと違い、不確かなものだ。現在90m級のドラゴンの頭は処理が施され、グレーズ王都の城門に飾ってあるものの、聖女が倒したとされるドラゴンは頭が無くなっており、実在したのかすら定かではない。

 他にも戦士であれば目撃した者の情報はまず間違いないが、相手が凄まじい魔法使いともなれば、気付かないうちに記憶を操作されていてもおかしくはない。

 今となっては、竜殺しと聖女は同一人物で、見た者達が皆一様に話を盛っているのではないかと言う説まで出てきていた。


 ともかく、世界中で魔物が活性化し始めている今、彼らにとって聖女という存在は美しさと希望の象徴だった。

 そんな美しい人が、魔王の劣悪な呪いに罹っているなどど信じられる者はほぼ、いなかった。


 ――。


 「私達が霊峰に居る間に随分と北まで聖女の伝説は届いて来ちゃいましたね」

 「いっそのこと、杖ももう隠すのやめたら良いんじゃないか?」

 「うーん。でも恥ずかしいですう。と言うか……」


 霊峰から適当に北に向かって歩き続けてしばらく、二人はヴェラトゥーラ共和国の首都に辿り着いていた。

 この国は以前話した通り、魔法使いの需要が現在でもグレーズ王国よりも高い。とは言えグレーズ王国のサウザンソーサリスの様に魔法使いだらけの町があると言うわけではなく、平均して活躍の場が多い、と言った感じだ。

 そんなヴェラトゥーラ共和国では、聖女の伝説が大いに盛り上がっていた。


 街中を歩いていれば、やれ聖女の清楚さを歌う吟遊詩人だの、やれ献身は世界を救うだの、あの聖女様が使っていると言われる杖のレプリカだの。もちろん、イコンやその他も売り出されていた。

 しかし、その中で一つだけ、サニィには許せないことがあった。


 ここ、ヴェラトゥーラ共和国では、聖女像は白いローブに身を包んだ金髪碧眼の美女、白い木材と大きなルビーを使った身の丈よりも大きい杖、そして慈愛に満ちた笑顔、その慈愛でもって強大な悪魔を従えているとされている。

 そこまでは良い。


 問題なのはただ一つ、いや、二つだ。

 胸が膨らんでいる。身体によく馴染んだローブを大きく押し上げて、見事に実った二つの果実が、その胸を優雅に飾っている。


 「あれ、なんなんすかね……」


 それを見る度、思わずそんな風にやさぐれてしまう。

 「自分、貧乳っすから」ヴェラトゥーラ共和国の首都ハーフグラスに入ってから、サニィはそんな言葉が口癖になっていた。


 「安心しろ。俺はお前の慎ましい胸が好きだ」


 そんなことを言うレインにも、「うるせえ! やっぱロリコンじゃねえか!」などと、とても聖女とは思えないキャラ崩壊をしてしまう程だった。


 一体どうしたものか。そんなことを考えていると、いくつかの案が思い浮かんだ。

 一、幻術で自分を巨乳に見せる。

 二、逆に偶像の方をまな板にする。

 三、今すぐレインに育ててもらう。

 四、いっそ世界中の女を貧乳にする。


 一つ目の案はダメだ。ほんの少しばかりあるプライドが許さない。そんなことをしたら、負けを認めている様なものだ。

 二つ目の案、一見とても良い案に見えるが、これもダメだ。男など所詮性欲の塊。貧乳になどしてしまえば信仰心が下がり、逆に変態のロリコンからの支持を受けてしまう。

 三つ目の案、これはまだ早い。まだキスすらしていないのに、いきなり胸を育ててくれなどと言ってしまえば、性欲の塊共と同じだ。そもそも、揉めば大きくなるなど眉唾だ。毎日自分でマッサージしているにも関わらず、全く変化しないではないか。

 四つ目、これだ。世界中の女を魔法で貧乳にしてしまえば、世の中の性欲の塊共を粛清出来るのと同時に、自分の地位も上がると言うもの。女の価値は胸ではない。それを思い知らせてやる。そうと分かればまずは解剖学を学ぶことからだ。胸の組成を知らなければ貧乳にするにも機能障害をもたらしてしまうかもしれない。


 サニィは壊れていた。

 女の価値は胸だと一番言っているのは自分自身だということにも気付かず、サニィは自分の想像画に嫉妬していた。

 今までは自分が貧乳だと分かっていても、そこまで巨乳に嫉妬することはなかったのだが、時が経つ毎により大きく描かれる様になった聖女の胸を見ていると、如何ともしがたい怒りが湧き上がってくるのを感じる。


 「はぁ、あんなん私じゃないですよ。さて、図書館に行ってきます」

 「ん? 何しに行くんだ?」

 「ちょっと解剖学を学ぼうと思いまして」

 「……ん?」


 そのままふらふらと歩き始めるサニィに、レインはある違和感を感じる。

 この女、胸のことで世界を破滅に導くつもりか? そんな様子が見えたのだ。

 ある意味では魔王化しようとしていると言っても良いだろう。


 「待てサニィ。俺が真実を教えてやる」

 「ん? 何ですか? 遂にロリコン宣言ですか?」

 「いいや違う。本物のお前が最も美しいということだ」

 「ふ、ふえ?」


 真剣な顔をしてサニィの両肩を掴み、真面目な顔でそんなことを言うレインに、思わず赤面してしまうサニィ。それも仕方あるまい。ここは市街地のど真ん中、ちょうどカフェテラスで休憩している者が多く見ている場所だ。突然青年が美少女の肩を掴んで美しさを教えてやる、なんてことを言うのが聞こえれば、多くの者が振り返ってしまうのも無理はなかった。


 「まず初めに、お前の裸を見た俺が命にかけて誓おう」

 「レインさん死なないじゃん」


 いきなり街中でそんな宣言をするレインに、驚くでもなく普通に突っ込むサニィ。やさぐれている。民衆はレインの話しか聞いていなかった。興味深々に耳を立てる。


 「お前の体だが、確かに胸は控えめだと言っても良いだろう。しかしそれはなんら欠点にはならない」

 「ふーん、で?」

 「お前にはしっかりと腰のくびれもあるし、尻などは素晴らしい。少しばかり安産型と言える骨盤からのその曲線は背中から見れば正にヴァイオリンの様な美しさをしているし、その二の腕の張りがあるものの柔らかい感触などは絶品だ。そしてその太もも、十分に油の乗ったそれは恐らくあらゆる肉の中でも最高級と言えるだろう。俺はそれを触るためならばドラゴンの首すら取ってきても良いと言える。髪の毛も柔らかく、痛みもなく良い匂いがするだろう」

 「え、ちょ、ちょっと気持ち悪いんですけど」

 「良いか。そして何よりだ、お前には巨乳の様な無駄肉を持たないものにしかない決定的なメリットがある」


 民衆は全力でそのレインの演説を聞き入る。巨乳は素晴らしい。ずっとそう思い込んでいた者たちが殆どだった。一体巨乳にはないメリットはなんなのか、想像がつかない。

 目の前の美少女のためならドラゴンすら狩ると言う男のその言葉に、殆どの者は釘付けだった。

 もちろん、サニィはそんな見方をされていたと知って若干引いているが。


 そして皆が見守る中、レインは誰の目にも止まらぬ速度でサニィを抱きしめた。


 「ひゃっ、な、何をするんですかこの変態! へんたい!」

 「良いか、よく聞け。これが巨乳には無いメリットだ」

 「何を言ってるんですか、おっぱい大きかったらこうしてたら柔らかいじゃないですか! 死ね!」

 「いいや違う」


 その後、レインが放った言葉は衝撃だった。

 胸が大きければ柔らかい。抱きしめた時に感じるメリットにそれ以上のものがあるのだろうか。いいや、あるわけがない。そう、思い込んでいた。


 「胸が小さければお前の体のより多くを密着させることが出来る。隙間を最小限に出来ると言うことだ」

 「は?」

 「良いか、確かに男側だけで考えれば胸が大きければ気持ちよかろう。しかし、それが双方ならどうだ? 小さい方が互いにより密着出来るだろう? 幸福というものは片方よりも双方あってこそ。どうだ?」

 「は、はあ」

 「まあ、俺は女を抱きしめるのは初めてだから予想だけどな」

 「…………」


 結局それは苦し紛れに出した言葉だったが、なんとなくサニィは納得してしまった。

 確かに少しばかり冷静になってみれば、怒りと恥ずかしさで混乱していた時には気付かなかった心地よさがある。

 それならば、まあ、良いか。

 ほんの少しでもそう思ってしまえば、もう胸のことでうじうじとこだわることなどアホらしいことに思えてしまった。

 アホな男共は巨乳に夢を見れば良い。別に、自分にはそうでなくても良いメリットがあるのだ。

 それならば、夢を想うことなど、それぞれ好きにすれば良い。

 サニィはその日、一つのコンプレックスと危険な思想を綺麗さっぱり掃除することができた。


 一方、レインの演説を聞いていた民衆たちは衝撃を受けていた。

 自分達は馬鹿だった。その質量のみに囚われ、本質を見落としていた。

 女体の素晴らしさは胸だけではないことは元より、その胸すらしっかりと愛でてはいなかった。

 一方的な理想を押し付けていた。

 男達は猛烈に反省し、女は胸が大きいから偉い、胸が小さいから劣っている。そんなことを考えてしまうことすら馬鹿らしいと思えた。

 これはハーフグラス市民にとって、思想の革命だった。


 ――。


 聖女像の胸は小さくなっていく。

 その代わり肌の柔らかさや形の美しさに対しての意識がより一層高められ、新たな話題を呼ぶことになった。

 なんと言っても、ハーフグラスで生産される聖女像のモデルはサニィになったのだ。

 レインのドラゴンの話や金髪碧眼の美少女と言う特徴から、彼女こそ聖女のモデルに相応しいのではないかと、その演説を聞いていた宗教画家が注目したのだった。


 ……。


 実はそれらもおまけだ。

 その日から、ここハーフグラスでは、どんな女性でも本質を褒め抜いてくれる『女体ソムリエ』が出没すると言う都市伝説が語られるようになった……。


残り【1487日→1452日】 次の魔王出現まで【233日】

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