006 第??話 Project Arina digitalization

 帰宅部員は「情報」を重要視する。

 あらゆる情報を把握していないと無事に帰宅できない。素人は犬の糞を踏んだりトラックに轢かれて異世界転生する。最悪の場合、生死に関わる。だから情報は常に更新し続ける必要があるのだ。面倒に思ってしまったら君は帰宅部失格だ。

 

「何を言いたいわけ?」


 プリザーブドフラワーに囲まれた少女漫画のような空間で俺は情報がいかに大切かを演説した。観客は日羽アリナだけだった。

 

「情報は――重要だ」

「それさっきも言ったわよ」

「情報は――」

「何度も何度もうるさ――」

「情報――」


 と言いかけた時、アリナは長机を突き飛ばして向かい側に座っていた俺の腹部にぶつけた。

 もし俺がだるま落としの可哀想なだるま君だったら次々と肉体パーツが飛んでいっただろう。心なしか、脊椎骨が減っている気がする。こんなに視界は低かっただろうか。


「うるさいのよ」

「そうやってすぐ暴力を振るってるといつか痛い目に遭うぞ……俺が」

「じゃあもっとやる」

「落ち着きなさい。はい、深呼吸して〜ひっひっふ〜って」


 そうしてまた長机が俺の腹部に衝突した。脊椎骨の数はもう両指で数えられるほどにまで減ってしまった。これじゃあ気味悪がられるだけじゃないか。腰付近から腕を生やした帰宅部員なんて誰が見たいんだよ。

 え、見たいって?

 しょうがないな、ゆるキャラ登録してくるから待っててね。


 情報うんぬんの話を持ち出したのはコンピュータ部から依頼が来たからだ。

 コンピュータ部というのは帰宅部が重要マークする組織の一つである。彼らは情報収集を名目に、放課後、世界中のあらゆる情報機関との情報戦を行っている。我々帰宅部のネットワークにも侵入してくるような手練れが数多く在籍しているため関わるとロクなことにならない。


 というのは全て嘘だ。


 彼らは健全な内容しか閲覧しない聖人たちである。用途も人類のためであり、私利私欲などではなく、完全なる奉仕精神で動いている。


 というのも嘘だ。


 念を押して伝えておくが、男子高校生のスマホやPCの閲覧履歴はとても異性に見せられるものではない。交渉しても絶対に見せてくれない。ご両親のご加護(ウェブ閲覧制限)によって美しい世界だけを見てきたお嬢様方が見てしまったら卒倒してしまうだろう。


 これは真実だ。


 なので全国の女子諸君は、オスたちに何か嫌な頼み事をされたときは「スマホの閲覧履歴見せて」と言ってみよう。高確率で手を引いてくれるはずだ。

 残念ながら女の子の閲覧履歴はサファイアのように美しいと聞いたことがあるので男子諸君らは言っても無駄だ。まず効果は無い。

 

「あんた、いちいち不敵に笑うのやめてくれる? 気持ち悪いのよ」

「不敵スマイルをやめてほしいのならアリナ君のスマァゥトフゥォンの閲覧履歴を見せてくれ」

「えっ。い、嫌よ……」

「あれま」


 まさかアリナ君は男の子だった……?

 こんな可愛すぎる男の子とか……性癖ゆがむで! そう心に思った途端、エスパーアリナさんは眉間に皺を寄せた。

 イエス、理不尽が始まる。




 文庫本でビンタされ、硬いローファーのつま先で脛を五回蹴られた。それでようやく怒りを鎮めてくれた。なぜ無料でサンドバッグにならなければならないのか市議会で議論したいが今は許してやろう。


「コンピュータ部のお手伝いがあるんですよ、アリナ姉さん」

「そ」

「そ」

「……」

「そ!」

「真似しないで。ウザいわ」

「そ! そ! そそそそそ!」


 いつもいつも「そ」で適当に流されているので反逆してみた。「そ」で返されると人間はどう思うのか彼女に知ってもらいたかったのだ。するとアリナ姉さんは文庫本を閉じて背筋を伸ばした。

 何が始まるんだと思えば、彼女は眼光鋭く俺を睨めつけた。

 正直、少し漏らしたと思う。

 アリナは何をするわけでもなく、浅くイスに腰掛け、両手を行儀良く腿にのせ、お上品に胸を張って俺の眼を睨んだ。まるで角膜にナイフの刃先が肉薄しているかのようで動けなかった。

 コンピュータ部、すまない。動けねぇ――。

 少しでも動いたら死ぬ気がする。アリナもじっと俺の眼だけに焦点を合わせて動かない。


 五分くらいすぎただろうか。

 そろそろ我慢の限界に達しそうだった俺は逃げる機会を窺っていた。しかしまずはトマトジュースを飲まないと何も始まらない。動力源たる神の飲料水で全身を活性化しないとアリナからは逃げられない。

 よし、まばたきした瞬間を狙おう。

 俺はアリナの目蓋を閉じるペースを測定し、タイミングをうかがった。


 カチッ、カチッ、カチッ……。

 

 時計の秒針が静寂な薔薇園に時を響かせる。

 

 ――今だ。

 俺は時速185㎞の速度で右手を伸ばし、足下のバッグからトマトジュースを取り出し、机の上にゴンッと音を鳴らして置いた。この間、0.1秒。

 俺は終始アリナと目を合わせていた。だから俺が動き出したときに彼女も右手を動かし、懐から彫刻刀を取り出したのもしっかり認識していた。君、職質されたら終わるぞ。

 机に置いたのと同時にアリナの彫刻刀が缶に突き刺さった。そして冷酷な殺人鬼の目で俺を睨みながら彫刻刀を引き抜く。勢いよく出血するトマトジュースを見て俺は吐き気を催した。


「あぁ……ああ! オエッ! オエエエ!」

「可哀想ね……あんたが悪いのよ」


 とめどなく漏れるトマトジュース。グロすぎて気が狂いそうだ。こいつに罪はないのに! 

 俺は缶を止血するのを忘れて、ぱっくり開いた傷口に接吻した。流れ出るトマトジュースをごくごくと喉を鳴らしながら流しこんでゆく。

 もう、こいつは助からない――。


「とても惨め」

「お静かに、変態毒舌少女。これキスシーンだから。雰囲気ぶち壊すのやめてもらってもいいですか」

「ヘンタイじゃないわよ! このヘンタイ変人!」

「ははは。いとをかし、いとをかし」

「……ホンットむかつくわね」


 

 


 

 こんなコントをしている場合じゃない。

 こうしている間にも世界は破滅へと向かっているのだ。


「というわけでコンピュータ部の部室前に来たわけだが」


 アリナは後ろで腕を組んでいる。しかし距離が遠い。俺は引き戸の前にいるというのに彼女は五メートルほど後方でこちらを不満げに見ている。


「俺のパーソナルスペースはそこまで広くない。もっと近づいても問題ないぞ。三十センチまでなら不快に感じない」

「……今日は何するのよ」

「まだ聞いてないな。助けがほしいと言われたから了解と返事しただけだ」

「もっと聞きなさいよ。どうせあんたじゃなくて私が何かされるんでしょう? 美術部のモデル役はまぁいいわ。でもコンピュータ部って……絶対、その……」

「何だ?」

「あんたみたいな変人ばっかでしょ……?」

「偏見だぞ、それ。奴らは誠実だ」

「嘘よ。私のクラスに三人いるけどいつもニヤニヤしながらゲームしているわ」

「その程度で変人認定されるなら俺はどうなるんだよ」

「へんたい」

「お褒めの言葉、光栄に存じます」

「地獄に落ちなさい」

 

 不死身なので天国も地獄もありません。そしていつか、俺も眠れる日が来るのだろうか――。

 頑固者のアリナは一歩も動かなかったのでとりあえず引き戸をノックして入室した。


「約束通り来たぞ」

「おっ、彗か」


 声をかけたのは俺に依頼してきた人物だった。

 室内はよく冷えていてコンピュータ部にとっては最適な環境だろう。部員たちはそれぞれ画面の前に座って談笑しているかゲームをしているかだった。


「それで、俺たちに何を――」


 と依頼人に問いかけようとしたら、その依頼人は化け物にでも遭遇したかのような表情になってフリーズした。コンピュータ部なら誰か強制シャットダウンくらいしてやれとツッコミを入れようとした矢先、彼は突然叫んだ。


「ドアを閉めろ! 今すぐ!」

「え?」

「はやく! お願いだから閉めてくれ!」


 彼は腕をぶんぶん振って俺をせかした。なぜそんなに焦っているのかわからないが、俺はとりあえず従うことにして後ろを振り向いた。するとアリナが引き戸の前に佇んでいた。


「……」

「何よ。入らなきゃいけないんでしょう?」


 俺はドアを閉め、鍵もかけた。多分この選択は間違っていない。


「……これでいいんだよな?」

「ありがとう……助かった」


 安堵する依頼人。背後から引き戸を叩く音と「開けなさいよこの変態帰宅部!」という罵倒。

 おそらく日羽アリナ絡みで彼女が居合わせると何らかの不都合が生じるのだろう。引き戸が破壊されるおそれがあったので念のため背中で引き戸ごしから伝わるアリナの惑星破壊パンチを受け止めているのだが限界は早そうだ。既に上半身の骨の六十パーセントが壊された。


「アリナ、聞いてくれ。今日はもう帰っていいぞ。いでででで。いま後頭部割れたぞこの野郎」

「ふぅん。まぁいいわ。私、帰るから」

「よし良い子だ。おうちでお勉強しているといい」


 靴音が遠ざかっていった。どうやら薔薇園に向かったようだ。

 俺は複雑骨折した上半身を自己再生しながら依頼人との会話を再開した。


「で、アリナがいたらまずい案件なのか?」

「そうなんだ……俺たち今CGキャラクターを作ってるんだけどそのモデルが実は……日羽さんで……」


 なるほど。それは確かにまずいな。

 秘密裏でバーチャル化されていることをアリナが知ったらコンピュータ部は彼女によって滅ぼされるだろう。腹いせに俺にも刃を向けられそうな気がする。絶対にやめていただきたい。


「彗って日羽さんと親しいだろ? だから日羽さんの特徴とかを訊きたくてお願いしたんだ」

「そうは言われてもなぁ。俺もよくわからんぞ」

「でも俺たちの方がもっとわからないんだ。助けてくれよ!」


 涙目で懇願されて俺は戸惑った。バーチャルアリナが彼らをなぜここまで駆り立てるのか不思議でしょうがないが、これもまた彼らの好きな世界なのだろう。俺だってトマトジュースがこの世から消える危機が訪れた時は死に物狂いで危機回避のために動く。彼らも命をかけて好きなものを作っているのだ。

 成さねば生きててもしょうがないってヤツだ。


「わかった。詳細を話してくれ」

「ありがとう……ありがとう……!」






 翌日。

 俺はアリナのクラスに赴いた。


「ハロー、ハロー」

「昼休みに嫌な生き物が来たわね。ご飯が美味しくなくなるわ」

「飯はいつでも美味しいぞ」

「じゃあゴキブリの幼虫を見ながらあんたはご飯食べられるのかしら」

「食べれません」

「そういうことよ」

「俺はゴキブリレベルなのか……我が十七年の人生の中で殺虫剤をかけられたことが一度も無かったのは奇跡と言うべきか……」


 お上品に背筋を伸ばしながら食事するアリナはふんっと顔を背けて会話を拒否した。こういうところを治していかないと毒舌も態度も改善されないだろうな。まだまだ更生プロジェクトは終わりそうにない。


「それで、何の用なのよ。早く消えてほしいのだけど」

「アリナ。君はバーチャルアイドルになってみたいと思わないか?」

「は?」


 コンピュータ部の依頼人、藤岡ふじおかけんはこう話した。


【日羽さんの外見的特徴と表情のバリエーションを教えてほしい】


 いやいや俺に頼らずともわかるだろ、と一応反論してみたがどうやらそれが難しいらしい。神聖な存在に触れられるのは神か無知と論じ、実質お手上げであると言った。つまり俺が無知で恥知らずであると言いたいわけだ。突然の侮辱に驚くも、寛大な帰宅部員たる俺は我慢して話を聞き続けた。

 どうにかして詳細な日羽アリナの情報を集めてほしいと頼まれたのだが、もっとも簡単な解決法がある。アリナを連れていけばいいのだ。そうすれば万事解決、みんな幸せ。

 しかしながらアリナがコンピュータ部に偏見を持っているので連れて行くのは難しいだろう。なので話を誤魔化して誘拐――じゃなくて、うまく連行することにした。


「バーチャルアイドルだ、最近人気の。毒舌薔薇をモデルにしたいっていうヤツがいるんだ」

「何それ。初めて聞いたわ」

「まぁ平安時代からタイムスリップしてきたお姫様にはまだ難しいカタカナ英語かもしれないが、大丈夫、怖くないよ。簡単に痩せられるよ。三ヶ月で二十キロ痩せられるってよ」

「言ってること支離滅裂。ちゃんと説明する気がないのなら帰ってちょうだい」

「わかった、箸を逆手持ちするな」


 税を搾取してきたお姫様に俺は懇切丁寧にバーチャルアイドルの概要を説明した。

 3DCGでできたキャラクターに、キャプチャーした人間のモーションと連動させてあたかもそのキャラが独立して動いているかのように見せる技法。映画のCGでは必須とも言えるモーションキャプチャー技術をやるためのモデルをお願いしたいという話。

 昼休み中に俺は何を話しているんだと首をかしげるどころかねじ切れそうになったが何とか最後まで説明しきった。


「……というわけだ。人類の技術発展の礎になってくれ」

「そ」

「了承してくれるだろうか」

「三つ疑問があるわ」

「どうぞ」

「一つ。私がモデルである必要性」


 やっぱ作るなら美少女なんじゃないですかね。


「二つ。私のモデルを誰が動かすのか」


 おそらく研だろう。よく考えるとなかなか狂気的だな。


「三つ。私のモデルに何をさせるのか」


 何をってそりゃ……。 

 俺はもう一度考えた。精巧な3DCG美少女を完成し、自分で自由自在に動かせるようになったらヒトは――男子高校生は――何をするのか――。自分だけの日羽アリナをゲットしたら――。

 答えは簡単だった。


「変態的行動だ――」

「そうよ。あんたたち男子はそういう生き物でしょ」

「そうだ。俺以外の男はそのようにできている」

「じゃあ。あんたはどうすべきなの?」

「計画の破棄だ」

「そ。よくわかってるじゃない。でもそれだけかしら」

「計画の破棄およびコンピュータ部に対する敵対宣言」

「良い子ね。ほら、早く私のために行きなさい」

「了解」


 そうか――。

 俺は騙されていたんだ。まさか知らぬ間に犯罪の幇助をしていたとは……。

 許さん――。俺は――コンピュータ部を許さない!

 教室を出て研のいるクラスに突入した。高精度顔認証機能を駆使し、藤岡研を発見。俺は不意打ちで致命傷を受けても素早い回復をするため、トマトジュースをいつでも飲めるようポケット内を最適化した。

 

「研」

「お。日羽さんの情報?」


 彼はのうのうと訊いてきた。のんきなもんだ。

 見破ることもできずただ盲目的に従った自分を罰したい。この悪魔的計画を白紙にしてどうか許してほしい。


「日羽アリナバーチャル化計画を俺は手伝わない。そして本日をもって帰宅部及び日羽アリナはコンピュータ部に敵対することをここに宣言する」

「え? ちょっと待って、どういう――」

「言い訳は無駄だ。今後、諸君らは監視対象となる。犯罪行為の兆候が見えた場合には罰としてトマトしか食べられない身体に改造する。諸君らにヒトの心が再び宿ることを切に願う。以上」


 研は俺の忠告を聞くと何かを喚き始めた。

 俺は耳栓をして世界から音を消した。どんな罵声、悪口、脅迫も伝わらなければ意味が無いのだ。空気を震わせることしかできないホモサピエンスの決定的弱点である。いつになったら彼らは空間を介さない意思疎通が取れるようになるのだろうか。五次元の世界から楽しみにしているよ。

 トマトジュースを一口含み、俺はその場を後にした。そう、これぞ勝者の味。リコピンの味だ――。


 放課後、薔薇園にてアリナに報告した。


「無事、日羽アリナ・電子データ化計画は中止になった。安心するといい」

「最初と話が変わってるような気もするけどまぁいいわ。ご苦労だったわね。感謝するわ」

「むしろこちらがお礼を述べたい。危うく俺が悪者になるところだったのだ」


 アリナはボソッと「都合のいい男」と呟いたがどうだっていい。

 俺が何であれ、この青い惑星に少しでも幸せが増えてくれればそれでいい。

 

「不敵に笑うのやめなさい」

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