005 第1??話 お兄ちゃんが通りますよ

 短大に通うようになってから命の危機を感じることが多くなった。

 プロゆえに狙われているとかそういう映画的展開ではなく、単純に彼女から浮気を疑われているのである。全世界の女性の敵にはなりたくないのでここで弁解しておこう。俺は浮気などしていない。世界一の女性と付き合っているのだから。キリッ。

 前にそのようなことを言って彼女に疑惑の目をやめさせようとした。


「ふぅん」


 エプロン姿の彼女はその薄い反応を見せただけで、こちらを一瞥もせず黙々と包丁で野菜を切った。まったく響いていないと思い、次はどう誤解を解こうかと考えたが彼女が作ってくれた料理を見てその考えはやめた。人参やら大根の大きさがばらついていてダイナマイトで爆破した建造物みたいだったからだ。ちゃんと動揺していたらしい。可愛すぎる……。

 人の恋路などどうでもういいじゃないかと思う俺であったが、ある日事件が起きた。

 行きつけの喫茶店でアリナとデートしているときのことだ。


「何処見てたの?」

「え? あの照明がお洒落だなーと思って見てたんですが」

「嘘。絶対さっきの店員見てたでしょ」


 さっきの店員というのは注文したときに対応してくれた女性店員のことだ。特に意識などしていなかったと思うが。


「そうよね。あの店員さん、胸大きかったわね」


 はい? 確かに茨城産メロンのような豊満さではあったしフェロモンも凄かったですが、み、見てねぇし。み、見てないもん、ぼく。


「アリナも負けてないぞ」

「あんな下品なものと比べられても嬉しくないわ」


 あれが……下品だと……!? ふざけるな。あれは夢、希望、友情がはち切れんばかりに詰め込まれた男子が夢見るパーフェクトエディションだ。ぼく知りませんからね。何億という世界の青少年を敵に回したからね、君。あーあ、いーけないんだーいけないんだ。大きなおともだちに言ってやろー。

 しかし、俺は君を守ろう――。

 例え世界を敵に回したとしても――。キリッ。


「最近、あなたのキメ顔うざいわね」

「お黙り。男はな、一生に一度キメなきゃいけない時があるんだよ」

「だとしたら私の前だけでキメなさいよね。他の女に見せたら……どうなるかしらね」

「ヤンデレこえー……」


 ツンデレからヤンデレに昇格(?)した彼女は十年後どうなっているのだろうか。サディスティックな方向に進まなければ何でもいいのだが世界を敵に回すことだけはやめてほしい。他の女、他のメスとか最近、彼女は俺と関わりそうな女性をそう呼ぶ。冗談なのはわかってはいる。危害を加えないことをただただ祈るのみだ。

 

「そういえば」


 アリナが細長い人差し指をピンと立てた。高校生だったら中指だっただろう。下品で放送できない映像だったのでがっちりとその中指をがっちり握った覚えがある。確かビンタされたか殴られたような。懐かしい。

 

「宇銀ちゃんって付き合ってるのかしら」

「はぁ?」


 宇銀が付き合っただって? そりゃないだろ。


「それはないな」

「どうしてよ」

「誰かと交際するときは俺に許可を求めるよう教育してある。勝手に付き合うわけがない」

「あなた病気よ」

「病気じゃないもん。ぼきゅ、健康だもん」

「どこの子役の真似してるの? 気持ち悪いからやめて」


 ははっ、まったくやってられないな。

 宇銀が二足歩行タンパク質と交際するだなんて非現実的だ。第一そんな光景想像できるか? 想像なんて……うぐっ……できるわけが……ぅぅっ……できるわけがないぃ……。お兄ちゃんはな……ひっく……妹の健全を……誰よりもっうぅ……。

 

「……ハニー。どこの情報だ?」

「宇銀ちゃんが投稿した写真」

「見せてみて、ハニー」

「見せるから呼び方変えて」

「ダメだ、ハニー。君もダーリンって言うんだ」

「……わ、わかったわ、ダーリン……」

「うわぁ、ダーリンとか西洋かぶれしすぎですよ。やめてくださいよ恥ずかしい」

「……ころすっ」


 テレながらもスマホを見せてくれた。

 両手で顔を覆ってノックダウンした彼女を放っておいて例の写真を見た。

 背景はどこかの浜辺。水着の宇銀。友達らしき女の子が数人。それに映り込む雄のホモサピエンスが一匹。

 誰だ、この二足歩行するタンパク質は。

 誰だ、この馴れ馴れしく宇銀と肩を組む肌色の生命体は。

 誰だ、この榊木家のお嬢様に触る海パン一丁の固形物は。

 

 頭の中で声がした。

 

 排除しろ――。

 排除しろ――。


 微かに硝煙の匂いがした。これはそう、あのホテルの一室の記憶だ。

 一発、一発と引き金を絞る度に木製のドアに穴が空く。その穴からたくさんの光の線が漏れてぼくを差した。

 なぜ、と彼は咳き込みながら問う。喉に溜まった血液を肺に入れぬよう、足掻いて、足掻いて――。

 帰宅部を裏切るとどうなるかわかっていたはずだ。それなのにどうして、とぼくは独り言のように呟いた。彼は己の運命を悟ったかのように真っ赤に染まった歯を見せて笑った。

「銃は――まるで正義だ。いつも一直線に進みやがる。俺たちの正義は振り返ったことがあると思うか?」

 ぼくは答えられない。

 その日以来、ぼくは銃を触ることができなくなった。あの鉄の塊が天使の羽衣を着た悪魔に見えてならないのだ。


「アリナ」

「な、なによダーリン」

「命令が下りた」

「命令って……あぁ、帰宅部の設定の話ね」

「宇銀に近づく生物を調査し、必要ならば排除する。あと設定とか言うのやめて。悲しくなるから」

「宇銀ちゃんがこの人のこと好きだったらどうするのよ。別れさせるわけ?」

「場合によっては」

「いい大人なんだから放っておいてあげなさいよ。私とのデートに集中しなさい」

「オーケー、ハニー。君は今日も世界一だ」

「あぁ、ダメ、その言葉溶けそう」


 久しぶりのミッションだ。

 元帰宅部員は伊達じゃないところを見せてやる。





 まず俺が行ったことは宇銀との通話だ。

 現在大学三年生の宇銀は他県でキャンパスライフを送っているので接触は難しい。であるならば会話の中で情報を収集し、仮説を立てる。直接「おめぇ男さつくっとったんか!」と問いただすのもいいが兄妹関係に亀裂が走りそうなので穏便にいこう。

 探偵に七十万払って得た宇銀の電話番号を慎重に打った。


『はい、榊木です』

「俺だ。お兄ちゃんだ」

『うわ、相変わらず気持ち悪いね。久しぶり』

「どうしてるかなって思ってな。大学は楽しいか」

『うん、楽しいよ。兄ちゃん、アリナさんとうまくいってるの? 別れたとか言わないでよ?』

「お前がドン引きするくらいラブラブだから安心しろ」

『へぇ、いいじゃん。いつプロポーズするの?』

「この戦争が終わったら」

『そういうのさっさと卒業した方がいいよ』

 

 お兄ちゃんは悲しい。大学生になって現実を知ってしまったのだろうか。もう少しフィクションを楽しむべきだ。創造性の欠如はつまらない人間になる第一歩だぞ。

 俺はさりげなく勝負に出た。


「そういう宇銀は誰かと付き合ってるのか?」

『いや、いないけど』


 嘘だな。可愛い我が妹が放っておかれるわけがない。

 きっと「お、お兄ちゃんには知られたくない! お兄ちゃんに似てるからだんて言えない!」と赤面しながら心の中で叫んでいるに違いない。ちなみにもし俺と似た人間と本当に付き合っていたら全力で破局させる。宇銀の人生が壊れてしまう。俺みたいな変人と付き合うのが一番ダメなのだ。六法全書にもちゃんと書いてある。

 

「ほう。嘘はよくないぞ。確かに人間は嘘でバランスの良い社会を築く。しかし兄妹間には不要だ」

『本当にいないってば。いたとしても言わないし』

「おい。付き合うときはお兄ちゃんの許可が必要だっていったはずだ」

『初耳だけど』


 俺も初耳だ。


『あ、そうだ。私、今度実家帰るから。一応言っとく』

「了解。あとぼくちん実家暮らしじゃないから」

『そうなの? アリナさんと同棲? やらしー』

「同棲ちゃうわ」


 一方的に押しかけてくるので半分同棲みたいなもんだが否定しておいた。

 その後、絶妙な口回しで宇銀がいつごろ帰るかを聞き出し、通話を切った。決着はそのときだ。首を洗って待っていろよ、宇銀に集るホモサピエンス。お前の人生は残りわずかだ。HDDのデータはちゃんと削除しておけよ?


 二週間後。

 俺は久しぶりに実家に帰った。実家の安心感というものは本当に良い。何も恐れることがない。

 宇銀はまだ帰ってきていないようだった。マミーには「宇銀の顔を久しぶりに見に来た」とだけ伝えた。まさか自分の娘がどこの骨とも知らぬアンドロイドと付き合っているかもしれないとは思いもしないだろう。もしかしたら女の勘という超能力で気付くかもしれないが。

 俺はリビングで水を飲んで待った。時々アリナに返信しながら榊木家最高傑作の人型兵器・榊木宇銀の到来を震えて待った。

 一時間後、前触れなく玄関が開かれた。

 銃は持った、弾倉も十分、チョッキも良し、腰のナイフも良し、あとは覚悟だけ――。

 俺は立ち上がって玄関へと向かった。


「ただいま~」


 聞き慣れた妹の声。俺は両手を広げて歓迎した。


「おかえり、我が妹よ」

「うえぇ、ハグはしませんー」


 宇銀の髪型は額を出したボブのウェーブヘアで変わっていなかった。ハリウッド女優のような雰囲気は変わっていないようだ。次の出演はいつですか?


「兄ちゃんの雰囲気は全然変わってないね。安心した」

「俺は不変だ。錆びない金属のように美しく輝き続ける」

「兄ちゃんの輝きは需要無いよ」


 あるんだよなぁ、アリナさんに。我ながら格好いいことを言ってしまった。

 感動の再会を終えて良い気分に浸っていたが、リビングで宇銀がビールを飲み始めたことによって雰囲気はぶち壊しになった。清純な妹のイメージが崩れ去った。お前は、いわゆるパリピとかいうやつなのか? 別に悪いことじゃないが、俺のイメージが……。


「飲まないの?」

「いや、今はいい」

「じゃ、私は飲むから」


 ぷしゅ、と音を立てて宇銀はぐいぐい発泡酒を喉に流し込んだ。酒豪シスター宇銀さんはその後も飲み続け、500ml缶を四本空けた。俺は傍で酒臭くなっていく可愛い妹にガタガタ震えて戦慄しながらお水をちびちび飲んだ。妹の肝臓に同情した。悲痛な叫びが聞こえてくるよ。やめて、ぼくにアルコールをかけないで、と。酸性雨で苦しんだ我々にもその気持ちはわかる。しかし雨は永遠じゃない。それまで耐えてくれ。

 やっと紅潮して意識がぼんやりしてきた宇銀さん。さっきから上半身が小さく左右に揺れているのでできあがったようだ。今しかないと思い、問いただすことにした。


「宇銀さん」

「あい」

「キャンパスライフは楽しいですか」

「楽しいに決まってんだろ」

「ひぇっ」


 睨んできた妹さん。

 毒舌最盛期のアリナさんでもこんな口調はしなかった。酒癖が悪いお方なのだろうか。しかしながらこの程度のこと恐れるに足らず。まだまだ可愛いものだ。


「うそうそー。楽しいよ?」

「ふぅ。性格が豹変したもんだからびっくりしたぜ」

「あ?」

「ひぇっ」

「だからうそだってばぁ。ぐふふ」

「宇銀くん。男性とお付き合いはしているのかな?」

「え、またその話? だからいないってばぁ」

「お兄ちゃんの前で嘘はいけません」

「は?」

「ひぇっ」


 なかなか手強いな。

 この子は威圧すれば元帰宅部員に勝てるとでも思っているのだろうか。自然界では有効かもしれないが人間界では己の矮小さを曝け出すだけだ。言葉を放棄して考えることをやめた人間のなれの果ては決まって悲惨だ。首輪をつけられた狂犬に等しい。

 俺はスマホを取り出してアリナに電話した。


『はい、日羽です』

「俺だ、ハニー。例の画像を送ってくれ」

『例のって何?』

「二週間前、俺に見せた宇銀のスペシャルヌード画像だ」


 そう言った途端、「オラァ!」と宇銀に頭突きされた。脳幹損傷、前頭葉内出血、眼球破裂、海馬半壊、神経細胞二十三億死滅。


『い、今すごい音したけど……』

「問題ない。とにかく送ってくれないか?」

『えぇ……わかったわ。切るわね』


 ふぅ、頭がぐわんぐわんするぜ。これは修復に時間がかかりそうだ。


「ねぇ、私のヌードってなに?」

「言い間違えたんだ。謝罪する。ごめんなサイエンス」

「誠意がない」

「おっ、来た来た」


 アリナから画像が届いた。そうそうこれだよこれ。この二足歩行タンパク質集合体だ。

 宇銀にその画像を見せつけて真相に迫った。


「このアンドロイドは誰だ。お前と肩を組むこいつだ」


 むぅーと唸りながら俺のスマホを覗き込む。酒くせぇ。洗濯機にぶち込むぞ。

 するとゲラゲラ笑い出した。


「私の彼氏と思ったの? ウケるー!」

「じゃあ何なのだ。マネキンか?」

「この人の彼氏なの!」

 

 指をさした人物は男と肩を組む女子だった。宇銀ではなく、もう片側で組んでいる水着姿の女子をさしてそう言った。つまりこの男は宇銀ともう一人を傍に置いているわけだ。俺が裁判官じゃなくてよかったな。確実に電気椅子だったぞ。

 

「ノリで肩組んだ。それだけ」

「ほう。ノリで。ほう」

「兄ちゃん、殺人鬼の顔になってるよ」

「今ならカニバリズムの主人公を演じることができそうだ。とりあえず妹が無事で良かった」

「無事って……まぁ特になんともないね。いつかは彼氏できるかもしんないけど」

「なんだと。お兄ちゃん、いま気が狂いそうです」

「でもアラサー近くになってからかなぁ。二十代で生き方決めたいからそれまで一人かな」

「アラサーって言葉を簡単に使うな。加えてアラサー独身って言葉は絶対禁句だ。一週間以内に殺される」

「そんときは兄ちゃんに守ってもらおー」

「任せろ。俺が本気を出したらあたり一面、トマトジュースの海だ」

「血の海って言わないところが変に優しいよね」

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