第115話 指針の悪戯
あなたは見る見るうちに痩せて、そして遠くへ飛ぶために羽を手入れしているかのように思えて怖くなった。
校庭は白銀のカーペットになっていて、まるで日を浴びないあなたの肌のように白かった。私の吐息も白く、かじかんだ指先もまた病的に青白かった。
受験生の時間はとても短いもので、冬休みも正月も一瞬だった。
終わりは見えているからこそなのか、それとも単に時間を忘れて集中しているからなのか。どちらにせよ時計の指針は猛ダッシュしているように私は感じた。
「アリナ。センターはただの切符だから! 大事なことに変わりはないけれどアリナの志望校は二次が重要だからね!」
「えぇ、わかっているわ」
「だからといって手を抜いてもダメ! いい!?」
「大丈夫よ。落ち着いて望むわ」
AO入試で既に合格を手にしている鶴は私を激励しにセンター試験の会場に押しかけて来た。
「そろそろ行くわね。寒さでいろんなこと忘れちゃいそうだわ」
「ギャー!! なら早く行った行った! 早く温室に入って!」
「はいはい、ありがとうね、鶴」
「頑張れ! 彗も夢の中で応援してるよ!」
「寝言でもいいから喋ってほしいものね。ありがとう、鶴」
私が会場入りするまで彼女はずっと手を振ってくれていた。
あなたの影は至る所でチラついた。
特に身長の高い男性の後ろ姿には困らされた。人で溢れかえった電車から飛び出して階段を見上げた瞬間やカフェで執筆している時に背筋を伸ばした時や大学の講義でふと目に入った最前列などなど私の視界に彼の幻影が不意に現れる。それが人違いだとわかっていても私の精神には十分影響を与えるものだった。
「アリナちゃん、サークルまだ入ってないの?」
よくそんな質問をされる。今回だけでなく、私が入学して以来ずっと訊かれてきた質問だ。
「入る気は今のところありません。忙しいもので」
「バイトとかしてるの?」
「まだしていませんが、来月あたりから始めようと思っています」
「へ~そうなんだ。でもうちのサークルそんなに活発に活動してないし、アリナちゃんも気にいると思うんだけどなぁ」
「考えておきます」
私はいつも通りそう断る。
どこの誰とも知らない男の先輩たちは熱心に私に声をかける。それが下心だというのもわかっているから断っているのもあるし、何より私は自由な時間がほしかった。勉強のための時間、趣味の時間、彼に会いに行く時間。いろんな時間を作りたかったのだ。
結果的に私は第一志望に合格でき、無事高校を卒業することができた。花の女子高生を終え、次は魅惑の女子大生として新しい四年間がスタートした。一人暮らしをするようになって何もかも一人でやらなくてはならないことに慣れるまで苦労した。でもとても楽しい日々を送れている。
彼のおかげで友達作りには全く苦労しなかった。すぐに仲良くなれたし、交友関係はとても広がった。高校時代では考えられないほど私はたくさんの人たちと出会った。思えば彼と出会ってから始まっていたのかもしれない。
彼と出会わなければ鶴と接点は持たなかっただろうし、白奈にも結梨にも凛音にも出会わなかっただろう。体育祭の思い出は一生忘れられない。
卒業式では彼女らと離れるのが寂しくて泣いてしまった。それほど私の心は良い方向に転がっていたのだ。
インターホンが鳴った。
モニターには手を振る千穂の姿が映っていた。
「どうぞ、いらっしゃい」
「お邪魔しまーす! やっぱりアリナの部屋は良い匂いがするね~!」
桜庭千穂は大学で出会った最初の友達だった。出会いは突然で講義中に「もしかしてモデルとかやってる?」と偶然となりにいた彼女に声をかけられたのがきっかけだった。モデルなんてやってないけど。以来よく共に過ごすことが多くなった。
彼女は所謂クール系の女子で、男性からは「冷たい目の女」と揶揄されるそうなのだが性格は活発な方だ。周りは私と千穂のセットを、容姿の方向性は似てるけど性格は油と水、と評価している。
「毎回思うんだけど、この本全部読んでるの?」
「読んだ本しか本棚に置かないわ。本はインテリアじゃないもの」
「アリナほど読書家じゃないから大それたことは言えないけど、わかるよ」
そう言って千穂は私の本棚を眺めた。
すると千穂は本棚の最下段にある卒業アルバムを手に取った。
「卒アルじゃん! 見てもいい!?」
「恥ずかしいわ……」
「その美貌で恥ずかしいとか言っちゃう? 全国の女子が怒り狂うよ?」
「わかったわ、見ましょう……」
やったー、と声を上げると千穂は女の子座りをしてアルバムを広げた。
恥ずかしかったけれど一緒に三年間の思い出がつまった写真たちにまた目を通した。一年生のころは本当に浮かない顔ばかりで苦笑せざるを得なかった。このころの私はまぁ問題児の中の問題児だったので、写り込んでいる私は偶然か、集合写真ぐらいだ。不満顔ばかりでもみほぐしてやりたいほどだった。
二年生になると明らかに変わった。笑顔の私が増えて、そしてカメラの存在をちゃんと認識して映っている。彗と出会ってからのことだろう。記憶はないけど相当楽しんでいるようで、自分のことなのに羨ましかった。
「アリナって今と変わってないね~!」
「永遠の十七歳よ」
「髪型もほぼ卒アルと変わんないじゃん。大学デビューって言葉知ってる?」
「知ってるけど今の私が一番好きなの」
「へぇ~? それってカレシが今のアリナが好きだからとかぁ?」
「前に言ったでしょ。彼氏なんていないわ」
「アリナに彼氏ができないなんて世の中おかしいよね~」
「断ってるのよ。作ろうと思えばいくらでも作れるわ」
「なにその余裕!? 私の分を作ってよ!」
「冗談よ。私は要らないだけ」
大学生の恋愛事情は高校とはスケールが違くて驚いた。彼氏彼女がいるのが当たり前というのにも驚いたし、社会人と付き合っている人もいて吃驚した。
社会に半歩踏み出しかけているとはこういうことなんだなぁとしみじみ思うことが多々あって、同時に大人になるってそういうことなんだぁと思うこともしばしばあった。
「アリナって高校時代に付き合ってた人っているの?」
その彼女の何気ない言葉にドキッとさせられた。
「いないわ」
「じゃあこの人って誰? よくアリナと写ってるけど」
彼女が指さしたのは彗だった。
「同じクラスの人よ」
「名前は?」
「やけに追求するわね」
「アリナもやけに乗り気じゃないね」
あまり彼のことは言いたくないからだ。でも変に口ごもる方がおかしいか。
「榊木彗って名前よ」
「さかきすい。へぇ~。どれどれ……あれ、でも、あれ?」
彼女は彼の名前を探した。卒業生の顔写真が載っているページで。
「ん? どのクラス? 同じクラスなんだよね?」
「どこにもいないわ」
「転校したの?」
「いいえ」
「えっ、じゃあその……」
千穂は若干青ざめて眉をひそめた。訊いちゃいけないことを訊いてしまったと言わんばかりの不安な表情を浮かべた。気の毒だったのでちゃんと話してあげることにした。
「彼、病気で入院してるの。だから卒業できなかったのよ」
「そうなんだ……可哀想……」
「そう、とても」
「どんな病気なの? ちゃんと治るの?」
「誰にも分らないわ。彼がどこにいるか、どこで何を考えているか。どの言葉を選ぶのか。きっと神様ですらわからないわ」
もうすぐ彼が昏睡状態になってから一年になる。それでも私はいつまでも待とうと思う。
まだ彼から答えをもらってないから。
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