第99話 帰宅部員は優勝旗の夢を見るか?
終わった。春休みが終わった。
まばたきのごとく終わった。
クラス発表以降、何かをするわけでも何かが起こるわけでもなく淡々と時間が流れていった。
正統派王道青春を送っている者ならヒロインと愛人的サブヒロインたちと絶対的に害のないモブ男子を引き連れて、海やプールや温泉など行ってその裸体を晒す――いや、自ら裸体を晒しにそのスポットに行くのだろう。全ては視聴者のために。
誠に残念ながらアンドロメダ銀河を支配した銀河系最強部活・帰宅部に所属する榊木彗にそのような陳腐な性欲増進キャンペーンは起きない。なぜなら面倒だから。わざわざ休暇期間に外出し、己の体力を汗と呼吸運動に使い果たしても疲れるだけである。
だからそのようなイベントは起きず、ほとんど家から出ずに終わったのだ。なので曜日感覚も忘れ、記憶も曖昧である。茫洋たる幸福で満たされ続けた春休みだった。
四月にはなったが桜は満開とはいかなかった。もうしばらくした後だろう。それでも地に緑が増え始め、明るく色濃くなり始めた景色を見て季節が変わったことがわかる。気温もちょうどよく実に過ごしやすい。
三年生として登校する初日としては良いスタートと言えよう。とは言え朝が辛いことに変わりはない。数週間ぶりの死の行軍だ。死に顔の社会人たちと一緒に本日も歯車となって金切り声をあげよう。
三年生の階は微妙に居心地がよくなかった。他学年には近寄りにくいという感覚がまだ残っているのだ。ここにいた亜紀先輩たちはもう消え去り、ここは俺たち新三年生の居場所だとわかってはいるがまだまだ気分は二年生のようだ。
三年一組に入り、ぐるりと見渡す。真琴と鶴はもう既にいた。目が合い会釈した後、黒板に張り出された席順を確認する。
「マイネーム、マイネーム・イズ……」
どうやら中央付近のようだ。というか真琴の前の席だった。そして女帝・日羽アリナは真琴の左隣。つまり俺の左斜め後方という暗殺にはもってこいの位置にいた。
自分の席に行き真琴に挨拶する。
「お前、俺の後ろなのかよ」
「名前順だからね」
「というかアリナが隣ってマジかよ」
「それは俺もびっくりした。超怖い」
「カオスになりそうだな」
真琴はぶるぶると震えて怯えた。どうやら彼はだいぶ穏やかになったアリナをまだ知らないらしい。彼の中では毒舌薔薇の認識でいるようだ。怯える真琴の相手を適当にしつつ持ち物を整理しているとようやくアリナが降臨した。
そわそわザワザワしていたクラスの空気が凍った。
アリナの毒舌を知る者
アリナの美貌に酔いしれる者
アリナが同じクラスと知った者
アリナに一目惚れした者
注目の的となったアリナは小さな会釈をして黒板へと足を進めた。そしてぎこちなくクラスメイトたちはおしゃべりや荷物整理など各々活動を再開した。その不自然さはまさに大根役者の演技を見せられているような感覚でこちらがムズムズしてしまうほどだった。
アリナが席順表に目を通し終え、特にリアクションすることなくコツコツと靴音を立てて俺たちのもとへ歩いてきた。
「よう」
「あなた私の斜め前にいるのね」
「これも赤草先生が仕込んだと疑ってしまうほどだな」
「どうかしらね」
アリナが席に座ると真琴は「ひぃっ」と小さく悲鳴を上げて怯えた。
その様子を見てアリナは真琴に話しかけた。
「あら、よろしく」
「よよよっよろしくお願いします」
「何を怯えているのよ。何もしないわ」
「りょ、了解」
「そういえばあなた私に一度告白したことあるわよね」
触れて欲しくない過去を掘り出された真琴は「うぐっ!」と唸った。彼は一年の時に勢いでアリナに告白し、フラれて心に傷を負ったのだ。事あるごとにアリナが現れると子羊のように怯える彼にとって、アリナへの告白談はタブーな話なのである。
「酷いこと言ってごめんなさいね。彼女さんとお幸せにね」
そう優しく声をかけたアリナ。途端に真琴は背筋をピンと伸ばして目を点にした。現実を受け入れられないとでも言いたげに俺に確認を求める。何の確認かわからなかったのでとりあえず頷いておいた。
すると真琴は前のめりになって俺の耳元で囁いた。
「なんだよ……ただの美少女になってるじゃん……!」
「確かに変わったかもな」
「いや変わったってレベルじゃねぇぞおいっ……! マジで神秘的美少女化してるぞおいっ……!」
「落ち着け。深呼吸しろ」
「いや無理ゲーっすよ榊木兄さんっ……! こんな日羽ならクラス崩壊起こすレベルで男たちが群がるぞっ……!」
こいつを落ち着かせるためにこの後も色々と言ったのだが一向に黙らず、最終的に「流歌に浮気してるって言うぞ」と、内心クラスが離れて消沈している彼に追い打ちをかけたことでやっと静まった。
毒舌のイメージがまだ根強く残っているのでアリナに話しかける者は鶴ぐらいしかいなかったのだが次第に興味ありげに話しかける女子がちらほら現れた。アリナも拒絶せず華やかに微笑んで接していたので荒波が立つことはなかった。
午前中は始業式、教材購入、写真撮影などで潰れ、あっという間に昼時となった。
今日は弁当ではなく母上にマネーを渡されているので売店に向かった。新学期が始まったばかりなので部活動もまだ活発化しておらず、そのおかげですんなりパンを手に入れた。通常なら女子運動部員たちが俺を殺そうとするので複雑骨折や脱腸せずに代金を払えたのは奇跡と言えた。
「空いてるね」
売店から立ち去ろうとした時に声をかけてきたのは白奈だった。彼女とクラスは別になった。
「だな。女子部員たちと肉体接触が出来なくて残念だ」
「さいてー。私たちのことそんな目で見てるんだ」
「冗談だ冗談」
「そういや、彗って体育祭のこと聞いてる?」
「体育祭で何かあるのか?」
「部活対抗リレーってあるじゃん?」
「あぁ、帰宅部を崇高な部活として認めない低俗なリレーか」
「なんか無所属の人のチームができるらしいよ。ウチのクラスでそんなこと話してる人いたから」
何? つまりとうとう我が校も帰宅部の実力を無視できなくなってきたということか?
「当然だな。俺たちがどれだけ地球のために貢献してきたかやっとわかったのか」
「ふうん。それで彗も出るのかなーと思って」
いやいや俺が出たら普通に優勝しちゃうよ? 国際帰宅統合機構の一員の榊木彗が出場したらサッカー部とか野球部とかは生後1時間の赤子並みになっちゃうからな? あーつらいわー自分の強さがこわいわー。
「時期が来たら考えよう。期待していてくれ」
「やる気まんまんだねー……」
帰宅部布教のためにもこれは良いチャンスだと思い、教室に戻った。
真琴と席が前後であるので必然的に俺が振り返って彼と飯を食うスタイルになった。二年連続の食事会は慣れたため、「さて、食事会だ」と一言添えても真琴は何も言わなくなった。
「真琴よ。俺はお前たちバド部を打ち倒す」
「いきなりなんだよ。俺、なんか彗にした?」
体育祭の件を彼に話し、俺が宣戦布告したワケを話した。すると彼は失笑した。
「いや、無理っしょ」
「なんだと」
「流石に日頃から運動してる俺たちに勝つのは、ね。それにサッカー部は無理じゃないかな? 俺たちでもきついよ」
「帰宅部のポテンシャルをナメるな。まず俺がいる時点で勝利へだいぶ近くぞ」
「彗って運動神経良いっけ?」
「運動できる高身長です。高い位置にある物を取るためだけに生まれてきた高身長じゃないです」
母親から「前世は猿ね」とお墨付きをもらえるほど俺は割と運動神経が良かった。それを発揮する機会はあったかもしれないが単に面倒だったので披露しなかっただけだ。
少なくとも民衆の目があるところでは。人類は俺がバイオテロを未然に防いだことも、地球に迫る小惑星を破壊してNASAから表彰されたことも知らないだろう。
「そしてこっちにはアリナもいる」
彼女は帰宅部を自称していないがこの際連れ込む。彼女が運動できる女子だという情報は聞いている。
俺の声に鶴、変態少女・華彩と昼食中のアリナは「なに?」と反応した。
「やばいと思った時はアリナに脱いでもらう。男たちは釘付けになって走り方を忘れるはずだ。多少の偏向的主義の方たちが騒ぐかもしれないが、俺も全裸になってやろう。体育祭をヌーディストビーチにしてやる」
「絶対やらないわよ。強要したら通報するから」
「大丈夫だ。そんなことにはならない。正当な手段で勝てる」
「私が脱ぐよー」
「華彩くん、君は黙ってなさい。君は保健体育の教科書だけを読んでいればいいんです」
ドン引きする二名と興奮する一名から目を離し、真琴に向き直る。
「勝てる。よし、まずは人数集めだな」
「マジで勝つ気なのかよ……」
飯を食い終わった後、すぐに麻倉斗真を捜索した。クラスがわからなかったのでしらみ潰しで各クラスに「麻倉斗真ァ!」と声をかけた。そのかいあって四組にいることが判明した。
「何かあったのか!?」
「君に是非とも頼みたいことがある」
俺の思惑を全て斗真に話し、計画の一端を彼に担ってもらうことにした。
後日。
一年生が本校に通うようになり、賑やかになり始めた頃。
校内のいたるところにとある張り紙が出現した。
その張り紙を持ってアリナが俺に声をかけた。
「なによこれ。あなたが作ったの?」
「そうだ。コネでな」
「『集え、最強の帰宅部員。打倒、運動部』って。ひどいわ」
「ちなみにアリナ君も参加だ」
「聞いてないわよ」
「今言った」
「そう……あなたって、あの、ちゅうー、えーっと……」
「中二病か」
「それよ、それ」
「確かによく誤解されるが間違っている。その症状を発症した奴は大抵容姿に変化があったり、武器などを持ったり、仕草に変化が現れる。対して俺はジョークを言い放つ時どうだ?」
アリナは片眉をあげて思い返す。
「喋るだけ……」
「イエス。俺は無表情とノーアクション。音の出る肉塊だ」
「あなたがジョークが好きな理由、わかったわ」
アリナはビシッと指をさしてドヤ顔した。
「洋画の見過ぎ。アメリカンジョークに影響されすぎたんでしょう?」
図星だった。まごうことなき事実。
彼女の言う通り、俺は海外映画にとても影響を受けたのである。あの特徴的な皮肉、比喩、冗談。どっぷり浸かって身体に染み渡ってしまった。
「そ、そんなわけないぞ」
「嘘ね。あなたがマトモに取り合っている時は嘘をついている時だもの」
「ひどい。泣きそう」
「それはそうと。あなた帰宅部辞めたのよね?」
「イエス、元帰宅部員として参加する」
「もう勝手にしなさい……」
しかしながらアリナを戦力に加えるのは動かぬ決定事項である。実力的にもビジュアル的にも帰宅部は勝たねばならない。もちろんアリナのために帰宅部は辞めて彼女のために放課後を過ごしている。
部活動対抗リレーで帰宅部が優勝する姿を見てみたくないか? 俺は見たい。死ぬまでに一度でいいから見たい。
計画は始まったばかりだ。
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