第87話 男たちの沈黙

 冤罪で監獄へぶち込まれる危機から逃れてから数日が過ぎ、とうとう二月に突入した。正月からもう一ヶ月が経過した。

 近頃、時間の流れが速く感じる。濃い時間を過ごしているからそう感じるのか、それとも大人へと近づいているからなのか。


 時間感覚などいつも曖昧だ。楽しい時は短く感じるし、辛い時は長く感じる。全てそのときどきの心境で伸びたり縮んだりするのだ。

 だから今、街のティッシュ配りの方々のように新聞部が発行した記事を持って校門で立つ俺は、非常に時間の流れをスローに感じている。様々な制服が本校の門へと吸い込まれていく。みな緊張した面持ちで時間が惜しそうに参考書を睨んでいる。

 申し訳なささを感じつつも「頑張ってください」と一言添えて俺とアリナのモデル写真が載っている新聞を手渡した。中学生たちは公式パンフレットと思い違いをして受け取るわけだ。人の心を利用した醜い手法である。良心の呵責に苛まれるも、また新聞を手渡した。これがゼロになれば温室に帰れるからだ。

 誰か纏めて受け取ってくれる物好きはいないだろうか。


 イエス、今日は本校の受験日である。なのでここ数週間で完成させた一枚の新聞を配っているのである。

 配ること自体、新聞部に任せればいいのだが、またしても生徒会のとある食用鳥が「アリナがいると受験生もヤル気でるよ」と余計な要求を突き出したのだ。ここまではいい。要求には俺に関することは一切ないからだ。

 このまま掃除ロッカーにでも逃げ込もうと策を練っていた時に「あんたもよ」とアリナに指でさされた。俺は後ろを振り向いて「誰もいないが」とボケたがボールペンを逆手で持つ彼女を見た刹那、降参した。

 そのような経緯があり、校門にて人生の分岐点を迎えている中学生たちに新聞を配っているわけだが食用鳥が言った通り、大半の中学生どもは俺ではなくアリナ寄りに校門を過ぎていく。校門の両端に立っているので思い違いではなく、その差は明確で歴然的であった。はて、俺側には彼らにしか見えない壁でもあるのだろうか。もしくは俺はもう死んでいて霊体であることに俺は気づいていない?

 アリナはというと気持ち悪いくらい人のいい笑顔で「頑張ってね〜!」と善人ぶりながら配っている。過ぎて行った者は三度見して振り向く。そのまま首を折ってしまえと呪っておいた。しかし神は嘲笑うようにアリナの方に人を送っていく。

 さすがの僕も悲しかった。底知れない劣等感が僕を苦しめた。


 しばらくするとアリナの視線を感じた。仕事量の少ない俺はちらっと彼女を怠慢的に見た。すると彼女は両手をパーにして訴えてきた。


『無くなっちゃったから頂戴』


 おそらくこう言いたいのだろう。あげるともあげるとも。三分の一も減ってないからな。

 近づいてきたアリナに残り八割を手渡した。


「ちょっと。これ多いわよ」

「皮肉か? それとも天然か?」

「なんの話よ。もういいわ」


 八割を計画通り持って行ってくれた。多いだと? 君にとっては多くないのだよ。これは需要と供給の問題なのだ。

 要するに俺よりアリナの遺伝子が付着した新聞の方がみんな大好きなんだろ。遺伝子フェチだ、遺伝子フェチ。最近の中学生は恐ろしいな。おじさんにはついていけないよ。

 

 受付終了時刻に近づくにつれ、人は少なくなってきた。付き添って来た受験生たちの親が学校から出て行く光景が続き、この仕事もそろそろ終わりを迎えようとしている。

 もう来ないだろうと思った俺たちは引き返すことにした。


「よし。新聞部に報告だ。帰るぞ」

「あんたまだ残ってるじゃないの。貰った分はちゃんと配り終えたわよ。このサボリ。生きてて恥ずかしくないのかしら」

「人には適材適所というものがありまして今回は不適だったというだけなんですよ、アリナ君。ええ、恥ずかしいとも、悔しいとも、悲しいとも。宙を彷徨い続けた僕の右手を、君は可哀想だと思わなかったのかね」

「うるさいわね。無能が移るから近寄らないで」

「泣きそう」


 とは言うものの無事終わって良かった。神経をすり減らして書いたのだから少しでも読んでくれたら嬉しい。稚拙な文章だけれど頑張ったのは本当だ。どう思われようが何かを思い、何かを感じ取ってくれれば幸いである。


 新聞部に戻り、早速斗真に報告した。今日は受験日なので全校生徒は運動部以外休みとなっている。彼も本来休みであるが俺とアリナに任せっきりなのは申し訳ないということで出てきてくれた。

 生徒会に代休を申請したいと心底思った。断ったら労基に駆け込むから覚悟しろよ。


「少し残ったが配り終えたぞ」

「おお! 良かったー! どうよ、反応は!?」

「受験だから新聞に目を通すほど余裕はなさそうだったからなぁ。ま、帰宅してから読んでくれるんじゃないか?」

「だな! 校内のゴミ箱に捨てられてないことを祈ろう!」


 ほんとそれ。見つけたら全力で特定して一生涯トマトしか食えない身体にしてやる。


「大丈夫よ。私が載ってるんだもの」

「突然の自意識過剰腹立つなぁ」

「あいつら私のこと見過ぎよ。目玉をスプーンでくり抜こうかと思ったわ」

「悔しいが鶴の言った通り、お前の存在は大きかった。俺は寂しい思いをしたけどな」

「慰めてあげるわ」

「ボールペンの先をこっちに向けないで。あと台詞的に『楽にしてあげる』が正解だから」


 




 用は全て済んだので俺たちは下校することにした。斗真は生徒会に寄っていくそうなので俺とアリナは先に帰ることとなった。

 距離を置こうとしたが途中まで帰宅路は同じだし変に離れるのも難しい雰囲気だったのでおとなしく二人で歩く。もう昼だったので帰ったら飯だなーと考えていると見透かしたようにアリナが声をかけた。


「どこか寄ってく?」


 何ですかそのデート的な感じ。それともまた心を読み取ったのだろうか。だとしても誘うだなんて今日は大嵐だな。しかし雲一つない晴天だった。


「おー、そうだなー」


 ちょうどショッピングモールまで来ているので俺たちはそこのフードコートで昼食を摂ることになった。午前中に制服姿で店をうろつくのは何とも背徳的な気分だ。補導が怖いんです。正当な理由があるから大丈夫だが。

 フードコートに辿り着くまで気まずいエリアを何度も通った。この時期はバレンタインコーナーが特設されている店が多く、でかでかと甘い言葉が飾られていて実に気まずかった。アリナから貰えるかもしれないという期待も若干はあったがそれを悟られぬよう無関心を装うことが大変なのだ。男子の我々にとってはワクワクもあり苦しみもある。

 幸いにもアリナは一切触れなかったから助かった。


「やっぱ昼時は混むなぁ」

「そうね」


 俺はハンバーガーとコーラを、アリナはアップルパイとコーヒーを注文した。

 注文が届くまでどんな話をしようかと悩んでいると珍しくアリナから話しかけてきた。


「で、どうなの」

「主語を入れてくれ」

「私よ」


 情報量が少なすぎる。三秒以上話せないゲームでもしているのか? 君の言葉はいつもトマトジュースの原材料名以下の情報量だな。

 

「あんたから見て、私は変わったのかしら」


 変わったとも。初めて会った時と比べれば性格はだいぶ柔らかくなった。

 誰に対しても心を開かず拒絶していた人間がこうして一人の男と向かい合わせで座っているなんて奇跡だと思わないか? 眉の角度をあげて固く口を紡ぐ顔ばかりだったが、時間とともに表情のバリエーションは増えていった。笑うようにもなったし、悲しげな表情も見せるようになった。これでも変わっていないと言える者は是非とも挙手してほしい。肩を外して挙手できなくしてやろう。

 自分の変化に一番気づかないのは自分自身だから彼女には自覚がないのかもしれないな。


「まるで別人だ」

「誇大表現ね。あんたの人生みたい」

「いやいや、誇張はしていない。嫌という程この数ヶ月間お前を近くで見てきた俺が言ってるんだ。安心しろ。いい方向に転がってる」

「じゃあ。あんたはもう要らないのかしら?」


 似たような言葉を天使アリナに言われたな。文化祭で、迷惑になるからもういいよ、私が消えるから、と俺に告げたときのことだ。

 元々抽象的なテーマで始まったのだから治療プロジェクトも曖昧に終わるだろう。気がついた時には終わってた、みたいに。決定打なんて最初から無いことはわかっていたからアリナの今の発言はある意味終わりでもあった。


「ふふ。冗談よ」

「まだ俺が必要ってか。そりゃ嬉しいねぇ」

「調子に乗らないで、ヘドロ」

「はいはい。ところで話は変わるがお前どこ大受けるんだ?」


 ちょうど注文が届き、会話は一旦打ち切られた。

 店員が下がり、アリナはコーヒーを一口含む。


「そうね。どこかの国立かしら。あんたはどうなの」

「俺は都内の私立かな。奨学金をドッサリ借りることになるから将来は借金社会人だぜ! 宇銀ちゃん助けてー」

「そ」

「お前は何とかなりそうだよな。問題はわたくしですよ。浪人はイヤだ」

「名前を書けば入れる大学なんて腐るほどあるから大丈夫よ」

「俺を低く見過ぎだからね、君」


 そうか、国立か。国立は大変だよなあ。私立より受験科目が圧倒的に多いし、センターも本気で受けないといけない。精神壊れそう。高校受験でも寿命をすり減らしたのに今回はもっとすり減りそうだ。

 絶望の中でもハンバーガーは美味かった。ジャンクの王様であるハンバーガーとコーラの組み合わせは捨て身の美味さだ。健康を犠牲にして精神を安らがせる。帰宅したらトマトでリセットしないとダメだな。


「あんた――チョコとか好き?」

「んんんん??? な、な、なななんだよ、突然チェコ共和国だなんて。海外旅行は一度もないぞ」

「チョコレートよ、チョコレート」

「あっ、ああああー、あの、あっ悪魔のお菓子な。幼い子供がカカオ農園で労働させられている元凶とも呼べる――」

「ひねくれすぎよ」

「あれだな、ダイヤモンドとかも最悪だ。反政府勢力が資金確保のために拉致した住民を奴隷にして、ダイヤモンドを探させて……」

「チョコレートの話をしてるのよ?」

「先進諸国は一度頭を冷やすべきなのかもしれない……我々の利己主義と拝金主義で苦しみの連鎖を作っている国があるということを深刻に捉えなければならない…….その義務がある……」

「次、話を逸らしたら刺すわよ」


 バレンタインの季節にチョコレートの話をするな! デリカシーのないヤツめ! 全国の男子諸君が非常にそわそわしている時期だとわからないのかね君は! チョコの話をしたら必然的に「あー、バレンタインかー」ってなるだろ!? そしたら女の子のお前が誰にあげるとかあげないとかそういう話になりかねないだろ!? 

 あー、イヤダイヤダ、甘い話だ。塩辛の話でもしようぜ。


「あんたとかチョコ貰えなさそうだものね。ごめんなさい、トラウマを思い出させてしまって」


 こいつは悪魔だ。

 しかし。残念ながら俺は毎年貰っている。まずは宇銀。次に母上。そして白奈。


「ハハッ、俺はちゃんと毎年頂いているぞ」

「お母さんとか妹ってオチは悲しいから言わなくていいわ」

「血縁者以外からも貰っている」

「えっ、誰よ」

「特定秘密です」

「言いなさい」

「特定ひみ――」

「言いなさい」

「白奈さんです……」

「ああ、なるほど。そういうことならわかるわ」

「『ぎ、義理だから!』という前置きを聞いて早四年。今思えば義理ではなかったのかと内心罪悪感に苛まれながら最近生きています……」


 白奈が俺のことを想っていたと判明した時、バレンタインのチョコが義理ではなく意味あるものだとわかった。だから尚更今回のバレンタインは本当に怖い。また白奈と気まずい雰囲気に戻りそうな予感がしてならないのだ。いっそのことバレンタインとかいう企業戦略無くなってくれ。

 誰だよバレンタインはチョコレートをあげる日って宣伝したやつ。今すぐ自首しなさい。

 

「……」


 はい、高校生たちの沈黙。

 だから思春期の男女でバレンタインの話をするもんじゃないだろ。カップルでもない限りするもんじゃない。考えちゃダメだ。考えたら負けだ。

 あー。

 ハンバーガーおいしい。

 コーラおいしい。

 椅子の座り心地いいー。

 後ろのおっさんアリナのことチラ見してるー。

 地球って素晴らしいー。

 宇宙って壮大ー。

 重力波サイコーうぇーい。


「朗報よ。あんたにチョコ作ってあげるわ」

「えっ? えっえっえ? えっえっえすとにあ共和国?」


 頭が追いつかなくなった。

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