第50話 葛藤

 女子高生の家に、部屋に、男子高校生が立ち入るのはよろしいことなのか。


 無論、法的には問題ない。 

 居住者を不快にさせるようなことをしなければまず問題にはならない。


 しかし、だ。


 常識的にはまずい。

 複数人で「友達」という名目のもとで集まって遊ぶには多少なり微笑ましくなるが男子高校生一匹が女子高生の家に足を踏み入れることは、もはや友達の域を逸脱していると思われるし、非常にイケナイことだとノストラダムスも言っている。

 一番怖いのはクラスメイトや同校の生徒に目撃されることだ。これはマジで死ぬ。多感な年頃なのでちょっとしたことでも、次々と枝分かれして様々な憶測となり、ありもしない話が伝播する。面倒なのは弁解するためにいちいち説明することだ。余計な労力を使う。

 加えてアリナは母子家庭である。母親は心配するだろう。一人娘が見知らぬ男を連れてきたらまず好感はないはずだ。俺だってそう思わせたくないし、苦い過去を掘り返すようなきっかけになる要因を作りたくない。俺の気を使って母子家庭であることの説明をするかもしれないからだ。 

 そういうお互いにとって気まずくなるような事態になりかねないから気は進まなかった。でも断るにはあまりにも酷なことだと思い、結局天秤はアリナに傾いた。


 アリナと肩を並べて下校。

 どうもムズムズする。放課後はよく行動をともにしていたのに、一緒に帰るというラブコメ展開はハードルが高い気がする。

 長い沈黙が続く。

 車の走行音やカサカサと風で擦れ合う落ち葉の音がやけにうるさく聞こえた。緊張しているからだな、と苦笑した。


「何笑ってんの?」

「女の子の部屋に入るのは緊張する」

「入ったことなさそうだものね」

「いや、何度も入ったことあるぞ」

「えっ!?」


 彼女は目を丸くしてぽかんとした。最近こいつの表情のバリエーションが増えた気がする。


「も、もしかして、白奈?」

「アホか。妹の部屋だ」


 そう、妹は女の子だ。当たり前だろ。妹が女の子じゃないと言ったら俺はそいつを唐揚げにしてやろう。侮辱は許さん。

 何度も入ったことがあるという言い方は語弊を招くので、呼ばれたときに入る、ということに訂正しよう。

 白奈の部屋になんて入ったことなんてあるわけがない。それこそイカンでしょ。全くこの変態女は何を考えているんだ、やれやれ、と首を振っていると手提げカバンが俺の脇腹に飛んできた。正確にはアリナが遠心力を借りてハンマー投げのようにそれを叩きつけた。威力が抑えられていたのは「ここでくたばらないようにしてあげてるんだからねっ!」というツンデレ要素が入ってるんだと思う。

 関連の話で、妹の部屋に許可なく立ち入ったとき大変なことになった。俺の本棚には結構な数の本が置かれているのだがその全てが逆さまになっていた。ベッドの頭の向きも逆になっていたし、小机も逆さまになって天井に足を伸ばしていた。絨毯も裏返しになっていた。地味な嫌がらせだが復旧がクソめんどかったので、もう二度と妹の部屋に許可なく入るのはやめにした。次はあらゆるものが解体されていそうだからだ。

 

 その後、アリナとくだらない話をしながら電車に乗り、また少し歩いてとうとう日羽家に到着してしまった。

 至ってごく普通の一軒家だ。でもアリナの家、ということを知ってるだけで少々俺はたじろいだ。


「早く玄関に来なさいよ。警察呼ぶわよ」

「最終的にそうなりそうだから怖いです」

「いいからはやく」


 渋々俺は立入禁止区域・日羽家に侵入した。

 他人の家というのものは匂いが違うので新鮮だ。お邪魔しますの一言に続いて靴を脱いでいるとアリナの革靴以外にも靴が一足分あることに気づいた。母親がいると確信した。


「待て、アリナ」


 小さな声で呼びかけた。


「何」

「お母様がいるのか……?」

「ええ。今日は仕事休みだから」


 心の準備ができていない。

 てっきり母親の帰宅を二人で待つパターンだと思っていたので予想外の展開に焦った。


「今すぐご対面ですか」

「そうだけど」


 アリナさんよ。あなたにとっては気軽に話せる母親かもしれないけれど俺にとっては究極の他人なんだ。俺と面識のないお母様は絶対不安がる。女性二人だけの状況下で正体不明の男が現れるということの恐ろしさをアリナは理解していない。俺に対する信用とはまた別の話だ。

 

「アリナ、まずお母さんには俺を友人として説明してくれよ。怖がらせるようなことはしたくない」

「後半の意味がわからないんだけど」

「とにかく。よろしく頼む」


 納得はいってないようだが曖昧に頷いた。めちゃくちゃ下から丁寧に接することに決めた。

 アリナは俺を連れてリビングに通した。アリナの母親が新聞を広げて座っていた。

 一目で母親だとわかった。アリナにめちゃくちゃ似ていて、生物とは思えないほど美形だったからだ。


「お母さん、ただいま」

「おかえり。そちらは――」


 アリナ! ちゃんと友人と言うんだ!

 俺は電波を出すイメージで念じた。そもそも電波を出したことがないのではたから見ればひたすら眉をひそめる男子高校生として映っているだろう。それほどこちらも必死なのだ。


「友だちの榊木彗。変なやつ」

「ちょっと待ってくださいアリナさん。それはひどい」

「だって……まんま変じゃない」

「もう少し何か捻り出せるだろう。これじゃあただの変質者じゃないか……」


 期待はしていなかったが本当に期待していなくてよかった。台無しだ。

 しかしお母様の方はくすくす笑っていたので結果オーライだったかもしれない。


「こんにちは、彗くん。アリナの母です」

「申し遅れました。初めまして、榊木彗と申します。突然お邪魔してすみません。手ぶらで来てしまいました」

「いいのいいの。そんなに気を使わないで」


 アリナの母親は超美人だった。とてもエレガントで背筋の伸ばし方がアリナそっくりだ。ツンとした鼻も宝石のような瞳は母親譲りだったようだ。美人からは美人が生まれるんだなぁと思った。

 話によるとアリナの母親は以前モデルの仕事をしていたそうだ。合点した。雑誌やテレビに出ていても違和感がない。そんな雰囲気を漂わせている人だ。


「アリナの彼氏さん、かしら」

「いえいえいえいえ違います違います。本当にただの友人です」


 とばっちりで俺は何も悪くないのに背後から理不尽な殺意がブワッと俺を包んだ。流石に母親の前では実行しないだろうが俺が家を出て数十メートル歩いた頃に後ろから刺されるだろう。あと20年くらいは生きたかったなぁ。


「お母さん、話があるの」


 芯の通った声でアリナは呟いた。冗談を投下する雰囲気は消え失せて、アリナの母親もその空気を察して新聞から手を離す。

 アリナは鞄を置いて、母親の向かい側の席に座った。彼女は俺に手招きして隣に座るよう促した。機械のように従い座ってみるとドラマで見るような「親に結婚の許可をもらう席」みたいなシーンで居心地が悪かった。もうやだ、ぼく帰りたい。

 そういう恋愛がらみで話があるとお母様も思っているだろう。だからそう思われているのがすごく嫌だった。俺のことは「一人娘を取りに来た男」と一度は頭によぎったはずだ。だから警戒される。いやだなあ。

 

「お母さん、驚かないで欲しいんだけどいい?」

「どうしたのアリナ」


 その「驚かないで」も本当に変な意味に聞こえてしまう。俺が考えすぎなのかもしれないが。


「実は、私――」


 彼女は言葉に詰まった。

 続きはわかる。私はお母さんの知るアリナじゃないんだ、とか、二重人格なんだ、とか。

 頑張れ、と励ましたいところだがそこで詰まってしまうのは勘弁願いたい。お母様の曇った顔が見ていて辛い。俺とアリナに何があったのかとあらゆることに考えを巡らせているはずだ。極論、俺がここにいる理由を知らないからしょうがないが。

 実は私、妊娠した。

 そういう高校生カップルの衝撃告白をお母様は絶対予想してしまっているだろう。だから俺の身の潔白のためにも頑張れアリナ。もはや俺の目的は違うがアリナ、俺の無罪証明のために頑張って言うんだ。


「アリナ、大丈夫だ」


 大丈夫だ、言え。早く言ってくれ。こっちも苦しいんですよ。お母様の心配そうな表情が胸に突き刺さる。

 アリナは胸に手を当てて大きく息を吐いた。早く言ってくれ、頼むから。

 俺はまた優しく小さな声で「何も失わないから大丈夫だ」と再度後押しする。

 意を決したようにアリナは顔を上げて母親と目を合わせた。


「私、お母さんの知る私じゃなくてもう一人の私なの。二重人格なの、私」

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