第39話 クレープと薔薇
「騒々しい」
アリナがそう呟いた。
文化祭なのだから当たり前だ。
耳を澄ませば常に音楽が聞こえてくる。俺たちの傍を通り過ぎる生徒たちや一般人たちの黄色い声と残り香。キャッキャにフフフ。とても賑やかだった。
人が賑わったり集まったり感情を爆発させると乱数発生器に異常をきたすそうだ。本来は0と1をランダムに生成して最終的に0と1の比率は大体同じようになるのだが、9.11で世界中の人間が恐怖し、憤慨し、悲嘆し、復讐心を燃やしたあの日、世界中の乱数発生器に偏りが出た。おぞましい色に染まった人の心が素粒子や量子レベルの次元に影響を与えた。考えられない話ではあるが本当に起きたことであり、無視できない事象である。
つまり、この学校も見えない人間エネルギーとかで沸騰しているんだろうなと妄想した。
「あんたやる気ゼロね」
「そういう顔の構造なんだよ。ゆるしてくれ」
「気力を感じない」
「そういう人間に見えるだけだ。中身はやる気に満ちた好青年だぞ」
「食われるだけの牛の代わりに鎖に繋がれればいいのに」
「アリナ君は食人趣向だったのか」
二人でぶらぶらと巡回は絶対退屈だと思ったが実際やってみると面白いものだ。校内をぐるぐる回るので嫌でも全クラスの催し物をチラッと見ることができる。それに腕章を外せばただの生徒だ。少しサボって遊ぶのもいいだろう。お隣さんが乗り気なのかどうかが気になるが。
「アリナ、ちょっと待ってろ」
「まーた幼女誘拐するんじゃないでしょうね」
「声がでけえ! 冤罪になるから!」
彼女は腕を組んで待つことに了承した。俺は1年生のクラスに寄った。
エプロンを着た1年生たち。ここはクレープを作るらしい。
「お嬢さん。クレープ二つ」
「えっ、お嬢さ――あっ、はい! わかりました!」
アリナの性格を分析すると「文化祭に参加しない」という結果が現れる。
俺たちが1年生のときに開催した文化祭でアリナがどう過ごしていたかは知らない。本人に直接訊くつもりもない。でもきっとアリナは積極的ではなかったはずだ。一人寂しく彷徨っている姿を想像すると不覚にも寄り添ってやりたい気持ちになった。
折角なのだから楽しんでもらいたいし、いつも眉間に皺を寄せているのだから今日ぐらい緩めろ。そう俺は言いたいのだ。
お金を払い、クレープが作られる光景をまじまじと眺める。器用に作るもんだなーと感心した。
「あ、彗先輩じゃないですか」
背後から声がして振り返ると最近知った顔がいた。
中谷拓。高校1年生。
日羽アリナと同じ中学校出身。アリナの基本人格を知る者。アリナに想いを寄せる者。
以前、彼は何年かぶりにアリナに再会した。想いを伝えようとしたが既に拓の知るアリナは別人になっていて、激しく拒絶されて彼は消沈した。そのあとは知らん。
「お、拓か。お前クレープ作ってんのか」
「あんまり上手くないから女子に任せてますけどね。宣伝の方に力入れてます。彗先輩は一人ですか?」
俺は迷った。アリナが廊下で腕を組んで待っていることを伝えるべきだろうか。それともはぐらかした方がいいだろうか。どちらを選んでも気まずくなりそうだが、彼の精神衛生を守ることに徹することにしよう。
「そうだ。寂しく男一人でクレープを買いに来た。むなしいな、寂しいな、この世界は」
そしてタイミング悪くクレープ作りに専念していた女子生徒が言った。
「お待たせしました! クレープ二人ぶんです!」
「あ、あざす」
「ふたり、ぶん?」
拓は首をかしげる。
「クラスのアホにやろうと思ってたんだ。ほら、あの開会式で馬のマスク被ったアホいただろ? そいつだ。そいつのぶん」
「あっ、そういうことですか。あの人目立ってましたね」
ふぅ。
真琴。お前がイカれててよかったぜ。
「じゃあ俺は戻るわ。文化祭楽しめよ」
「はい!」
あっぶねぇ。危うくバレるところだった。アリナと一緒に行動していると知ったら口には出さないだろうがもやもやするだろうな。何せ彼は俺とアリナが付き合っているんじゃないかと疑っているだろうからな。その疑惑を完全に払拭するためには相当時間を要するだろうなぁ。
廊下に出ると早速アリナは一般人に地図を見せながらあれこれ言っていた。アリナは優しく微笑んでいた。偽りのない表情で柔らかで心地よく響く声。普段お目にかかれない彼女に見とれた。
一般客を見送るとすぐ俺に振り向く。
「遅い」
「悪い悪い。ほらこれやるよ」
「あら。ありがとう」
彼女はきょとんとした顔をしてクレープを受け取った。
「どっかで食べるか?」
「歩きながらでいいじゃない」
「風紀委員としてそれは……」
「文化祭よ? 許されるわ。楽しまなきゃダメでしょう?」
俺の勝手な思い込みだったらしい。アリナは楽しんでいる。
「私、文化祭好きよ。楽しいもの」
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