第24話 白身と黄身

 かつてドイツを二つに分割したベルリンの壁は一人の男の勘違いで崩れ去った。

 男の名はギュンター・シャボフスキー。

 報道官である彼はうっかり外国旅行の自由化に関する内容を誤解釈し、今すぐにでも自由に西ドイツへと行けると言ってしまった。国民はゲートに押し寄せ、警備員は訳もわからずゲートを開けた。そうしてベルリンの壁は崩壊していった。

 一人の勘違いが国を救った。こんな素晴らしい勘違いもあるのだ。

 それに比べれば、白奈に告白されると勘違いした俺は自分を卑下する必要はない。羞恥心に悶えることも自己嫌悪に胸を苦しめることもないのだ。だがそうして言い聞かせても俺は果てしなく恥ずかしかった。嗚呼、死にたい。


 そもそも白奈に告白されるという可能性はどれほどだったのか。統計学でも数的確率論でもなんでもいいから誰か解説してくれ。デストルドーが非常に高まっている。

 落ち着きを取り戻しつつ、白奈へと視線を戻した。


「アリナに想いを寄せているやつがいる、と」

「うん。男子テニス部の後輩なんだけど前から気になってたんだって」


 アリナを思慕する人がいること自体に驚きはない。あいつがかなりモテることは前から知っていたし、好かれる要素が備わっているからとても自然だ。奇妙な現象が起こっているとも思わん。あいつは年がら年中モテ期なのだ。

 問題なのはなぜ俺にそれを報告するのかだ。


「で、なぜ俺にそれを?」


 率直な疑問。正直なところ「だからなんだ」という一言に尽きる。


「だって、私に相談されてもアリナさんのことわかんないし……彗ならアリナさんと親しそうだから後輩の相談相手になってくれるかな、と思って」

「俺がその後輩の手助けをする、ということか」

「うん」

「俺がどう役に立つと?」

「橋渡し、みたいな?」


 後輩の力になりたいから俺に助けを求めたのか。

 だが白奈もアリナが誰かと付き合うことに関しては消極的な態度であることを知ってるはずだ。それなのにどうして促すようなことをするのか。


「まぁ、構わないがその後輩とやらと話してみないと手を貸せるかわからんぞ」

「だよね。だからさ、テニスコートに今から行こうよ」


 


 女子と男子は別々のコートを使って練習をしている。一見交流はなさそうに見える。しかし休憩中は互いに近寄ってお喋りしているので、その後輩とやらが白奈に相談する機会が十分あることがわかった。

 白奈が指さす先にその後輩がいた。

 彼は中谷拓。高校1年生で、テニス部所属。なかなか爽やかな顔で女子に人気がありそう。(勝手なイメージ)

 白奈の説明を横で聞きながら、

 

「で、その拓という男がアリナに告白したい、と」

「そうそう」

「ついでに訊くけど、アリナと親しい仲なのか?」

「? 多分違うと思う」

「じゃあ100%玉砕するぞ」


 ルックスで惹かれるのはわかる。

 「もしかしたら付き合えるかも」という砂漠でダイヤモンドを見つけ出すことより可能性の低い『はい』(承諾)を祈りに祈って『現実的な願望』であると思い込んで行動してしまう人間を俺は度々見かけた。誰もが彼女の容姿で心を惑わせた。

 だがアリナは拒絶する。

 単なる人間嫌いなのかはわからない。どうであれ、彼女は自分の周囲に近寄る者を排除しようと言葉に棘を添える。あくまで、もう1人のアリナだが。


 しばらく白奈と立ち尽くしていると男子側が休憩となった。

 早速白奈は俺をその生徒の元へ引き連れる。


「拓くん。この人が彗」


 中谷拓は見てくれ通り爽やかなやつだった。


「初めまして。中谷拓です」

「どうも、彗だ」


 白奈が間に入る。


「彗にいろいろと訊いた方がいいよ。唯一この学校でアリナさんと話してるのは彗だから」


 白奈の一言に拓は猜疑深い表情をうかべる。おい、俺はアリナとそういう関係じゃないぞ。ふざけんな、名誉毀損で訴えるぞ。


「ありがどうございます、白奈先輩。彗先輩に相談します!」

「変な人だけど悪い人じゃないから安心してね。私は部活に戻るから」


 一言余計なんだよなぁ。

 白奈は着替えに行った。俺と拓だけが残される。

 先に口を開いたのは中谷拓だった。


「彗先輩はアリナ先輩とどういう関係なんですか?」

「お前が想像している最悪の関係ではないから安心しろ」


 拓は俺の言葉を察して安堵する。あまりに大げさに息を漏らすので相当心配だったのだろう。


「逆に訊くが、アリナの何処が気に入ったんだ?」


 拓はモジモジし始める。純情なのか知らんが恥ずかしそうにして話すのを彼は躊躇した。


「優しいところ、とか、綺麗だから、です」

「え?」


 反射的に疑問符が口から出る。

 アリナが優しい? この男はマゾヒズムなのか? もしそうならアリナの傍にいることは至高の喜びになるに違いない。なにせ一言二言がドMには有難きお言葉だからだ。


「あとよく微笑むんです。本当に可愛げに」


 俺が知っているアリナとは大違いだ。誰だよその美少女。俺が知ってる日羽アリナはとんでもなく尖っている。加えて氷の女王のように冷たい。

 ドッペルゲンガーというやつか? だとしたら真逆の存在がいても納得できる。その2人が出会ったらプラスマイナスゼロで消えちまいそうなくらい性格が相対的だからな。

 しかし大凡、彼が言っている人物はわかる。二重人格であるアリナのもう一人の人格のことだろう。


「拓が好意を寄せているのは、高2の日羽アリナで間違いないんだよな?」

「? そうですが、何かおかしいですか?」

「君の話とアリナの性格はほぼ正反対なんだが……」

「え!? どういうことですか!? そんなはずありませんよ!」

「けど類似点が一つもない。俺が知ってるアリナは毒舌で人を拒絶する人間だ。君の言っていることとは違いすぎる」

「そんな、絶対違いますって! 本当に優しい人なんです!」

「そうは言うが、アリナは高校1年生の時からそうなんだよ。君が入学してきた今年も、アリナはずっとそういう性格だ」

「……そんなわけない」

「どうした」

「先輩。実は俺、ずっと前からアリナ先輩を知っているんです」

「?」


「俺はアリナ先輩と出身中学が同じでした」


 拓はそう明言した。

 

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