07 赤い空

 木の弾ける音。水気の含んだ木材が火に炙られた事で乾いた音を立てる。つい数時間前まで宿場町であったそこは、今はもう僅かに燃え残った建物の跡が残る更地となっていた。人や馬が通りやすいように固められた道は見るも無残な窪みを晒し、街道としての役割を放棄している。

 

 そんな戦場の跡に一機の魔導機士が横たわっていた。執拗なまでに大量の剣で縫い止められた機体。重厚な装甲も無数の斬撃の前には用を為さず結果、無残な残骸を晒していた。最早剣の突き刺さっていない場所を探すのが困難な程に破壊されたその機体の名は――ヴィラルド・キーンテイター。この大陸の挑戦と言う恩寵を与えていた神権。それがこの場で永遠に失われていた。大斧から大剣に変形した神剣。それが遠い過去にどこかで有った様に滑らかな断面を晒す。そして操縦席があったと思しき箇所には一際太く、鋭い剣が突き刺さっていた。これを見て操縦者が生きているとは思える人間はいないだろう。

 

 そこから少し離れた所に、二機の魔導機士が組み合っていた。その一機――半身を日緋色金に侵食された機体、グラン・テルミナスの腹部はレイピア状の神剣によって背後の岩肌に縫い止められている。それは奇しくも、いや。恐らくはヴィラルド・シュトラインの操縦者であるネリンが狙った構図。同僚を奪った憎き相手も同じように仕留めるという一つの仇討の形。

 

「仇は、取りましたわよ。グリーブル……」


 その言葉通り、グラン・テルミナスはもう動けない。魔導炉を砕かれ、機体を隈なく破壊され、操縦者すら死に瀕している。この状況では如何に大罪機と言えども立て直せないだろう。

 

「恐ろしい、相手でしたわ。模倣の選定者……戒、様。私達が来るのが後一月遅ければ、或いは……」


 ネリンは息も絶え絶えに相手をそう称する。大罪機一機に対し、神権機二機。考え得る最大の優勢を確保して尚、これほどの死闘になったのだ。更に覚醒が進んでいたであろう一月後になっていたら、或いは全滅も有り得た。

 

「ですが、確実に、仕留めさせて頂きましたわ……」


 その言葉を言い切ると同時、ネリンの咥内から堪えていた血が溢れだす。そして耐えかねた様にヴィラルド・シュトラインが仰向けに倒れた。しかしその背が地面に付くよりも早く、ヴィラルド・シュトラインの背から生えた突起物が機体を支える。それもやはり、剣。様々な方向から突き立てられ、まるで背中に花弁を背負っているかのように伸びた剣が機体を支えていた。その大半は操縦席を貫いており、やはりこれも操縦者の命は無いであろう。

 飛翔の権能を持った神剣。その切っ先はグラン・テルミナスの腹部に突き刺さり、ナックルガードから下だけは決して離さぬとヴィラルド・シュトラインが握り締めていた。

 

 後一月遅ければ全滅も有り得た。それは、この場の話では無く神権機全てが、という意味でもある。通常神権機に取っては撃破は最も避けるべき事象である。例えどれだけの敵を倒そうとも一機でもやられた時点で既に彼らの負けなのだ。神権の損失は文明の後退に繋がるのだから。

 故に、本来ならば自分たちの手に負えないと判断した時点で一度後退し、更なる神権機を引連れて挑むべきだった。だがそれを許さなかったのは時間だ。一度退いてから再度戦うとなれば時間がかかる。その時間が取り返しのつかない事態――現存する神権機全てを集めても勝利が容易ならざる事態に成りかねないとネリンとグリーブルは判断したのだ。そうしてその奮闘は成った。未完の大器は満たされる事無くこの場で砕け散ったのだから。

 

 ネリンもグリーブルも息絶えた。だがこの戦場においてまだ生き残っている者がいる。残骸となったグラン・テルミナス。そこから全身を朱色に染め上げたカルロスが這い出てくる。地面に血の帯を描きながら、這って進む。目的地は完全に崩落した鍛冶場。その残骸の中から奇跡的に焼け残っていた在る物を見つけて死相の浮かんだ顔に笑みを浮かべる。それを握り締めて、再度這おうとしたところで気が付く。脚がもげていた。構う物かと腕だけで這って進む。どうせ最初から動いていなかった。それにまだやり残したことがある。ここで止まる訳には行かない。

 だが気合いだけではどうにもならず、とうとう力尽き動き事も出来なくなった。出血は激しく、あと数分もすればこの悪あがきも無為に終わる。そんなカルロスを、柔らかな手が抱きかかえた。この地獄の様な炎の中で場違いな程に優しげな物。その手つきに引っ繰り返されて、気が付けば後頭部に地面とは比べ物にならない程柔らかな感触。霞みゆく視界に飛び込んできたのは、赤い髪の少女。

 

「ボロボロね、カス」

「――嗚呼」


 感嘆の様な溜息がカルロスの口から漏れる。神様と言うのも偶には気の利いたことをしてくれると。

 

「会いたかった……」

「ええ。私もよ、カス」


 優しげな手つきが、カルロスの髪を梳く。その感触を味わう様にカルロスは一瞬目を閉じる。もう少し楽しんでいたかったが、これ以上目を閉じていたらそのまま目を開けられなくなってしまいそうだった。そうなる前に、送る物と言葉がある。

 

「これ、を……」


 震える手でカルロスは手に握っていたそれを差し出す。煤に塗れ、泥に塗れ、地に塗れ。最早当初の美しさなど欠片も無いそれは簪。不思議そうな顔をする彼女に、その由来を話す。

 

「聞き齧り、だが、ここでは女性に贈る物として、定番らしい。作ってみたんだが……ボロボロだ」

「ううん。ありがとう。嬉しいわ。カルロス」


 口元に笑みを浮かべて、嬉しそうに、だけど寂しそうにその簪を指でなぞる。

 

「聞いて、くれ」

「ええ、もちろん。聞いているわ」

「俺は、後悔、してた。あの日の、選択を」


 その言葉に、少女は痛みを堪えるような表情をした。それに気付いていないのか。或いは見えていないのか。カルロスは構わず言葉を続ける。

 

「あの日、差し出された手を。取るべきじゃなかった。何と言われようと、取るべきじゃなかったんだ……」


 振り絞る様にカルロスは言う。

 

「ごめん、な」

「謝る事なんて無いわ。カルロスは悪くない。悪くなんてない……悪いのはあの子だもの」

「俺は、あの日、お前に、手を差し伸べるべきだったんだ。手を取るんじゃなく、俺から、手を……」

「ええ。そうよ。そうですよ……それがきっと正しい形」


 震えながらカルロスが手を伸ばす。少女の頬を流れる涙を拭う様に。少女も己の手をそこに重ねる。

 

「一年間、待たせてごめん」

「ずっと、愛してましたよ。カルロス」

「ああ、俺もだよ」


 カルロスは微かに口元に笑みを浮かべて、言った。

 

「ありがとう。アリッサ」

「えっ……」


 少女の口から驚きの声が漏れた。瞬間、カルロスの手から力が失われた。その瞳が何も映さなくなった。そうして生者が一人だけとなったこの地に残ったのは――茶色い髪をした少女一人。赤い髪の少女は、この少女がカルロスの中だけに生み出した幻影だった。

 

「なん、で、先輩。何時から気が付いて……?」


 一目見た瞬間に助からないと分かった。最後だから。例えそれが偽りだとしてももう一度会わせてあげたいと。そう思ったのに。なのにカルロスは最初から気が付いていた。だとしたら、あの言葉は。

 

「ずるい、ですよ。先輩。気付いていたならそう言ってください。私は先輩の事全然分かんないのに、先輩だけ私の事分かってるなんてずるいですよ……」


 涙を流しながらアリッサは膝の上で満足げな表情を浮かべている少年の顔に文句を言う。

 

「待ってくださいよ、先輩。私、自分の言葉で先輩に伝えてない。大好きだって、言ってないんですから……私より先に死んじゃうなんてずるいじゃないですかあ」


 その亡骸を抱きしめて。涙が枯れ果てた頃。少女は空を見上げて呟く。

 

「三回目……私は、辿り着けたんでしょうか。辿り着けなかったんでしょうか」


 血の様に真っ赤に染まっていく空。それを見て少女は諦めたように言葉を溢した。

 

「どちらだとしても、四回目は無さそうですね」


 遠い空で、誰かの哄笑が聞こえてきた。

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