39 西の地
街を警邏していると、噂話を良く耳にする。また職業柄、今起きている戦争についても多くを知れる。
だからこそ言えた。この戦争は何かおかしい。イーサ・マカロフはここ数か月覚えていた違和感に確信を持った。龍族が治める地、メルエスを落としてから殆ど間を置かずに更にその先、東方の大国たるハルス連合王国への侵攻。その性急さは明らかに異常である。
アルバトロス帝国のログニス王国侵攻。それ自体には理と利があった。アルバトロスは国内資源――特にエーテライトが枯渇しかけており、国を維持するためには他から奪うしかなかったと理解は出来るし、そうする事で得られる富と言う利益もあった。
だがメルエス親龍国への侵攻は明確に違う。少なくとも南から何か戦利品が運ばれたという話は聞かない。――見目麗しい長耳族を奴隷にでもしたいというのならば、まだ嫌悪は有っても納得はできる。だがそれすらない。まるでただ滅ぼしたいから滅ぼしたとでも言いたげである。
そしてハルスへの侵攻。その前段階であったメルエス侵攻も合わせてアルバトロスはかなりの資材備蓄を吐き出している。その大半はログニス時代の貯金なのだが――その全てを放出した後に残るのは嘗てのアルバトロスと同じ資源不足による行き止まりだ。自ら袋小路へと突き進んでいくのは完全に理解の外にある。
或いはただ支配欲に突き動かされているのかもしれないとイーサは思った。物欲による侵攻では無く支配を望んでの侵攻。その行き着く先は荒廃した大陸に一人君臨する事か。真意は分からない。一応アルバトロス軍に籍を置いているが、外様のイーサには中枢に近い情報は殆ど入って来ない。ガル・エレヴィオンと言う古式を与えられているがそれとてこの時代では絶対的な物では無い。急速に発展していく新式魔導機士の力はそう遠くない内に古式を完全に上回る。そうでなくとも数が違う。
要するに飴と鞭の飴の方である。それなりにプライドを満足させ、首輪をより強固な物にする為の餌。だが例え飼い犬と蔑まれても、義理の弟と戦う事になっても、イーサには己の家族を守るという願いが有った。彼がアルバトロスに膝を屈しているのはそれが理由の殆どだ。もしも、己の息子がもっと動ける年齢だったのならばまた別の選択が有ったかもしれないがそれは言っても詮無い事である。
市井の言葉にも違和感が残る。度重なる軍拡で僅かずつではあるが税の徴収も上がっているし、生活に必要な品も値上がりしている。それでもまだアルバトロスの政策によって一度は大きく経済が好転した後なので、以前と同レベルと言った所だろう。だが人間と言うのは慣れる生き物だ。一度良くなった生活が元に戻って歓迎する人間はいない。それが上の都合による物ならば尚の事だ。
だというのに。世間で聞こえてくるのは勝利を続けるアルバトロス軍が如何に誇らしいかという言葉ばかりだ。強い為政者と言うのは支持を集めやすいのは事実だ。それは一つの頼り甲斐であり、自分たちが勝利者側に居られるという担保でもある。だからこそそう言う支持の声が聞こえてくるのはおかしくないのだがそれ一色と言うのがおかしい。
ならば実体は逆――世間の声によって軍部が引くに引けなくなっているのかと言えばそうでもない。彼らもそれこそが己の職務といわんばかりに侵攻計画を実施している。
異常である。アルバトロスと言う国が一丸となってハルス連合王国を呑み込もうとしている。それはまるで姿の見えない生き物が貪欲に大陸を食らい尽くそうとしてるかのよう。その全土を飲み干すまで止まらないのではないかと不安を覚える程だ。
そんな事を考えていたからか。或いはイーサ自身も一年近く何も起きない平穏に慣らされていたのか。物陰からの声に思わず腰の剣に手を持って行った。
「元気そうだな。イーサ」
「貴方は……」
日陰になった建物と建物の間から姿を現した男。それは嘗ての上官。少し汚れた旅装だったが間違いない。
「隊長!」
「隊長はよせ、今の俺は……まあ精々が仕掛け人だ」
そう皮肉げな笑みを浮かべたのはアレックス・ブラン。元ログニス王国王都守備隊第一大隊隊長にして、ラズルの密命を受けて単身アルバトロスに潜入する彼曰く仕掛け人である。
勤務中であったイーサはアレックスが泊まっているという宿の場所を聞き、勤務終了後にそこで落ち合う事にした。泊まっている部屋に料理と酒を持ち込んでの酒宴。約五年ぶりの再会を祝してアルコールの注がれたカップを打ち合わせる。
「まずは再会を祝って」
「乾杯」
イーサが己の職務に忠実であるのならば。一年程前まで国内で抵抗活動を続けていたログニス王党派。その主要人物であるアレックスは捕縛の対象である。だがアルバトロスは正式には王党派のメンバーを公表していない。そこに並んでいた名前にはログニスの人間を引きつける物もあった。王党派メンバーが増加する事を厭ったのだろう。故にイーサもその建前に乗っかる事にした。あくまで久しぶりに会った上官との呑みである。
「安心していい。この部屋の防諜は完璧だ」
そう言いながらアレックスは手にした何かの魔法道具をイーサの目の前で振る。見慣れない物にイーサは視線を引きつけられる。
「それは?」
「お前の義弟が作った物だ。融法を阻害し、心の中を読ませないようにするもの……らしい」
アレックスも門外漢である。カルロスが滔々と説明したのだが、その細かい原理までは覚えていなかった。ただその効果が確かならばそれで問題が無い。
「カルロスと一緒なのですか!?」
「ああ。一緒だ。今もハルスに居るはずだ」
思いがけない所で義弟の無事を確認できたイーサは心の底からの安堵の息を吐いた。自身と交戦してから北に向かったという情報を得て以降足取りが途絶えていたのだ。王党派と行動を共にしていたのならばそれも頷ける。王党派が隠れ蓑になった形だろう。
「カルロスは元気ですか?」
「元気すぎる。うちの若も胃を痛めていたぞ。最後に受けたハルスの状況だと、今アルバトロスとの戦いを支えているのはアイツの作った新たな魔導機士だ」
「そうか……あいつは今も作っているのか」
一気にカップの中のアルコールを呷る。久しぶりに酒が美味いと感じられる。
「それでその若っていうのは?」
「ラズル・ノーランド様だ」
「……あの公爵家の放蕩息子と呼ばれていた?」
「ああ」
俄かには信じがたい話だった。噂レベルで王党派のトップがラズルであるというのは聞いていたが、社交界等々で聞く噂と到底一致する人間像では無かったので騙りか何かの間違いだと思っていたほどだ。だが上官が言うのならば真実なのだろうと納得するしかない。
「あの方は……乱世でこそ輝く気性だな。俺は残りの人生を若に捧げても構わないと思っている」
「そこまでですか……」
もう一杯酒を胃に流し込む。本当に久しぶりに美味しく飲めている時間だったが、これ以上頭を鈍らせるわけにはいかない。
「それで隊長。わざわざ俺なんかを尋ねて来たんだ。何か話が有るんだろう?」
まさか、彼が思い出話や義弟の事を聞かせに来てくれたわけではないだろう。それも理由の一分位は含まれているかもしれないが、本題では無い。彼の自称――仕掛け人という言葉を思い出せばその要件は予想も付く。
「ああ。単刀直入に言おう。戻ってこいイーサ。ログニスはお前の力を必要としている」
アルバトロスに与したイーサ。彼にもう一度寝返れという言葉を告げに来たのだ。――今のイーサに、アレックスは死神か何かの様に見えた。
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