32 最後の欠片

 黙々と。一人地下工房でカルロスは新たな機体を作り上げる。こうして一人作業をしているとここしばらくの悩みから解放される様だった。視界に指輪が入るとまた悶える事になるのだが。そしてハーレイ側も擬似龍体を順調に作り上げていた。そんな中、突然にカルロスは己の師に呼ばれる。バランガ島の砂浜。港が一望できる場所で海を見ながらアルが口を開いた。

 

「一つ、謝らないといけない事があります」

「謝らないといけない事?」


 謝罪される理由に思い至らずカルロスはしばし考え込む。それこそ、あの常人ならば何回死んだか分からない特訓くらいしか心当たりが無い。だがそれは有り得ないだろうと思っているとアルが口を開いた。

 

「私は貴方に一つ隠し事をしていた。我々がメルエスで交戦した邪神の断片について」

「邪神の断片……イビルピース?」

「貴方はそう呼んでいるのですか。恐らくは同一の存在でしょうが……陛下がアルバトロスの皇子に敗れた理由もそれです。イビルピースとの戦いを制し、傷を癒している最中の陛下では大罪機に抗する事が出来なかった。本来ならばああも容易く、龍体を葬る事など出来はしません」

「……なるほど」


 カルロスが抱いていた疑問も一つ解けた。良く大罪機一機であそこまで綺麗に仕留められた物だと感心していたのだが、それすらも皇子の嫌う神が関わっていたと言う事になる。皮肉な物である。

 

「奴が現れたのはメルエスの首都。そこに現れたのは偶然ではありません。そこに保管されていた物を奪いに、奴は来た」

「保管されて居た物……?」

「もう気付いているのではありませんか?」


 その問いかけにカルロスは己の視線がメルエスの船に向かう。そこからずっと感じていた感覚。大罪機とよく似た、だけど違う物。その正体に、カルロスは心当たりが有った。

 

「陛下はきっと、あれが無くとももう大丈夫でしょう。トーマス君と言う相手を認識した。人が自分と同じ物であると魂で理解した。ならば本能に負ける事は無い」


 手招きするアルに連れられて、カルロスはその船の底へと導かれる。そこに横たえられていたのは四メートルほどの正体不明の塊。この世に十本しか存在しない物。その断片。

 

「六百年前。この剣が折られた事で、龍族は人間族との敵対を決定的な物とした。言い換えれば、これは龍族の思考を捻じ曲げるために存在していたある種の洗脳装置であるとも言えます」


 その見解はアルが長耳族であるからこそ言える物だろう。直接の恩恵にあずかっていた訳では無く、かといって不利益を被っていた訳でもない。中立ゆえの意見。

 

「共存の神権。それは未成熟だった人間族の文明を維持させるために存在した神の軛。折れた後は龍族は支配者たる思考を取戻し、支配者たろうとする人間族と争った。それが人龍大戦の経緯。陛下が生き延びられたのはそう特別な話ではありません。ただ、歯向かわなかったから。この残された共存の断片によって嘗ての同胞の様に人間を友とする思考に誘導されていたが故」

「まさか。神権がそんな――」

「人間族以外から見ればそんな物ですよ。その恩恵は人間族にしか与えられない。ですが、陛下を守るためにはそれが役立った。その近くにいれば陛下も自分以外の小さな生き物を自分と同じだと認識してくれた。後は我らの必死の情操教育ですよ。もしも完全に力を失った後、陛下が人間族に戦争を吹っかけでもしたら今度こそ龍族は滅びてしまう」


 まあ、結果的には無駄でしたが。とアルは肩を竦めた。常には無い皮肉気な笑みが浮かんでいる。その笑みも一瞬。平静さを取り戻したアルは神剣の断片を手で撫でる。

 

「こんな物が無くとも、本来我らは共に在る事が出来た筈だった。だが紛い物の強制された共存と、それが崩れ去った事でそんな可能性も消え去った。例えそれが人間族の意識した物で無かったとしても、意識を捻じ曲げられた。今は対等となっている。だがそれが何時か下にされたら。その事に疑問すら覚え無くなったら。龍族が覚えた恐怖は相当の物だったでしょう。だから、こんな物は本当は無くても良いんです」

「意識を捻じ曲げる……」


 それは、レグルスの語った邪神その物の行動だ。ベクトルが違うだけ。邪神は争わせるために。そして神権の神は争わせないために。人間から見た時、神権の神は良きものであったかもしれない。だが、龍族から見た時は。どちらが邪神なのか。

 

「話が逸れましたね。兎も角、これはもう龍族には不要です。残滓しか残っていない共存の神権も一度でも振るえば消え去るでしょう。カルロス。我が最後の弟子よ。これを貴方に託しましょう」

「……良いんですか?」

「既に貴方はこれの片割れを手にしている筈です。一つにするのもよし。地の底に埋めるのもよし。好きにしなさい。師からのプレゼントだとでも思いなさい。我々にとってはもう不要。ただ争いの種になるだけの物。その厄介物を押し付けられたでも良いですよ」


 正直に言えば有難い話である。神剣が形だけでも完全な姿を取り戻せば大罪への抑制力は更に高まる。制御方法はまだ見当もついていないが、大罪の力を適宜引き出すと言う事も可能になるかもしれない。

 

「……これは私見ですが、神権は神が人に文明を与えるために存在していたのだと思えます。ならばそれを壊そうとする大罪はその逆。そんな気がしてなりません」

「人に、文明を……?」

「私が後知っているのは対話と継承。人間は対話の神権によって魔力の制御能力を与えられ、継承によってエーテライトにそれを記録する事が可能になった。どちらも、今の生活を支える根幹です。それらが無くなれば人間の文明は崩壊するでしょう」

「継承の神権」


 初めて聞く物だった。対話は確かグランツが名乗っていた筈だとカルロスは記憶を辿る。魔法制御と、魔法道具。その二つが失われたら……確かに文明が崩壊してもおかしくは無い。言い換えれば今の生活の道具の大半が失われる。更に魔導機士も。そうなれば魔獣に生活圏を侵されて衰退するのは間違いない。

 

「ですがそれも神権が存在することを前提とした文明に成長してしまったから。そんな人間を見て、神とやらは何を思うんでしょうね」


 その独白にも近い問いかけに、カルロスは答える言葉を持たなかった。挙句に人間同士で潰し合いをしている今を見たら何を思うのだろうか。嘆くのではないかと思ったが――あの空間で見た自称神も、邪神もその姿が想像できなかった。

 

 人の手には余る力だろう。だが、それを御する事が出来ればアルバトロスの撃退に初めて具体性が付与されることになる。その最後の欠片を運んできてくれた師に静かに感謝した。感謝のついでに伝える。

 

「トーマスの奴、主君は恋愛対象として有り得ないって言ってましたよ」

「……それは想定外ですね。感謝しますよ、弟子よ」

「っていうか、前々から思っていたんですけど龍族の子供ってどうやって生まれるんです?」


 イングヴァルドの姿を見るまで卵生だと思っていたが、あの人間体だともしかして普通に胎生なのだろうか。実の所興味がある。

 

「……随分とデリカシーの無い質問をしますね、弟子よ。まああれです。龍族側が相手の魂の一部を取り込んで、己の魂と混ぜ合わせながら新たな龍体を作り上げ、そこに注ぎ込むような感じですね……」

「それは龍族か長耳族の隠語か何かで?」


 卑猥な単語を誤魔化している様に聞こえたカルロスはそう尋ねるとまた頭部を鷲掴みにされた。今までよりも早くて回避も出来なかった。

 

「言葉通りです。龍族の繁殖には肉体的な接触は必須では無いのですよ」

「顔をもぐつもりですか師匠!」


 痛みに悶えながらカルロスは落胆する。もしかしたら龍族にはリビングデッドに生殖能力を付与する何かしらの方法があるのではと微かな期待をしていたのだ。

 

「しかし良い情報を感謝しますよカルロス。ここは主君路線よりも妹路線で攻めるべきでしょうか……」


 この師匠。実は結構バカじゃないだろうかと思ったが口にはしないカルロスであった。

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