15 因縁の終焉

 氷が滑りやすいというのは実の所間違いである。厳密には氷と、その上に溶けた水が合わさる事で滑りやすくなるのだ。そんな話をカルロスは思い出した。

 

 ガル・フューザリオンによって氷漬けとなった海面。僅かな瑕疵も存在しない極低温の氷は一切溶けることも無く――故に滑らない。

 氷の上と言う言葉とは裏腹にエフェメロプテラは地面を駆けるのと同じ様に走り回る。

 

「いい感じだ。ご機嫌だな」


 エフェメロプテラの動きがこれまでよりも軽い。王党派と合流した事で安全かつ時間に余裕が生まれた。そうした環境でフルメンテを行ったのが功を奏したらしい。当面左腕が使えない事を前提に操縦系も調整し、右腕一本で安定して長剣を振れるように脚部も出力を上げた。

 そして何よりもクレアがほんの数秒で直した魔導炉の調子が良い。年単位で改善できなかった事を一瞬で終わらせられた事は最早悔しいを通り越して感嘆の言葉しか出てこない。

 

 そうした細かなアップデートによってエフェメロプテラの操縦感覚は帝都戦以上となっていた。慣れ始めていた左腕の鉤爪主体の戦闘スタイルだったが、これなら長剣に切り替えても何とかなりそうである。

 

 対して、エルヴァリオンも過去二回の交戦と比べても更に鋭い。こちらは機体を弄った訳では無く、搭乗者が要因だろう。これまで以上に明確な殺意がカルロスに突き刺さってくる。それを思うと――アリッサはこれまでは本気で殺す気では無かったという事なのかとカルロスは訝しむ。

 潮風を裂いて飛来してくるボルトをサイドステップで回避する。今更そんな直線的な攻撃で仕留められる程カルロスも柔では無い。

 

 エルヴァート部隊に苦戦していた理由は大きく分けて二つ。その隠匿性と、数による面制圧だ。真正面からの戦いとなれば後れを取る事は無い。まして遮蔽物も何もない、射点も丸見えの状態となれば回避も容易い。

 

 連射されるボルトを紙一重で躱す。氷を蹴り砕いてエフェメロプテラが高く飛び上がった。放物線の頂点。一見無防備に見える空中。だがアリッサはそこを狙う様な事はしない。エフェメロプテラのワイヤーテイルによって回避されることは分かっていた。狙うのならば着地際。物理的に落下までの時間が足りないタイミングではワイヤーテイルによる空中移動も効果が薄い。

 

 一度目と二度目の戦いとの最大の違いは情報に対するアドバンテージだろう。

 

 一度目はカルロスが一方的に知られていた。

 二度目は互いに機体性能を把握していた。

 

 そして三度目。アリッサは姿を変えたエフェメロプテラに対して戸惑っている様に見える。当然と言えば当然だ。主武装も変わっているのだ。その戦闘スタイルも大きく違う。おまけにエフェメロプテラは長剣を鞘に納めたまま使っているのだ。気にするなと言う方が無理である。

 

 脳天から叩き割ろうと振り下ろす長剣。エルヴァリオンが後方に飛び退く。空を切った鞘に包まれたままの長剣が地面を叩き、氷を撒き散らす。エルヴァリオンの懐に入り込んだカルロスは矢継ぎ早に機体へ指示を出す。その全てにエフェメロプテラは高い反応を示していた。やはり機械部品を取り除いて砦周辺の魔獣から採取した素材で機体を補修したのが良かったのだろう。今のエフェメロプテラはカルロスのもう一つの身体と言えるほどに親和している。右腕を除いて。

 

 右腕だけは明確に別物と言う感覚がある。別にその事で反応が遅いと言ったことも無いのだが、やはり気になる物は気になる。

 

 神権機の右腕。そして権能を失った神剣。これの入手は完全な偶然だ。だが邪神――イビルピースの思考誘導を見ていると不安になる。自分の今に至るまでの決断。そこにそれが介在してはいなかったかと。己の人生が全て誰かの手の平の上だった。それを厭って神を滅ぼそうとするレグルスの考えはその意味では賛成できるのだ。その手法は兎も角。

 

 カルロス自身にも分かっていない様な右腕について、アリッサは殆ど情報が無いだろう。果たして、あのレグルスが神権機や大罪機といった特殊機体の情報を下に回しているか。その可能性は低いというのがカルロスがクレアの話を聞いて出した結論だった。

 

 故にアリッサは過剰に警戒している。殺意を飛ばしてきてもそこは冷静さを保っている。狂戦士では無く狩人。

 

 しかし、アリッサがどれだけやる気に満ち。そして警戒していようと。この状況になった時点で既に詰みだった。

 第三親衛隊の総力を挙げてもエフェメロプテラは落とせなった。この状況でアリッサが活路を見出すには海上戦しかない。船上で自由の利かないエフェメロプテラを相手取るならば、一方的に攻撃の出来るエルヴァリオンに圧倒的なアドバンテージがあっただろう。その形に持って行けなかった時点でアリッサの負けである。

 

 僅かに空いた距離を詰めようとエフェメロプテラが迫り、エルヴァリオンが迎え撃つ。迎撃のボルトを回避しながらエフェメロプテラが接敵する。既にカルロスはアリッサの射撃のリズムを把握しつつある。その間合いは容易く殺されるだろう。

 そこでアリッサは迷ってしまった。本来ならばクロスボウを諦め、レイピアでの戦闘に以降すべきだ。だが――帝都での敗北がアリッサの脳裏に色濃く残っている。

 

 武装の切り替えが遅れた。慌てて構えたレイピアが鞘毎の一撃で叩き折られる。その衝撃に呻き、姿勢を立て直そうとしたところで。操縦席前の装甲が圧潰するのが見えた。

 

 胸部に向けて叩きつけた長剣を、カルロスはゆっくりと引き抜く。刃の無い鞘越しの一撃だ。機体を両断という訳には行かなかった。支えを失い、前のめりに倒れて行くエルヴァリオン。それでも倒れ伏したままピクリとも動かない機体は無力化したと言っても良いだろう。まるで血液の様に水銀が漏れ出し、氷上を染め上げていく。

 四年に渡った因縁。終わる時はこんな物かとカルロスは拍子抜けしたような気持ちで目の前の光景を見つめる。まだ、半分は原型を留めている操縦席周りを、見下ろす。

 

 手加減なんてしていなかった。完全に殺す気だった。そのつもりだったのに――直撃の瞬間、エフェメロプテラのグリップが緩んでしまった。これではエフェメロプテラの出力を十全に伝える事は出来なかっただろう。操縦席周りは半壊している。半、だ。

 

 エフェメロプテラに常に備え付けている緊急用の武装――長剣を手にして、カルロスはエフェメロプテラから降りる。既にガル・フューザリオン側の戦闘も収束している様だ。船団にしかけた歩兵での襲撃も、鎮圧されたらしい。アルバトロス側の戦力は壊滅している。危険は少ないだろう。

 

 エルヴァリオンの側に歩み寄る。微かに表情を強張らせながら。

 

 カルロスは外部から操縦席を強制解放させる。元々は試作一号機の事故防止――つまりは操縦者が昏倒したような状態で外部から救出するために用意した機能だ。操縦系の魔法道具が融法創法と言う変態適正でないと改造が出来ない以上、この機能は残っているはずだった。

 

 果たして。カルロスの狙い通りに背部の扉が緊急解放されていく。

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