33 爆翼陣

 間一髪で致命傷を避けたイーサは焦りで荒くなった呼吸を認識する。間一髪であった。あと僅かでも反応が遅れていたら頭部は完全に石化し、視界は失われていただろう。

 古式であるガル・エレヴィオンはいくつかのサブのエーテライトアイと同種の機構が機体の各所に設置されているがそれらはあくまで予備だ。完全に目を潰されるよりはマシと言った程度の精度の映像しか得られない。

 

 強い。少なくない年月を魔導機士に乗ってきたイーサはカルロスをそう評した。二十機の量産型を蹴散らした時点でその強さは分かっているつもりだった。

 だがそれでも勝てると思っていた。何と言う驕りか。無意識に義弟を下に見ていた事をイーサは恥じる。

 

 今ここにいるのは間違いなく大陸でも指折りの強者だった。

 

 果たして、無傷で抑え込むことが叶うかとイーサは思索する。カルロスが乗る機体も優秀だ。こちらの機法をも無力化する魔法――恐らくは機法だろうとイーサは睨んでいる。初めて見るタイプだが間違いなく古式だと言える。

 機法が封じられたとなるとイーサが頼るべきは長槍一本のみだ。見た目以上に多様な装備を揃えている敵機――エフェメロプテラを相手にするには心もとない、等という事は有り得ない。

 

 むしろ逆である。機法よりも何よりも。槍が有効な手段として残っている。その事が何よりも幸運だと思える。

 

 取り押さえるとイーサは己の目的を明確にする。操縦者は何としても無傷で捕える。

 妻の、表情が忘れられない。

 

 裏切られたという感情。それと等量の安堵。それに対する自己嫌悪。仕方がないという諦念。様々な物が入り混じった表情はイーサが義弟を売ってでも家族を守る決断をした事に対してだ。もしもこれがミネルバだけの話ならば、彼女は己の身よりもカルロスを優先させただろう。

 だが今の彼女には夫がいて、愛しい子がいる。弟を最優先にするわけには行かなかった。

 

 ミネルバは理解していた。自分たちがイーサの足枷となってしまった事を。

 

 イーサも見通しが甘かったと言わざるを得ない。死んだはずの人間をアルバトロス帝国がここまで熱心に探しているとは思っていなかったのだ。適当な開拓村の出身とする偽装を用意していたがそれを使うよりも早くカルロスの存在は帝国に露見した。

 

 無謀にも、カルロスは帝国に喧嘩を売るつもりだった。ただ慕情一つを頼りに。そんな自殺行為。見過ごすわけには行かない。帝国が何を考えているのかイーサには分からない。だが、有能な者には相応の見返りを与えるのがあの国のやり方だ。捕縛を命じられたこともある。決して無下に扱う事は無いだろう。

 

 ここで終わりにする。決意と共にガル・エレヴィオンは槍を振るう。

 

 ◆ ◆ ◆

 

 ガル・エレヴィオンから感じる圧が変わったとカルロスは思った。

 殺気、闘気と言った類の物は錯覚ではない。魔力を通じて相手の思念を拾う最低位階にも引っかからない融法の残滓とでも言うべき物だ。

 

 その闘気が研ぎ澄まされていくのが肌で感じられる。機体越しにも張りつめた空気の中に弾かれた様な衝撃を拾わずにはいられない。

 次の瞬間、槍の穂先が面になった。

 

「っ!」


 魔法ではない。突き、引き戻し、また突く。それの繰り返した。ただその一連の動作が余りに早すぎて、まるで槍衾の様に見間違えただけだ。

 堪らずエフェメロプテラは後方に引き下がる。その分だけガル・エレヴィオンは前に出る。

 

 長物武器を相手にするならば懐に入り込む。以前と同じようにしたカルロスを、穂先の面が押し留める。装甲に穴が空いた。これが生身だったら。僅かに突き刺さった穂先の痛みで動きが鈍りそのまま穴だらけにされていただろう。

 右腕の地竜の革は穂先をしっかりと押し返していた。並外れた頑強さである。全身に巻きつければ良かったと僅かに後悔する。流石に一頭の地竜からそれだけの量の革は取れないのだが。

 

 テグス湖近郊で戦ったヘズン・ボーラスとヴィンラードの時には懐に潜り込めた。それは彼の腕がイーサに劣るというよりも、単に二人の戦い方の違いだ。

 ヘズンは一見すると懐が隙の様に見せて誘い込み、縦横無尽に振り回す大鎌で刻むのが主目的だった。

 イーサが逆に徹底したアウトレンジ。決して己の懐には入り込ませない。大概の魔導機士よりもリーチの長い長槍で一方的に刺し貫く。

 

 エフェメロプテラには効果的と言わざるを得ないだろう。水撃と螺旋砂、そしてワイヤーテイルと遠距離攻撃の手段はあるが、それらは全てガル・エレヴィオンの機法によって焼かれている。火炎槍と呼ぶ遠距離攻撃がエフェメロプテラ本体には届かないが、その武装には届く。隠し武装であった魔眼投射は一発で弾切れだ。

 そうなると残るは左腕の鉤爪と右腕による直接打撃しかない。圧倒的にリーチの短い二種。

 

 だが、その左腕にはまだイーサには見せていない機構がある。クレイフィッシュと同様のワイヤーアーム。それを披露した時、彼はこの場にいなかった。

 タイミングを伺う。この武装が最大の効果を発揮するタイミングを。

 

 それまで耐える。両腕で致命傷だけは避ける。歪だが強力な機体に仕上がったエフェメロプテラと言えど、基本構造は他の魔導機士と大差がない。腹部を貫かれて魔導炉を潰されれば動けないのには変わりなかった。

 そしてイーサの狙いもそれなのだろう。突き刺さるような闘気が狙いを教えてくれる。本来ならばここまではっきりと感じられる物では無い。融法に長けているカルロスだからこそ拾えた情報と言える。

 

 その感覚と、カルロスが見て覚えたイーサの槍捌き。そしてここまでの戦い。

 それらを統合して、カルロスは遂に一手先のイーサの動きを読んだ。魔導炉を狙ったこれまで以上に捻りを入れた一撃。回避もせずに受ければ確実に機体を貫くだろう。

 致命の一撃に対してカルロスは――避けない。どころか機体を投げ出した。その穂先に操縦席を晒す。

 

「ぐっ!」


 神速の槍が鈍った。分かっていた。イーサはカルロスを殺そうとしていない。だからこそ、この行為で隙を作れると分かっていた。合わせるタイミングさえ分かれば容易い事。

 そしてその動揺に合わせて、エフェメロプテラの左腕が飛ぶ。頭部を今度こそ破壊するための一撃。だがイーサの反応の方が早かった。槍が引き戻されてエフェメロプテラの腕を弾き飛ばす。

 

「かかった!」


 カルロスは快哉を叫ぶ。瞬間。ガル・エレヴィオンが縦に回転する。その足には、残ったもう一基のワイヤーテイル。頭部を狙った一撃。それすらもカモフラージュ。本命は足元を文字通りに掬うこの一手。

 

 無防備な姿を晒すガル・エレヴィオンに右腕で殴り掛かる。宙にある機体はどこにも動けない。この巨大な隙に頭部を潰す。

 結局の所、カルロスにもイーサを殺す気など無かった。その為に手間を掛けて作りだしたこの一瞬。

 

 しかし、カルロスの予想はまたも裏切られる。

 

 動けない筈の宙に有ったガル・エレヴィオン。それが移動した。否、移動などと生易しい物では無い。力強い加速にカルロスはワイヤーテイルを解放した。あのまま保持していたら強引に引き千切られる可能性があった。

 

「……まさか。これを使うとは思わなかった」


 イーサはそう呟く。

 

 ガル・エレヴィオンが空にある。背中から二条の光芒を――爆炎を噴きながら。

 

 知っていた。カルロスはその姿を知っていた。魔導機士の中で唯一の存在。ただ一機の飛翔型。

 

「爆翼陣……初めて見ると本当に呆れる……爆風の反動だけで空を飛ぶなんて」


 強引にも程がある。世界の理に喧嘩を売るにも程がある。だがそれらを乗り越えて空を飛ぶという不条理はここに実現する。

 

「……さあ、続きを始めようか。カルロス」


 魔導機士を使った兄弟喧嘩。それは新たなる局面を迎えようとしていた。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る