40 謀略の影

「……潜伏させていた草から報告が入りました」


 薄暗い室内。その中で一人の若い女性の声が淡々と報告書の内容を読み上げていた。それを受けて椅子に座ったままの男が足を組んで唸る。

 

「ふむ……予定ではグランデで事を起こし、国境線の戦力を削る算段だったはずだったな。卿?」

「は……」


 女性の隣に立っていた白衣の男が額に汗を滲ませながら応える。

 

「恐らくは、地脈を通じて汚染した魔力がグランデを通過。エルロンドまで流れ着いた物かと」

「原因は?」

「元々予想されていた事ではありました。エルロンドには管理されていた魔力だまりが存在します。グランデで規定量に達する前に、エルロンドが先に規定量を超える可能性は十分にありました」

「今回はその予想が当たったという事か」

「御意に御座います」


 その言葉を受けて男は天井を見上げてしばし思索に耽る。

 

「予定とは違う。だが悪くない展開だ。エルロンドはグランデに最も近い都市だ。援軍が来るとしたら真っ先にここからだろう」

「は、後はロズルカ辺りかと」

「グランデの戦力を直接削れなかったのは残念だが、エルロンドの戦力を削るのも無駄にはならない」


 男の指が地図をなぞる。ログニス国境の要である城塞都市グランデと、エルロンドを結ぶ直線。

 

「卿の話ではこの間の街道にも影響が出るのだろう?」

「はい。小規模ではありましょうが、魔力だまりが発生します」

「何せ我が国内でも少なからず経路に影響が出ていたからな」


 楽しげに笑う男の声に、白衣の男は顔を青ざめさせた。即座に跪き許しを請う。この場に置いて男こそが絶対的な上位者。僅かでも気が向けばその瞬間に白衣の男の首は隣の女性の手によって落とされることだろう。

 

「も、申し訳ございません」

「良い。元よりその程度のリスクは許容範囲だ。何より、それによって今回の現象は我が国の謀ではないという印象を与える事が出来た」


 何しろ、被害を受け、その対処をした人間は本当に知らないのだから。こうして僅かな手勢で実行したこの男以外、今回の事件――魔力だまりの発生とエルロンドでの迷宮発生は自然現象だと思っている。

 

「それで、エルロンドの迷宮はどうなった? 余としては攻略に失敗したというのが最も嬉しいのだが」

「残念ながらエルロンドの守備隊は思い切った決断をしたようです。守備隊全員で迷宮に突入。最大戦力での最速攻略を行ったと」

「ほう、中々指揮官は気概のある男ではないか。いや、或いは女かもしれんが、大した者だ」


 男が感心したように言う。男の部下の中に、それだけの決断を下せる者がどれだけいるか。

 

「と、なるとエルロンドは壊滅か。迷宮から漏れ出た魔力で最低でも中型魔獣は大量に発生するだろう。守り手がいない都市など蹂躙されて終いだ」

「いえ、どうも学生が防衛に参加したようです。街への被害はほぼ無かったと」

「ほう」


 再び男は感心した表情を浮かべる。そしてまたも楽しそうな笑みを浮かべた。

 

「なるほどなるほど。学徒の時点で己が街を守る気概を見せるか。全く、見習わないといかんな!」

「同感です。我が国の学園の生徒の質はログニスと比較すると大きく劣っていると言って良いでしょう」

「十年後は暗い、か。やはり後二年以内で行動を起こさないといけないな」


 楽しげな笑みから一変。男の表情は憂う物になる。

 男は今が祖国興亡の瀬戸際だと考えていた。今行動を起こさなければ、数年後に祖国は存在しない。或いは存在してもその存在感を無くしていると。

 

「ロズルカを潰すとしたら、卿、準備にどれくらいかかる?」

「恐らくは今回と同じくらいかと」

「再度のグランデへの策は?」

「並行するのでしたら半年は準備に頂きたく」

「ならば取り掛かれ。私の命があればすぐに実行できるようにな」

「ははっ!」


 そう指示を出して男は白衣の男を下がらせる。残された女性が躊躇いがちに口を開いた。

 

「それから、こちらは裏付けの取れていない情報なのですが」

「何だ。そなたが口ごもるなど珍しい」

「エルロンドでは大型魔獣が出現したようです」

「……何だと?」


 大型魔獣。それの出現自体はおかしな事ではない。迷宮から漏れだした魔力で周囲の獣が魔獣に変貌する。今回の策略、人工迷宮作成では一気に迷宮の深度がクラス4程度にはなる。そうなれば大型魔獣が出現することも予測された。

 

 だがそうなると街の被害が皆無と言うのが問題になる。

 

「ログニスの学生は大型魔獣を倒し得るほどに精強なのか? だとしたら最早行動を起こすには遅いかもしれんが」

「いえ。大型魔獣で六十人以上が犠牲になった様です」

「ふむ? 犠牲を出しながらもどうにか倒したという事か? 有り得んことではないが……」

「どうも報告がハッキリとしないのですが、魔導機士が大型魔獣を撃退したと」

「魔導機士だと? いや、おかしくも無いか。増援が間に合ったという事になる」


 その場合、ログニスの戦力展開速度は男の予測を超えている事になる。温めている作戦の見直しが必要だった。


「現在王都守備隊の機体が確認されていますが、どうも報告では未確認の魔導機士らしく」

「未確認、だと? ログニスが新たな遺跡から発掘したという事になるが……そんな情報はあったか?」


 魔導機士の製造方法が失われている以上、見慣れない機体と言うのは大きく分けて二通りしかない。一つは既存の機体のコアユニットを抜き取って新たな機体を建造した。もう一つは古代魔法文明の遺跡から新たなコアユニットを発掘した。

 だがそのどちらにしてもこれまでに欠片も情報が流れないというのは不自然だった。新たな遺跡の発掘ともなれば一大事だ。探査隊の移動だけでも情報は流れる。既存機の改修としてもその場合は今ログニスに存在する魔導機士で姿を消した機体があるはずだった。

 そうでなくとも部品の流通と言う形でも情報は流れる。

 それらの痕跡が一切なく未確認の魔導機士が現れるというのは考えにくい事だった。

 

 ――まさか、倉庫で部品すらも一から組み立てる学生がいたなど夢にも思わない。

 

「いえ、私の方にその様な情報は入ってきておりません」

「……不可解だ。追加調査を頼む」

「はい。既に手配済みです」

「決行に際して不確定要素は一つでも少ない方が良い」


 男の指が地図の上をなぞる。そしてその指先がログニスの王都、ログニールで止まった。

 

「ログニス王国への侵攻。何としても成功させる」


 そう言って男は――アルバトロス帝国第二皇子、レグルス・アルバトロスは口元に酷薄な笑みを浮かべた。

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