26 蹂躙

 蹂躙が始まった。

 

 その巨体に比して意外な程の機敏さ。助走無しの跳躍で陣地の上に降り立った地竜はまず最初に倉庫を狙った。

 別段おかしな話ではない。陣地内の食料は全て倉庫にまとめられている。

 

 食欲を満たすという点では倉庫を狙うのが一番簡単かつ大量に摂取できる。

 

 それが最後のチャンスだった。倉庫の中の食糧に夢中になっている間に逃げれば良かった。

 

 だがその陣地に詰めていた中隊指揮官である教員は攻撃を指示した。指示してしまった。

 

「一斉攻撃だ! デカいとは言ってもこの人数で攻めれば倒せる!」


 確かに六十人近い人数での攻撃。過去にその人数で地竜を倒した記録も存在する。だから決して勝算が零では無かった。同時に高い物でもなかった。そして更に損害が――犠牲者が零で済む確率は更に低い物だった。

 

 騎士科が手にした剣で足元を斬りつける。魔導科が魔法を無防備な背中の一点に連続して叩き込む。全員が火炎球の魔法で統一しているのは咄嗟にも関わらず中々の連携だった。

 だが、剣は表皮に傷を付けることも出来なかった。まるで岩に切り付けたかのような感触に剣を取りこぼす。

 直撃したはずの魔法は僅かな焦げ跡を付けただけだった。

 

「下がってください!」

 

 錬金科が爆発の魔法道具を投げつける。火炎球の魔法を上回る規模の爆発と撒き散らされる破片。それも複数個を纏めて投げ込んだのだ。煙に覆われて地竜の姿が隠される。

 

「やったか!」


 誰かがそう叫んだ。あれだけの攻撃。中型魔獣ならそのまま灰となっていても不思議ではない。それ故にその叫びも無理も無い事だった。

 

 煙が晴れる。彼らの全力攻撃の戦果は――背中の羽毛が焼け焦げたのと、大量の破片で体表に僅かな傷を与えて出血を強いた事。

 

 それだけだった。

 

 地竜がゆっくりと振り向く。食事を邪魔された不機嫌さが、表情の分からない爬虫類系の顔付きに滲み出ていた。

 

 咆哮。その大音響は最早物理的な衝撃波を伴っている。足元にいた騎士科の面々が吹き飛ばされる。

 

 そしてその叫びは離れた位置にあるカルロスたちの陣地にまで届いていた。遠くから見るしかない彼らの気持ちは一つだった。

 早く逃げてくれ。

 祈るような気持ちは、叶わない。そこから始まったのは目を覆いたくなる捕食劇だった。

 

 真っ先に食べられたのは教師だった。他の学生たちを守るかのように前に出たのだ。学院の教員は熟達した魔導師だ。一瞬で巨大な氷の槍を作り、回転を加える。貫通力を高めた槍が地竜の頭部を正面から捉えた。

 

 真正面からの攻撃に対して地竜は大きく口を開けて、飛来する氷の槍を噛み砕いた。何度か咀嚼するたびに人の拳ほどもある氷塊が落ちてくる。

 地竜にとっては少し大げさな水分補給程度の効果しかなかった。

 

 そして足元に立つ小さな生き物を睥睨する。特に気負うことも無く、教師の上半身を丸呑みにした。直前に教師は氷の壁を作って防ごうとしていたがそれ諸共あっさりと。残された下半身から噴水の様に血が飛ぶ。それを浴びた生徒が腰を抜かして失禁した。

 

 地竜が教師だった物を嚥下する。意外と気に入ったのか。残った下半身も咥えこんで飲み込む。

 

 人の味を覚えた地竜は先ほどまで食い荒らしていた倉庫に見向きもせず、教師を失って右往左往している生徒たちに狙いを定めた。量的には大したことが無いが、地竜の中で味が好みだったらしい。

 

 騎士科が果敢に立ち向かうが、尾の一振りで小石の様に吹き飛ばされ、倉庫の壁に叩きつけられて赤い染みになった。魔導科は錯乱して魔法を使うことも出来ていない。錬金科は何か道具を取り出そうとしている時に踏みつぶされて地面に染みを作った。

 

 陣地を囲い、頼もしかったはずの壁は今となっては牢獄の格子に等しい。出口となるべき個所を地竜に塞がれてしまい、逃げ場が存在しない。もはやそこは陣地では無く、地竜の餌場だった。

 

 そうしてその陣地にいた六十人近い人間は皆地竜の胃袋の中に収まった。

 

 更にその後倉庫の中身を食い荒らして満足したのか。身体を丸めて眠る姿勢に入る。その姿はどこかユーモラスだが、大量の血を吸って赤黒くなった陣地の地面と、そこに散らばっている食い残しを見ればそんな感想を抱くことは出来ない。

 

 その一連の蹂躙劇を見ている事しかできなかったカルロスたちは全身を強張らせたまま、大きく息を吐いた。

 

「俺は今、心の底からあいつがあっちに行ってくれて良かったと思っている」


 ケビンの絞り出すような声に控えめながら同意の声が漏れ聞こえた。

 カルロスも全面的に同意だ。そして向こうの陣地を食い荒らしたままこっちに来なかった事に心の底から安堵している。

 

 間違いなく、あのままの勢いでこちらの陣地に来られたら自分たちも同じ運命をたどっていたと断言できる。

 それだけの力の差が存在していた。

 

「それじゃあ、これからあいつをどう叩きのめすか考えようぜ」


 いち早く正気を取り戻したカルロスの声に皆が額を突き合わせて作戦を考え始める。

 

「とりあえず、さっきの光景を見る限りじゃ俺たちは大して役に立てそうもない」


 ケビンの言葉に騎士科の面々は悔しそうに俯く。ウェイトが違いすぎる。連携して攻撃を受け止めるにも限度があった。

 剣や槍も届くのはあの巨体を支える足くらいだが、それに応じた強度がある。それは犠牲になった隣の陣地の騎士科が証明してくれた。攻撃面でも役に立てないだろう。

 

「確か……弓矢があったな。後は投石器の予備が」

「投石器の予備は大したスペースも取らないので持ち込んであります。使える人がいればそれで爆発の魔法道具を投げ込めば」


 一番効果があったと思われる攻撃を錬金科の一人が挙げる。

 

「正直、俺たちの魔法では奴の防御を突破できそうにも無い」

「食ってたもんな……あいつ」

「氷の槍って選択が悪かったのかもな」


 あれが火炎球だったらどうだっただろうかと想像してみるが、結末はあまり変わりそうになかった。

 

「だがあの時も十個近い魔法道具が投げ込まれてあの程度だった訳だが……」

「もっと大量に使わないとダメって事か」

「でも、あれ以上を投げ込んでも最初の方の爆発で後半の物が吹き飛ばされて威力が減衰してしまいます」

「だったら最初からくっつけて纏めて投げちまえばどうだ?」

「と言うかそんなに大量の爆発の魔法道具は用意できない。やはり魔法で――」

「それだったら――」


 案を出してはその問題点を指摘し、別の案を出す。そうやって強大な地竜への対抗策を練っていくのであった。

 

 カルロスの頭の中に魔導機士の事が過った。倉庫で横たわっている未完成の機体。まともに動かせない物に頼るのはいよいよ打つ手が無くなってからだろう。少なくとも地竜は人の手で倒された記憶のある存在だった。決して不可能では無い筈の相手だ。

 一先ずカルロスは魔導機士の事を頭から外して、現状を打開する方法を考えるのだった。

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