通告

 メイドカフェを辞めた、その日の夜の出来事である。


 マーキスの店から自宅に戻った西野は、ローズが用意した夕食を彼女やガブリエラと共に食べた。そして、自室の端末で近隣の学習塾を調査の上、ウェブサイトから入塾の申し込みを完了。日が変わる前には床に就いた。


 色々と残念なことが続いた手前、気疲れもあって早めに就寝を決めた彼である。未だ見ぬ学習塾での出会いに胸を膨らませながらの睡眠だ。もしかしたら、今日はいい夢が見られるかもしれないな、とかなんとか。


 そうしてベッドに横になることしばらく。


 うつらうつらし始めたフツメンの下を訪れる者がいた。


 ゆっくりと部屋のドアを開けて、抜き足差し足忍び足。ベッドの傍らまで歩み寄る。そして、シーツの上に仰向けに横たわった彼を見つめては、恐る恐るといった様子で声を掛けてみせる。


「もう寝てしまいましたか?」


 眠りに落ちようとしてた意識が覚醒する。


 パチリと目が開く。


 その瞳に映ったのはガブリエラだ。


「……なんだ?」


「起きて下さい。貴方に話があってきました」


「このような時間にか?」


 短く呟いて西野は身体を起こす。


 ベッドの縁に座った姿勢で彼女を迎え入れた。


「お姉様が一緒だと面倒です」


「…………」


 これまた物騒な物言いを受けて、まどろんでいた西野の意識が覚醒していく。同じ家に住まっている為、彼女とは話をする機会などいくらでもある。しかし、これがローズ抜きでとなると、以外と少ない二人だけの接点である。


 それもこれも、今まさに指摘の上がった金髪ロリータが意図してのこと。とはいえ、まさか惚れられているとは思わないフツメンだから、そこまで気にしたことはなかった。おかげでガブリエラからの言葉は、どこか威力的なものとして彼の耳に響いた。


「本日、先にバイト先から帰ってしまったことは謝罪する」


「そレにも文句を言いたいですが、用件は別です」


 ちなみにこうして語るガブちゃんはパジャマ姿だ。


 お風呂を終えてから間もないようで、身体をホクホクとさせている。髪の毛もしっとりと濡れており、普段の彼女とはまた違った雰囲気が感じられた。これが女日照りの続く童貞野郎を刺激する。


 ただし、香ってくるシャンプーの匂いは西野とお揃いだ。


 鼻腔に届けられた男性用整髪剤の香りから、彼は冷静さをキープ。


「なら何だというんだ?」


 その色香に抗うよう、務めて素っ気ない態度を取ってみせる。


 オマエになんて興味はないんだぜオーラを漂わせてみせる。


「貴方が異性との交流を求めてバイトをしていたのは知っています」


「……それがどうした?」


 しかし、それもほんの僅かな間の出来事である。


 続けられたガブリエラからの言葉を受けては、一息に霧散した。


「以前も伝えました。私と異性交流をしてみませんか?」


「…………」


「あの時は逃げラレてしまいましたので、今度はこっちかラ来ました。貴方が不能ではないというのであれば、このままベッドに連レ込んでくレて構いません。そレとも逆に押し倒さレルのが好みですか?」


「あの時?」


「そうです。あの時です」


「いや待て、それは……」


 ブレイクダンス同好会での騒動に前後して、フツメンがガブリエラから、ホテルの部屋に誘われた一件である。ただし、こちらはローズの介入が影響して、現時点まで双方で認識が異なっている。


 自ずとフツメンの脳裏に浮かんだのは、オートロックに意気消沈した当時の感慨だ。馬鹿にされたのだろうと考えていた彼だが、こうして話をしてみると、なにやら状況が異なっていることに気付いた。


「こちらをからかったんじゃないのか? ロックが閉まっていた」


「そんなことはあリません。ストッパーを挟んでおきました」


「ストッパー? そんなものはなかったな」


「…………」


 西野の発言を受けて、むぅと考える素振りを見せるガブリエラ。


 思い起こせば彼女も彼女で、閉じられていた出入り口のドアを直した覚えがあった。その間に西野が部屋を訪れていたのなら、とは容易に想像される行き違いの原因だ。今更ながら当時の状況が共有された両名である。


「どうした?」


「……お姉様のせいですね」


 顔を俯かせると共に、足元に向かってブツブツと語ってみせる。


 時機を同じくして、ローズがガブリエラの居室に突撃、早々に返り討ちとなった出来事だ。以来、両者の力関係はガブちゃんが圧倒している。事ある毎に彼女へ挑む金髪ロリータ。これを銀髪ロリータが軽く往なすのが日常となった。


「あの女と何かあったのか?」


「いえ、気にしないで下さい。貴方には関係ありません」


「話題に挙がっている時点で関係あると思うのだが?」


「そレはさておいて、あの時の発言は本意です。今からでも遅くはありません。その股間にぶラ下がったモノを使ってはみませんか? この期に及んで、男色の気があルとはいいませんよね?」


 ガブちゃんは改めて西野に向き直った。


 じっと真正面から相手を見つめてみせる。


「…………」


 こうなると弱いのがフツメンだ。


 過去に一度は、ヤリたい気持ちを抑えきれずに足を運んだ手前、しかもその事実をこうして口にしてしまった後となっては、上手い返事も出てこない。実際問題、彼の目にもガブリエラは魅力的に映る。


「そレとも私の肉体では不服ですか?」


「いいや、そんなことはない。アンタの身体は十分魅力的だ」


「だったラどうして、躊躇していルのですか?」


「躊躇している訳じゃない」


「そレなラ何故、返事がないのですか?」


「…………」


 しかし、相手は同業者である。


 その一点が西野にとっては大きな障壁となっていた。もしも相手が委員長であったのなら、まず間違いなく格好つけて、シニカルを気取って、ガッツいていただろうフツメンである。確実に最後まで致したことだろう。


「まさか、バイト先で出会った女に操を立てていルのですか?」


「そういう訳ではない。ただ、アンタはこちら側の人間だろう」


「そレが何か問題ですか?」


「問題は大ありじゃないかしら?」


 ガブリエラの問い掛けに言葉が返る。


 しかし、それは西野の口から発せられたものではなかった。ベッドに腰掛けた彼とは反対側、部屋の出入り口から聞こえた。しかも女性のものであって、更に言えば二人にとっては耳に慣れた響きである。


「……フランシスカか」


「どうして貴方がここにいルのですか?」


 部屋の出入り口には、スーツ姿のブロンド美女が立っていた。


 照明の落とされた居室、廊下から差し込む明かりに背後から照らされる姿は、日中に眺めるよりも威圧的なものだ。その優れたスタイルが殊更に強調されて、西野やガブリエラの目に映える。


「ちょっと失礼するわね」


 短く呟いて、フランシスカは西野の居室に入った。


 そして、後ろ手に部屋のドアを締める。


 ローズの部屋まで声が届かないように、気を遣ってのことだろう。ただ、西野の部屋には彼女が仕掛けた盗聴器や監視カメラが数多存在している。ドアを閉めたところで偏愛ロリータの監視は免れない。


 しかし、本日は彼女も既に眠りについていた。


 西野がベッドに入ったことを確認した彼女は、彼のベッドと交換した使用済みシーツに顔を押し付けてぐっすりである。その為だけに寝具をフツメンと同じ製品で一式を揃えているマジキチだ。同宅での炊事洗濯は彼女にとってご褒美に他ならない。


 おかげで今晩は、嫉妬に狂った彼女が乱入してくることもなかった。


「なんだ、この時間になって客ばかりくるな」


「すみませんが、この男には他に役割がありますので」


 西野の軽口に構わず、フランシスカからガブリエラに声が掛かる。


 フツメンやローズに対するような、どこか人を馬鹿にしたような軽い態度とは打って変わって、とても真面目な語り草だ。ガブちゃんのパパは彼女にとって、直属の上司よりも遥かに重要な相手だった。


 当然、その娘である彼女も、股くさオバサン的には軽視できない。


「どういうことですか?」


「言葉通りの意味です。お付き合いは控えて頂きたく存じます」


「だかラ、その理由を聞いていルのです」


 フツメンの存在はさておいて、言葉を交わし始めた二人。


 西野はこれを黙って眺めるばかり。


 ただ、そうして口を噤んだのも束の間のことである。


「【ノーマル】には私と結婚してもらいます」


「ちょっと待て、それはどうい了見だ?」


 自身の婚姻が話題に挙がっては、自然と声を発していた。


 しかも、相手がフランシスカとなれば、彼としても異論の余地ありだった。一度は相手の部屋を訪れてみせたガブリエラとは打って変わって、拒絶の意志を見せるフツメン。その顔には露骨に嫌悪の色が浮かぶ。


「アンタ、寝ぼけているのか?」


「いいえ? 意識はハッキリとしているわよ」


「だったら……」


「私なら貴方のことを守ってあげられるわ」


「……どういうことだ?」


「貴方に残されている時間は短い。それでも私と結婚したのなら、これを大幅に伸ばすことができる。少なくとも私が生きている限り、貴方や貴方の身の回りの人間が、どこかの誰かにどうこうされるようなことはなくなるわ」


 フランシスカから与えられたのは突拍子もない提案だった。


 そもそも背景からして不明である。


 しかし、西野は多少なりとも合点がいった様子で答えてみせた。


「一つ尋ねるが、それはアンタの上司の判断か?」


「そのようなものね」


「…………」


 目の前の相手が多くを語れない立場にあると、そう理解しての受け答えだった。こうして話を持ってきただけであっても、大きな借りになるのではなかろうか、とは彼の脳裏に浮かんだ思いである。


「これでも色々と手を尽くして譲渡を引き出したのよ?」


「それがアンタとの婚姻だと? 馬鹿馬鹿しい」


「真面目に検討してもらえると嬉しいわ」


 やれやれだと呟いてみせる西野。


 これに彼女は務めて真面目な顔で答えてみせた。


 おかげでフツメンも事態の深刻さを理解する。


 続く言葉が無いことを確認して、彼は厳かにも問い掛けた。


「……それでアンタに何の得がある?」


「【ノーマル】と一緒に仕事ができるわね」


「邪魔者を抱え込んだことで、出世からは遠ざかるんじゃないのか?」


「それは貴方の働き次第じゃないかしら?」


「切り捨てる方が容易だ。代わりなんて幾らでもいる」


「いいえ? 【ノーマル】の代わりを見つけることは困難だわ」


「随分と語ってくれるじゃないか」


「貴方、自殺願望でもあるの?」


 普段なら冗談の一つでも返しそうなところ、受け答えするフランシスカの態度は一貫して真剣なものだった。そうした彼女の振る舞いからも、西野は自身の置かれた状況が、かなり危ういものであることを理解した。


 そうした状況も手伝い、二人の間で交わされる会話は酷いものだ。


 もしも委員長が居合わせたのなら、全身の肌という肌にブツブツと鳥肌を立てて、西野君、まだブレイクダンス同好会で女装しているときの方が良かったよ、などと訴えかねないやり取りである。


「……原因は?」


「私のラブコールを断り続けていたのだから、当然でしょう? あとはここ最近になって貴方が見せた、人間味に溢れた活動かしら。以前と同様、淡々と仕事だけをこなしていれば、ここまで評価が変わることもなかったでしょうに」


「…………」


 その指摘には自身も覚えのあるフツメンだ。


 ストイックであった数ヶ月前とは打って変わって、昨今は自ら率先して騒動に首を突っ込んでいる。直近ではシェアハウスへの転居を巡る一件を筆頭として、職業体験でのあれこれや、バイト先が抱えた問題への介入など、枚挙に暇がない。


「何か質問はあるかしら?」


 フツメンを見つめて問い掛けるフランシスカ。


 これに西野は自嘲じみた笑みを浮かべて答えた。


「思ったよりも早かったな」


「どうするつもり?」


「そっくりそのまま返そう。アンタたちは自殺願望でもあるのか?」


「そういう態度が、貴方の評価を改定する機会を生んだのよ」


「返答は?」


「学校生活、楽しみたいんじゃないの?」


「それはそれ、これはこれだ」


 淡々と強がってみせるフツメン。


 そんな彼にフランシスカは続ける。


「今回のバイト先での一件、私からの貸しはどうなるのかしら?」


「まさか職場での騒動も、アンタの仕込みか? シェアハウスの一件から続く出来事でさえも、そちらの思惑に乗っていたのかも知れない。もしもそうだとすれば、あぁ、大したものだ。侮っていたことを謝罪したくなる」


「そこまではしないわよ。これでも貴方のことはそれなりに理解しているつもりよ? 事実がバレたときに受ける反感を考えて欲しいわね。こうして声を掛けることが前提なのだから、そちらの指摘はあまりにもナンセンスだわ」


「だからといって何故に結婚なんだ?」


「私の身内とした上で、国籍や所属もあちらに切り替えるわ。これで貴方の意志を関係各所に示した上で、今後はこちらの指定する仕事のみを受けてもらう。それらを条件に貴方の存命を上と交渉することができたわ」


「用意周到なことだ」


「そうかしら?」


「てっきりアンタが、俺に気があるのかと思った」


「っ……」


 何気ないフツメンの軽口に、ドクンと胸を高鳴らせるフランシスカ。


 海外旅行の一件以来、彼女に下心が無いと言えば嘘になる。事実、結婚というキーワードは彼女から提案が為されたものだった。おかげで本日、西野はこうして交渉の機会を得ることができた。それもこれもフランシスカのおかげである。


 だというのに、フツメンはこれでもかとシニカル。


 そうこうしていると、西野の傍らから声が上がった。


「ちょっと待って下さい。横かラ入ってきて邪魔をしないで下さい」


 ガブリエラだ。


 彼女は口を尖らせてフランシスカに声を上げる。


「ですが、我々の提案はお互いに背反するものです」


「いいえ、オバサンの提案は私にとって大した問題ではあリません」


「……どうしてそう言えるのですか?」


 ガブリエラの言葉を受けて、フランシスカは驚いてみせた。


 もしも相手がローズであれば、四の五の言わずに殴られていたことだろう。その先に勝利が待っていようと、敗北が待っていようと、とりあえず腕を振り上げていただろう部下の姿を思い浮かべるフランシスカ。


 これとは対象的に、淡々と語ってみせるのがガブちゃんだ。


「彼は私と付き合いながラ、貴方と結婚すレばいいのです」


 ああだこうだと交わしてきた話が大きく巻き戻った。


 西野とフランシスカからは、ぎょっとした眼差しが向けられる。この子は何を言っているのだと言わんばかり。けれど、本人は何ら動じた様子もなかった。私の話を聞けと訴えるように、つらつらと言葉を続けてみせる。


「私はこの男が誰と結婚しようと気にしません。ちゃんと私に向き合って、真摯に付き合ってくレルというのであレば、他に誰かと付き合っていようが、結婚していようが、こレといって問題はあリません」


「いやアンタ、それは幾らなんでも……」


「なんなラ三人で楽しんでも構いません」


 ガブちゃんは性に対してとても大らかだった。


 これには西野とフランシスカも困った顔だ。


「だから、私と付き合ってください」


 ジッとフツメンを見つめて、ガブリエラは語ってみせる。


 結果的に一人、蚊帳の外に取り残されたローズ。


 まさかこのような会話が、自身が寝入っている間に行われているとは、夢にも思わない。愛しの彼を無事に取り戻したことで、スヤスヤと心地良く眠る彼女はさておいて、フツメンの未来はまたも一転の兆しを見せ始めた。






---あとがき---


本作はコミック&オーディオドラマも絶賛配信中。

独自展開も始まった最新7巻は「12月25日」に発売となります。

https://mfbunkoj.jp/special/nishino/



また、他にも色々と連載しております。どうぞ、よろしくお願い致します。


「異世界でスローライフを楽しもうとしたら、現代で異能バトルに巻き込まれた件 ~魔法少女がアップを始めたようです~」

https://kakuyomu.jp/works/1177354054887710622


「プロニート、渡辺 ~下僕のマリオネットが最強なので老後も安心~」

https://kakuyomu.jp/works/1177354054893049009

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